第74話


 エルセレム帝国領内に存在する古城。

 その最上部に存在する円卓の一室に、白色のコートを羽織った青髪の男が静かに座っている。

 その男は連絡用の魔水晶を覗き込んでおり、そこにはまだ待ち人の姿は映っていなかった。

 

 つい最近まで廃城だったこの城には一週間ほど前から人が住みつき、毎日毎日書類や面接などの激務に晒されていた。

 クマの出来た目元を揉んでいるとき、魔水晶が淡く輝きだして声が聞こえてくる。

 

『遅くなりましたトリエテス大将』

 

「大将はやめておくれよ。この前馴染みの酒場で『大将っ!』て呼ばれてさ、僕の事だと思って返事をしたら、違う人の事だったんだよね。恥ずかしかったよ」

 

 白いコートの男――クリードは水晶に映った20代半ばといった男に笑いかける。

 小粋なジョークのつもりで発した言葉だったが、まだ感触が浅いと感じたのか、話を続けることに決めた。

 

「それでね? 今度は返事をしないようにしようって決めて外へ出たんだけど、また隣から『大将っ!』って言われたんだよ。どうせ僕じゃないと思ってそのまま進んだら、背中を引っ張られてね? 驚いて振り向いたら部下のセラ――」

 

『例の件の調査が終わったため、報告申し上げます』

 

 これは長くなると察した水晶の男が、クリードの話を遮ってそう口にする。

 

「――が酔っ払って馬車に轢かれそうな僕を助けて……うん、ごめん。ここ最近デュセク君以外と喋っていないから口寂しくてね……それで、結果は?」

 

 男の真剣な表情を見て若干声が低くなったクリードは、手元にある紅茶を啜る。

 

『簡潔に申しますと大将……トリエテス参謀のお考え通りでした。現場を撮影した【投影紙】は夕刻、部下に持たせて早馬で王都に向かわせています』

 

「……そっか。うん、わかった。ありがとう」

 

『いえ』と口にする男に返事を返さず、考え込むように目を瞑る。顎を触りながら椅子を軋ませるクリードの表情は硬い。

 

 妙な違和感を感じ、特別任務を発令させた段階で今回のような報告が来ることは理解していた。

 

 参謀という立場はただ頭が良いだけでは務まらない。

 違和感、不快感、嫌悪感などの勘が鋭くなければ敵の裏をかくことは出来ない。

 また、内部不正や反乱の兆しに誰よりも早く気がつけなければ国が傾くことになる。

 故に、予想通りの報告はクリードにとって落胆でしかなかった。

 

「本来なら砦隊長を吊し上げるだけの証拠は充分だけど、君はもう少しそこに残ってくれるかい?」

 

『……どういうことですか?』

 

 クリードがこの男に課した作戦内容は潜入調査だった。

 半年前から動き出し、バレないように慎重に慎重を重ねて行ってきたモノ。

 こうして報告が済むまで事を動かしているということは、ある程度その作戦地域での信頼を勝ち取っているということになる。

 

「もうすぐ、彼がそこに向かう。僕達の希望を背負うに足る人物か測るためにね」

 

 そこでクリードは楽し気に笑みを浮かべる。

 発言の意図を察せなかった男は首を捻っていた。

 

『彼……ですか?』

 

「リド・エディッサ君だよ。君も騎士団戦は見たろう? 本当に凄い子なんだ」

 

『消息不明のエディッサ元中将の息子さんでしたっけ? 『この場所』にですか?』

 

 何を考えているのかわからない、と眉を寄せる男にクリードは「うん」と頷く。

 

「彼がそっちに着けば、確実に何かを引き起こしてくれるからね」

 

 やらかしてくれるともいえるけどね、と笑うクリード。

 

『なるほど。その時、中へ手引きをする人間がいれば、事が上手く運ぶと?』

 

「そういうことだね。よろしく頼むよ?」

 

『はぁ~』

 

 男は頭を掻きむしり、大きく息を吐き出す。

 我慢の限界というように、煙草を取り出して口に咥えた。

 この程度の無茶振りはよくある。

 クリード・トリエテスという人間は信頼のおける部下にこそ、厳しいのだ。

 

