第23話
夕飯のステーキは非常に美味だった。
あの後自室に戻って部屋着に着替えたオレは、まだ人の少ない食堂で今日買い出しに行った肉を頬張った。
溶けるほどに柔らかい肉の旨み。噛むたびに無限に溢れ出てくる甘い肉汁を存分に感じて、天に昇るような気分だった。
思わず目を瞑って天井を見上げるくらいには満足出来た。
満たされた腹をさすりながら、ヨルの挨拶に片手を上げて応えたオレは、階段を登って自室へと向かう。
以前の失敗を踏まえ、用意されていた着替えを持ったオレはすぐに自室を出て浴場へと向かった。
今日も今日とてあまり人はいない。
まだ仕事が残っている者達が大半なのだろう。
学者達はまだ研究をしている時間だし、偉そうなおっさん達は会議をしているところだろう。
騎士は門番や帝都の見回りがあるらしい。
だからか、この時間に湯船に浸かっているのはせいぜい無職のオレくらいなものだろう。
二刻ほど後くらいに浴場はゴールデンタイムを迎える。この2週間で分かった研究成果だ。
風呂というのは一番風呂が一番気持ちいいということに気がついたオレは天才かもしれない。
すっかり慣れた気持ちのいい風呂を泳ぐようにして満喫していたら、この時間に珍しく浴室の扉が開くのがわかった。
視線を向ければ、以前ヨルに頭突きを喰らっていた若い騎士がいた。
「ん? 先客か」
言いながら騎士はシャワーで体の汚れを落としてから湯船に浸かる。
特に会話することもないが、オレは泳ぐのをやめて普通に浸かることにした。
しばらく静かにお湯に浸かって風呂を満喫する。
もうそろそろ出るかと思った頃、意外にも若い騎士が話しかけてきた。
「君は、アンリ陛下の客人だったな。あのメイドと仲がいいと聞くが、よくマトモに付き合えるものだ」
こちらに視線を向けず、目を瞑ったままそう言う男。
「あ? あのメイドってどのメイドだよ。【アノメイド】なんて名前のヤツいたか?」
「【アノメイド】ではなく、【ヨル】とかいうメイドの女だ。あの女は汚れていると別のメイドから聞いた。オマエも城に仕えるものなら、関わり方を考えた方がいい」
多分本人に悪気は一切ないのだろう。純粋に善意でそんな忠告をしてきていることは伝わってくる。
だが、何故かはわからないが、妙に頭に来ていた。
「汚れてるってどういうところがだ?」
「下民上がりらしく、戸籍もなかったと聞く。故に穢れた女だと言っているだけだ。不快にさせる気はないが、変な病気を持っているかもしれん。気をつけろ」
コイツはロベルトとの死闘の時、その場に居なかった騎士なのか、オレも下民出身とは知らないようだった。
この騎士は、貴族出身の中でもかなりの穏健派だとは思う。
よく知りもしないオレに対して気を遣いながら話をしている。
普通の貴族からしたら下民の存在などこの程度の認識だ。地位が違えば、まるで同じ人間ではないように扱う。
国に多大な貢献をして、国の運営を支える貴族。
国に税を納め、国で働く平民。
国に税を納めることもなく、勝手に居着く下民。
手を出さない、イタズラに命を奪わないだけ貴族として人が出来ている方だ。
だが、やはりオレは頭にきていた。
苛立ちを表に出さないようにして立ち上がって、湯船から出る。
「別によ、アンタの意見とか、後ろ暗いウワサとかに一切興味はねぇけど、アイツのツレとして一つだけ言わせろ」
脱衣所への扉を開きながら、オレは背後で入浴している騎士に言う。
「アイツの手には華奢で優しい女の温もりがある。アイツの心は人の為に頑張れる強い人間のソレだ。しっかり向き合ってみないと、どこが汚れてるかなんてわかんねぇよ」
騎士が威圧するように胡乱な眼差しを向けてくるのがわかる。
だがそんな小動物のような威圧でオレの言葉を止めることはできない。
