第71話


 シャロの部屋に向かうオレたちは一度肉を倉庫から取り出してから階段を登っていく。

 外にむき出しとなっている展望室がフロアで言えば8階に位置しているらしいが、シャロの部屋は5階だ。

 使用人や客室がある3、4フロアより上には行ったことがないが、ヨルの後ろに引っ付いて初めて侵入する。

 まず匂いが違う。

 香水なのか、花の匂いなのか分からないが、フレグランスでも撒かれているのかと思うくらいにいい匂いがする。

 5階にはアリシアが住む部屋があるらしいが、こういうところはご令嬢のようだ。

 オレの客室など、木と本の匂いしかしない。

 

「こっちです。足音は極力消してください」

 

 ヨルがゆっくり先を歩きながらそう伝えてくるが、全く失礼な話だ。

 オレを誰だと思っているのだろうか。

 食堂の時とは逆に、今度はオレが完全に気配を消してヨルの後をつける。

 

「っ!?」

 

 ヨルが後ろ、オレの方を振り向いてキョロキョロしている。

 

「早く行け」

 

「ぬおっ。いた。消えたかと思った」

 

「そりゃいるだろ。それよりシャロの部屋はまだか?」

 

 だいぶ進んできたと思うが、まだ進むヨルの背中に問いかける。

 

「ここ。絶対乱暴なことはしないでください。もしシャロ様を連れ出したことがバレたら死刑。良くて肉刑」

 

「わかった」

 

 それだけ国にとって重要人物らしいが、バレるわけがない。

 シャロの扉の前に立って、軽くノックをする。

 コンコン。

 ……シーン。

 

「まぁ、だよな」

 

「うむ、当たり前。小さな子は寝てる時間」

 

 当たり前だろと言いたげにこちらにジト目を向けるヨル。

 

「じゃあこれだ。ちゃららちゃっちゃらーどこでも開錠ツール!」

 

「シャロ様の部屋に不法侵入する気か。絶対だめ」

 

「なんだよ、ここまできて怖いのか?」

 

「違う。私は痛いのが嫌なだけです。リドが怒られるのはどうでもいい」

 

 正直なやつめ。

 まぁいい。

 何もかもうまく噛み合わなかったが、致し方ない。

 差し込んだピンセットを抜こうとして違和感を覚えた。

 

「……なぁヨル。一ついいか?」

 

「なんですか? トイレはこの辺にはない」

 

「そうじゃねぇ。シャロの部屋ってのは普段鍵をかけないのか?」

 

 オレの言葉にヨルは再度懐疑的な目を向けてくる。

 

「そんなわけない。危険だからメイド長がいつも鍵をかけてる」

 

 ヨルの言葉を待たずにそのままドアノブを掴む。

 ゆっくり回すとそのまま扉が開いた。

 

「何やってるか! ダメって言った!」

 

「違う。最初から空いていた。オマエはここで待ってろ。敵がいるかもしれない」

 

 ヨルを入り口に残して中に侵入していく。

 ぬいぐるみなどがそこら辺に置かれているが、荒らされたような形跡はない。

 剣は部屋に置いてきているので、今の俺が震える武器は拳だけだ。いつ誰が襲ってきても問題ないように周囲に視線を飛ばしながら歩を進める。

 かなり広い部屋だが、構造はあまり複雑ではない。

 シャロがいるであろうベッドを発見し近寄っていくが、そこに寝ている姿はなかった。

 

「……まだ暖かいな」

 

 布団の中に手を入れ、残った体温を確認する。

 まだ離れて数分といったところだろう。まだシャロの体温が残っている。

 夜半にトイレに出かけたという線もあるが、この部屋の入り口には個室のトイレがついているのでそれはないだろう。

 

「これ見よがしに窓が開いてやがるな」

 

 まだ寒い春の夜に窓を開けて寝るほどシャロの頭は悪くないだろう。風邪を引くということくらいはわかるはずだ。

 だったら、ここから転落した可能性も考えられるが、下を見てもその気配はない。

 ひとまずそれを見て安心したが、突如頭上に気配を感じた。

 

「チィッ!」

 

 本能の感じるまま、反射的に窓から飛び退く。

 次の瞬間には鼻先を僅かに糸が掠めていき、うっすらと血が滲む。

 そのまま近くのソファーに隠れるように飛び下がり、窓を確認する。

 

「……ほう、悪くない。闇討ち慣れしているな」

 

 音もなく窓枠を足場に立つ青年は、両手から月明かりに反射する糸を揺らしている。

 初めて見るその青年が放つ威圧感は覚えがある。

 親父の、ロイの放つ威圧に瓜二つだった。

 

「オマエ誰だ? シャロを攫ったのはテメェか?」

 

 目視できる武器が糸だけなら対処法などいくらでもある。操糸術を使うものには何度か当たったことがある。

 見えない糸は厄介だが、指先の動き、体の動きに集中すれば糸の行先を知ることは難しいことではない。

 男の前に向き合うように姿を出したオレは、いつでも反撃できるように意識を集中しながら相手を見る。

 その様子を見て軽く鼻を鳴らした男は窓枠から降りずに見下ろしてくる。

 

「ここで仕合いをするのも一興だが、今日は様子見にきただけだ。それはまたの機会にとっておこう」

 

 そのまま青年は後ろに倒れるようにして窓から姿を消した。

 下に落下していったように思うが、続く衝突音は聞こえてこない。

 代わりというように「お前のお姫様は、お前の行先にいる」と夜風と共に声が聞こえた。

 

「誰なんだよ……くそが」

 

 残ったのは鼻に感じる鈍い痛みだけだった。


「リド。物音が聞こえましたが、何かありましたか?」

 

「……なんでもねぇよ。シャロは先に展望室にいるらしい。さっさといくぞ」

 

「先に誘ってたなら先に言う。シャロ様に護衛もなしで展望室に向かわせるなんて国家転覆くらいの罪背負わされてもおかしくない」

 

 ぶーぶーと文句を言ってくるヨルの鼻っ柱を指先で弾いて黙らせた後、オレは部屋の窓を閉めた。

 誰なのかは全く分からないが、あの動きにはやはり見覚えがある。

 

 さっきの青年とはまたどこかで会うような予感を感じながらも、ヨルを連れて部屋を後にした。

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