第38話
「アンリ様! 非礼を承知でお邪魔いたします! リドが――」
エマはリドと別れた後、一直線に食堂へ向かった。
友人と共に食堂へ行ったアリシアに事の経緯を伝えためにだ。
凄い勢いで食堂の扉を開けたエマに視線が集中するが、彼女にとってそんなことは今些末なことだった。
周囲に視線を巡らせれば、少しばかり驚いた顔で固まっているアリシアの姿が食堂の奥の席に見えた。
埃を立てないように小走りでアリシアの元に近寄ったエマは、事の流れを耳打ちする。
リドの勝ち負けなど、今重要なのはそこではない。
せっかく隠しているリドの実力が全校生徒に広まることになる。
そうなったら隠蔽工作をしたアリシアやロベルトに責任が及ぶリスクがあった。
全てを聴き終わったアリシアは、持っていたフォークを落として立ち上がった。
「リド様がっ!?」
昨日の夜からずっと考えていた男が窮地だと聞き、アリシアは取り乱す。
普段全く見せないアリシアの動揺に、友人たちは不思議そうに小首を傾げていた。
「も、申し訳ありません皆様。私、用事が出来てしまいました。失礼いたします」
アリシアは食事を取っていた友人に丁寧に頭を下げ、エマの方に近づいていく。
「エマ、実技場まで付き合ってくれる?」
「はっ!」
エマは返事をして膝立ちから身を起こし、食堂を埃を立てないよう歩いて外に出る。
(耐えていろよ……リド……)
先をゆくアリシアから離れないよう加減して走りながら、リドを案じるエマ。
〇 〇 〇
「ん? なんだ? ははっ! ここまで来て勝負を放棄するのか?」
「……構えろよオマエら。せいぜい死ぬなよ
手首を振りながらオレはそう警告をする。
「なにを言って――」
武器を捨てたオレが戦意喪失したのかと思ったのだろう。リィンは嘲笑するように笑う。
次の瞬間、一瞬でオレの姿が目の前から消えたことすら、リィンは気がつけていない様子だった。
「ぐあっ!」「おぐっ」「う……」
リィンの周囲からそんな声が聞こえ、辺りを見渡すと既に7人が地面に横たわっている。
「なっ!? なにが……!?」
完全に追い詰めていたはずの獲物が姿を消すと同時に、仲間が倒れていく。
その光景に自身の正気を疑っているリィン。
Aクラスの生徒や、Bクラスの次期Aクラス入りが決まっている生徒を集めたにもかかわらず、瞬き一つのうちに半数近くが意識を失い、地面に転がっているのだ。
「やめっ……グァアア!!」「どこだ!? どこに……ごっ!」
一人、また一人と倒れていく。
そして、最後に残ったのは呆然としているリィンのみとなる。
「なにが……起きたんだ……?」
「――残念だが、お仲間はもう居ねぇよ」
「ッ!?」
背後から声が聞こえて肩を震わせて驚き、振り向いたリィンの視界に手を血で染めたオレは居た。
戦闘開始と同時に姿が消えるほどの速度でリィン達に接近、素手で次々に倒していったのだ。
今のリィンとオレの距離は10メートルほど。
「……やっと邪魔者は消えた。ほら、構えろよ。リィン・バレングス。これは命を懸けた戦いだぜ?」
ゆっくりと歩み寄っていく。
コツ、コツ、と靴音を鳴らし、死神の足音を一変して静寂に満ちた実技場に響かせながら。
「う、うわああああっ!!」
恐怖に支配されたリィンは全力でこちらに背を向けて逃げだした。
狙う獲物を間違えたことに今気が付いたのだろうが、もう何もかもが遅い。
「――それは面白くねぇな」
すぐさま追いつき、その背中に飛び蹴りを入れる。
「ぐあああ!!」
自身の走行速度も合わさり、リィンは実技場の壁に顔から突っ込んでいく。
顔を強打し、そのまま血痕を残しながら地面に落ちていき、動かなくなる。
「おい、なに寝たフリしてんだよ」
長年の戦闘経験からリィンにまだ意識があるのを見抜いて声をかける。
過去に死んだふりをした人間に背中を刺されかけたことがあるからだ。
「っ!?」
指摘された通り、リィンの意識はまだある。
だが、立ち上がったところで勝てるビジョンが見えない。
(なんで、なにが、僕が……僕の兵隊が負けるはずが、いやだ、誰か助けてくれ! 死にたくない怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖いっ!!!)
そんな感情がリィンの胸中に渦巻いているのを感じる。
ある程度人の思考ならば読めるが、もう敵意というものは無くなっていた。
リィンの頭の中は絶対的な脅威に対する恐怖に支配されている。
侮ったことを後悔しても、居るかもわからない神に懺悔しても意味はない。
「……そのまま動かないってことは負けを認めるってことだよな? こんなつまんねぇ戦いにオレを誘ったんだ。今すぐ首を切り落としてやる」
「や、やめて……くださいっ、死にたくない……」
リィンは弱々しく立ち上がり、鼻を抑えて涙目で命乞いをしてくる。
「命乞いか……ますますつまんねぇな。少しは主催者として観客とオレを楽しませろよ。オマエが散々鼻で笑ったエマ・トリエテスって女は、死を覚悟してもなお、斬りかかってくるだけの根性はあったぜ?」
そう言って客席の方を見上げる。
腰に剣を下げた生徒たちは一様に顔を強張らせながら冷や汗を流している。
剣を少しでも学んだことのある者ならわかってしまう。圧倒的な、天災にも等しい力を目の当たりにして恐れているのだろう。
素手だったとはいえ、足運びは剣術の鍛錬がにじみ出ているからだ。
そして、騎士科以外の生徒。
つまりは名家の子女たちはこの光景に顔を青くしているか、興味深そうにオレを観察しているか、妙に熱っぽい視線を向けている。
(あ? エマが居ねぇな……)
そんなことを思った瞬間、
「ア、『アイス・スパイク』!!」
リィンがオレに向け魔法を放つ。
石つぶてほどの氷の塊が轟音を響かせながらオレに向かって飛んでいく。
「……はぁ、『フラム・サンドル』」
リドがため息交じりにそう言うと同時に、オレの周囲に赤色の霧が立ち込める。
氷の塊はその霧に触れた瞬間、一瞬でジュッ、という小さな音を残して蒸発した。
初めて使ったが、炎のような壁が出来上がるかと思えば可燃性の霧のようなものだったことに少しばかり驚く。
「はぁん。生徒手帳にあったとはいえ、こんな魔法なのか。魔法を禁止すると言ったのはオマエだったはずだが、その本人が使ったのならいいよな? それより、これでオマエに近づいたらどうなると思うよ、リィン・バレングス」
オレは凶悪な笑みを浮かべ、一歩、リィンに踏み出す。
リィンの足の包帯がジリっと燃えたかと思ったら、一瞬で灰になった。
「まだこれで人を焼いたことはないんだ。オマエが被験第一号になってくれ」
近寄る必要もなく、観客にすらその熱量の凄まじさは伝わっている。
「く、くるな……こないでくれ……」
「――断る」
リィンは逃げるため後退ろうとするが、背後は壁だ、逃げ場がない。
また一歩、オレは足を踏み出す。
まだオレとリィンの間には10メートル以上距離があるが、熱風でリィンの皮靴すらもパチパチと音を立てて、つま先が少し焦げる。
「わ、わかった! 僕が悪かった! 何でもする! だから……」
「――オレはオレに歯向かった奴は殺すことにしてる。後になって面倒を増やしたくないからな。素直に一対一で戦えば命まで奪うことはしなかったが……」
コツ、と音を響かせてまた一歩近寄る。
リィンの靴が完全に焦げ、靴紐は一瞬で灰になる。
あと一歩でも近づけば服どころか、リィンの身体は炭になるだろう。
「ひ、ひぃいいっ!!」
股間から液体を垂らしながらリィンは悲鳴とも言えない声を上げる。
「……ふんっ、なんてな」
そんな様子のリィンを見て満足したオレは鼻を鳴らして、強化魔法をの分類である『フラム・サンドル』を解除した。
実技場を占めていた熱は跡形もなく消えた。
「殺すわけねぇだろ、オマエみたいなゴミは死体が焼ける匂いだけで吐きそうになる。教えといてやるよ。オマエの命を救ったのはオマエが見る目のないと言ったアリシアと、散々鼻で笑ったエマの助言のおかげだ。今度からケンカ売る相手は慎重に選べ。死にたくないならな」
そう言ってオレは実技場を後にしようと踏み出す。
「ここですっ! アンリ様っ! おいリド無事……か……」
「リド様大丈夫です……か……?」
行方をくらませていたエマがアリシアを連れてやってきて、泡を吹いて気絶しているリィンと、中央付近に倒れている大勢の男たちを見て顔を青くした。
「よう……あー、なんだ。遅かったな」
なんとなく気まずくて視線を逸らす。
「あれだけ言ったのに殺したのか貴様!!!」
「ごっふっ!」
エマのミラクルパンチを受け、吹っ飛んでいく。
その様子を見ていた観客はエマに畏怖の念を覚えたようにざわつく。
あれだけの剣持ち相手に徒手格闘のみで、数分とかからず意識を刈り取った男をぶん殴れるのは、恐らくエマくらいだ。
「なにしやがる!」
「なにをしているはこっちのセリフだ大バカ者が! リィンの身体が焦げているではないか! それになんだここは! ものすごく熱いぞ!」
先ほどまで魔法『フラム・サンドル』で熱が支配していた空間は、まだ余熱が冷めきっておらず、サウナのように空気が熱されていた。
「殺してねぇよ。つか声がデカいんだよ……」
激昂して二発目のミラクル☆パンチを繰り出そうと拳を構えているエマを手で制す。
わかったわかったと態度で示すように両手を上げた。
「……何があったのだ?」
リィンのうめき声が聞こえ、冷静になったエマは拳を収めながら首を傾げる。
「あー、バンバンッ! ドカンッ! ボッ! って感じだ。つまり色々だ。とりあえず腹も減ったし、今後の計画は食いながら話そうぜ」
「はぁ……申し訳ありませんアンリ様。心配無用でしたね」
「い、いえ。無事だったのでしたらよかったです」
「も、申し訳ありませんっ!」
そんな会話をした後、エマとアリシアも実技場を後にした。
後に残ったのは呆然とする観客とリィン。
そして、始まる前まで心配そうに見守っていたが、一瞬でケリをつけたオレを見て、目を見開いたまま固まっているサウロくんだけだった。
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