「もしアイツ程度で汚れてるって言うんならよ。このオレは真っ黒さ。一緒に湯船に浸かっちまった今のアンタの方が、アイツより余程汚れてんじゃねぇか?」
そのまま「しっかり体洗った方がいいぜ」と言ってからオレは扉を閉めた。
そのまま着替えて自室へと向かう。
たまたま廊下を移動しているヨルの姿が見えたので、後ろから気配を消して近寄った後、話しかけた。
「よう、随分と嬉しそうだな。なんか良いことでもあったのか?」
背後から気配もなく話しかけられたにも関わらず、ヨルは気が付いていたというように驚く様子もなくこちらを振り返った。
「誰かと思えば……客人の【レジェンド汚物】さんじゃないですか。お城を汚すお仕事、お疲れ様です」
ヨルは浴室に常備するタオルを補充する時に使うカゴの様な物を手に持っていた。
中身が入ってないので、恐らく補充した後だろう。
どうやら絶賛仕事中のようだ。
「よく見ろ、風呂上がりの今のオレは清潔だ」
「今着てるその服、この前、私がヨダレ拭いたヤツ」
「きったね! ふざけんなよオマエ!」
思わず上着を脱いで下に叩きつける。
「ふっふっふっ。嘘です」
「分かりにくいボケかましやがって」
ヨルなら普通にやりかねん。
目的地が同じフロアということもあって、オレの自室へ向けて一緒に歩く。
その間もいつも通りのじゃれ合いをして、自室前で別れた。
部屋に戻って読書でもしようかと思ったが、連日読書のしすぎで眼の疲れが溜まっていたのか、かなり早い時間で就寝しようと決めた。
ベッドに横たわったオレは、ランタンの光をつけたまま目を閉じて微睡みに身を任せた。
夜も半ば、深夜より少し前。オレは自室の扉が開く音で意識を覚醒させる。
努めて静かに開けた様子だったが、流石に幼い頃からの癖でどんな小さな音で目が覚める。
「……リド、起きてたか」
「あ? ヨル? 何しに来たこんな時間に」
外を見ると月がもうすぐテッペンに登ると言った様子だった。
街中の様子を確認すれば、色街通りの方だけ光が付いてるのが見える。
こんな時間にヨルが来たことはない。
しかも、未だメイド服を着ている。
(こんな時間まで働いていたのか?)
などと思ったが、どうにも違うようだった。
ヨルの沈んだ顔を見て、色々察する。
「……何があった?」
「部屋が、荒らされてて、寝れないから泊めて」
「荒らされてた?」
「その、なんか、あの、とにかく色々ベッドとか、床が汚れてて、寝れない」
言いにくそうにしながらも、ゆっくりとそう口にしたヨルの肩は震えている。
その様子から相当酷い有様だろうことは容易に想像できた。
今まではそこまでされたことはなかったのだろう。
「寝るのはいいが、とりあえずオマエの部屋に案内しろ」
オレはベッドから降りて、一度首を回して覚醒した後、ヨルを伴って自室に案内するように伝えた。
一度、コクリと頷いたヨルは、先導するように部屋の外に出ていく。オレもその後を追った。
メイドが寝泊まりしているのは4Fらしく、オレが暮らしている部屋の一つ下の階層だった。
階段を降りて廊下をしばらく歩いた後、ヨルの部屋だという扉の前にたどり着く。
外の扉は流石に汚れている痕跡はない。
ランタンを持っているヨルは、少しだけ開けるか迷ったような仕草を見せたが、促すように目を見つめるとゆっくりと扉を開けた。
慣れ親しんだ部屋が他人に汚された光景を見るのが嫌なのか、入り口で固まってるヨルの肩を叩く。
「オマエはここで待ってろ」
「う、うん」
ヨルからランタンを借りて、部屋の中に侵入する。
まず最初に鼻についたのは、何かが腐ったような匂い。
ランタンで辺りを灯せば、その正体はすぐにわかった。
床には何かの血のようなものが撒かれている。
一度それを触って匂いを嗅げば、正体は豚の血か何かだろうと判断はついた。
