第53話
アイシャ・ローランはいつも無茶な、とても作戦とは呼べないものを一人で行っていた。
そして、それを咎めるのはいつも僕の役割だった。
ロベルトも、ロイも、ミカエルも、誰もアイシャを窘めなかったからだ。
いや、正確には咎められなかった。と言ったほうがいい。
彼女の実力は、人間離れしていた。
元は他国で生まれた貴族の一人娘だが、その実力は突然変異と言えるほど、当時の僕たちの中でも飛び抜けていた。
ルイ・カルメン士官学園Sクラスに選ばれる僕たちの中でも、アイシャだけは強すぎた。
唯一、教会出身の聖女アリア様だけはアイシャに危険なことをしてほしく無い、と。
女の子として生きて欲しいと常々仰っていた。
そんな折、戦争が始まった。
ミカエルの命令でアリア様は安全地に退避されたため、僕がアイシャの手綱を代わりに務めることになったというわけだ。
学生時代から付き合いとはいえ、その頃の僕は些かアイシャという女性に対して好意を持っていた。
傲岸不遜という言葉も生温い。
暴力という言葉に人の皮を付けたような女性が、僕は純粋に恐ろしかった。
だけど、その強さに惹かれた。
貴族出身のボンボンだった僕にとっては、アイシャという女性の意思を曲げない生き方に憧れがあったのだと思う。
そして……あの日も、夜更け過ぎに血まみれになったアイシャは気配を殺しながら仮設野営地に帰ってきた。
「アイシャ! また敵陣に一人で斬り込んだのかい!? 無茶しすぎだよ!!」
本来ならアイシャが全力で気配を消していたら、僕程度の実力で気がつけるわけがない。
その時、夜番を務めていた僕が、何故気配を消したアイシャに気がつけたのかといえば、隠し切れないほどの血の匂いが漂っていたからだ。
「……ん? リードか、全くいつもいつも小うるさい奴ね。怪我一つしてないわよ」
新兵である僕は、その頃先代の指揮官が亡くなった為に現場指揮を任されていた。
だからか、仲間や部下には『リード』。つまり『先導者』と呼ばれていた。
「そういう問題じゃない! 君に何かあったら……」
僕は顔を赤らめる。
いっそ、この気持ちを打ち明けてしまおうかと思った。
けれど、
「ロイも居たから問題ないわ」
「そ、そっか……」
アイシャの信頼しきったような、その表情を見た瞬間、胸に酷い痛みが走って何も言えなくなってしまった。
悔しかった。
アイシャにそんな顔をさせるロイが、純粋に羨ましかった。
「今回もほとんどあたしを前には出してくれなかった。結局中隊程度はロイが殺ったから。これもほとんどロイが斬った敵の返り血」
恋心というのは、本当につらい。
戦時に何を呑気なと思うかもしれないが、そんな意識にでも縋っていないと、正気を保てないくらいには僕の心は弱かった。
「女が危ないことをするなってさ。戦場で女扱いなんて馬鹿な奴よね」
少しだけ朱に染まる頬を見て、僕の心は跳ねる。
見たくなかった。
「ふふっ。普通こんな状況じゃ、娼婦にくらいしかそんなこと言わないもんでしょう?」
好きな人の赤く染まる顔ですら、心が痛くなってしまうから。
「それで、そんな小言だけ言いに来たの? 正直、気分が良くないからさっさと血を洗い流したいのだけど」
軽装の鎧だけでなく、下地まで血で濡れているアイシャは、これまた既に固まり始めている返り血がこびり付いた短髪を掻きあげる。
「……いや、最近、アミリット騎士団の方に不穏な動きがあるんだ。それを伝えに来た」
「アミリット? 友軍じゃない」
「……わからない。でもこんなご時世だ。アイシャも背後には気を付けてほしい」
僕の言葉に、アイシャは「ま、頭には入れておくわ。来たら来たで返り討ちにするけどね」と鼻で笑いながら僕の前から立ち去る。
方向から考えて、どうやら水浴びにに向かったようだ。
夜番も交代する時間だった僕は、その足で野営地に向かって歩いていた。
仮説ということもあり、獣道ばかりの山の中を進む。
