第62話
時は遡って半刻前。
森の中でリドとセシリアは向き合っていた。
先ほどまでの甘えるような優しい雰囲気はなく、セシリアの顔は感情を意図的に消しているように映る。
「――エルセレムを出て、わたしとアミリットで暮らして」
セシリアは今日一番の真剣な顔でリドと向き合っている。
決意を秘めたその目を無視することはできず、リドは意味を聞き返す。
「急に何言ってんだ?」
「小さいけどお家で一緒に眠れる。毎日一緒にご飯を食べられる。お給料日は、たくさん食べられる。わたしがりどのために頑張るから、一緒に来て」
胸に手を添えながら、必死に言葉を吐き出すセシリア。
その声音には、あまりにも純粋すぎるリドへの愛が溢れていた。
リドに全てを捧げるから、私を選んで欲しいと。
セシリアがスラムを出た理由もリドのためだ。
命の危険がある場所で、日々人が、子供が飢えで死に続けていく明日もわからぬ地獄で生き続けるのは難しいと、幼いセシリアは理解していた。
戦う才能が全くないわけではなかった。盗みなどの行為も忌避感を感じながらも行うことができる。
だが、腐敗の進んだパンや肉などしか食べ物がない状態では、感染症にかかって死ぬことを幼いセシリアはわかっていたのだ。
男よりも成長の早いセシリアは、リドをそんな環境から守りたかった。
だから離れた。
自分の全てであるリドから、自ら離れる辛さは二度と経験したくないほどの苦痛だったはずだ。
同年代の子たちが、まだ親に手を惹かれるような歳だというのに。
故に今日この日に、リドを連れ帰ると決めたセシリアの決意は固かった。
そんな様子を全て察したリドは、肩を落として溜まった息を吐き出した。
「――悪いが、断る」
しっかりと目を見て、リドはセシリアの言葉を拒絶した。
ひどく悲し気に顔を顰めるセシリアは、目から涙をこぼしながら膝から崩れ落ちかける。
慌ててリドが抱き留めて、何とか支えられるが、リドの胸に顔をうずめて肩を震わせていた。
「なんで? まだ……怒ってる……?」
「怒ってねぇ」
バツが悪そうにリドは頭を掻く。
「オマエ今副団長になったんだろ? 家が買えるなら、オマエはもうスラムのセシリアじゃねぇ。アミリット王国のセシリアだ。過去に縛られることはねぇよ。年頃の女らしく生きろ」
「ち、ちがうっ! わたしはりどのために……」
「オレの生き方はオレが決める。だから、セシリアの生き方はセシリアが決めろ」
リドの考えを受け止めたセシリアの表情は暗く沈んだ。
なぜわかってもらえないんだと言うように、その顔は悲しげに歪んでいる。
「一緒に、来て、くれない……の……?」
「あぁ、セシリアとまた一緒に生きる道も良いかもしれねぇ。だが、オレは今アリシアの兵だ」
「じゃあ、力ずくで連れて行く……」
セシリアは腰から剣を抜き、そのまま一歩後ずさってリドへ向けて構える。
その行動はリドにとっての決別を意味していた。
「……オマエがオレに、一度でも勝てたことがあったか?」
「昔とは、違うから」
セシリアの目は、敵と向かい合う時の絶対零度を思わせる氷のように冷たくなっている。
手を抜けばリドとてただでは済まないだろう。
「オレも5年前とは違うぜ」
「この戦いは……ここだけは負けられないの……! 『壁よ』」
刀身に魔力を纏わせたリドの一閃が、セシリアの氷の壁にぶつかる。大気をも斬り裂きそうな神速の一刀は空気中で摩擦を生みだしていた。
衝突した氷が蒸発し、周囲には壮絶な風が巻き起こる。
セシリアは魔力を途切れさせないように集中し、リドは氷の壁が迫るたびに大気を切り裂く。
戦いは両者の魔力が尽きるまで続くことになるが、リドとセシリアの魔力量は桁外れだ。そのことを互いに理解しているため、早期決着をするには必然的に近接戦を選択するしかない。
「『エクステンション』」
