第36話


 理事長室から職員室へと移動している時、隣からエマがオレが顔を覗き込んでくる。

 

「なあリド、あのステータスは本当なのか?」

 

「どうもそうらしいな」

 

 エマやアリシアとは違う世界を生きてきた事は自覚していたが、一度は真剣で戦って負けたロベルトよりもレベルが上だということには驚いた。

 純粋な力ではなく、技量でロベルトはオレと互角に戦っていたのだろう。

 つまり、まだ力を完全に使いこなしていなかったということになる。

 考えてみれば、レベルというのは限界を超えることで上に上がるものだろうが、スラムの怪物と戦って以来、血が湧くような戦いをしてこなかった。

 雑魚を相手にしすぎて体は鈍っているのだろう。

 

「アルバノとの一件で強いとは思っていたが、まさか人の限界を超えてるとはな」

 

 エマはオレに微笑みかける。

 

 内心、自分の化け物加減に怖がられているだろうと思っていたが、どうやら杞憂であったらしい。

 

「……ところでリド、前に言った約束を覚えているか?」

 

「約束?」

 

「私に剣の使い方を教えると言ったではないか」

 

「……したな」

 

 アルバノ・ガロアからアリシアを救い出すとき、剣を借りるための口実に口にした言葉だが、エマはしっかりと覚えていた。

 

「約束は守るものだぞ?」

 

「わかったわかった。教えてやるよ。いつだ?」

 

 オレはお手上げだと手を上げてエマに問う。

 だがこれから学園が始まるので、中々時間は作れないだろう。

 

「そうだな……朝練と午後の訓練の時がいいな」

 

「……は? 二回ってことか?」

 

「これならリドも早起きできるだろう?」

 

「それが一番の目的か?」

 

 オレはジト目でエマを見る。

 抜け目のないやつだ。と思いながら、約束をしてしまった手前断れない。

 朝の安眠を手放すのか……と心底だるそうな表情で歩くオレを見て、エマはクスリと笑った。

 

「ふふっ、冗談だ。午後だけでいい」

 

「そりゃ楽でいい」

 

「その代わり密度を濃くしてもらうぞ?」

 

 エマは悪戯っぽく笑う。

 腹を読ませないところは、やはりクリードによく似ている。

 

「……ああ」

 

 オレは面倒くさそうに自分の肩を揉む。

 

「それにしても……」

 

 エマはオレの腰でカチャカチャと音を立てている剣を見て、

 

「美しく素晴らしい剣だ。赤い髪のおまえに良く似合っている」

 

「……訓練用の木剣よりはマシくらいだけどな」

 

 母親の唯一の形見である剣が似合うとエマに言われ、オレは少し照れくさそうに視線を逸らした。

 

 しばらく歩き、職員室の前に着いたところでノックをして中に入った。


 エリーザがこちらを見てニコニコと近づいてくる。

 胸の前で抱くようにクリップボードを持ち、オレの前に立って見上げてくる。


「それじゃあリドくん! 案内するからちゃんとついてきてね!」

 

「……ああ」


 元気いっぱいという様子で「よーっし! いくよーっ!」と腕を振り上げる教員の後ろについて、オレは廊下を歩き出す。

 

「では、私は先に行っているとしよう」

 

 教室にエマと一緒に行くのは流石に気恥ずかしいなと思っていたら、エマはそんなことを言って先に歩いて行く。

 そんな彼女に生返事を返す。

 スタスタと教室に向かっていくエマだったが、途中で振り帰る。

 

「いいか? くれぐれも過激な発言はするなよリド」

 

「しねぇよ。いいからさっさと行け」

 

 目つきを鋭くしたエマはオレを訝しそうに見るが、それでも時間が無いのは事実なため、後ろ髪を引っ張られながらも走らないように歩いて行った。

 

「……ほれ、さっさと案内しろよ。エリーザ」

 

「エリーザせ・ん・せ・いっ!」

 

「……せんせー」

  

「よろしいっ!」

 

 満面の笑みを浮かべたエリーザはエマが去って行った方に歩き出す。

 

 面倒クセェ。

 

 頭を掻きながらその後を追うが、心の中はため息を吐きたくなるほど怠惰に支配されている。

 仕方なしに腰の剣をカチャカチャ鳴らせながら後を追った。

 

 

