第37話

 退屈な授業を聞き流し呆け続けること数刻、今は休み時間となった。

 生徒手帳に書かれている校内ルールで分からないところがあり、エマに聞いていたオレの前に男が歩み寄ってきた。

 肩を震わせた様子で、怒り狂っているように感じる。

 

「おい、編入生! さっきはよくもやってくれたな!」


 足に軽く包帯を巻いた男がオレに近寄ってくるなり、そう声を荒げた。

 

「……誰だ?」

 

 まだ校内に知り合いもいないし、さっきと言われてもさっき学園に来たばかりみたいなもんだ。

 まったく記憶にない男にオレは首を傾げた。

 

「リィン・バレングスだっ!」


 言われて思い出す。確かエリーザが「リィンくん」と呼んでいた人物だ。

 

「あぁ……あの歓迎骨折で温かく迎えてくれた心優しきクラスメイトか。足は治ったのか?」

 

「歓迎などしていない! 率直に言わせてもらう。この場は君のような気品のないモノにはふさわしくない。今すぐ消えろ」

 

 オレを指さし、そう言ってのけるリィン何某。

 出会って数分で気品だなんだと言われても困るんだが。

 

「ふさわしい? 何言ってんだオマエ?」

 

「ここは三年次クラス。騎士科の中で訓練の成績が良いもののみが進級することを許された三年次だ。弱いものが、おいそれと編入してきていい場所じゃあないんだよ。いくら英雄騎士ロベルト様の推薦でも、アンリ陛下の護衛でもなっ!」

 

 オレはそう言われてエマに説明されたことを思い出す。

 この学園の騎士科に入ることは比較的簡単だが、成績、実技が一定水準まで上がらなければ容赦なく留学、退学を言い渡される学園だ。

 

 騎士科には学園の年単位での進級が無い。

 最下位のCクラス。

 そこから教師に認められBクラス。

 さらに上位成績を収めたものがAクラスに入ることが許されている。

 Sクラスというのもあるようだが、そこに居るものは今の学園には居ない。

 

 最後にSクラスに入った人間は20年前に7人だけだという。

 

 真面目に授業を受けていれば落ちることはない。

 ……なんていうことはなく、才能のあるもの以外は卒業して騎士を名乗ることは許されない。

 

 意思無き者は去っていき。

 意思はあっても才能のないものは去らざるを得ない。

 そんな学園だ。

 

 生徒手帳を取り出し、自身のクラスを確認する。

 

(Cクラスか。まあ当然だな)

 

 いくらロベルトの口添えがあったとしても、あの試験の成績ならば、Aクラスに編入させることはできないだろう。

 

「おい、リィンっ! いい加減にしろっ! 今の発言はアンリ様に対する侮辱! 許してはおけん! 何より、リドのことを何一つとして知らないおまえが――」

 

「口を挟まないでもらおう主席。これはこの男と僕との個人的な話です。それに、編入試験の成績はこの学園の騎士科の人間は皆知っています。最下位だとね」


「いや、あれは……」


「――そもそも皇帝陛下は騙されているだけだと思う。本当に陛下を思うのであればこの男は切り捨てるべきです。それとも、主席がこの男を個人的に匿いたい特別な事情でもあるのですか?」

 

「くっ……」

 

 そう言われ悔しそうに押し黙るエマ。

 

 そんなエマをチラリと見たオレは、なぜか頭の奥が熱くなるのを感じた。

 机を拳で殴りつけて立ち上がる。

 

「……さっきからピーピーうるせぇな。相応しいとか相応しくないとかオマエが決めることじゃねぇだろ?」


 突然大きな音が出て驚いたように体をこわばらせたリィンだったが、喧嘩にオレが乗ってきたことを理解したのか、薄く笑みを浮かべた。

 

「それもそうだ……ならこうしよう。これから僕たちで模擬戦をして君が負けたら、今日限りで学園から去れ。これならどうだ? 側近騎士である君の実力が、僕より足りないのなら学園から消えろ」

 

「なっ!?」

 

 エマはリィンが喧嘩を吹っ掛ける様子に驚愕している。

 エマが知るリィンという男は、そんなことをするタイプではなかったのかもしれない。

 弱者にのみ喧嘩を売るタイプだとしたら、無理からぬ話だ。

 

「……めんどくせぇ。オレに理がねぇ。オマエの名前と髪が長くて鬱陶しい。まだアリシアの側仕えじゃねぇ。だから断る」

 

 オレもそこまで子供ではない。イラっとは来たが、流石に入学初日に喧嘩をするなんて問題になると理解はしている。

 追い払うように手をシッシッとした。

 

「逃げるのか? やはりふさわしくないな……」

 

「……あぁ?」

 

 リィンが肩を竦めて子供のような挑発を口にする。

 その言葉にオレは振る手を止めた。

 

 唯の挑発だとわかっている。

 そんな子供の挑発に乗るわけがないが、脳の奥から憎悪があふれ出てきた。

 

「怖いなら仕方がない。臆病者のリド。せいぜいトラブルを起こさないようにすることだ……」

 

 リィンは捨て台詞を吐いて立ち去ろうとする。


 怖いだと?

 

 誰が怖いって言った? このオレが思ってると?

 

 怖いってなんだ?

 

 そんな感情オレはしらねぇぞ?


 勝手に言ってんじゃねぇぞ?