魔術的な儀式で使用した可能性もあるが、わざわざヨルの部屋でやる必要性を感じないし、規則的に撒かれているような印象は感じない。
そして次はベッドだ。
刃物によってズタズタに切り裂かれており、何かのアンモニアくさい臭いが漂ってくる。
ナニの臭いとは言わないが、恐らく人のものだ。
なるほど、これは確かに寝れるような状態ではない。
むしろこんなところで寝たら変な病気になるだろう。
ある程度観察したところで、痕跡を調べようかと思ったが、明日も朝から仕事であろうヨルを早めに寝かせる必要があると考えて外に出た。
「仕方ねぇから泊めてやる」
「うむり、世話になる」
メンタル的に相当キているだろうヨルだが、努めて元気な声を出して少しだけ笑みを浮かべていた。
その様子を見て、オレは胸に黒いモヤが降りるのを感じた。
自室に案内して、散々この部屋に来ているくせに所在なさげにしているヨルへ、オレの寝巻きを用意する。
「とりあえず風呂に入れ。浴場に行くぞ」
「まさか私のグラマラスぼでーを覗いて良いことする気か? それとも湯上がりで熱を帯びた私の柔肌を蹂躙する気か?」
身を隠すようにして身体を抱くヨル。
「オマエのガキくさい貧相な体に全く興味はない」
「失礼な、どこを見てそう判断する。人を見た目と中身だけで判断しない」
「それ以外のどこで判断しろってんだ」
もういい、いくぞ。とばかりにヨルの腕を引っ張って浴室まで連れていく。
今の時間は浴室の清掃が終わり、丁度湯の張り直しが終わっている時間だ。
源泉掛け流しの温泉を使っている為、管理しているヤツももう居ない。
その為、こんな時間に風呂を使う人間など居ない。
実は初めて風呂に浸かってから、すっかり風呂好きになったオレが発見した穴場だったりする。
誰も来ず、清掃したばかりの綺麗な湯船には薔薇のような花弁が撒かれており、いい匂いのするお湯が溜まっていた。まさにベスト入浴タイムだ。
着替えを押し付けるようにヨルに渡して脱衣所にぶち込む。
見張りをするように脱衣所の前に背中を向けて腰を下ろしたオレを見て、ヨルは一度戸惑ったように視線を向けたが、いそいそとメイド服を脱いで浸かりに行った。
「あっつ! ……ふぅ。きもちー」
などと聞こえてくる。
それはそうだろう。このオレがおすすめするベスト入浴タイムなのだから当然だ。
それからしばらくしてほくほく顔でオレの寝巻きを着たヨルが脱衣所から出てきた。
全身からは石鹸が混じった女のいい匂いが漂ってくる。
「覗いた?」
「仮に覗いたとしたら、オマエはどうする?」
「脳殺する」
「ん? ニュアンス違くないか?」
「悩殺ポーズで脳を殺る」
「残念だったな。オマエにオレの脳を壊すほどの色気はない」
むきー! と怒りを表すようにゲシゲシ蹴ってくるヨルを連れて、自室に戻る。
とりあえず寝る前に紅茶をヨルに作ってもらい、ヨルはベッドで、オレはソファーに座って話していた。
今ちょうど月がてっぺんに上がった頃だろう。
これから月が落ちて、次第に太陽が顔を出す。
まさしく深夜。
少しずつ眠くなってきたのか、ヨルはうとうとしながらも話し始める。
「ちょっと前まで、部屋に何かされることはなかった。でも最近部屋の鍵を壊されたりして、入れない時はあったけど」
仕事中は部屋に鍵をかけているらしいヨルは、自室への被害だけはなんとか抑えていたらしい。
部屋の鍵が壊されている時は、上の空き部屋から侵入するようにして入っていたそうだ。
前にオレの部屋の窓枠から覗いていた時があったが、あれは日々のイジメで追い込まれた末に身につけた技術だったのだろう。
気配を消すこともそう。
ヨルが本気で気配を消して目立たないようにすれば、ヨルを発見することが困難になる。直接的なことは避けられる。
