第61話


 エルセレム帝国本陣。

 アリシアの居る場所の後方には野戦で怪我をした人を治療する仮設野営地がある。

 そのため、アリシアの前を負傷者が次々に担架に乗せられて通り過ぎていく。

 一人、また一人と運ばれてくる怪我人の様子を見かけるたび、アリシアは胸を痛めていた。

  その様子をずっと見ていたコビデは、アリシアを気遣って少しばかり大袈裟に話しかける。

 

「……アリシア様、あまりお気になさらないほうが良いかと。この者達は騎士、国に身も心も捧げる者達です。国の代わりに怪我を負うのが仕事といっても過言ではありません」

 

 気を遣われていることが理解できたアリシアは、コビデに顔を向けて柔らかく微笑んだ。

 

「……分かっております。ご心配をおかけして申し訳ありません、デュセク」

 

「いえ。滅相もありません」

 

 それは慈悲深さではあるが、同時に弱さでもある。

 幸いなことに、まだ自軍の被害者は出ていないため、宥めようもあるとコビデが思った時、アリシアは「あっ……」と声を出した。

 

「モーリス様!?」

 

 担架に運ばれる優男を見て、コビデの制止も虚しくアリシアは駆け寄っていった。

 

「ひ、酷い傷……」

 

 モーリスの全身に刻まれた切り傷を見て、両手で口を抑える。

 切り傷はほとんど自分で作ったものだが、中継が見れていないアリシアには、何十人を相手に大立ち回りを仕掛けた姿を彷彿とさせる怪我の多さに、思わず雫が浮かんだ。

 

「確かに……これはむごい……」

 

 後に続いたコビデもモーリスの腕の怪我を見て目元を抑える。

 もう一度言うが、自分の風魔法で負った傷だ。

 

「わたくしは守られてばかり……なんて無能な王なのでしょうか……」

 

 胸の前で手を添えて目を瞑るアリシア。

 

「せめて、モーリス様の傷はわたくしが……『癒しの加護を』」

 

 アリシアはモーリスの両手を組ませる。

 まるで死人にするように指を絡ませた後、回復魔法を使って傷を修復していく。

 

「ア、アンリ陛下っ! 怪我は私どもが治療いたしますので」

 

 治癒魔導士隊の隊長が慌ててアリシアを止めようとするが、ぶんぶんと大きく首を振った。

 

「ダメです、カーラ。この方はリド様と共に、わたくしを守るためにこのような大怪我を……」

 

 以前、メイド長兼エルセレム帝国治癒魔導士隊の隊長を務める、リドに押し倒されたあのカーラである。

 

「デュ、デュセクさん……」

 

 弱々しい声でデュセクに何とかしてもらおうと、カーラはひそひそとお願いする。

 カーラも幼い頃から皇城に仕えるメイドのため、コビデとは面識がある。

 投獄されてすぐに無罪を訴えたのはカーラだったりする。

 カーラにとっては優しい騎士のお兄さんという印象で、昔の憧れの人だったこともあり、コビデに思わず頼ってしまう。


 そんなことを知ってか、コビデは一度息を吐きだした後アリシアの横に並ぶ。

 

「アリシア様。不肖、このデュセクが一役買いましょう。このような脳筋タイプを起こす術は心得ております」

 

 デュセクは両手をぽきぽきと鳴らしながら、モーリスの耳元に口を近づける。

 

「まずい! 敵だっ! これは、あのモーリスを連れてこないと勝てないぞっ!」

 

「――待たせたねっ! もう大丈夫さ! 敵はどこだいっ!?」

 

 コビデの言葉を聞いたモーリスは、ギンッ! と音が鳴りそうな速度で目を覚まし、担架から飛び降りた。

 槍を構えるようなポーズを取ってその場に直立する。

 

「……ん? あれ? ここは……どこだい?」

 

 そして周囲を見渡して首を傾げている。

 

「たしか、白い鎧のレディーと戦っていたら、突然全身が冷たくなったような……?」

 

「モーリス様! 生き返ったのですね!?」

 

「え? あ、アンリ様! このモーリス、主君の為、恥ずかしながら地獄から蘇りましたとも!」

 

 アリシアの姿を捉えたモーリスは膝を折り、頭を下げる。そのまま顔だけあげてキラッと笑顔を見せた。

 全身の傷もアリシアの魔法によって治っており、後遺症などはなさそうだった。

 

「いや、元々死んでねーだろ」

 

 コビデの呆れたような声は風にさらわれる。

 

「無事ですか!? 傷は平気ですか?」

 

「はい。問題ございません。名誉の負傷というやつです。ただ、リドくんには申し訳ないことをしてしまった」

 

「どういうことですか?」

 

「ボクが退いたということは、リドくんは前線に一人残されてしまったということ。無事だろうか……あのレディーは相当強かった。ボクでは鎧に傷をつけるのが精いっぱいでした」

 

 悔しそうに握り拳を作るモーリスは、残念そうに肩を落とす。

 感情表現まで騒がしい奴だ……とコビデとカーラは苦笑いを浮かべているが。

 

「そ、そんな……」

 

 アリシアはモーリスの言葉に衝撃を受けて後ずさった。

 そして次には覚悟を決めた目を浮かべる。

 強引に表舞台に引きずり出した優しい殿方の窮地を見捨てられない! とばかりドレススカートをたくし上げた。

 

「……やはり、わたくしは前へ進みます」

 

「えっ!? 今なんと仰りましたか、アリシア様!?」

 

 まさかの言葉にコビデの顔は引き攣る。

 

「守られているだけの王など、慕ってくださる方々に示しがつきません。馬をお借りいたします」

 

「王が前線に来たら気が気じゃなくなって騎士が戦えなくなりますよ!?」

 

 慌てるコビデを他所に、近くにあった治癒魔導士隊の馬の背に跨るアリシア。

 

「力になれなくても、せめて自分の目で戦場を見たいのです。見届ける義務があるのです。ですのでわたくしを前線に……」

 

 ヒヒィンッ!

 アリシアの言葉に返事をするように鳴いた馬は、もの凄いスピードで遠くなっていく。

 

「ちょ、ちょいちょっとまっ! はやっ!? 待って! お、俺もウマ借ります! アリシア様、お待ちを!」

 

 激しく動揺しながら馬に飛び乗ったコビデも慌ててアリシアの後を追う。

 残されたモーリスとカーラは、口をあんぐりと開いたまま固まっていた。

 


 〇 ● 〇



「いい加減に、諦めろ。貴様が俺に勝つことは不可能だ」

 

「……くっ!」

 

 エマはとうとう追い詰められていた。

 

「臆病者でこそなかったが、弱者であることに変わりは無かったな」

 

 鼻で笑った後、ギルは歪んだ笑みを浮かべた。

 それを隙ができたとばかりにドパァンッと音が響いてココが狙撃をする。

 

「小賢しいっ!」

 

 音が聞こえた瞬間にエマから離れ、弾丸を回避する。

 エマとギルの戦いを援護するように何発か撃っていたため、気がついたらマガジンの残弾はあと一発しかなくなっていた。

 

『雷よ!』

 

「チッ!?」

 

 そこを隙と見たエマは今まで使っていた下級魔術、『初級雷魔法』の上位版『中級雷魔法』を唱えるが、それすらも間一髪で躱すギル。

 

「諦めが悪いぞ! 敗北を認めろ、臆病者の娘!」

 

 ゆっくりと重い体を起こそうとしているエマに、叫ぶギル。

 

「まだ、手は動く……剣を振るえる……何より、敵から逃げる気はない」

 

「なにを言っている?」

 

「腕を斬られようと、足を折られようと、私は敵に背を向けない。お父様もそうだ。腕を失おうと、必死に前線で戦う兵に無理をさせないように、被害を最小限に抑えるために……時に少数の犠牲を覚悟しなければならなかった」

 

 エマは地面に剣を突き立て、体を震わせながら立ち上がる。

 全身には数多の切り傷があり、血が噴きだしている。

 

「お父様を侮辱する貴様が許せない。犠牲を生む決断は……自身の兵を殺す決断は、自分が死を選ぶより辛いことのはずだ」

 

「小娘が……まだ力の差がわからんかっ!」

 

 説教じみたエマの言葉にギルは青筋を立てながら大振りの双剣をエマに見舞う。

 魔法の過剰使用、肉体の限界、出血過多によってエマにその剣を避ける余裕はない。


「――それでも、部下を見捨てられず、必死に救おうと苦悩するお父様は、決して臆病者なんかじゃない!」

 

 血液を失いすぎて、もう目もぼやけているのだろうが、エマは白刃を前に堂々と大声を張り上げた。

 ギルはつい怒りに任せて加減を忘れたように剣を振り下ろす。

 エマに当たれば恐らく後遺症どころか致命傷だろう。

 エマは最後の瞬間まで、その剣を見つめようと決めた。

 

「――よく言ったな。確かにクリードは勇気がある」

 

 が、突如背後から人影が現れて防いだことでエマに剣が当たることは無かった。

 振り下ろされた剣は甲高い音を立てて、弾き返されていた。

 

「リ……ド……?」

 

 靄がかかった視界に、毎日見ている赤い炎髪の色を捉え、そう声に出す。

 なぜここにいるだとか、前線はどうしただとか、そんなことよりも純粋に、頼もしい背中を見て安心した。

 思わずその場に腰を落とすほどに。

 

「遅くなったな。安心しろ、オレ達の勝ちだ」

 

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