第26話

 朝日が昇ってしばらくした頃、オレは肩を揺らされることで眠りから覚醒する。

 

 相変わらず気配のないやつだと思いながら視線を向けると、同じく相変わらず何を考えているのかわからない女の顔を視界にとらえた。

 

 日が昇る少し前。

 オレが部屋に戻ってから時間も経たないうちにベッドから起きたヨルは、オレを起こさないように普段よりも更に足音を消して、備品室にストックしてある緊急用のメイド服を取りに行っていた。

 そのため、今は綺麗なメイド服を身につけている。

 

 朝の業務である洗濯を終えて、食事前の休憩時間に抜けてきたようだった。


「……なんだ?」

 

 ソファーで横になっていたオレは、心底体が重いのを隠すことなく、気だるげに声を上げる。

 だが、ヨルは何かを答える前に掛け布団を引っ剥がしてきた。

 

「リドいつまで寝てるか。今日はアンリ陛下達が帰ってくる日。早く起きて準備する」


 あれだけ寝起きはフラフラしていたというのに、仕事をして意識が覚醒している今のヨルは元気いっぱいという感じだ。


 反対にオレはヨルが起きる数分前に自室に帰ってきたので、まだ寝てすぐと言ってもいいくらいだ。

 普通に眠い。

 

「昨日遅かったんだ。オレの代わりにアリシアに『ふはははっよくぞここまでたどり着いたな皇女よ』って言っといてくれ」

 

「どこの魔王か。皇城の持ち主にそんなこと言えない。どうせ昨日は読書でもしてただけ。早く起きる」

 

「……ぐぅ……」

 

「寝ない、起きる。というか、リドなんか臭い。獣臭い。昨日良いことしてたか?」

 

 くんくんと鼻を近づけながら匂いを嗅いでいる。

 こういうところだけ勘のいいヤツ。

 

「ま、まさか……世界で一番可愛いヨルちゃんの寝顔を見てあんなことやそんなことを……?」

 

 いまだに匂いを嗅いでくるヨルの鼻をオレはつまんで引っ張った。

 

「いはいっいはいっ」

 

 鼻声でそう言いながらオレの腕をペシペシと叩いてくるヨル。

 

「オマエみたいなロリボディに発情するかよ」

 

「失敬な。私は多分将来バインバインのボインボインのドッスンドッスンになる。リドが泣いて懇願するくらいになる。手を出すなら今がお買い得」

 

「そりゃすご……なんか最後変なの混じっていたが気のせいか?」

 

「気のせい。悩殺するって感じ」

 

「圧殺の間違いだろ。とりあえず、あともう少し寝る」

 

「もう、仕方ない。またご飯食べ終わったら起こしに来る。起きたらシャワー浴びて。アンリ陛下達お出迎えするから付き合って」

 

「あいあい」


 しばらく眠った後、アリシア達が乗った馬車が正門に着いたらしく、フライパンとお玉を持ったヨルに叩き起こされた。

 

 頭にたんこぶを作りながらも意識が覚醒していないオレの代わりに着替えを持ったヨルが、オレを押すようにして浴場へ連れていく。

 昨日の夜と立場が真逆だった。

 なんとかシャワーを浴びて着替えを済ませたオレはそこでやっと意識が覚醒するのを感じた。


 風呂上がりそのままの足であくびを噛み殺しながら、城の前で待機するオレ、ヨル、合流したカーラの三人。

 カーラは昨日あんなことがあったにも関わらず、少しだけクマの出来た目元を化粧で隠しながら真面目に仕事をしている。


 正門から城門まで多少の距離がある為、アリシア達の馬車は見えない。

 朝の活気が昼の喧騒に移り変わる隙間の時間。

 街並みを見て時間を潰していると、ヨルがオレの耳に顔を寄せた。

 

