第8話

「オレを殺せるヤツは存在しない、か……」

 

 その言葉を口にしたリドの口元には歪んだ笑みが浮かんでいた。

 月明かりの届かない闇の中にも関わらず、その目を爛々と輝かせながら。

 そして――

 

『契約の話だ。殺しも脅しも窃盗も、男の誘拐も受けるが、女の誘拐だけは引き受けない』

 

 ――あの言葉。


 リドが何を考えているのかコビデにはわからなかったが、悟ってしまった。

 あそこで言葉を間違えれば自分は確実に目の前の青年に抵抗も許されずに殺されるだろうと。

 

「我ながら、損な役回りだなぁ。アリシア様にもますます顔向け出来なくなっちまったし」

 

 リドから渡された手元の金貨を呆然と見ていたコビデは過去に思いを馳せる。

 スラムの怪物と始めて出会った頃のことを

 

「もう3年以上前になるか……」

 

 誰にともなくコビデは呟く。


 ――コビデはかつて皇帝側近の騎士だった。

 

 代々帝国に使える貴族の家系と剣術の才覚で召し上げられ、最年少で側近騎士になった神童。

 忠誠心が高く、周りよりも優れている自負とプライドを持っていた。

 

 将来は有望……のはずだった。


 ある日、地方貴族が城内で何者かに殺害された。コビデがストックとして持っていた短剣で殺されていたとの証言で、人殺しの罪を着せられ投獄された。

 

 目撃者が居なかった事件、そして自分の所有する得物で殺害されたことからコビデが捕まったのだ。

 

 冤罪だという弁解の声もほとんどの人には届かず、若い側近騎士の凶行として信頼も何もかもをなくした。

 

 コビデの直属の上司にも責任が及び、それが飛び火して不敬にも、皇帝陛下の心眼すらも疑う声が上がり始めた。

 

 仕えていた皇帝陛下への謝罪の手紙も、皇帝の元に届く前に破り捨てられた。


 獄中でひっそりと死んだように座り込み、ただ死刑の執行を待つだけのコビデだが、ある日、面会しにきてくれた騎士が居た。

 

 有名な騎士だった。

 

 この国では知らない人はいないほどの偉大な英雄。

 全ての民を守り、母国への忠誠心で勝てるものはおらず、戦闘すれば敵無しの騎士の理想。

 

 ここ数年、姿をくらましていたはずの騎士。

 

 コビデの士官学生時代の教官として面識のある人でもあった。

 

 その人はコビデの無罪を疑っていないようで犯人にも心当たりがあると語った。

 

 だが、それでも騎士という地位に返り咲くのは困難だろうとも。

 

 だから――


『オレがオマエを牢から出してやる。代わりにと言ってはあれだが、旧市街地にいる世間知らずの子供を導いてやってほしい』


 ――耳を疑った。

 旧市街地、浮浪者や大犯罪者が集まる危険区域。

 何度も騎士団を派遣しても皆殺しにされる、人間社会が作り出した魔窟。

 

 そこに居る子供を導くとはどういうことだ?

 そもそもそんな世界で生きているのか? 

 

 だが、その質問にその男は笑みを浮かべて言った。

 

『あの悪ガキが死ぬはずがない』

 

 確信した様子で話す男は実に楽しげだった。

 いや、正確には楽しいというよりは嬉しそうだった。

 

「その青年の名前は……?」

 

 コビデは自身を助け出してくれるという男に問いかける。

 騎士に戻れない。そしてこのままひっそりと死んでいくくらいなら、と思いながら。


『名前はリド・エディッサ。あの子はオレとアイシャの――』


 男の言うとおり牢獄から出されたコビデは今まで着たことのない、庶民の服を身に着けた。

 遊び人のような格好と、今まで使ったことのない口調と名前を口にした。

 

 そしてスラムの奥、返り血で真っ赤に染まっているリドを見つけて話しかけた。


「……なぁ、俺の仕事を請ける気はないか? 最低限飯を食って行けるだけの金はやるぜ?」


 まるで殺気を隠そうともせず、こっちを警戒している獰猛な獣のような青年はゆっくりコビデに振り返ると――。


「……女の誘拐だけはやらねぇ。もしそれを口にしたらオマエを殺してやる」


 ――悲しげな顔でそう言ったのだ。



 過去の記憶から戻り、改めて金貨を見る。

 

「……殺されなかったあたり、あいつにも人の情みたいなのが芽生えたのか? それとも、今日で死ぬ覚悟を固めてた俺を見抜いてやがったのかな」

 

 コビデは優しい目をして笑う。情報屋としてリドに仕事を与えていた友人としてではなく、家族の成長を喜ぶ兄貴のような顔で。


『生きて会おうぜ』


 その言葉が、任務が終わったコビデにとってどれだけ重い言葉なのか。どれほど優しい言葉なのか。

 何気なく口にする言葉が、どれだけ人の心を動かすのか。

 酒のせいもあって、コビデは一度だけ鼻を啜った。

 

 恐らく、もう普通に生きていたらリドに会うことはないのだろう。

 そう考えると、少しだけ寂しく感じるのは、相当入れ込んでしまった証拠だ。

 

 コビデは目の前の金貨を大事そうにポケットに入れる。

 代わりに、先ほどまで飲んでいた酒瓶を投げ捨てた。もう必要のないものだ。

 

「約束は果たしましたよ、エディッサさん。あんたの悪ガキは、立派な芯のある男になりましたよ」

 

 その呟きは夜風と共に空へと上がっていく。

 

「君の選んだ決断に、溢れるほどの幸福が在らんことを。達者でな、弟分リド

 

 リドとエマが消えていった方向を一度見てからコビデは暗闇の中へと消えていく。

 あとに残るものは何もない。ただ、静かで暗いスラムの路地に酒の匂いだけが強く残っていた。

 

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