 廊下には既に生徒の姿はなく、皆教室の中に入っているのが分かる。

 若い奴らが集まっているということで、ガヤガヤ騒がしいイメージだったが、そんな荒れた生徒は少ないのか学内は静かだった。


 ルンルンと歩くエリーゼの後ろを追うオレを、通り過ぎていく教室の中からチラチラと観察する視線は感じるが、特に騒いでいる様子はなかった。


 一つの教室の前で立ち止まったエリーザが、ここで待っていてね? と口にして先に入っていく。


 教室の入り口前に立たされていたオレは、しばらく木の匂いを感じながら待っていた。

 季節は冬明けということもあり、晴れ渡った空と少しだけ窓を揺らす春風はどこか懐かしさを感じさせる。


 このまま外で眠ったら気持ちよさそうだと思っていた頃、エリーザが教室の中から顔だけ出して呼んでくる。

 招かれるまま教室の中へ入っていく。


 教室の中に入った瞬間に感じるのは若い視線。

 女子はオレを見てコソコソと何かを話している。

 男は好奇心半分、無関心半分。

 

 面々を見渡せば、席の後方の方にエマとアリシアが固まって微笑んでいるのが見えた。

 

 そして、前面の方にはサウロくんがいる。

 

 相変わらず太い体から汗を出しながらハンカチで必死に拭っていたが、オレを見て満面の笑みを浮かべている。

 

「アンリ陛下の側近騎士候補として、このクラスに編入することになった、編入生のリドくんで~すっ! リドくん? 自己紹介して?」

 

 教室にいれられたオレは、招かれるまま教壇の上に立った。

 

 エリーザが発した言葉に、周囲は大きくどよめいていた。

 

 いきなりこの国の皇帝陛下の側近騎士という、騎士を目指すものにとっては最高の栄誉を手にする男が入ってきたのだ。

 

 しかも、そんな地位を手にしたのは全くの無名な青年なのだから動揺するのも無理はない。

 

 憎悪や嫉妬、果ては殺意まで向けてくる生徒も少なくはない。

 サウロくんですら驚いた顔でオレを見てきていた。

 

 周囲を見渡すと、男は全員腰に剣を下げ、女は腰に剣を下げている者も少数だが居る。

 

 剣を下げているモノを省けば、ほとんどが椅子に座っている姿すら気品が漂っている名家の子女たちだ。

 

 その全てが人間が突如教室に入ってきた異物である青年、オレを見ている。

 

「リド・エディッサだ……」


 なんと話したものかと思ったが、これだけ視線を一身に集めたのは初めてだったので、なにを言うのか分からず名前だけ口にした。

 

「「「…………」」」

 

 そして、もっと情報を期待していた生徒たちの間には『え? 終わり!?』みたいな空気が出来上がる。

 これ以上語ることを持ち合わせていない。

 

「……もっと何かないかな? リドくん? パンチが効いた挨拶とは言わなくても、どういう人なのかなぁ~? ってみんな思ってると思うよ?」

 

 フォローするようなエリーザの言葉を聞き、なんとなくエマの方を見てみる。

 エマは口パクで「もっと何か言え」と言っていることが分かった。

 エリーザが言った「パンチの効いた挨拶」という単語を思い出し、しばしの長考を経て話を切り出す。

 

「……あー、不本意ながらロベール……ロベルトのおっさんに、編入”させられる”ことになった哀れで弱々しい編入生だ」


 編入“させられた”という言い回しに、少しばかり不快感を示したような騎士科の人間たち。

 倍率の激しいこの学園に通えたというだけでも栄誉なのに、それを馬鹿にしたようなオレの発言が気に食わないのだろう。


 だが、それはオレにはどうでもいい。

 ここには無理やり入れられたのは変わらないし、それを隠す必要もない。

 言われているのは能力の隠蔽だけだからだ。


「オマエ等みたいに型だけの剣術を学んできた家だの血筋などのために必死になる愚かなエリート様達とは全然違う弱々しい存在だ。この可哀そうな我流のリド・エディッサに慈しみに満ちた視線で友好的に接してくれることを期待する」

 

 オレは真顔でそんなパンチの効いた挨拶をスラスラと口にする。

 

 その言葉にエマは頭を抑えた。

 アリシアも少しばかり困ったような笑顔を浮かべている。

 

 周囲はやはりどよめき、オレに敵意に満ちた視線を向けてきた。何故だ。

 

「う、うんっ! ちょっとスパイスが効きすぎな気もするけど、これからは同じクラスで学ぶことになるからみんな仲良くしてあげてねっ!?」

 