『……というより、そのエディッサ君が本当にトリエテス参謀の考え通りに動くんですか?』

 

「――いや、それはないだろうね」

 

 楽し気に肩を震わせながら即答するクリード。

 

「彼は僕の想像を良い意味で裏切ってくれるからね」

 

『……そもそも、この反吐が出るような現状の中、それでもその子供が行動を起こす根拠はあるんですか?』

 

 その言葉に、クリードは書類仕事用の眼鏡をくいっと上げて凛々しい顔を作る。

 

「あるよ」

 

 そしてクリードは外に見える青色の月を窓越しに見ながら軽く微笑んだ。

 その様子を水晶越しに見ていた男は、何か深い考えがあるのだと、納得したように息を呑む。

 

「……まあ、勘だけどね」

 

『勘かよっ!! あ、すいません。つい……』

 

 ボソッとクリードが呟いた言葉にがっくりと肩を落とす男。

 

『とりあえず、わかりましたよ。そのエディッサが来る日を楽しみに待つことにします』

 

 皮肉を込めて苦笑いを浮かべた男は、『では本日はこの辺で……』と言って水晶から姿を消した。

 

 呆れられてしまったかな? と笑いつつ、クリードは水晶を手に持つ。

 それをポケットに仕舞い、椅子から立ち上がって窓を開いた。

 外から生暖かい風が入って来るのを感じると同時、青色の髪と白色のコートが風に揺らされてなびく。

 肺に溜まった空気を吐き出して、新鮮な空気を取り込んでから楽しげに笑った。

 

「いやぁ、大変大変」

 

 夜風を心地よく感じながら、再度月を見上げる。

 

「僕達も、そして……リドくん達も、ね」

 

 そこで常日頃から貼り付けている笑みを消し、目つきを鋭くさせるクリード。

 

「……そうは思わないかいデュセク君?」

 

 交信中もずっと円卓に座り、ろうそくの火で横顔を照らされながら黙々と書類仕事に勤しんでいたコビデに問いかける。

 

「どうでもいいんで早く窓閉めてくださいよ参謀。入団申請書の山が飛んでっちゃうんで」

 

 起伏の無い声で返事をしながらクリードに視線も向けないコビデ。

 覇気が全くなくなっており、ひたすらペンを走らせていた。

 

「……君、最近少し痩せたかい? ストレスかなぁ? ダメだよ、ちゃんと食べなきゃ。華の20代なんだから」

 

「食事より睡眠時間が足りないんですよ。もう三日寝てないんですから。そもそもなんで参謀は平気なんです? 参謀も三日寝てないはずですよね?」

 

「まあ、徹夜なんてものは五日超えてからが本番だよ」

 

「……エルセレム帝国騎士団の闇ですね」

 

 目の下にクマを作っているコビデは、頭を掻くが視線は書類に落としたままだ。

 三日間ぶっ続けで入団希望の書類審査を行なっているにも関わらず、一向にその数は減らない。

 むしろ日を追うごとに増えていた。

 全国放映された騎士団戦の映像を見た者たちが、一斉に申請書を送ったのだ。

 リドの過去がある為、身分や経歴は不問としたのも、申請書の山ができる理由としては大きかった。

 

「でもさ、なんでだろう。歳かな? 最近、白髪が増えた気がするなぁ」

 

「口動かす暇があるなら書類片付けるの手伝ってください」

 

 全く話に乗ってくれないデュセクに「失敬失敬」と苦笑いしながら、クリードは椅子に座る。

 

「……まさかこんなに応募者が多いなんて思ってもみなかったよね。僕思うんだけどさ、今の【フラムサクレ騎士団】に最も必要な人材は、コーヒー淹れるのが上手い人だと思わないかい?」

 

「えぇ、俺も本当にそう思いますよ。じゃあその人探しましょう。入団希望用紙に【特技・コーヒー】って書いてある人探してください」

 

 こうして、徹夜続きにより常識と判断力が欠落したコビデとクリードの夜は更けていった。


 

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