第33話


 満月の夜が明けた。

 本日からオレは正式に【国立ルイ・カルメン学園】の生徒となった。

 そして、今日が登校初日だ。


 昨日見た時、あれだけ編みぐるみだらけだった部屋は片付けられていて、皇城の客室の様な最低限の設備だけが残った部屋になっていた。


 押入れを開けようとすれば、ポニーテールを逆立たせたエマが手をはたき落としてきた。

 どうやら現在、あの愛らしい編みぐるみ達は押入れの中に監禁されている様だ。

 

 元々二人部屋用の部屋だったこともあり、ベッドも二つあったので、当たり前の様に別々にベッドに入る。


 オレが光がないと寝られないことを知っているからか、気を遣ったのかランタンはつけっぱなしだった。


 夜のうちに変化があった……と言えたら面白いが、特に何もなく、ただ静かに入眠し、日が昇っても寝息を立てていたオレは体の揺れを感じて意識を覚醒させる。

 

「おい、おいリド起きろ。朝だぞ」

 

 眩しく感じながらも横を見ると、学園の制服姿のエマがオレを揺さぶっていた。

 随分前に目を覚ましていたのだろう。

 

「おはよう。リドにとっては初めての登校だ、気合を入れろ」

 

「……めんどくせぇ」

 

 登校初日第一声から全くやる気がないオレの言葉に、エマは思わず頭を抑えていた。

 

 ロベルトに敗北を喫したため、仕方なく学園に通うことを承諾しているが、本心ではわくわく半分、面倒くささ半分と言うのが現状だ。

 

 それに皇城で多少なり慣れはしたが、朝に目を覚ますという生活自体がスラム生活の時からは考えられない。

 

 仕事以外の時間は夜に目を覚まし、闇夜に紛れて食料を奪う。

 それが最も効率的で、安全な時間サイクルだった。

 

 同じ城壁内にあるとはとても思えない生活だろう。何が言いたいのかというと、とても眠たい。

 

「早く顔を洗ってこい。朝食はもう用意されているぞ」

 

 腕を組みながら若干呆れて気味のエマにそう言われ、「う~い……」とまだほとんど覚醒していない脳のままベッドから降りたオレは、フラフラしながら洗い場へと向かう。


 顔を洗って少しだけ意識が覚醒し、良い匂いのするタオルで顔を拭いてからリビングに顔を出す。

 既にオレ以外の寮生達は朝食を取っており、朝だというのに楽しげに会話に花を咲かせていた。

 

 まるで孤児院みたいだ。という感想が頭に浮かぶ。

 

「うむ、スッキリしたみたいだな」

 

 エマがパンをちぎりながらこちらを見て頷いていた。

 そんなエマに「あぁ」と返しながら席に着く。目の前にいたアリシアはもう食事を摂り終えてオレを待っていたのか、春に咲く花の様に微笑みながらこちらを見ていた。

 

「おはようございます。リド様」

 

 何か、少しだけ違和感を感じる。

 

 オレの方を見ているのに、何故か視線があっていない様に感じるアリシアに挨拶を返しながら、オレは食事に手をつける。

 

 友人だけの場なら愛嬌で済むが、本来食事中に喋るのはマナー違反だと昨日エマに注意を受けている。

 やはりどこか引っかかるが、それ以上は何も喋らず食事に手を付けた。

 

 

 食事を取り終わって部屋に戻ったオレは、机に用意されていた新品の制服を身につけていく。

 

 なにか紐のようなものがあったが、付け方が分からないので放置することにした。

 

 一応、腰に下げるものはないがホルスターも着用する。

 

 青と白を基調とした制服は、分厚い生地で出来ているからか、どこか身が引き締まる様な変な気分だ。


 先に準備を終わらせていたエマやアリシア達は玄関前でオレを待っていた様で、姿を現すなりジロジロと視線を向けてきた。


「うむ。よく似合っているな。こうしてみると年相応だ」

 

「えぇ、よくお似合いですよ、リド様」

 

 エマとアリシアが制服姿のオレを見てそんなことを言ってくる。

 少しばかり照れくさくなって、二人の横を通り過ぎる。

 寮生達もみんな揃っており、集団登校の様にオレ達は寮の前で集合した。

 

「では、行ってまいります寮母様」

 

「行ってきます。寮母さん」

 

「いってきまあああああ……はぁ……」

 

「行ってらっしゃいっ! 眠そうなリドくんも、初日頑張ってねー!」

 

 いつのまにか玄関まで見送りに来ていたベティーに背中越しに手を上げて答えながら寮を出る。

 

「リドさん、随分と眠そうですわね」

 

 手のひらクル子のジェシカが横に並んできて、オレの顔を見るなりそう言った。

 相変わらず小動物の様に短い足をせっせと動かして歩いていた。

 

「ああ、昨日は遅くまで起きていたからな」


「……ッ!」

 

