第5話



 フードの少女ことアリシアとの一件の後、リドは自分の拠点へと戻るためスラムの路地を進んでいた。

 

 雪が止み、今は陽がゆっくりと傾き始めている。ランタンなどの街灯が設置されていない貧民街には明かりが一切なく、陽が落ちれば視界に頼ることはできなくなる。

 だからこそ何が起きてもわからない闇が出来上がる。

 

「……面倒だな」

 

 路地裏を進んでいたリドは、背後に視線を感じて気配を探る。

 暗闇に目が慣れているリドであっても人の姿は確認できない。

 

 スラムの人間が表から戻るということは、買うなり盗むなりで大抵食料を手に入れている。その戦利品欲しさに襲撃する連中は非常に多い。

 

 国の癌とも言われるスラムから表へと出られる道は日々封鎖されていき、少なくなってきている。リドが普段買い出しをするルートも道は複雑に改修されている。

 道を塞がれないように一本道は少ない。より複雑に迷路のごとき様相を呈している。

 

 視線を感じた頃から敢えて遠い道を選んだり、リドしか知らないような小道を選んだりと尾行者を引きはがそうと試みるが、追跡者はリドを見失っても根性のみで再び背に張り付いてきている。

 

 夜となり、感覚が高ぶっているリドの気配探知には、今なお確かに何者かの気配を掴んでいた。

 

 しかしその人物は一向に姿を現そうとしない。

 

「……誰だ?」

 

 期待せず声を掛けてみたが、案の定返事はない。

 リドが足を止めれば奴も止める。

 

 殺し合いの世界で生きているリドは殺気を含む視線には敏感だ。

 殺気、という曖昧に聞こえるものは確かに存在する。

 強者のみが放つことの許される憎悪よりも更に暗く濁ったソレは、腹の奥に冷や水を浴びせかけられるような感覚を与える。

 

 しかし今なお感じる視線にソレは含まれていなかった。

 ただリドの動向、行き先観察されているだけのような視線だ。

 

「……まあ、いいか」

 

 それはそれで不気味ではあるが、殺意があるならともかくただ観察されているだけなら気にする必要はない。

 暇な奴もいるもんだなーくらいなものだ。

 何より、リドを尾行するということは、最終的に行き着く先は地獄だろう。

 進むも地獄、引くも地獄の貧民街中心部に取り残されるのだ。

 視線の主は間抜けにも蟻地獄に自らハマろうとしているのだ。

 追跡者に若干の憐れみを感じながらリドは寄り道をすることやめて、最短距離で家に向かうことに決めた。


 先ほどいた場所から数回曲がり、少し広い一直線となっている小道へと出る。

 

 その先には赤レンガで建てられた今にも崩れそうな建物が目に入る。一見ゴミ置き場と間違えられそうなモノだが、ここがリドの根城だ。

 

 スラムの街路を歩いていた時に周囲から感じていた視線は綺麗さっぱり消えていた。

 この場所にスラムの住民が近寄ることはない。


 そんな中にポツンと存在する赤レンガの家は雨水はしのげるが、耐久性は非常に低い。

 事実、寝ぼけて軽く拳を当てただけで家の壁が崩れ去ったこともあるくらいだ。

 まだ家としての体裁を保っているのは所々暇な時間に改修工事をしているからだろう。

 

「さて……」

 

 気配はまだリドについてきている。

 視線の消えたこの場所で唯一の気配が真後ろに存在している。

 路地の曲がり角に張り付くようにして監視しているものが一名。

 ずっと気配を探っていたが、この追跡者はど素人だ。一定の歩幅で歩けば物陰に隠れながら追ってくる。少しスピードを上げれば走って物音を立てる。

 明らかに追跡慣れしていない。間違いなく表の人間だろう。

 

 スラムの人間ならばそんなヘマはしない。

 

 襲える相手でなければ追跡を諦める。数秒観察するだけで格の違いを測れるだけの経験を積んでいる。

 絶好のカモ以外には手を出さない。命がかかっているためだ。

 