まぁ元から影が薄いのは確からしいが。それはスラム育ちで培ったものだろう。
何を考えているか分からない表情も、自分の考えや嫌なものを悟られない為の工夫だ。
「まだ、誰がやってるのかは話す気はないのか?」
少なからずヨルが傷つけられて苛立っているオレは、極めて落ち着いた声音を出してそう問うが、やはりヨルは首を振った。
「リドはそれを知ったら、絶対に何かする。だから教えるわけにはいかない」
部屋を荒らされた今であっても、ヨルは相手を憎む感情を持たないらしい。
これが普通の人間なら、殺してやりたいほど憎らしいだろうに。
「ならよ、オレが何かをしなくても、いじめが無くなったらオマエは嬉しいか?」
「それは……多分嬉しい」
「そうか」
紅茶を一口飲んで、オレはソファーに横たわる。
そんなオレを見て、ヨルも安心したように微睡に身を任せた。
「……リドがいて、よかった」
呟くようにヨルはそんなことを口にした。
まだ起きてるのかと思って視線を向けたが、眠りに落ちる寸前で意識が朦朧としているのか、無意識に呟いているようだった。
「……なぜかわからないけど、リドの近くは、安心、する……」
最後にそう言って寝息を立て始める。
「ったく、余計なこと言いやがって」
すやすやと親の横で安心して眠る子供のような寝息を聞いて、オレは身体を起こす。
当分ヨルが起きてくることはないだろう。
気配を完全に断ち切って、自室の扉を音もなく開く。
足音を一切立てないようにして廊下を進み、4Fのヨルの部屋へと向かった。
扉の前に立ち、先ほどヨルが部屋の鍵をロックしていたのを思い出す。
上の階層に戻って窓伝いに侵入することもできるが、いちいち戻るのも面倒だ。
「仕方ねぇ、やるか」
一言そう呟いてから近くにあった生花が入った瓶を一つ取る。
花の根本を刺すことで、動かないように固定する針金を二つへし折って手にしたオレは、ヨルの部屋の鍵をピッキングで解除しようと試みる。
スラムにいた頃から、ピッキングは得意だった。
時間にして3秒。
ロックを解除したオレは、そのまま部屋の中に侵入した。
腐った血の匂いが漂う部屋の中で痕跡を探る。
人というのはそこに存在しただけで何かしらの痕跡を残すものだ。
足跡、匂い、指紋、そして髪の毛。
「あったあった」
明らかにヨルのものだとは思えない黒色の長い髪の毛を一本見つける。
それを無くさないように椅子の上にでも置こうとして、そこにも痕跡を発見した。
「これは……ボタンか? 間抜けだな」
恐らく下の豚の血の痕跡を見るに、ぶちまける時に服に血が少し掛かったのか慌てて上着でも脱いだのだろう。
乱雑に脱いだその衣服から、ボタンが落ちたのに気が付かず、そのまま放置したのだ。
そして、次は足跡を発見する。
血を踏んだ後、カーペットの上を歩いたこの靴の持ち主は、靴跡ぐらいバレないと思い込んだのか、そのまま放置したようだ。
「やれやれ、こんな間抜け共にヨルはいじめられてんのか」
思わずため息が出る。
その跡だけで十分特定することは可能なのだ。
踵の一部が擦れていて、靴跡はしっかりとした形にはなっていなかった。
恐らく歩く時に踵を擦って歩く癖のあるメイド。知っている限りその癖があるのは一人しかいない。
食堂で挨拶をしてきた女の中から、特徴に一致する女を思い出して、断定する。
他に痕跡を探したが、その3人くらいしか出てこなかった。
「さて、今夜中にケリつけるか……」
リドは底冷えするような薄い笑みをこぼしながら、その眼を獣のように細めた。
特区の悪童の顔つきを浮かべたリドは、静かに部屋を後にした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます