第6話


 ソファーで睡眠を取っていたリドは、家の外から人が近づいてくる気配を感じて意識を覚醒させる。

 大降りになった雪が、とうとう地面に積み重なってきている深夜。時々滑りそうになりながらも、必死にそれを踏み締めるような足音が外から聞こえてきていた。

 

「……敵か?」

 

 今までの人生で怨まれるようなことばかりしてきた自覚がある為、真っ先にその結論に至る。

 外の気配は、まるで道を知っているとばかりにまっすぐこちらへと迫ってきている。

 初めてここに来ている気配ではない。

 ここの区画はリド以外が住んではいないので、道を迷わず進んで向かってくる人の気配には違和感を覚えた。

 

「ハッ、先手必勝ってか? おもしれぇ、こっちから先に仕掛けてやる」

 

 玄関の扉の前で気配を絶ち、敵が入ってくる瞬間を待つ。

 だが、十中八九相手が扉を蹴破って入ってくると思っていたリドは、ノックの音で拍子抜けした。

 スラムの連中にはノックをするような品性はない。「扉とは何か?」と問えば、「蹴破るモノ!」と口をそろえて言うだろう。

 

「夜分遅くにすまないっ! リド居るかっ!? 私だ、エマだッ!」

 

 ノックに続き、声の正体に驚いた。ボディーブローの女だった。

 相当切羽詰った声で必死にノックしている。

 

 昨日の今日の今さっきで厄介ごとの匂いしかしない。いつでもリベンジを引き受けると言った手前、流石に居留守を決め込むこともできない。

 

 リドは渋々ではあるが扉を開いた。

 扉を開けた先には、全身を雪まみれにしながら肩で呼吸をするエマが立っている。

 走ってここまで来たのだろう。所々体についた雪が固まりつつあった。

 痛いほどに赤くなった頬が、彼女の必死さを物語っていた。

 

「いくらなんでも早すぎんだろ。さっきぶちのめしたばっかだぜ? こんな短時間でもう喧嘩売りにきたのか?」

 

 エマの様子を察するに十中八九そんな話ではないのだろうが、敢えて空気を読まない。話を進ませない。

 面倒ごとに巻き込まれるのはごめんだからだ。

 

「そうではない! アンリ様を知らないか!? ここに来てないか!?」

 

単刀直入。巻き込まれるの決まった。

 

「アンリってお前の主人の名前だろ? そいつはオレを見たことあるのかもしれんが、オレはそいつの顔を見たこともねぇよ」

 

「おまえが怪我を負わせた女性だ! 金色(こんじき)の髪を持つ見目麗しいお方だ。あのお方を一度目にして覚えてないとは言わせないぞ!」

 

(……いや、マジで知らん)

 

 そんな女と出会った記憶はないし。そもそもこのスラムでそんな悪目立ちする女が居れば、すぐに捕らえられるだろう。

 

 そして十中八九、ある男の元へ連れていかれる。

 

「……で、そのアンリとかいう女を捜すのに、何でオレの家に来た」

 

「可能性のひとつだからだ」

 

「可能性?」

 

「私の後を追跡し、アンリ様がここに来ていると思ったのだ」

 

 エマは息が上がっている。

 相当急いで戻ってきたのだろうことは容易に想像がつく。

 

 だが、残念ながらその女がエマの後を付けていたという可能性は低い。

 

 その女が暗殺者のようなステルス性に長けた人物ならばその線もあるだろう。

 だが話を聞く限り、お貴族のご令嬢様であるのは間違いない。

 そんな女の気配を見逃すほどリドも、そしてスラムの人間も甘くはない。女を抱いている時だろうと、異物がエリアに侵入してきたら空気の変化で判る。

 

「生憎だが、そんな女は知らないし来てもいない。他に探すところなんていくらでもあんだろ。そっちを当たれ」

 

