第60話

 草原の中央。エマとギルは戦闘を開始していた。

 遠距離攻撃を行えるエマは剣が届かないギリギリの間合いを選ぼうとするが、ギルの素早い身のこなしでうまくいかない。

 

「『雷よっ!』」

 

 エマは左手から魔法を繰り出す。

 しかしそれが当たることは無く、ギルは右手の剣を振るう。

 エマは何とか細剣で受け止めるが、もう片方の剣が振るわれることによって回避を選択するしかなく、力比べの鍔迫り合いは起きない。

 

 剣をしゃがみながら回転することで避け、その勢いを利用して細剣を横腹に入れようとするが、腹部に蹴りを貰ったことで後退を余儀なくされた。

 

「ゴホッゴホッッ!」

 

「誉めてやろう、貴様は中々にやる」

 

 ギルは両手に持った大剣を使い、エマを追い詰めていく。

 エマのレベルは4。ギルのレベルも4のはずではあるが、先ほどからエマは一度として有効打を決めれていない。

 

 ココの狙撃も、ここまで接近していれば撃ちようがなく、一発逆転も期待できない状況だった。

 まだ改造した銃に慣れていないこともあり、数ミリを調整するには試弾が足りていない。

 

「そちらこそ。公式レベルを偽っていると予想しますが……」

 

 肩で息をしながら、エマは剣を握る手を強める。

 

「偽ってはおらんよ。俺の本来のレベルは4だ」

 

 本来、の部分を強調するギル。

 

「……なるほど」

 

 それでエマはすべてを理解した。

 

「エンハンス、ですか」

 

 その魔法名に目の前の男は口元を吊り上げる。

「今の俺のレベルは6だ。貴様の国のストレイスと同じくらいの力量はある」

 

「学生相手に随分と手の込んだ真似をなさるのですね」

 

「念には念を、というやつさ。今回は吉と出たがな」

 

 わざわざ長い時間詠唱させて良かった、と鼻で笑う。

 エンハンスという魔法により、一時的にレベルブーストがかかったギルの実力は人の限界値を超えている。

 今のエマとギルの実力差は猫と虎くらい開いていた。

 

「今の俺とまともに戦えるのは、ロベルト・ストレイフかストラン帝国のガロン将軍くらいだろう」

 

 歴代最強と言われる将軍を引き合いに出すほど、その剣は確かに重い。

 

「ふっ、ははっ」

 

「なにがおかしい?」

 

 斧で地を叩き割ったと言われるレベル7の将軍しか勝てないというが、エマは笑う。

 

「いえ、申し訳ない。もう一人だけ居ると思っただけですよ」

 

「……ほう。レベル7を超える人間など聞いたことも無いが?」

 

「そうでしょうか? 居るところには居るものですよ」

 

 エマは膝立ちから立ち上がり剣を構え直す。その笑い方に不快感を覚えたギルは眼光を強めた。

 

「案外近くに――」

 

 一気に肉薄したエマはギルと剣を交えた。



 〇 ● 〇



「お、お前は……」

 

 リドは目の前の少女に驚愕したように一歩後退る。

 手から落ちた剣を拾おうともせず、少女を見ていた。

 

「久しぶり、会いたかった……」

 

 セシリアは両手を広げ、騎士団員でも見たことのない満面の笑みを浮かべて一歩踏み出す。

 

「……誰だっけ?」

 

 が、リドの口から発せられた言葉でその笑顔と身体は固まった。

 

「……え?」

 

「いや悪い。とりあえず驚いてみたが全く心当たりがない。誰だ? オレを知ってる風な口ぶりだったが」

 

 スラムですれ違った事でもあったか? とリドは記憶を探るが、何度考えてもこんな少女と出会った記憶はない。

 本気でわからなさそうなリドの態度を見て、少女の顔が暗く沈んだ。

 

「今は、セシリア・ローランって、名前……昔はセシリア」

 

「セシリアだと? いや、まさかな……」

 

 リドの頭に一人の白い少女が思い浮かぶが、セシリアの胸を見て首を傾げる。

 

「思い出した?」

 

 辛抱強く待っていたセシリアはもう抱き着いていいか? とばかりに両手をにぎにぎと開いたり閉じたりしている。

 

「いや、オレの知ってるセシリアは死んだ。正確に言えば急に消えた。オマエもあそこを知ってるなら、それがどういう意味か分かるだろ?」

 

「死んでない。ちゃんと生きてる。ここに居るよ?」

 

 わずかに瞳を濡らす少女はまた一歩踏み出すが、リドは一歩下がる。

 

「……仮に、オマエが、あのセシリアだったとして、なんで一言も無く居なくなった?」

 

「急に居なくなったのは……ごめん、なさい……でも、りどのためだった。ずっとりどのためにアミリットで働いてきたの」

 

 昔を思い出すように、セシリアは顔を伏せる。

 

 とても綺麗な過去ではない。

 貧民街出身というだけでまともな職につけないエルセレム帝国から逃げるように出て、アミリット王国で仕事を探した。

 

 だが、子供には……まして貧しそうな子供に稼げる仕事なんてアミリットですら無かった。

 戸籍がないことがバレると宿すら追い出された。

 兵士の応募チラシをたまたま見かけなければ、今頃身体を売っていたか、悪に身を染めていただろう。

 幸い、スラムでの生活で人との争いには慣れていたため、上に上がってこれたのだ。

 

「……どうしてもセシリアだと言い張るのならオレとセシリアだけが分かる質問をする。それに答えられたらオマエをあのセシリアだと認めてやろう」

 