「そういえば、昨日夜に変態が出たらしい。メイド長が襲われた。リド知ってるか?」


 気を遣っているのか、カーラに聞こえないようにそう言ったヨルに視線を向けて、とぼけた顔を作る。


「ほう、そりゃ大変だ。カーラは何をされたんだ?」


「なんでも、変態が備品室でパンティーを漁っている現場を最終確認に来たメイド長が目撃して、動揺した変態がメイド長を床に押し倒されて気絶させて逃げたらしい」


「ほう、とんでもない奴もいたもんだ。そいつのあだ名はパンティー紳士だな」


 オレだが。


「パンティー紳士はパンティー以外に興味がなかったらしくて、メイド長を気絶させた後、何もせずに帰ったらしい」


「スマートなパンティー紳士だな」


 オレがスマートパンティー紳士だが。


「リドはメイド長と仲がいい。可哀想だから慰めてあげてほしい」


 気丈に振る舞うカーラに視線を向けたヨルは、オレとカーラが仲が良いことを知っている為、そんなことを言ってくる。


 先ほどから無言で死んだ目を街中に向けているカーラを見て、確かにフォローは必要かと感じて近寄る。


 オレが横に立ってもカーラは視線を動かさない。


「よう、カーラ。昨日は大変だったらしいな」


「あ、リド様……おはようございます……お見送りお疲れ様です……」


 本当に今気がついたような感じで、ふわふわとしながら返事をしてくるカーラ。


「酷いクマが出来ているが、大丈夫か?」


「えぇ、どこかの誰かがパンティーを選定している現場を見てしまいまして、気を失ってしまいました」


「ほう、それは酷い変態もいたものだ」


「ええ、もう。本当に……見間違いだったと信じたい所です」


「あ、あぁ。全くだな」


 あ、これバレてるわ。


 だってさっきからすごいジト目を向けてきているんですもの。

 カーラの圧を感じながら、オレはヨルの元に引き返すことを決める。

 カーラに背を向けた時、ぼそりと、


「今度何かあった時は、あんなことしないで相談してください」


 そんなことがカーラの声で聞こえた気がして、軽く手をあげて応えた。


「大丈夫そうだったか」


「どうやらパンティーを盗まれたのに、自分に何もされなかったのが女として堪えているみたいだ。その話は出さないでやってくれ」


「確かに。私でもそう思う。お泊まりしても何もしてこなかった朝は凹む」


「だろうな……ん?」


「なに?」


「……いや、確かに部屋に泊まっても手を出されなかったってのは女としての恥だわな」


 少しだけ棘のある表現が引っかかったが、気にしないことにした。

 軽く足をヨルに蹴られた時、アリシア達が乗った馬車が遠くに見えてきた。

 

 こちらに気がついた様子で、アリシアは窓から身を乗り出して「リド様ー!」と手を振っている。

 エマが慌てて「危険です、アンリ様!」と身体に抱きついて抑えていた。

 街中の注目を見事に集めていた。

 

 どうやら向こうも変わりないようだ。

 

 アリシアが到着するやいなや、執事がアリシアに駆け寄って何かを耳打ちしていた。

 どうやら3人のメイドが何も言わずに退職したようだった。

 原因はわからないが、突然手紙だけ部屋に置いて消えていたらしい。

 

「……リド、何かしたか?」


 ヨルもその件は初耳だったらしく、自分への嫌がらせの主犯達だと気がついてこちらへ視線を向けてくる。

 カーラは知っていたようで、沈んだ顔をしていた。

 

「何かってなんだ?」

 

「……なんでもない。知らないならいい」


 オレの態度である程度察したのか、ヨルはそれ以上何かを言ってくることはなかった。

 先ほどよりも少しだけ距離の近くなったヨルを見て、オレは鼻で笑う。


「ありがとう」


 オレに聞こえるか聞こえないかの小さな声で、ヨルがそんなことを言った。

 初めてコイツから礼を言われた。悪い気分ではない。


 少し照れて、オレは返事をせずに空を見る。


 今日の日差しはかなり強く、春の訪れを想起させた。

 春といえば、色んな出会いが始まる季節であると聞く。

 オレの皇城生活ももう終わりに差し掛かり、春からは学園へと行くことになっている。

 

 少しだけ楽しみだった。


 執事との話し合いが終わったのか、アリシアはニコニコしてこちらに駆け寄ってくる。

 まるで小型犬のように走るアリシアの姿に少しだけ癒された。

 

「リド様、私がいない間に何かありましたか?」

 

「いやなんもなかったぜ。平和すぎるくらい平和だった。人死もなかったしな」

 

「そうですか。でしたらよかったです。わたくしは面白い話が出来ました。聞いてください、学園でエマが……」


「あ、アンリ様っ! それは内緒にして頂ける約束では……っ!?」


 そんな騒がしい二人を連れてオレ達は皇城へと引き返す。

 その後ろをカーラとヨルが付いてくるが、何も話さない。


 そもそもとして、オレとメイド達では立場が違う。

 客人とメイドなんて、本来は然程関わるものではない。

 ヨルもそれを理解しているのか、何度かこちらから視線を向けても、何も言ってこなかった。

 

 

 城のエントランスでメイド達と別れた後、公務を行うために自室へ向かうアリシアとエマを部屋まで送る。

 そのまま部屋の中でここ1週間の話を聞いた後、自室へとオレは向かっていた。

 

 そんな時、前方に憎たらしくも見慣れた女の姿を発見して近寄った。


「今日はサボらなくてもいいのか?」


「何を言うか。私は真面目で可愛くて気の回る大人気のメイドさんです。サボる時間なんてないない」


「そうか。これからこの前買ったクッキー食おうと思ってたが、サボる時間がないヨルに変わって全部食っとく」


「あ、今暇になりました。そこまで言うなら付き合ってあげましょう」


「仕事は?」


「仕事なんてないない」


 楽しみなのを体で表すように、スキップするヨルを横目で見る。


 今回の件で首謀者の3人は消えた。

 これからは多少なりヨルが過ごしやすい職場になるだろう。

 下民出身というだけで見下してくる奴は今後もいるだろうが、そんなのは皇城で立派に働いている今のヨルには関係のないことだ。

 

 余計なお世話になってしまったかもしれないが、オレが見ていられるうちにこの憎たらしいメイドの笑顔が守れただけ、よかったとしよう。


 今回は、そんな話。

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