第7話
道端に座り込む男たちはエマを見ると、目をぎらつかせながら下卑た笑みを浮かべて立ち上がろうとするが、背後にいるリドが目に入った瞬間、青い顔をして再度その場に腰を下ろす。
視線を合わせないように地面に視線を落とし、早く悪夢が去って欲しいとばかりに体を震わせていた。
「おいリド。この場所は危険と言っていたが、誰も襲ってこないではないか」
リドは周囲に吐き気を催すほどの殺気を放ちながら歩いているが、そんなことに気が付かないエマは疑うような視線を向けてくる。
のんきな奴だ。
リドが後ろにいなければとっくに攫われていたであろうことも知らずに。
しかしそんなことを言っても野暮というモノだろう。
守られている自覚を持てと言う気はないし、まして端から護る気はない。
リドの周囲に立っている以上、エマが死ぬことはまず無いからだ。
「……それより、飯が先だ。三日も何も食べてなくて流石にキツイ。捜すのも後回しだ」
「今、この瞬間にもアンリ様の身に危機が迫っているかもしれないのに、なにを悠長なッ!」
「うるせぇな。エマ、ずっと言いたかったが、声がでかいんだよ。大体ここに居るなんてまだ決まって……」
――そこまで言ったところで、前方に見慣れた人物を見つけた。
ぽつぽつと灯るランタンの下、酒樽に座りながら酒瓶を片手に空を見上げている男。
「ちょっと待ってろ」
エマにそう告げると、リドはその男――コビデに近寄っていく。
リドが声をかける前に、視線を空に向けたままコビデは独り言のように話しかけてきた。
「良い夜だな、リド。初めてお前を見たのもこんな雪の日だったな」
「雪見酒か? オマエにもまだそんな心が残ってたとは意外だ」
「まあな、お前さんもどうだ……って、なんだエライ美人連れてんな。貴族の娘さんかな? それも酷く焦ってるように見える」
コビデの目はエマを捉えて、敵意がないことを確認するとその心を見抜く。
相変わらず情報屋のくせに隙の無いヤツ。
しかしそんな彼も少し酔っているようで、口元はいつもよりも緩んでいた。
「情報がほしい」
酔っていようと関係ない。
酔いが覚めるまで待っている時間は恐らくない。
酒を受け取って一口だけ嗜んだリドは、胃に入ってくる熱を感じながら単刀直入にそう告げる。
「リドが情報求めるなんて珍しいな……素直に教えてやりたいが、俺は情報屋だ。客としてここに来たのなら対価は必要だぜ? 金はあるのか?」
「ある程度はな」
エマのほうを一度ちらりと見てからリドは頷く。
コビデはリドの動作で大方の事情は察したのか、リドが返した瓶を内ポケットに入れてから真面目な顔を作る。
「……それで、何が知りたいんだ?」
酔っていても一度仕事が絡むと冷静になるコビデ。
常人には中々できない芸当だろうが、この男は見た目に反して相当な修羅場を送ってきているような風格をもっている。スコッチ1本程度で思考が乱れるような男ではない。
「アンリという貴族の女に心当たりはないか?」
このスラムにその女が入っているのなら、この男が知らないわけがない。
外からの人間なら尚更だ。
「どこで知ったんだ? 前にお前にでかい仕事があるって言ったろ。あれが女攫いの仕事でな。その子の名前がアンリっていうんだ。リドには悪いと思ってるけどよ、その仕事はさっき無くなっちまったんだ」
コビデはなんてことないように【女攫い】という物騒な言葉を口にする。
「……そうか、そのアンリが今どこに居るか知ってるか?」
リドは内心の失望を押し隠して、無表情のまま詳しい情報を聞いた。
「それは、言えねぇ」
コビデは視線をわずかに右下に逸らした。嘘をつくときに出る彼の小さな癖だ。
「なんでだ?」
「殺されちまうからさ」
その言葉で全てを理解した。
アンリとか言う女はまず間違いなくここ、旧市街地に居る。
女が一人で夜にここへ来ること自体、自殺行為だ。
