第20話

 腹をさすりながら階段を降りていたオレは、食堂へと向かっていた。

 1Fまで降りて廊下に出たところで、遠くに食堂の入り口が見えてくる。

 

 住居のフロアが5Fにあり、食堂は1Fにあるので、多少なり移動するのが億劫ではあるが、ここ数日で贅沢を覚えた胃の悲鳴には逆らえず、足は自然と食堂へ向いていた。


 部屋で食べることも出来るらしいが、時間も余っており、なにより足が動くのであればわざわざ頼むことでもない。


 今朝はアリシアやエマなど、皇帝の関係者が使っている食堂の方で朝食を取ったが、平日は城で働いている奴らが使う一般食堂にオレの飯が用意されているという。

 

 アリシアが使っている食堂の設備と一般食堂に大した違いはない。せいぜい広さくらいなものだ。

 前者は最大10人くらいで食事を取ることを考えられた大きさだが、一般食堂は会食場のような広さだった。


 使用人への扶養の一環なのだろうが、むしろこちらの方が豪華といってもいいレベルだった。


 食堂の入り口には城に仕えているメイドと執事が並んでおり、これから食事を始める騎士や官僚などの国の中核らしき人物達に挨拶をしていた。


 誰かが目の前を通るたびに頭を下げている。

 

 大変な仕事だな。

 

 皇城で働く人間は100人を超えるだろう。

 その一人一人に頭を下げ続ける。それも一日三回。オレなら鼻血を出すだろうな。


 だが、これから食事を取るのは、恐らく国の中でも相当に偉い立場の者たちだ。

 お出迎えとお見送りをするのは当然と言えば当然だった。


 並んだ使用人達の中にはヨルの姿もあった。

 真面目なメイドといった様子で頭を下げている。


「お疲れ様です」

 

 食事を終えて食堂から退出するヤツにも頭を下げていた。


「お疲れ様です。いってらっしゃいませ。いってらっしゃいませ。お疲れ様です」


 一定のトーンで、不快感を感じさせないように気を配っているような声音をヨルは吐き続けている。

 基本的にメイドは全員が食べ終わったら食事を摂ることになっているらしい。

 良い匂いのする食堂の入り口で空腹を我慢しながら頭を下げ続けるのは、かなりの苦行のように思う。


(ま、オレのことじゃないしどうでも良いが)


 食堂へと足を進めたオレは、同じく食堂へ向かう若い真面目そうな騎士の後ろを追うようにして入り口へと近づく。


「お疲れ様でっ……あっ、申し訳ありませんっ」


 ちょうどもうそろそろヨルの前か、どんなボケをかましてくるのか楽しみだ。なんて思っていた時、オレの前を歩いていた騎士に頭を下げたヨルは、勢い余って腕に頭を当ててしまっていた。

 いや、正確には合っていた位置がズレていたので、躓いたか誰かに押されたように思える。

 

 完全に意識の埒外にいる空気のような存在のヨルが頭をぶつけてきて、少し苛立った様子の騎士。

 ヨルは申し訳なさそうに頭を下げ続けていた。


「おい、そこのメイド。汚らしい体で私に触るな。服が汚れるだろう」

 

「申し訳ありません」


 頭を一度も上げることなく、聞き取りやすい声音と滑舌で謝罪を口にしたヨルをそれ以上責めることはなく、騎士はそのまま食堂の中へと入っていった。

 その騎士が見えなくなるまで頭を下げ続けているヨル。

 メイド達の中から微かに馬鹿にしたような鼻につく笑い声が聞こえた気がした。


「はっ、怒られてやんの」


 オレの声に弾かれたように頭を上げたヨルは、相変わらず表情の読めない顔をしていた。

 だが、知り合いの姿を見て安心したのか、少しだけ震えていた肩が落ち着きを取り戻していた。

 ニヤっとムカつくいつもの顔を浮かべるヨル。

 そのまま頭をオレの腕にわざとぶつけてきた。


「いてっ、オマエ。ふざけんなよ」


「おつかれさまです」


 オレの反応を楽しむように、もう一度ニヤニヤした後、真面目な顔に戻った。

 再度仕事モードに切り替えたヨルは、オレの後ろに迫っていた奴に「お疲れ様です」と頭を下げている。

 これ以上仕事の邪魔をしてはアレかと思い、オレも食堂の中へ入って飯を食う。


 背後から他のメイドが小さく舌打ちするような音が聞こえた気がして、少しだけ引っかかった。



  