 

「――待てよ。模擬戦、だったか? 良いぜ受けてやるよ」

 

 敢えてリィンの策中に突っ込む。敢えてだ。大事なことなので2回言った。

 決してオレが感情的になっているわけではない。

 

 横でエマが眉間を抑えたのがわかったが、完全に頭に来ているオレにとってそんなことはどうでもいい。

 

「そうか。なら負けたほうが何でも言うことを聞く。この条件でいいかな?」

 

「ああ、構わねぇよ」

 

 リィンは笑いをかみ殺しながら問い、それを承諾する。

 

「なら今から実技場に来い。剣はこちらで用意しておく」

 

 そう言い残して教室を出ていくリィン。

 

「……おいエマ。案内しろ」

 

「このバカモノがっ!」

 

「いってっ! 何しやがるっ!?」

 

 フルスイングで頭を叩かれたオレはエマに食ってかかる。

 

「まさかオレがあんなやつに負けると思ってんのか?」

 

「……そうではないが……」

 

 エマは少し言いにくそうに顔を歪めた。

 

「リィンは狡猾な奴だ。必ず何か罠がある……」

 

「はぁん……それがなんだ? どんな手を使っても生き残るためなら許される。それが戦いだ。どんな策があろうが何とかしてやる」

 

 完全にスイッチが入ってしまったオレを見て眉を抑えるエマ。

 

 アンリ様になんと言えば……とでも考えているのだろう。


 だがそんなことはどうでも良い。売られたケンカは借金を負ってでも買う。

 それが下民なり生き方だ。




 そして実技場。

 

 実技場はドーム型になっている立派な建物で、太陽の光が真ん中の闘士たちを照らすような作りとなっていた。

 

 噂を聞きつけてきた多くの観客がドーム型の中心に居るオレ達に視線を向ける。


 騎士科の生徒が多く見えるが、中には変わり者の令嬢達もいるようで、興味深そうにこちらを見ていた。

 

「……おい、リンなんとか、一対一じゃないのか?」

 

「リィン・バレングスだ! ふっ、そんなことを約束した覚えはないが?」

 

 リィンの側には本人を合わせて20人は居る。

 その全員が異様に刀身の太い新品の木刀を構えていた。

 常人が一撃でも喰らえば骨折は確定だろう。最悪内臓破裂の危険もある。

 

 だが、オレに渡された木刀はボロボロで、今にも折れそうだ。

 

「この卑怯者がっ! 騎士道精神の欠片も無い奴めっ! リド、私も出るぞっ!」

 

「主席自ら? はぁ……いい加減にしてもらえませんか? これは僕たちの戦いだ」

 

 溜め息を吐き、下卑た笑みを浮かべるリィン。

 

「……ま、そうだよな。新参者には制裁を。これはどこでも同じってことだ。エマ、観客席に行ってろ」

 

 首を鳴らしながらリドはエマを諫める。

 スラムでは外から来た人間を狩るのは当然の行為だった。

 

 生きるためなら人から奪う。

 

 今回はケースこそ違うが、自分の居場所、プライドを守るためにリィンは勝負を吹っ掛けたのだ。

 

 くだらん。そう思いながらも、自然とこの戦いに参加したのは今後の面倒を避けるためでもあった。

 

(ちっ……誰が臆病者だ……逃げてねぇよゴミクズ……)

 

 若干、子供っぽい思考が浮かんではいるが。

 

「そうはいくかっ! いくらおまえでもこの数は……」

 

「数? アリがいくら集まろうが変わらない。猛獣に勝てるわけねぇだろ」

 

 歪んだ笑みを浮かべるリィンを見てすまし顔で鼻を鳴らすオレ。

 

「くっ! せめて数分持ちこたえてくれ、リド!」

 

 オレを見てエマは出口に走り去っていく。

 

「随分と余裕だな編入生。この戦力差で勝てると思っているのか? 今、僕に対する非礼を詫び、この観衆の中で地に頭を付けるというなら見逃してやってもいいが?」

 

「……始める前に一応聞くが、負けた方は何でも言うことを聞く、で良いんだよな?」

 

 リィンの提案を完全に無視して、ボロボロの木刀を振り回しながら聞く。

 

「今更ルールの確認か? 勝者が敗者に何でも言うことを聞かせられる。そう言ったはずだが?」

 

「オレが勝った場合、それはオマエ一人にか? そこに居るオマエの仲間にも命令できるのか?」

 

 オレの問いにリィンは周囲の仲間を見る。

 仲間たちは自分たちが負けるはずがないと確信しているのか、歪んだ笑みで次々に頷いていく。

 

「そうだ。勝てたら、の話だけどね」

 

 鼻で笑いながらリィンは肯定する。

 

「そうか、なら次だ。武器はこの木刀以外は使っちゃダメなのか?」

 

「腰の真剣と魔法は使うな。君が望むのならそこに転がっている木の棒でも構わないよ?」

 

 オレが持つ物よりもボロボロの木を顎で指すリィン。

 

「そうか……じゃあ最後だ。敗者への命令、何でもいいなら生殺与奪も含まれるよな?」

 

「くくっ、自分の首を絞める気かい? でもその方が面白いね。そういうことにしよう」

 

「――本当に命を懸ける覚悟があるんだな……?」

 

 リィンがそう答えた瞬間、オレは初めて殺気をぶつける。

 鋭い目つきで、地獄の門番のような今までとは違う低い声で。

 

「ははっ! そうだよ!」

 

 だが悲しいことに、弱者は強者を見る力はない。

 いや、既にリィンはオレを追い詰めているとでも思っているから気が付かないだけかもしれないが。

 

「そりゃいい……なら始めようか」

 

 オレは手に持っていたボロボロの木刀を地面に放り投げた。

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る