そして、結果的に自殺そのものになってしまった。
それももっとも最悪な人間――
「……アルバノか」
旧市街地の事実上トップ――アルバノ・ガロアの屋敷に連れていかれたのだろう。
薬物、誘拐、殺人、強盗、強姦……あのデブのやってきたことはキリがない。
この国に存在する全ての悪行を指揮してきた男。
コビデはリドが口に出した人物の名前を聞くと黙って肩を竦める。
恐らくは当たりだったのだろう。
「いつだ? アンリが連れ去られたのは?」
「……」
コビデは答えない。怯えてはいないが、口には出せないというように。
「……まあいい、アイツの名前だけ聞ければ充分だ。片っ端から知ってそうな奴に聞けばいい」
「待てリド、殺されるぞ?」
用は済んだとばかりに背を向けたリドに、今まで沈黙を貫いていたコビデがそう制止してきた。
「オレを殺せる奴なんてこの世に存在しない。殺されるんじゃないかと思ったのは、後にも先にも親父と対立した時の一回だけだ」
何かに思いを馳せるように口にしたリドの横顔を見て、何かを確信したように目を見開いて固まるコビデ。
今夜、このスラムに大きな変化が起きる予感を感じたのだろう。
「なぁ、コビデ」
呆然と立ち尽くしていたコビデに声をかける。
言っておかなければいけないことがある。リドと彼の間に交わされた契約について。
「……なんだ?」
リドは視線に殺気を漂わせながらコビデを見る。コビデの顎にスッと汗が流れるのが見えた。
「契約の話だ。殺しも脅しも窃盗も、男の誘拐も受けるが、女の誘拐だけは引き受けない。オレはそう言ったはずだ」
リドから視線を離さず、昔を思い出すコビデ。
初めて会った時にそう言う契約を結んだ。
仕事を引き受ける代わりに、しっかりとそう告げたはずだ。
それを忘れているのだとすれば、けじめを付けなければいけない。
コビデの言葉を待つ。次の言葉次第ではこの場で死体を一つ増やす必要がある。
廃墟の群れを駆け抜ける夜風の音が3度耳に入った頃、コビデはゆっくりと口を開いた。
「……半刻前、北地区にあるガロアの屋敷の入り口に立つ金色の髪の女の子を見た奴がいる。恐らくアンリという子だ。その時にはまだ怪我はなかった」
今の発言をアルバノの関係者に聞かれればコビデは殺されるだろうが、せめてもの花向けとばかりにコビデは情報を話してくれた。
「ありがとな」
コビデの側を離れたリドはエマの元に戻る。
「エマ、状況が変わった。飯は後回しだ。アンリのところへ行くぞ」
「アンリ様の居場所がわかったのか!?」
思わずといったようにリドに詰め寄るエマ。会話の様子を見ていて雲行きが怪しく見えたのだろう。
「ああ、一刻を争う。今すぐ向かうぞ……っと、その前に、金貨一枚くれ」
歩きだそうとしたところで、大事なことを思い出しエマに手を差し出す。
「なぜだ?」
訝しそうなエマは首を傾げるが、しかし素直に小銭入れを取り出して金貨を渡してきた。
どうやら財布の紐が緩くなる程度には信頼を勝ち得ているようだ。
「情報代をくれた奴にわたさねぇとな」
「そういうことか、そうだな。アンリ様の場所を教えてもらったのだから当然だ」
「おい、コビデ。情報代だ」
指で金貨を弾いて飛ばし、いまだにこっちを見ていたコビデに渡す。
「生きて会おうぜ」
背中越しに手を降りながらコビデに言葉を投げたリドは、振り返りもせず駆け出した。エマは一度頭を下げた後、その背中を追った。
「さて、どうなってるやら……」
崩壊した建物が目立つ路地の間を縫うように走りつつ、アンリという女がどんな拷問を受けてるのかを考えるリド。
ノコギリか指ハンマー辺りだと目星をつけ、エマがギリギリ付いてこれる速度で屋敷に向かった。
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