 自分より弱い人間にしか手を出さないし、実力主義のスラムでは生きることのみに特化している人間しかいないのだ。

 仮に何らかの目的があって、バレない様に強者を追跡するのであれば、数人グループで視線の種類を変えるだろう。

 

 最も、リドに手を出せる人間など今のスラムには限られた少数しかいない。

 

 外から来たばかりのゴロツキか、敵に回した派閥の構成員くらい。


 様々な事情からリドの家はスラムではそれなりに名前が通っている。

 知り合いならすぐに話しかけてくるだろうし、オレの棲家すみかに用事があるのなら事前にコビデなどの仲介を通じて話が耳に入る。

 

 背後にいる人間は話しかけてこない。ここまで襲われた気配がないことを考えると、スラムの人間ではないが、スラムに入りたてのゴロツキには手を出せないくらいの力はある人間と推測できる。

 

 近衛兵、憲兵などの武道経験者を敵に回した覚えはないんだがな。


 なにが目的かはわからない。

 今は手を出す気がないだけで、家に入り油断したところを襲撃してくるという魂胆かもしれない。

 確か最近噂で城門を吹き飛ばす程度の大砲が他国で開発されたと聞いたことがある。流石にそれで死ぬことはないだろうが、家が吹き飛ばされてはたまらない。

 

 どれほど探っても気配は一人だけ。

 

(――オレを殺そうと思うのなら、スラムの覇者を三人は連れてくるべきだったな)


わかりやすいように背後を大きく振り返ると、20メートルほど先で小さく影が動く。気配を消せない素人丸出しの動作だ。

 

 捨ておいても害はないと思うが、目に見える火種を放置するのは気分が悪い。

 念のため、始末しておくか。

 

「今出てくるなら命だけは取らないでおくぞ」

 

 返事はない。わずかに影が硬直したように揺れる。

 

「最後の警告だ。オレは今腹が減っていて機嫌が悪い。話があるなら出てこい」

 

 返事はない。警告も無視されたようだ。

 なら仕方がない。目的を吐き出させるとしよう。

 その場から音すら残さずリドは気配消す。

 気配を読む力持つものは気配を消すことにも長ける。

 瞬き一つの内に追跡者が隠れている場所に忍び寄る。

 

「……なにッ!?」

 

 そこには案の定人がいた。腰に細身の剣を提げた青髪の若い女。

 

 一拍遅れて目の前まで接近を許したと気がついた女は、とっさに逃走を選ぶ。しかしリドはそれを許すほど寛容ではない。

 

 女の逃げようとする方向に移動し、彼女の前へと進む力も利用して腹に拳をめり込ませる。

 

「ウッ!?」

 

 鳩尾に鈍い衝撃を覚え、くぐもった声を出しながら女は地面を転がっていく。行動不能に追い込むのならこれが一番手っ取り早い。

 

 首をつかんだ方が楽かもしれないが、リドの力で女の首を絞めれば聞き出すどころか喉を潰す可能性がある。

 

 腹に一発良いのを入れられて吹き飛んだ女は、口から胃液を吐き出しながらも素早く立ち上がった。奥にはリドの家しかないため、逃げる場所を潰した形で向き合う。

 

 これで存分にが出来る。


 危機を察知したのか、女は笑いかけている膝に喝を入れ、リドから距離を取る。

 腰の剣に利き腕と思しき右腕を被せ、左手はリドを捉えるように照準を合わせている。

 

 ……いい判断だ。

 

 綺麗な衣類と軽装の鎧。肌の綺麗さから表の人間だと思われるが、強者を見る目はあるようだ。その顔は酷く歪んでいる。

 

まだ力量の差を断定することは出来ない。命を賭けるほど警戒する必要はなさそうだが……

 

「オレは警告した。だがおまえはそれを無視した。今なお降伏していない。考えるに命を懸ける覚悟があるんだろう? そこまでする目的はなんだ?」

 