 オレが何気なく言うとエマが少しだけ肩を震わせて反応した。

 昨日二人で屋根に登って話し込んでいたら、かなり時間が経っていた。そのため、今日は寝不足気味だった。

 

「んん?」

 

 ジェシカは反応したエマを少し不審そうな顔で見る。

 変な誤解が生まれそうだが、否定するのも手間なのでそのまま放置することにした。

 

「で、チワワ……じゃなくジェシカだったか。オマエは何年だ?」

 

 以前もらった学園のパンフレットを思い出す。

 

 この学園は4年制だ。

 

 ルイ・カルメン学園は教養科と騎士科で分かれている。

 

 分校の方には、魔法研究科や魔道工学科など色々あるらしいが、それらの校舎は別らしいので今は割愛する。

 

 騎士科の学年ごとの振り分けもパンフレットに書かれているくらいは知っている。

 

 一年次は教養と実技を学ぶ。

 二年次は実技を主に学ぶ。

 三年次からは実技の訓練と実地研修が何度かある。

 四年次からは兵役扱いとなり、ほとんど研修をして過ごすらしい。


 そうして、卒業する頃には士官候補生として現場に配属になるそうだ。


 ロベルトが理事をやりだしてから、入学生は多いが卒業する生徒はかなり少なくなったらしい、

 厳しい訓練の日々に挫折して自主退学するか、研修期間に怪我を負い後遺症を患って退学する生徒も多いと聞く。


 だが、その分卒業生の質は高く、現場での信頼も厚いと聞く。

 

 今回、オレは3年次に編入という形となるのでエマと同期という扱いとなる。アリシアは教養科3年であり、これもまた同期という扱いになる。

 

 アリシアとは座学のクラスこそ一緒ではあるが、騎士科は午後に訓練がある。

 そこで教養科と騎士科は別メニューだ。

 

「ちわ……? 私は2年次ですわ。リドさんは何年次ですの?」

 

「あぁ。オレは確かエマと一緒だ」

 

「ということはリドさん……いえリド先輩となりますわね。よろしくお願いいたしますわ」

 

 ジェシカは深々とオレに頭をさげる。

 初対面の時とは違って随分と柔和な態度に変わっていた。

 そんなジェシカを横目に特に見ながら、「ん~」と生返事返す。

 

「ココは何年だ?」

 

 相変わらず生気のない目で追従してくるココに聞く。

 ココは一度こちらに視線を向けて、次に空に視線を向けて、背中の銃に視線を向ける。

 そして次に胸にあるエンブレム見下ろして、それを指で指した。

 

「……同じ……三年……」


 どうやら学年ごとに胸のエンブレムが変わるらしい。

 オレの胸には何もない為、後で教員がくれるのだろうか。

 

「そうか、ならジェシカだけか。違う学年は」

 

「残念ですわ……」

 

 ジェシカは悲しげに項垂れる。

 一人だけ後輩ということで疎外感でも感じたのだろう。

 学園の仕組みはよく分からないが、恐らく学年が違えば学内での関わりは少ないのだろう。

 

「寮が一緒なのだから、毎日顔を合わせる。学年などはあまり関係ないだろう」

 

 エマの言葉に、ジェシカはパァッと顔を輝かせる。

 散歩と伝えた子犬の様な反応だ。後ろにポメラニアンが見える。

 

「そうですわねっ」


 ジェシカは小動物の様に警戒心が強いだけで、実は人懐っこい少女なのだろう。

 本当に、初めて会った時が嘘のような笑みだった。


 昇降口に着き、別学年のジェシカと別れたオレはエマに付いていく。

 ココとアリシアは先にクラスに向かったので、今はオレとエマの二人だけだった。

 どうやら学園での世話をするという任務を遂行してくれているのだろう。

 

「……で、なんでオレは別方向に向かってんだ?」

 

「まずはクラス担任に挨拶をしなければならない。常識だぞ」

 

「常識と来たか」

 

 エマはずんずんと、背筋を立てた凛々しい姿勢で職員室に向かって歩く。

 その後を退屈そうについていく中、ふとエマの腰の剣が目に入った。

 何度も使っているが、毎度手入れが行き届いているエマの剣は、よほど大切なものなのだろうことは窺える。

 

「エマは常に剣持ってんのか?」

 

「この学園では騎士科に所属する人間のほとんどが帯剣しているぞ」

 

「常識か?」

 

「常識だ」

 

 エマは案の定、定例になった言葉を口にした。

 どうやらいち早くオレに常識というものを学んでほしいという意志を感じる。

 本心ではエマがいれば大きなミスを犯すことはないだろうし、覚える気もあまりない。

 

「騎士科のヤツが持ってると言ったが、オレ、剣なんて持ってねぇぞ?」

 

「だろうな。剣を手に入れるまでは訓練用の剣を使うといい」

 