今日は月がないこともあって、足元すら見えない道をランタンを頼りにして歩いていく。
「……全く、アイシャはいつもいつも……それに、ロイのことばかり……たまには僕のことも……」
そんな思春期みたいなことをぶつぶつと口にしながら、獣道を登っていく。
道に入った時は周囲に人の気配はなかったので、野営地ということもあって気を緩めていた。
「大体、そういう危険なところに行くなら、現場指揮を任されている僕のほうが……ん?」
そこで、僕は不穏な気配を感じて足を止めた。
周囲には草木が夜風に擦れる音しかない。
「誰か居るのかい?」
闇に向けて言葉を投げかけるが返答はない。
魔物の可能性もあったから、僕は腰に下げた細剣の柄に手を添える。
「…………」
周囲の気配を探ったけれど、やはり誰も居ない。
「……はぁ。気のせいか」
戦場は常に神経が張りつめる。
気疲れのせいもあったのだろうって、そう思ってしまったんだ。
アイシャに忠告をしてすぐだというのに、僕の方が油断した。
「――ぐっ!!」
突然、剣から離した右手首に熱を感じた。
(なんだ!?)
脂汗を滲み出しながら手首を動かそうとしても、手の平が石になったように動かせない。
不穏な気配はそこでスッと無くなった。
ゆっくり腕を上げて、暗闇に慣れた目で手首を見ると、腱の部分がぱっくりと斬られていた。
僕は動揺する前に、
「な、なにが……いや……だれが……!?」
周囲を見ても、誰も居ない。
一瞬のうちに、僕の気配探知に引っかからない速度で斬りつけて離脱。
そんな真似ができるのは、アイシャかロイ。
……そして、当時のアミリット騎士団のエース。副団長、ギル・ファン・スケージのみだった。
彼はその戦場で現場指揮官だった僕に何かと突っかかってきていた。
疑いたくはなかったけど、調べれば調べるほど状況証拠が揃いすぎていた。
野営地に戻り、治癒魔法で筋を治してもらったけれど、神経系がダメになってしまって、僕は利き腕の握力を無くしてしまった。
犯人なんてわかっていた。
当時の僕は次回皇帝として頭角を表すミカエルの近衛騎士で、エルセレム帝国の中では階級的に上位だった。
同年代で、上官となって指揮を取る僕が憎かったのだろう。
それとも、僕の命令で見捨てた仲間の仇でも打ちたかったのかもしれない。
奴を潰すことは容易いことだった。
……でも、それを上に報告してしまえば、最悪、同盟関係の破綻。
連合は破棄され、内戦が起きてしまう可能性すらあった。
他国との戦争中に僕一人の犠牲で同盟国と紛争するなんて、とても出来なかった。
今と同じ間隔で仲間が死んでいくのかと思うと、僕の価値は軽すぎる。
傷を隠し、すぐに後方に転属した。
外交と、少しでもアイシャ達に危険が無いよう、作戦立案の職に就いた。
そして、そのすぐ後、ロイとロベルトが指揮を取る精鋭達によって、敵国の主首があがったことで戦争は終わった。
戦が終わる直前、毒によって急死したアミリット騎士団長に変わり、現場指揮官となったギル・ファン・スケージが、そのまま騎士団長になった。
……
…………
………………
クリードの話は終わる。
「今日の騎士団戦。リドくんに気を付けてもらいたいことがある。それは……」
「――騎士団長に気を付けろ。か? 十分理解した」
リドは話を遮り、クリードに背を向けてテントを出て行こうと歩きだす。
やはりお見通しか、とクリードは苦笑いを浮かべて、
「あと、もう一つ……」
「エマにも注意を払ってくれ、辺りか?」
やはり、自分の言おうとする言葉を言われ、頷く。
「……よく分かってるね。リドくんは、性格こそアイシャ譲りだけど、頭の回転の速さはロイに似ているね」
「惚れるなよ。迷惑だから」
「ははっ! 妻もエマもいる。それにそっちの趣味は無いよ」
クリードは笑顔から一変、真剣な顔を作る。
