第55話
リドが仲間を引き連れて駆けていく背中を見送り、姿が見えなくなったところで、コビデは肩に入っていた力を抜いた。
リドが戦場に赴くことに心配するなんておかしな話ではあるが、それでも兄貴分としては多少なり心配にはなる。
「……ふぅ。アリシア様。少しよろしいでしょうか?」
リドの背中を心配そうな瞳で見送っているアリシアを見て、コビデは声をかけた。
「なんでしょうか、デュセク様?」
「昔みたいにデュセクで構いませんよ。時間潰しも兼ねてお聞きしたいことが2点ほどございます。伺っても宜しいでしょうか?」
幼少の頃からの付き合いであるコビデとアリシアは、懐かしさを噛み締めるように和やかに会話を進める。
「かまいません。言ってみてください」
優しげに微笑んだアリシアは近場に手頃な岩を探して腰掛ける。
横に座るように促して、コビデも腰を落ち着けた。
「何故、リドを気に入ったのですか?」
窮地を助けられたからと言って、ただそれだけでリドを表に引き摺り出すというのは、余りにも出来すぎた話だ。
コビデはアルバノの事件から何者かが裏で糸を引いているのではないかと勘繰っている。
スラム出身者は、国に存在を認められることはない。
いや、正確には認めてはいけないのだ。
もし、浮浪者や非納税者に人権を認めてしまえば、まともに税を納めている平民が黙っていないだろう。
内乱を抑えるためにも、下の格付けはハッキリしなければならない。
これは国としての理由。
また一つは、アリシアが一人で帝都に繰り出しているという情報がスラムに流れてきたことだ。
コビデに少女の誘拐という依頼があった。
状況的にみて、拉致をするターゲットはアリシアのことだったと考えられる。
不思議なのが、この依頼はコビデにしか流れてこなかったこと。
本来、スラム側に来る依頼など、早い者勝ちとばかりに何人にも声を掛けるものだ。
誰かが達成してくれればいい。
ブッキングしたのであれば、報酬を得るためにライバルを殺せばいい。
それほどまでに命の価値が軽い場所なのだ。
この依頼自体は、アリシアが誘拐されてから無くなったが、何者かがアリシアがお忍びで外出していたことをスラム側に流していたと考えるのが妥当だろう。
帝国の内側に内通者がいる可能性が高い。
だが、もし、とある人物が計画したものだとするのなら、話は別だ。
この件の黒幕がとある人物だと考えれば全て納得がつく。
スラムをめったに出ることのないリドと、偶然出会う確率はかなり薄い。
だが、自分で出かけるという情報を流し、コビデに誘拐を依頼して、もし計画通りに進めばリドと接点が持てる。
敢えて窮地に陥るような行動をすることで、見捨てられないリドという男は、なんだかんだ助けに向かう。
そんな行動をする意味はわからないが、そう考えられるほど、あの日のアリシアの行動を集める度に、コビデは疑問を募らせていた。
「何故でしょうか。初めてお見かけした時に運命のようなものを感じたから……かもしれません」
アリシアは熱に浮かされたような顔で消えてしまうような声でそう呟いた。
「運命、ですか?」
「はい。互いに立場は違えど、わたくしの元にいて欲しいと思ってしまいました」
「だから多少強引にリドと接点を作ったのですね?」
コビデの言葉に、アリシアは少し考えたように固まってから、恥ずかしそうにはにかんだ。
「……ふふっ。そうかもしれませんね」
自身の内側を絶対に晒さないという、貼り付けたような笑顔だった。
つまりはそういうことだ。
アリシアには、なにか特別な理由があった。
リドに固執するほどの何かがあったのだ。
コビデが側近騎士に叙任されたのは十五歳の夏。
今から十年前の話だ。
その頃のアリシアはまだ六歳だった。
そして、その頃の遊び相手は、歳が一番近いという理由で大抵コビデが務めていた。
――エルセレム帝国では、側近騎士(シュヴァリエ)になるために最低条件として三つの課題をクリアする必要がある。
学力、礼節、そして何より重要な武功。
一般的には、ルイ・カルメン学園騎士科を卒業し、実戦配置に付き、武功を上げれば騎士に叙任される。
それまでは騎士という名前が付いてはいるが、ほとんど兵と同じ扱いだ。
正式に国から騎士(エスクワイア)の称号を得るには偉業を成し遂げねばならない。
ルイ・カルメンの生徒は騎士見習い、通称『ペイジ』を名乗るが、卒業後も功績を上げるまでは兵士(ペイジ)となる。
リドはその壁をアリシア救出の時に乗り越え、騎士の中でも絶大な権威を持つ側近騎士となれる程の功績を手に入れたが、これは特例中の特例だ。