 昼食を取った後、外の風にでも当たって小休止をしようと考えたオレは中庭へ向かった。

 屋根があるベンチに座って雪が降り積もるのを眺めていた。

 晩冬とはいえまだまだ身を刺すような寒さだ。冷えた空気はしんしんと雪は作り続けている。


 ここからは食堂の中の様子が見えるが、今は全員食べ終わってメイド達がトレイを手にして食事を取るところだった。

 メイドの知り合いはアリシアの専属メイドのカーラか、オレの専属メイドの生意気小娘くらいしかいない。

 その姿を探すように見ていたが、二人の姿は見当たらない。

 後で摂るのだろうか。


 その後も特に何をするでもなくただ雪を見ていたオレは、カーラに読み終わった本を返してから新しいモノを借りようと一度自室に戻る。

 

 本を取って自室を後にしようとしたが、扉がノックされる音を聞いて「誰だ?」と声をかけた。

 

「失礼いたします。リド様のペースだと今朝の本はもう読み終わっている頃かと思いまして、新しい本を持ってまいりました」

 

 ゆっくり部屋に入ってきたのはカーラだった。一度頭を下げた後、そう言って新しい本を差し出してくる。

 以前の【メイドスカートぽろり事件】があってから何かと気にかけてくれるカーラだったが、実は相当な読書家だと知った。

 オレも本が好きだと打ち明けてから互いに意気投合し、今では名前呼びを許している。

 そのため、互いに皇城で唯一といえる読書仲間となっていた。

 

「気が利くな。丁度行こうと思っていたところだ」

 

 朝食の時はアリシア達の食堂の前で挨拶をしていたのでその時に本を借りたのだが、昼食の時は使用人達の中にカーラの姿がなかった。

 今日は午後休か何かかとあまりに気にしてはいなかったが、どうやらアリシアの妹と食事をとっていたようだった。

 

 聞くところによれば、アリシアの妹とカーラは本当の姉妹のように仲が良いようだ。

 

 アリシアがいる時はアリシアと、アリシアがいない時はカーラと食事を一緒にしないと、アリシア妹は食事に手をつけないという。

 その為、今日はアリシア妹と自室で食事を食べていたのだと言っていた。

 

「カーラ、オマエ今忙しいか?」

 

「いえ、これから一刻ほどは余裕があります。どうなさいましたか?」

 

「暇なら少し話そうぜ」

 

「喜んでお受けいたします。本の感想も聞きたいです」

 

 することのない暇な身のオレに付き合ってくれたカーラを自室に招いて、紅茶を飲みながら本の感想を交換し合う。

 

「あそこでライバルが出てくるのが憎いよな。しかも最後は仲間になって戦うところが……」

 

「えぇ、私も涙なしには見られませんでした。リド様ならわかってくださると……」


 カーラの入れた美味い紅茶を飲みながら、読書仲間と話し合う冬の昼。

 非常に有意義だ。

 そんなことを思いつつ次の本を手に取って開こうとした時、オレの自室の扉が開いた。

 

「リド、邪魔しにきた」

 

「おう。帰れ」

 

 案の定ヨルだった為、即答するようにそんなことを返したが、カーラは驚いて固まっている。

 

「ヨル? なんでリド様のお部屋に? 今は食事の時間でしょう?」

 

「カーラメイド長……お疲れ様です。先ほど食事を頂いたので、エディッサ様の布団の交換に来ました」

 

 カーラの姿を捉えて一瞬で仕事モードに切り替えたヨルは、頭を下げてからそんなことを言い、布団を回収していく。

 

 おそらくただサボりに来ただけだと思うが、こういうところは上手いやつだ。

 

 真面目なヨルの姿を見て「そうなの……無理をしすぎないで休む時は休むのですよ」とヨルを心配そうに労うカーラ。

 

 しかしもう食事を食べたと言っていたが、少なくともオレが中庭に居た時には姿が見えなかった。たまたま死角で食べていたのだろうか。

 

「では私は失礼致します。お二人のお時間を邪魔して申し訳ありませんでした。ここのお部屋は音が響きにくいので、ごゆっくりと」

 