 人差し指を涙目のセシリアに突き出し、リドは目を瞑る。

 

「なに?」

 

 子ウサギのように首を傾げるセシリアに、炎髪を風に揺らしながらリドは問うた。

 

「おねしょは何歳の時にした?」

 

「最後は9歳」

 

 即答、しかも正解である。

 リドの目が見開かれた。

 

「これでいい?」

 

 手をワキワキとさせ、セシリアはにじみ寄ろうとするが、リドは咳払いをしてそれを止める。

 

「第二問! 初めて盗みをしたのは?」

 

 これもセシリア本人なら間違いはしない。

 なぜなら初めて物を盗んだ日、セシリアは2日間罪悪感で精神を病んでいたからだ。

 

「6歳の時、西門前の大通りで干し肉を盗んだ」

 

「…………」

 

 即答。しかもまたまた正解である。

 

(本当にセシリアなのか……?)

 

 確かにスラムでセシリアの死体はその目で見ていないが、あそこでは死体回収業者――というよりは臓器売買などの密造業者――がよく出入りしていた。

 そういうものだ、と自分を納得させて正当化してきた。

 だがその反動で何故か武装していない女を攫ったり殺したりは出来なくなった。

 殺そうとするたびにセシリアの顔が頭に浮かんだからだ。

 

「もういい?」

 

「……まだだ。最後の質問がある」

 

 リドの言葉にセシリアは首を傾げる。

 

「好きな食べ物と、嫌いな食べ物は?」

 

 正解は肉とニンジン。

 リドはニンジンが嫌いなため、セシリアが代わりに食べていた。

 逆に肉が好物なため、いつも遠慮して手を付けようとはしなかった。

 だが……。

 

「……好きなのはに……にんじん。嫌いなのはお肉」

 

 セシリアはそう答えた。

 逆だった。

 好きなものと嫌いなものが逆なのだ。

 この時点でリドは確信を持ってしまった。

 

「ホントにセシリアなのか?」

 

「……うん」

 

 ボロボロのレンガの家で固まって食事をとっていた頃、セシリアは決して肉に手を付けようとはしなかった。

 野菜嫌いのリドの代わりに、いつも野菜ばかりをモソモソと食べていた。

 だけどリドは気がついていた。肉を貪るリドのことを、チラチラと羨ましそうに見ていたことを。

 

『欲しいか?』と聞けば、『嫌い』と首を振っていた。

 

 リドに優先的に譲るために嘘をついてでも身を引く心優しい少女だということに子供の身でも、洞察力に優れているリドは気が付いていたのだ。

 初めて物を盗んだ時、嫌いな肉を盗んでくる間抜けがいるものか。そしてその時はリドが風邪を拗らせていた時だった。

 死ぬかもしれないほど高熱が続く中、セシリアはリドの為に汚い行為を行った。

 どうしようもないほど、心根が優しい少女だった。

 

「……バカが」

 

 リドは少し気まずそうに片手をセシリアに差し出す。

 

「……っ」

 

 それを見たセシリアは、もう辛抱できない、というように数歩で距離を詰め、リドの胸に顔を埋めた。

 

「ごっ!」

 

 昔とは全く違う衝撃で抱き着いてくる少女のタックルに、わずかに体を揺らめかせるが、なんとか踏みとどまる。

 

「どんだけ心配したと思ってる」

 

「……ごめん……」

 

 スラムなんてそんなものだと見切りをつけても、朝起きれば目の下に涙の跡がついていた。

 特に用事もないのに、誰かを探すようにスラムの中を歩き回った日もあった。

 死体回収の人間を捕まえて名前を吐かせたことも。

 餓死で亡くなった少女にセシリアの面影を見たことも。

 何度も……何度もあった。

 

「連絡の一つくらい寄こせよ」

 

「ごめん……なさい……」

 

 朝起きれば、ソファーに白い髪を探してしまっていた。

 失ってから、唯一の家族ともいえる存在のデカさを知った。

 

「また会えてよかった」

 

 リドは大事そうに、セシリアの鎧に包まれた体を抱きしめて頭を撫でる。

 

「……うん」

 

 気持ちよさそうに目を閉じ、もう離さない、とばかりにセシリアはリドを強く抱きしめた。

 しばらくされるがままの状態で過ごし、セシリアがとりあえずは満足というように力を緩めたのを確認して、リドは何気ない世間話をするように近況を報告する。

 

「今エルセレムの側近騎士? とか言うのになりかけてて、学校通ってんだ。オマエも来るか?」

 

「…………」

 

 軽い気持ちで近況報告をしたリドだが、その言葉にセシリアは固まった。

 思い出した、とばかりにリドと距離を取る。

 

「正直騎士なんてモンになりたくねぇけど、友達も出来てよ」

 

「……だれ……」

 

「友達か? アリシアとかエマとかジェシカとかココとか」

 

「……女の子ばかり」

 

 リドが挙げていく名前は騎士団戦の参加者として名前と性別、似顔絵で分かってしまう。

 

「あとモーリ……」

 

「――フッッ!」


「あぶねっ! 何しやがる」

 

 急に拳を振り抜いて殴りかかってきたセシリアは、案の定回避したリドを睨みつけた。

 

「りど、お話がある」

 

「な、なんだ?」

 

 その異様な雰囲気に少しだけ気圧されたようにリドは三歩ほど距離を取る。

 

「――エルセレムを出て、わたしとアミリットで暮らして」

 

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