「……貴様の家の場所を教えろ」

 

 答えは期待してなかったが、女は重たい口を開く。動揺を押し殺している強張った声を。

 逃走は叶わず、命がないと判断したのだ。

 家の場所を知りたいのは恐らく事実なのだろう。

 リドに用事があるだけなら、出る言葉は命乞いか無言のはずだ。

 

 コイツに指示したものがいることまでは判断が付く。


「見ず知らずの他人に家を教えるほどケツが軽くはない」

 

 オマエの真後ろにある瓦礫がリドの家なわけだが。

 

「誰にオレの家を探るよう依頼を受けた?」

 

「私が吐く人間に見えるか?」

 

 そう言われ、長髪で隠れ気味の目元を見る。

 決死の覚悟くらいはあるように感じる。相当な忠誠心を持っているようだ。

 ここまでの忠誠心を持つということは所謂騎士という連中か宗教の信者か。

 

「……なら次だ。オレの家を知って何をするつもりだった?」

 

「貴様に話す気ことはない。もう一度言う。場所を教えろ」


 これはダメだ、話にならない。

 先ほどのダメージが身体に効いているのだろう。吹っ飛んだ時に強く頭をぶつけたのかもしれない。

 リドは軽く肩を竦めて見せる。話す気はないと。

 それを見た女はわずかに腰を落とした。

 

「……ならば、強引に吐かせるまでだッ!」

 

 女を殺すのは後味が悪い。

 

 だが、敵対したのならば生きるために殺すべきだ。

 

 こいつは腰に堂々と剣を提げている。外からの追跡でこんなモノを提げているのを許されるのは憲兵かくらいなものだ。

 

 青髪の女は俺の殺気を含んだ視線に気づいたのか、腰の剣を抜いて構えた。普通の剣と違い、刀身が非常に細い。だがソレの切れ味が鋭いことは剣の輝きで嫌でも理解できる。

 

 剣を構えた瞬間、僅かに魔力を練る気配を感じた。

 女は一度小さく深呼吸をする。一時的ではあるだろうが、呼吸の感覚が元に戻っている。

 魔力を練ることで身体の痛みを抑えつけていつのだろう。

 

「やる気満々だな」

 

「……最後にもう一度だけ言う、家の場所を答えろ」

 

 女は剣で威圧するように、にじり寄ってくる。

 剣を見せれば警戒する程度の世界で生きてきた人間なのだろう。

 だが甘い。剣くらいで警戒するような人間ならばスラムで長く生きられない。

 

「オレに力を見せつけて聞き出してみろ」


 剣を使う敵なんて今まで幾らでもいた。

 刃物というのは確かに大きな武器になる。素手と剣ならば、リーチ、殺傷能力において剣の方が優れているのは紛れもない真実だ。

 

 ――だが、どんな凄腕の剣士や武闘家だろうと、このスラムでは1日と経たず死ぬ。

 

「では強引に口を割らせてやろうッ!」

 

 青髪の女は一気に距離を縮めてくる。そこそこ早い縮地しゅくちの使い手だ。

 相当厳しい訓練を積んできたのが分かる規則正しい王国騎士の動き。

 

 彼我の差は2メートル前後。完全に剣の間合い。

 このまま何もせずに立っていれば瞬きをする間もなく真っ二つだろう。

 

 普通ならば剣を警戒して左右、または後ろに避ける。

 それが剣同士で戦う際のセオリーだ。


 ――遅いな。


 リドは一切の躊躇もなく一歩踏み出して女に接近し、懐に潜り込む。

 

「……なッ!?」

 

 背後、ないし左右に避けるものだと相手も思っていたのだろう。

 離れたと思った姿が瞬き一つの間に目の前に現れ、驚いたような顔をした。彼我の感覚を狂わされ、一瞬剣先が鈍った。

 剣と剣の戦いであれば防御、逸らしなどの技術で、追い込まれてもまだ戦える。

 