 新しい布団を使ったベッドメイキングを一瞬で終わらせ、古い布団を抱えたまま部屋の前で頭を下げたヨルはそのまま扉を閉めて去っていった。

 

「……お二人の時間なんて、そんな」

 

 ぽっと頬を朱に染めるカーラを見て、これは後が怖いなと思う。

 十中八九、後でヨルが何か悪戯をしてきそうな予感がした。

 

「サボりたかったのに、女連れ込んでて出来なかった。全部リドが悪い」などと言ってウザ絡みしてくる様子が容易に想像できる。

 

「あ、わ、私もお仕事がありますので、今日はこの辺で失礼いたします」

 

 ヨルの言葉を間に受けたのか、カーラはチラチラとこちらに視線を向けながら両頬を抑えて帰っていった。

 まぁいいか。話も一区切りして次の本を読もうかと思っていた所だしな。


 

 カーラの退出からしばらくして、窓を開けっぱなしにしていたオレは、外の冷たい空気と室内の暖房の暖かさ両方味わうというこの世で考えうる限り最大の贅沢をしながら読書をしていた。

 

 そんな時、本に差した何かの影が不規則に動いている事に気がつく。だが人の気配は感じない。

 もうオレには流石にわかる。あぁヨルだな。と。


「私のサボりを見せつけるつもりだったようだけど、残念。リドの策略くらい乗り越えるヨルちゃん。かっくいい」

 

「危ないから窓から降りて部屋に入れ」

 

 窓枠に足を引っ掛かるようにして頭を下にしてぶら下がっているヨル。

 足を滑らせたら10mは落ちるだろうに、怖いもの知らずだな。

 

 普通はメイドのスカートが捲れてパンツ丸出しになるだろうに、器用にも足をくねらせるようにして布地を抑えることで逆チューリップを防いでいた。器用なやつめ。

 いつかスカートを捲り上げて頭の上で結んでやろうと考えて、視線を本に戻した。

 

「アンリ陛下、エマ様のみならずカーラメイド長まで籠絡するとは思わなかった」

 

「深読みしすぎだ。オレは誰も籠絡した覚えはない」

 

 窓枠を掴んで、身体を浮かせたヨルは音もなく自室へと侵入してくる。

 鈍臭そうな見た目なのに案外器用だなーと思う。

 

「それより料理長が今日のお夕飯何食べたいか聞いてた」

 

「イカリング」

 

「わかった。タコ焼きって伝えとく」

 

 わかったの意味知ってるのかコイツは。

 何が出てきても美味いのは間違いないが。

 ぶっちゃけ今朝読んだ本に出てきて知った料理なので、全く違うものが出てきてもわからないとは思うけどな。

 

 ここの料理長は天ぷらなどの揚げ物が特に上手で、大変美味だとアリシアとエマから聞いていた。

 オレが皇城で寝泊まりを初めてからまだそれらは出ていないので、少しだけ気になっているからこそイカリングが食べたい気分だった。

 

「見た目は似ているが、少し違う。それは耳がない方だ」

 

「イカに耳ない」

 

「いや、あるだろ、三角のやつが」

 

「イカの三角のやつは耳じゃなくて正確にはヒレ。アンリ陛下が言ってた」

 

「エンペラだけにエンペラー。なんつって」

 

「さむっ」

 

「ちょっとしたミステイクだったな」

 

 場を和まそうとしたが失敗したようだ。

 そんなオレをなぜか指差したヨルは言葉を溜めていた。

 どうせオレの存在自体がミステイクとか言うつもりだろう。分かっていれば別に大した精神的被害はない。

 

「ウスラトンカチ」

 

「おっと嬢ちゃん、ベッドの中で詳しく話そうや」

 

「す、すけべ」

 

 ヨルは心底見下すような顔で体を隠すようにして去っていった。

 ふと、扉に向けてダッシュしていくヨルの背中側の首筋に、何かアザのようなものが見えた気がした。

 

 服も少しだけ汚れているように見える。

 

 背中汚れてるぞーと教えてやろうかと思ったが、突風のような速度で逃げていったヨルへ伝えそびれた。

 

 まぁ良いか、どっかの掃除中に怪我でもしたんだろ。

 引っかかりはするが、気にしないことにした。

 

 ちなみに夕飯の中はイカリングと、何故かタコ焼きも入っていた。アイツが食べたかっただけじゃん。

 

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