リドの剣【ベル・メテオ】に光の粒子が纏い、自身の剣のリーチが伸びる。
セシリアはその光景を見た後、リドに突貫した。
氷の壁を形成するセシリアが迫るにつれて、気温がどんどん下がって体温の熱を奪われていく。
リドの体表には霜焼けが発生し、動きを若干鈍らせた。
「フッ!」
だが圧倒的なステータスを持つリドが動きを制限されたところで、人外なのは変わらない。
攻撃を受け止める前に、リドはセシリアに光を纏う剣を振り下ろす。
リドの剣はとても目で追うことはできない速度。剣を振り下ろされた地面が轟音と共に割れ、地面の振動が二人を揺らした。
「――ッ!」
直感だけで横に回避し、リドの剣をなんとか避けたセシリアは、揺れる地面の中を走ってリドの左側から剣を薙ぐ。
「ふんッ」
セシリアの剣を目で追いながら剣で受け止めるリド。
一瞬鍔迫り合いが発生するが、筋力勝負の決着がつくより先に、逆の手でセシリアの腹を殴って吹き飛ばす。
「――うっ」
5メートルほど吹き飛び、木に背中をぶつけて呻き声を出すセシリア。
打ち付けられた衝撃で胃液をこぼしながら、セシリアは体制を立て直す。
「休んでる暇はねぇぜ。ちゃんと避けろよ『フラム』」
リドは拳を撃ち込んだ状態の左手を開いて火柱のように細い炎の釘を三本、氷の壁を破ってセシリアに撃ち込む。
「ッッ!?」
まさか遠距離技を持っていると思っていなかったのか、セシリアは焦りながら自身の氷の壁のおかげで多少強度と威力が下がった炎の釘を飛び退いて回避する。
先ほどまで背を預けていた木に巨大な穴が開き、次の瞬間には炎に包まれて倒壊した。
「やっぱり、リドは強い……」
「なんだよ、昔と違うって言ったのはハッタリか?」
「本気を出す『オーグメンター・レヴィティス』」
そう唱えたセシリアは一気に加速する。
俊敏力を上げる魔法。この世界で使える者はエンハンス並みに少ない。
セシリアの全方位からの連撃ラッシュを、リドは長年の戦闘経験と感覚で打ち返していく。
目で捕捉できない速度なら、直感に頼ったほうがいい。
セシリアが居なくなってすぐの頃、セシリアを探して入ったスラムの地下洞窟で、魔物と戦った時に身に付けた技術だった。
「『ロ』」
数度ヒットアンドウェイを繰り返したセシリアは、リドと剣を交えた瞬間に魔法を発動した。
「うわっぷ!?」
大量の水だった。
リドの全身が水に濡れる。
「何しやがる!」
「『ジーヴル』」
リドの言葉に返事を返すこともなく、セシリアは次の魔法を唱える。
その瞬間、リドの全身は凍りついたように固まった。
『ロ』という魔法は水属性魔法の『流水』の短縮詠唱だ。
『ジーヴル』というのは自分が生み出した魔力の水に限り、瞬時に凍り付かせる魔法。
セシリアはこの2つを武器にアミリット王国騎士団で上に上り詰めていた。
まごうことなき全力。この必殺とも言えるコンボを防げた人間は少なかった。
「わたしの勝ち」
生まれて初めてリドに勝利したセシリアは満足げに笑みを浮かべた。
その顔にはリドとまた一緒に暮らせる喜びが隠せていない。
だが、氷の中から聞こえた言葉でセシリアの表情は引き締まった。
「『フラム・サンドル』」
リドの声帯ではっきりそう聞こえた瞬間、氷塊を割るようにして突如炎の柱が出現した。
それによって氷の壁は溶けていく。
氷が全て蒸発した頃、炎の壁が消えて無傷のリドが現れた。
「随分強くなったな、セシリア。久々に血が踊ってるからよ。オレも本気で行くぜ」
仕留めたものと思い込んでいたセシリアは目を見開くが、それよりもリドの雰囲気が大きく変わったことに気がつく。
強大なモノに立ち向かっていくときのように、全力を出しているリドの顔だった。
「『
ぼそっと呟いた瞬間、リドの体に光の粒子が入り込むのが見える。
「死ぬなよ」
セシリアの視界で確かに捉えていたリドが――消えた。
リドの居た場所には、地面に穴が出来ている。
「……え……っ?」
何が起きたのか理解できなかったセシリアだが、脳が危険を感じて遅くなる視界の中で自身の右側にもの凄い圧力を感じた。
慌てて剣を右に持って行く。
構え終わるのとほぼ同時、ギィンッッ! と耳をつんざくような凄まじい音がなり、それと同時に剣を上空に飛ばしながら、セシリアは吹き飛ばされた。
木に当たるたび鎧が砕ける。手甲は吹き飛び、プレートアーマーも砕けて壊れてしまう。
「う、うぅ……」
20メートルほど吹き飛び、木に叩きつけられたセシリアは頭から血を流しながらも立とうとするが、それは叶わず地面に崩れ落ちた。
「……だから勝てねぇって言ったろ」
木の上に飛び乗ったリドは、目を細めてセシリアを見下ろす。
エマやロベルトから止められていた禁術の身体強化を発動したことによって、今のリドのステータスはLevel10まで上昇していた。
この世界の記録されている最高Levelが7。
仮にセシリアのLevelが7だとしても、かなりの力量が離れていることになる。
1つLevelが離れているだけでも、大人と子供くらいの差はあるのだ。
それが2つも離れていれば人間と神くらいの差ができる。
「まだ……戦える……」
「無理だ。そのままオレと戦えば死ぬぜ?」
必死に起き上がろうとするセシリアだが、腰を強打したのか足を動かすこともままならない様子だ。この時すでにセシリアの股関節は砕けていた。
必死に立ちあがろうとして失敗する。脂汗を浮かせながら、泣きそうな顔で立ちあがろうとするセシリアを、リドは変わらず見下ろしていた。
「ここで諦めたら……勝てないって思ったら……わたしは、あの日、リドとの生活を……失った意味が、無くなる……の……」
何度も立つのに失敗して、転倒する。
全身を泥だらけにしながら涙を我慢して立ちあがろうとするセシリア。
剣を失い、鎧も砕かれ、それでも心だけは折るものかと、必死に地を這う。
「リドから離れた……わたしの、頑張った意味が、なくなる……それだけは、いやだ……」
泥を握りしめながら、地面を張って進み、剣を取りに向かうセシリアを見て、リドは腰に剣を納めた。
「……はぁ。仕方ねぇな」
強化状態を解除したリドはセシリアに近づいていく。
後ろから近寄ってきていることにすら気がつけず、必死に地面を這っているセシリアの前にリドはしゃがんで背中を向けた。
「乗れ」
「でも……」
一度リドに剣を向けてしまった以上、そんなことは望めない、というようにセシリアは顔を俯かせる。
スラム時代、一度敵対すればリドが許すことはなかった。
どこに逃げようと、将来的に敵になる可能性のある人物をリドは生かして返すことはない。
それを後ろからずっと見てきたセシリアには嫌というほど理解できてしまう。
セシリアがリドの前で剣を抜いた瞬間に、殺される覚悟はできていた。
それほどの決意を秘めてリドを連れ去ろうと決意したのだ。
「うだうだ言わずに早く乗れ」
だがリドは構わず、無防備に背中を晒し続ける。
今首元に攻撃を入れれば彼を無力化できるだろうが、セシリアは握った拳を緩めた。
「……うん」
必死で足と腕に力を入れ、リドの首に腕を回す。
身体強化直後で身体に力を入れずらいリドだが、そこは男の我慢で乗り切る。
「確かに失った時間は戻らねぇ。けど、セシリアと再会できたなら、これから幾らでも間を埋めることはできる」
「……うん」
リドの背中にセシリアは額を押し付けた。
同時に、何が暖かい液体が背中を伝っていくのを感じたが、気がつかないふりをした。
「また昔みたいに、剣だって教えてやれる。読んだ本の話もしてやる。看板に書いてある言葉だって教えてやれる」
「ゔん……」
文字を読むこともできなかったセシリアは、昔よくリドが話す本の話が好きだった。