 しかし当たり前だが剣がなければ攻撃の防御を行うことが出来ない。

 

 得物がないことは大きな不利に感じるかもしれないが、剣の達人と拳法の達人が戦った場合、どうなるか。

 純粋な技術の応酬となり、より極めているものが勝つ。

 殺傷力で勝る剣と、突き詰めれば一撃で敵の命を葬ることも可能になる拳。

 

 一撃当てればいい剣と、一撃当てればいい拳。

 

 より技術を持つ者が勝者となる。

 リドの身軽さ、力、技術、経験は彼女を大きく上回る。

 狩る側だと思い込み、大きく踏み込んだ女の鳩尾みぞおちに接近の勢いが乗った肘が突き刺さる。俗に言うエルボーというやつだ。最初に拳を入れた場所と寸分の狂いもなく同じ場所に当てる。

 

 内臓を破裂させることもできるが、色々聞きたいこともあるため加減をする。

 

 せいぜい血の混じった胃液を吐き出す程度の威力。


 その一撃は予想通り腹へと大ダメージを与える。

 青髪の女は口から血の混じった胃液を吐き出して低い呻き声を上げる。

 しかし、まだ戦意は失っていないようでリドから離れようと地面を蹴った。

 再度内臓を揺らされて膝をつくが、剣を構えるのはやめなかった。

 

「それ以上はやめとけ。もう十分力の差はわかっただろ」

 

 この女も決して弱くはない、ただ相手が悪いだけだ。

 リドは今まで、いわゆる一流と呼ばれる剣士を何人も素手で殺してきた経験がある。

 

 剣は極めれば強い。リドも剣を持っていた時期があるため利点は理解している。

 

 ただ、拳であろうと剣と互角に渡り合う技術も叩き込まれているだけだ。

 

「それは、できん。私は主の命に背くわけにはいかないのだ……」

 

 鳩尾に広がる鈍く痺れるような痛みに耐えているのか、ゆっくりとそう口にした。

 

「主の命?」

 

 リドの呟きに「しまった!」と口を抑えて視線を逸らす女を見て、やはりこいつは誰かにリドを付けろと命令されているのだろうと確信した。

 

 しかし、自分の意志ではなかろうと、誰かに命令されて嫌々であろうとそれ自体にあまり関係はなかった。

 

「まだやるってんなら、本気で殺すぞ」

 

「……覚悟の上だ」

 

 女の顔には死相が浮かんでいる。死を選んだ人間の顔立ちだった。誉高く、仕えた主への忠誠の果て命を散らす人の目。

 

 ――これが忠義ってやつか……馬鹿らしい。

 

 誰かの下について尻尾を振る。命令されれば喜んで死をも選ぶ。

 自分の身を犠牲にしてまで奉仕しなければいけない。それが誉れであり幸せ。

 この手の連中も今まで相手にしてきたが、その感情がリドには理解できかった。

 

(オレの家の情報を掴んだところで、コイツは何を手に入れる?)

 

 金や地位は手に入れるだろうが、それ以上に名誉を重視する人種だ。

 そんな程度のモノのために死も選ぶなんざ正気とは思えない。


 ――本当の窮地ではそんなもの、何の役にも立たないというのに――


 リドは最後の攻防のため会話をやめる。人の住む場所から遠く離れたこの場所には人影もなく、耳鳴りのような静寂だけが響く。

 僅かな動作も見逃さないためか、女はオレの手をジッと見据える。

 

 リドは指先を一瞬だけ動かした。


「――ハァッッ!」


 案の定反応した彼女は静寂を破った。脇構えに持ち替えていた剣を鞘に納めたままリドに突貫を仕掛けてくる。

 どうやら抜刀術さながら下から上へ斬り上げる魂胆らしい。

 確かにその斬撃ならば、先ほどと同じような接敵の方法だと懐に入る前に斬られるだろう。


 だが、甘い。未熟がすぎる。

 