「そんなことしたら『アイツ、自分の剣持ってないんだってよ』って虐められるだろ」


「リドはそんなこと気にしないだろう」


「それも常識か?」


「これは前提だな」


 前提と来たか。なら追求するのは野暮だろう。


 特に剣を持ちたいとは思わないが、騎士科に編入する以上持っていないと逆に目立つだろう。

 

 下手に目立ちたくはないのだが、先ほどからすれ違う度に騎士科と思われる生徒たちが視線を向けてくる。

 恐らく昨日の試験のことが出回り、尚且つそれが転入生である。などと噂が広まっているのかもしれない。


 昨日『サウロくん』が言っていたが、編入生は珍しいものらしいので仕方のないことではある。


 やれやれ、存在するだけで目立ってしまうとは、我ながら自分という存在が恐ろしい。


「さて、中に入るぞ」

 

 前にも一度来たことのある職員室に辿り着き、エマがノックをして声を掛けた後に入室する。

 教員連中が控えており、始業前ということもあるのか慌ただしく動き回っていた。

 

「失礼します。エリーザ先生はいらっしゃいますか?」

 

「トリエテスさん? どうしましたか?」

 

 教員に声を掛けたエマに気がつき、近づいてくる女が一人。

 歳は20前後、非常に若く童顔で背丈は小さい。美人というよりは可愛いという認識の方が近い女性だった。

 小動物のようなオーラを発している。

 

「エリーザ先生、編入生のリドを連れてまいりました」


 エマにそう言われ、オレの方に視線を向けた教員はニコッと笑う。完璧な笑顔だった。

 

「あっ君がリドくんね? 初めましてっ、私がリドくんたちの担任のエリーザ・レミーと言います。よろしくね?」

 

「ああ」

 

 オレはそんなエリーザを見下ろしながら返事をする。

 見下ろす気はないのだが、遺憾せん背丈の違いがあるので仕方がない。

 

「分からないことがあったら何でも聞いてねっ! 先生、頑張って力になるからっ!」

 

 オレの手を握り、目をキラキラさせるエリーザ。

 こういうタイプには初めて出会う気がする。

 ここまで厚意を全面に押し出す女は中々いない。

 なので、どこまでその厚意が続くか試してみよう。


「そうか。ならエリーザ、一つ聞きたいことがある」


「なになにっ!? なんでも答えちゃうっ!」


「最近アレの勃ちが悪くてな、これはなんでなんだ?」


「……え? え、えっと……」


 真顔でオレが口にした予想外の質問に、エリーザは時が止まった様に固まった。

 なんなら職員室全体が一瞬静寂に包まれる。

 全ての視線がこちらに集まっていた。

 

「――リド。後で話がある」


 とんでもない力でオレの肩を掴んだエマは、メキメキと音が鳴りそうなほど怒り狂っている様だった。


 今すぐ逃げ出そうかな。


 少しばかりイタズラしたくなった男のお茶目だろう。多めに見てほしい。


「エリーザ先生。今はまだリドに常識を叩き込んでいる最中ですので、先ほどの言葉はお忘れください」

 

「そ、そう? 何かあったら先生に言ってね?」


「勿論です。頼ることが出来たらご相談させていただきます」


「待ってるねっ! 先生もエマさんに頼っちゃうっ!」

 

 思考を切り替えたエリーザは今度はエマの手を握る。

 天然である。

 なんなら頭のネジが無いとも言う。

 

「それでは挨拶も終わりましたし、クラスにリドを連れて行っても?」

 

「あ、それは待ってっ! 実は理事長さんに呼ばれているの。リドくんが来たら理事長室に連れてきて~ってっ!」


 立ち去ろうとしたオレ達を引き止める様に、エリーザは胸の前で握った手をぶんぶんっと振る。

 

「ロベールが……?」

 

 エリーザの言葉に不審そうな顔を浮かべるオレ。

 昨日といい、ロベールがオレを呼ぶ時など何か裏があるとしか思えない。

 実に面倒だ。

 

「ロベルト様に呼ばれているんだ。行かないわけにはいくまい」

 

「気は進まんが仕方ねぇ。さっさと済ませよう」

 

 職員室の出入り口で一度頭を下げたエマの後を追って、オレは理事長日へと向かう。

 

「終わったらまた来てねっ! 教室に案内するからっ!」


 職員室の入り口から顔を覗かせたエリーザが手を大きく振りながらそう言ってきたので、後ろ手に軽く手を上げる。

 エマは振り返って軽く頭を下げた。

 

「はい。ではまた後程。失礼いたします」

 

 ご丁寧に挨拶をしているエマを放置して、オレは一人で理事長室へと歩き出す。

 

「では行くか……え? おい、リド! どこだ!」


 角を曲がったところで、廊下からエマのそんな声が聞こえた気がしたが、さっさと終わらせたいのでスルーして理事長室に向った。

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