何度も小説の内容を読んでもらっていた。
「もう、外に出ても嫌な目を向けられることはない。好きな食べ物も買える。店に入っても、包丁が飛んでくることもない」
「うん……うんっ」
薄汚い子供が店に入れば病原菌が移ると言わんばかりに石や凶器を投げつけられたこともあった。
だが、もうそんな心配はない。
セシリアに守ってもらう必要なんてない。
「オマエは弱いんだし。今はまだオレに守られとけ」
「うん……ごめん、なさい。ありがとう、リド」
セシリアが背中ですすり泣く声が耳に入る。
声は必死に抑えているのだろうが、わずかに背中に感じる振動は抑えきれない。
「とりあえず、この戦いが終わってからだな。おい、さっきから見てんのバレバレだぜ。出て来いよ」
「「「っ!?」」」
威圧するような低い声で茂みに声をかけると、三人の騎士とシルビエが顔を出す。
「『フラム』」
「――ごっ」「グッッ!?」「おえっ!?」
慌てて剣を抜こうとした騎士たちを、セシリアを背負ったまま三発の火柱で撃破した。
全身が炎に包まれて、意識を失った所で魔法を解除した。
「これでオマエの護衛は全部か? ウサギの国の王女。降伏するなら今のうちだぜ?」
「だ、だれが……するわけないじゃないっ!」
「……あ?」
リドはスキルの【威圧】を使ってシルビエを見る。
「ひっ!?」
「……もう一度だけ言う」
瞳孔の開いた眼で、リドはシルビエの目を見据える。
「――降伏しろ。モーリスをやられて気が立っている」
そこで一度言葉を止めて、口元を盛大に歪ませた。
「もしも抵抗するというのなら、その無駄に残念な頭、消し飛ばすぞ?」
「ひっ!?」
その悪魔のような形相にシルビエは閉じた歯の間から脅えた声が出てしまう。
「女子供だろうが、今のオレには関係ないぜ?」
「うっ、わ、わかったわ。こ、降伏、しますわ」
「ならいい」
すぐに殺気を抑えて、リドは背を向けた。
「……オレは今からエマの元に向かうが、セシリアはどうする?」
未だ背に張り付いているセシリアに問う。
「もう少し、このまま……」
マーキングをするように頬を擦りつけるセシリアに嘆息しながらも、彼女の体を揺らさないように林の中に消えていった。
〇 ● 〇
会場ではシルビエの降伏宣言、アミリット王国騎士団の29人敗退によって壮絶な盛り上がりを見せていた。
『まさかの【ラ・フラム・サクレ騎士団】の大勝利!! たった6名という戦力差をひっくり返したぁぁああ!? 各撃破数は、団長リド・エディッサ11人。副団長エマ・トリエテス、モーリス・ベーガーくん6名――』
「やったっ! 勝ったよリドくん達!」
テントの中でクリードは椅子から立ち上がって拳を握っていた。
「くそっ! なんで俺は生徒たちを信用しなかったんだ!」
「え? ロベート、君アミリットに賭けてたの?」
「だって6人だぜ!?」
「仕方ないなぁ、今日はボクが奢ってあげるよ」
そう言ってほくほく顔のクリードは、自身のポケットから掛け札を取り出す。
掛け金20金貨【フラム・サクレ騎士団】と書かれたソレは、今や万馬券と化している。
「クソ羨ましい!!」
頭を掻きむしりながらロベルトは叫んだ。
そして一拍置いて真剣な声音で切り出す。
「……はぁ。それよりクリード。まだエマちゃんの戦いは続いてるみたいだが、どうするんだ?」
モニターを見て、エマがギルの攻撃を間一髪で躱しているのをロベルトは見ていた。
「そこはほら……スケージくんとは話したいこともあるし、ここからは僕達大人の出番だよ。僕達が向こうに着くまではリドくんに時間稼ぎしてもらうけどね」
「抜かりのない奴だな」
テントの外に出ていくクリードの後を、ロベルトもお茶を一口含んでから追った。
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