 何より面倒ごとは御免被る。

 逃げるなら早いうちだと話を切り上げる為に扉を閉めようとした。

 しかし、エマは扉に足を挟んできて、扉を閉められなくする。

 

「待ってくれっ! 無礼を承知で頼む。リドも探すのを手伝ってくれないか!?」

 

 ……なに言ってんだこいつ。

 外は完全に闇に包まれている。

 そろそろスラムここの住人が動き出す時間だ。

 

「顔も知らない女を捜せなんて無茶すぎるだろ。国に放棄された旧市街地とはいえ、ここもそれなりに広いぜ? それにオマエ……エマだったな?」

 

「あぁ、そうだ」

 

 キョトンとした顔で頷くエマの鼻先をリドは指で指す。

 

「エマ、一つ予言してやる。お前は今日死ぬ」

 

「な……に……?」

 

 突然の死亡宣告に、エマの顔は凍り付いた。

 酔狂で言っているわけではない。確定事項だ。

 

「スラムに夜来たのは間違いだったって言ってんだ。オマエ程度の力でここの連中と戦えるわけがない。身包み剥がされて犯されて、飽きた頃には殺されて、墓に入れるものが無くなるほど臓器を売られる。スラムここはそういう場所だ」

 

 肉体全てをバラバラにされ、臓器は密売され、肉と骨は家畜の肥料かカニバリズムの変態に喰われる。

 

 信じられないかもしれないが本当のことだとリドは付け加えた。

 

 今日も、いや今この瞬間にもスラムでは似たようなことが起きている。

 

 不自然なほど静かで、月明りの届かない闇の中からは今も視線が集まってきていた。

 

 ハイエナ共がリドとエマの会話が終わるのを今か今かと待っているのだ。

 

 そのハイエナ共を引き連れてきたエマ本人は気づいていない様だが。

 

「……」

 

 今の言葉をおふざけで言っているわけではないことを理解したのだろう。顔を青ざめさせて黙りこむエマ。

 

 綺麗なだけの世界で生きてきた表の人間にとっては、同じ人間がそんなことをしているとは信じたくはないだろう。


 何よりも恐ろしいモノは、何かに飢えた人間だということを知らないのだ。

 

「その、アンリとかいう女もここに来たなら今頃死んでるだろうよ」

 

 それか犯されてる最中だ。

 気に入られたのならまだマシだ。痩せ細らないように飯にもありつける。

 もっと気に入られれば自由時間が増えて屋敷から逃げやすくなる。

 どれだけ汚れようと、生きる可能性はある。


 だが、そんな希望的妄想をしても仕方がなかった。

 

「そんな……」

 

 エマは震えだす。想像したのか、今にも気を失いそうな様子だった。

 

「探すのを手伝っても金にならないし腹も減ってんだ、それにオマエらを助ける義理がない」

 

 エマはリドにどんなイメージを持っていたのか。

 残虐と言われるスラムの住人でありながら、敗北した相手の命を奪わず、それどころかエマの身を守る包帯を渡した。

 

 これだけ見ればお人好しのように思えるが、無償の奉仕をするほど平和ボケをしていない。

 

「そんなわけでさっさと失せろ。あの世でアンリとか言う奴にでも会って泣いてろ」

 

 エマの唯一の頼りであったリドは、見ず知らずの他人の救出に協力する気など微塵もなかった。

 たかが一日会っただけの奴を助ける義理はないし、そもそもここの住人に義理なんかで動く人間は少ない。

 

 親だろうが友人だろうが恩人だろうが、生き残るためなら手にかける。容易く売る。

 何かを頼むなら対価を用意してから。

 酷く残酷で、合理的。そういう世界。

 温室育ちのエマには理解できないだろうな。

 

「……雇う」

 

「――なに?」

 

 扉が閉まる寸前にエマがぼそりと呟く。

 思わず閉める手を止めてリドは聞き返していた。

 