国の中枢を監督する男とも、友人のように接してくる男とも違う、父の顔だった。
「……エマのこと、お願いできるかい? あの子は君のことを……」
「エマはオレの『弟子』みたいなもんだ。任せろよ」
そう口にして、テントの外に消えるリドの背中を見て、クリードは自身の右手首を見る。
(あぁ、やはり、リドくんには……いや、ロイの血筋にはかなわない……)
そう思うと、自然と笑みが浮かんだ。
昔のように胸が痛くなることはもうない。
……でも、
「あぁ~! クッソくっやしいなぁ!! やっぱり……」
普段は妻以外には見せない、子供のような口調で声を出す。
最愛の人を守ってくれるのは、いつもロイだった。
クリードという男がそうなれたことは妻の前以外ではない。
ロイはそれでいいと言った。
たった一人の英雄になれれば充分だと。
だがクリードはそれが悔しくて「剣が握れなくなった人間の気持ちなんか君に分かるわけがない!」って、当たってしまったこともあった。
その言葉を聞いたロイは、自身の手首の腱を目の前で断ち切った。
同じように神経がイカれてしまって、剣を握ることができなくなった。
だが、ひと月もしないうちに剣を握っていて、半年が経つ頃には、前よりも剣筋が鋭くなっていた。
(……でも、僕はその姿を見て衝撃を受けると同時に、ロイを怖いと思ったんだ)
リハビリで鬼のような形相で、滝のように汗を流しながら、諦めたほうが良いと周囲に言われながらも、涙どころか弱音一つ見せずに治してしまったその姿を。
――そして、永遠に敵わない存在だと思った。
「……本当は、もう治っているんだけどな……」
手首の傷を見て、そう呟く。
叶わないと思った。
でも、そうなりたいと思った気持ちも本物だった。
(……僕は、まだ諦めたくない)
そう思って、エマに危険があれば助けるために鍛えた手だったが、そんな時にリドが現れた。
ロイを超えるくらいの強さと、優しさ。
アイシャの荒々しさと、懐の広さを兼ね備えた子が。
「いつか、ロイを見返してやる……」
クリードはそう宣言する。
腕を治した時のように。
「いつ振りだよ、お前がそんなに熱くなってんのは」
「……ロベールか」
茶菓子を持った友人が姿を見せる。
恥ずかしいところを見られてしまったと、思わず咳払いして襟元を正した。
「来るなら連絡くらいしてくれないかな?」
「お前のその口調が聞けるから急に来んだよ」
「……全く、良い趣味してるよ。独身貴族様は……」
クリードは皮肉を交えながらもロベルトを椅子に促す。
「よし、剣で斬り合おうか。血が滾るぜ」
「嫌だよ。大人しくお茶でも飲んでてよ」
いきりたつロベルトに『右手で』お茶を差し出すクリード。
「さて、馬鹿のリドがどこまでやれるか見ものだな」
投影ディスプレイがテーブルに表示され、リドたちが開戦を待つ様子が映る。
「エマが居るから安心だよ」
「……溺愛してるくせに厳しいよな。お前は」
「僕を驚かせてくれるくらいになってほしいんだ……僕のようにはなって欲しくないからね」
「…………」
ロベルトは何も言わない。
聞こえていたはずだけれど、何も口には出さない。
(……こういう優しさを、世の女性は見ていないのだろうか?)
ロベルトと会話をしていると、そんな疑問がふと浮かぶ時がある。
「……なんでロベールは結婚できないんだろう?」
「喧嘩売ってんだな、そうなんだな?」
切実に呟いたクリードの言葉に、ロベルトは青筋を浮かべて睨みつける。
「……さて、もうそろそろ開戦だ」
お茶を用意して椅子に座ったクリードはディスプレイを見上げる。
いつのまにか帰ってきていたエリスも近くに座って投影機を見つめる。
「……頼んだよ、リドくん……」
エマを……愛娘を……。
情けないけれど。
そう思いながらもクリードは心からそう願った。
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