様々な過程をすっ飛ばしているからこそ、反発の声が大きかった。
15歳という最年少で側近騎士となったコビデですら、相応しくないと方々から言われていた。
その小さな火種が、コビデを監獄に押し込めるまでの火事に発展した。
幼少期の頃からアリシアと向かい合ってきたコビデにとって、何を考えているかくらいは成長した今でもある程度までは察せる。
「……ですが、リド様とエマは想いあっているのです」
アリシアは静かな笑みを浮かべて話し出す。
「二週間前、屋上でエマはリド様に想いを打ち明けました。そしてリド様はそれを受け入れた」
何故それを知っているのか、という野暮な質問はしない。
方々に耳があり、目があるのが皇帝というものだ。
「……なるほど」
「友と恩人の恋路を祝福したい。いえ、するべきですのに、わたくしの胸は何故かひどく痛むのです。デュセクはこの気持ち知っていますか?」
「…………」
コビデは反射的に口を噤んで地面を見るが、答えに迷ったわけではなかった。
(あ、これアカンやつや)
リドの顔を思い浮かべて、そんなことを胸中で思った。
「え、えぇ。もちろんその感情を知っております。しかし、それは……その、何と言いますか、大変難しい議題でありまして、気が付いたら負けといいますか、自覚したら破滅といいますか……」
「大切な友人のエマを心から応援したいのですが、わたくしには出来ないのです……」
高い空を見上げて、アリシアは胸を抑える。
どう聞いても友人に先を越された女の子の愚痴です。ありがとうございます。
「――はぁ、はぁ……やっとここまでたどり着いたッ! アンリ女王陛下ッ! お覚悟をッ!」
いつの間にか、アミリット王国の騎士が一人、コビデ達の前に立って剣を構えていた。
前線で大暴れしているリド達が逃し、馬に乗ってエマ達の合間を縫った騎士なのだろう。
まともな道を通ってきていないのか、戦場を駆け抜けてボロボロになった鎧を身につけながらも、その目は爛々と光っていた。
背後に馬を従えている。
「うるせぇ! 今大事な話してんだろうが!」
コビデは青筋を浮かべて激怒しながら一瞬で剣を抜き、騎士の胴体に2メートル近くある長剣を叩き落とす。
現役当時には『神速』と謳われたその剣術を前に、敵騎士は反撃の隙も与えられず一瞬で意識を刈り取られた。
開戦してまだそれほど時間が経っていないのにも関わらず、ここまで来れる時点でかなり優秀な騎士だったと思うが、八つ当たりで地面にめり込まされている姿は滑稽だった。
すぐに治癒魔導士隊が来て、フィールド外にその騎士を回収していった。
「……アリシア様。何故、そのようなお気持ちを抱いているのか、ご自身の内面と向き合ってはどうでしょう?」
何事も無かったかのように剣を背中に背負いなおし、コビデは先達ぶったようなことを口にした。
正直、アリシアが何を考えてリドを表に引き摺り出したのかなどもうどうでもいい。
そもそも、皇帝に対して下の者が疑うこと自体が不敬なのだ。
裏切り者はいなかった。というだけで十分だ。
だからこそ、そんな進言を穏やかな顔をしたコビデは口にする。
「内面……ですか……?」
アリシアに至っては一瞬のことで何が起きたのか理解すらしていない。
あら、騎士様がいらしたわ。あら、いつのまにか地面に。あら、搬送されていかれたわ。具合でも悪かったのかしら。
くらいの認識だ。
「えぇ。何故ご自身の胸が痛むのか。何故エマちゃんを素直に応援できないのか。もっと言えば、何故リドを横に置きたいと思ったのか。それを知れば、自ずと答えも出るとデュセクは助言いたします」
本来、シュヴァリエであればアリシアの考えを、気持ちを、恋慕を止めるべきだと理解してはいるが、コビデは……デュセク・ヴィン・コーネリアはもう側近騎士ではない。
仕事でない以上、一人の昔から知っている少女の恋心を止めさせるなどという無粋な真似はしない。
「なぜ……わたくしは……」
アリシアは考え始める。
それをコビデはただ見守った。
皇帝という立場であろうと、一人の少女としての感情があることは自分で気が付かないといけない。
アリシアを暴走させている感情の正体が恋心だと自分で気が付かなければ意味が無い。
人に教えられたものでは価値はない。
周囲に気を配りながらも、コビデはアリシアを背後に考える時間を用意した。
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