「貴方を雇う。だからアンリ様を捜すのを手伝ってくれ!」

 

 エマは懐から財布を取り出し、リドの胸に拳を押し付けてきた。

 

「……あのな。アホかオマエは? オレはそんな簡単にはうごか……」

 

 単純すぎるエマに呆れてため息を吐きながら押し付けてきた財布を手に取る。

 断る前提だが、一応中に入っている金額を確認する。

 

 ――中身を開いた瞬間、言葉を失った。


 ……ざっと見ただけでも金貨20枚以上。

 それなりの大きさの屋敷ですら買えてしまうほどの額。

 今まで見たこともない大金が入っていた。とても子供の小遣いという額ではない。

 思わず財布を持つ手が震えた。

 

「それが今の私の手持ちだ。足りないか……?」

 

 エマは判決を待つ罪人のように目を伏せてリドの言葉を待っている。その肩は僅かに震えていた。

 

 断られたらこいつの人生は終わりなのだろう。リドが断るということは、アンリという主人の命は助けられない。

 

 そして主人の命と一緒に、この世からエマも消える。


「――断る」


 リドはエマに無情にもそう告げた。

 

「……そ、そう、か……」

 

 肩を震わせながら、エマは泣きそうな顔をしていた。

 震える手で、リドが差し出した財布を受け取る。

 直近に迫る確定した死というモノを自覚したのだろう。それとも主人の命を失うことが何より辛いのか。

 

「邪魔を、したな。急に深夜に押しかけ、無理を言って……すまなかった」

 

 必死に作り笑顔を浮かべて、家を後にしようとするエマの背中は酷く落ち込んでいた。

 一歩、また一歩と足跡を作りながら家から離れて行くエマの前は、まるで死神が居るかのように静まっていた。

 ハイエナ連中達がほくそ笑むのが分かる。


 そんな死を待つだけの少女に、玄関の扉を背にしたたリドは言葉を投げかけた。

 

「最後まで聞け。オレにはその金の価値がわからない……だから今晩、1番美味い飯を奢れ。それで手伝ってやる」

 

「――ッ!?」

 

 エマは足を止め、勢い良く振り返った。

 涙を湛え、嬉しさが思わず溢れ出ているような表情を浮かべて。

 

「と言っても舌が肥えてるわけじゃないからな。腹いっぱい食わせてくれると約束するなら協力してやる」

 

 どうする? と、リドはエマの顔を半眼で見つめる。

 満天の星空から雪が降ってきていた。

 月の光に照らされた彼女の顔は、まるで雪の結晶を纏うかのように美しい。

 目元はキラキラと輝き、リドを泣きそうな表情で見つめていた。

 恋に落ちた少女のような顔だった。

 

「……本当に、いい、のか……? この金を受け取ればいくらでも食べれるんだぞ? それなのに?」

 

 エマの問いにリドは鼻で笑って顔を背ける。

 

「金色の金なんて今まで見たことがねぇから、使い方をオレはしらない。奢るのか奢らないのか、どっちだ?」

 

 女を見殺しにするのは寝ざめが悪い。

 

 出会って僅かではあるが、頭が固いなりに戸籍もないリドと対等に接しようと努力するエマのことが嫌いではなかった。

 少なくとも、涙を止めてやりたいと思うほどには。

 

「な、何でもご馳走する! だからアンリ様を……私達を救ってくれ!」

 

 悪魔と契約する気分なのだろう。エマは必死に深々と頭を下げた。

 見習いとはいえ名誉ある騎士の家系の女騎士がスラムのゴロツキに頭を下げるなんて光景は今後見ることはないだろう。

 

「……ああ、いいだろう。飯のついでに救ってやる」

 

 いまだに頭を下げているエマに、リドはそれくらいなんてことないという様にぶっきらぼうに答えた。

 エマの目元から涙が落ちるのがわかったが、その耳は人に見せられないほど赤く染まっていた。

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