 エリーザは何とかフォローしようとするが、血気盛んな騎士候補生たちは侮辱されたことに憤りを感じていて、全く話が耳に入っていないようだ。

 

「仲良くしてくれ」

 

 何が悪かったのか分からないが、周囲から向けられる視線はかなりキツイように感じる。

 そよ風のように心地よいくらいの殺気なので、歓迎されていると認識しても良いだろう。

 

「じゃ、じゃあっ! エマちゃんの隣に座ってね?」

 

 エリーザは手をエマの隣の空席へ向ける。

 

「ああ」

 

 エマ達は最後列にいるので、階段を上がる必要がある。

 ゆっくり歩いて向かっていた途中、ニヤニヤしたクラスメイトに足を引っかけられた。

 

「ぐわあああああっ!!!」

 

 流石に不意打ち過ぎて避けるのが間に合わず、そのままその足を蹴ってしまう。

 ボキッという何かが折れる音が聞こえた後、ひっかけようとした男の口から悲鳴が鳴り響いた。

 

「あ?」

 

「足が……足が……」

 

 オレに足を当てた男は、当たった部分から見事にV字に骨が折れていた。

 

(なんだこいつ、足折れてんじゃねぇか……歓迎の一発芸にしては気合入ってんな……)

 

 踏んだ本人は全くの無意識で、急に奇声を上げた隣の男を見る。すぐに興味が失せてそれ以上気にすることも無くオレはエマの隣に歩いていく。

 

「ふぅ~……突然奇声を上げるやつもいるわ、歓迎で足の骨を自分で折るやつもいるわ、殺気向けるやつもいるわ……個性豊かだな。思春期か?」

 

 椅子に腰かけて肩をすくませたオレはエマに話しかける。

 しかしエマはその様子を見て、何故かオレよりも数段デカいため息を吐く。

 

「おまえに礼節も大人しさも求めはしないが、せめて校内のルールくらいは守るんだぞ?」

 

「ルール? 人の物を奪わないとかか?」

 

「それは人として当然の……」

 

 そこでエマはオレが人として当然の道を通ってないことを思い出したのか言葉を止める。

 

「当然の、なんだよ」

 

「……いや、そうだな。生徒手帳に校内のルールが書いてある。ルールというのはここで学び、暮らす以上守らなければいけない約束だ」

 

「約束か……それは何があっても守らなけりゃいけないのか?」

 

「基本はそうだ。だが私とアンリ様がリドに求めるのは二つだけだ」

 

 エマはそこで声のトーンを落とす。

 

「――略奪、殺害を禁じる。分かったか? リド。これだけは守ってくれ」

 

「……破ったら?」

 

「ここに集まっているのは名家の子女、子息たちだ。お前の行いでアンリ様に迷惑が掛かるのなら、最悪……死罪もありうる」

 

 最後は顔をしかめて、苦々しそうに言うエマ。

 オレの生い立ちを知っている数少ない人間なら、それがどれだけ困難なことか理解出来るのだろう。

 

 そうしなければ生きてこれなかった。

 物心がついてすぐに殺戮の世界で生きてきたオレがすぐにこの世界に馴染めるとは思えない。

 

 もしかしたら、嫌だと断られるかもしれないとエマは覚悟を決めているのが額に薄く浮いた汗でわかる。

 

「……分かった。エマとアリシアに迷惑が掛かるのは防ぎたいし。了解した」

 

 意外なことにそれを承諾したオレに、拍子抜けしたような顔をエマは向けてきたが、すぐに優しく微笑んだ。

 

「ありがとう、リド。最悪も覚悟したが、私の知っているおまえは無用な殺生はしないと分かっていたよ」

 

 嬉しそうに微笑むエマに一度視線をやってからすぐに逸らし、椅子に深く掛けて目を瞑る。

 そこまで信用されていたとは思わなかった。

 ロベールといいエマと言い、オレのどこを見てそう判断したのか。

 

「じゃあ、授業を始めまぁすっ! あ、リィンくんは保健室に行って治癒を受けてきてね?」

 

 一通り話が終わったタイミングで、エリーザは授業を開始した。

 

(退屈だ……)

 

 最初こそ話に耳を傾けてはいたが、どれも興味の惹かれる話題がなかったので、自然と窓の外を見たオレはそんなことを思いながら時間を過ごした。

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