 恐らくこの女は実戦経験を全く積んでいない。

 強者を毎度同じ動作をする師範かなにかだと思っているのだろうか。

 左からの斬り上げなら、左下と右側の範囲に攻撃を行うことができる。しかしそれ以外の場所には人の関節の限界で動かない。

 

 リドは左側に剣が当たる寸前で避ける。

 完璧な避けに女の剣は見事に空を斬った。

 

 攻撃の硬直時間。コンマ数秒程度の間に、リドは容赦なく女の横腹に膝蹴りを叩き込もうと足を上げる。


 ――ヒットを確信した瞬間だった。彼女の口元に笑みが浮かぶ。


 瞬間、リドは本能的な危機を感じて攻撃を中断し、横に飛び退く。

 するとほんの一瞬前までリドが居た場所に雷が落ちた。それも縦ではなく真横にだ。

 

「『雷霊よ』」

 

 一拍遅れて少女が聞き慣れない単語を叫んだのが耳に入る。

 これは、魔法か?

 一部の貴族の血筋にのみ残される超常の力。

 

「クソッ、めんどくせぇ」

 

 直感が働いていなかったら、今頃雷が直撃して行動不能になっていた。

 相手が油断した瞬間に最大の一手を使う。この女、まだまだ未熟ではあるが素質はある。

 

「外れた――ッ!?」

 

 女が自慢の一撃を外したことに動揺している隙に蹴りを叩き込む。

 

 中身を揺らした手応えはあった。先ほどよりも強い衝撃を加えた手ごたえがある。

 だが内臓が破裂した音は響かないため、致命傷までには至らない。

 

 それでもこの女の戦意を折るには充分だったようだ。


 青髪の女は、騎士の誇りである剣を手から落とし、その場でうずくまる。内臓がひっくり返った気分に陥り、血の混じった吐しゃ物を吐きだしていた。

 

 急激に動いた直後、外部から内臓を揺すられる。

 合計で鳩尾に二発、腹部に一発入れているため、間違いなく消化器系には大ダメージだ。


「……私が、お前のような男に負けるなど……もっと鍛錬を……していれば……申し訳ありません、アンリ様……最後まで仕えられない不忠義者をお許しください……」


 女はいまだ止まらない胃液がこぼれる口元を抑え、涙を堪えながら床に伏している。

 吐き気に耐えているのか、精神の未熟を噛みしめているのか。恐らく両者だろうか。

 

 そして溢した言葉はリドに対してではなく、自分自身に向けた言葉なのだろう。

 

 鍛錬不足。

 

 恐らくリドと歳はそんなに違わないだろうが、同年代らしき男に全く歯が立たなかったのだから未熟と思うのは仕方のないことだろう。

 

 他人を羨む前に己を律する。

 その心は素直に美しいが、今回ばかりは勝手が違う。

 

「オマエは弱くはない。ただ相手が悪かっただけだ」

 

 この女が生きているだろう美しい世界なんて想像できないほど、リドの今までの半生は血に塗れて過ぎていた。

 裏で生きるからこそ。光の中では映らない暗闇の中で突然変異体は出来上がる。

 

「……私の負けだ」

 

 女は地面に転がった自らの剣を見る。

 リドは今まで複数の剣を扱ってきたが、その剣は今まで見たことも無いほど洗練されており特殊だった。


(――なんでこの女はこんな特殊な剣を持っているにも関わらず、これほどまでに型に沿った剣術を扱っているんだ? この剣の使い方は……)


 リドが思考に思いを馳せている時に女は諦めたような笑い顔を浮かべていた。

 

「この程度の任務もこなせず、なおかつ尾行対象に見つかり完敗するなど、陛下に会わせる顔がない」

 

「……陛下?」

 

 とんでもない単語が耳に入った気がして聞き返していた。

 こいつはさっき口にしていたアンリ、とかいうの奴の騎士か?

 

「しまったっ!」

 

 青髪の女は慌てて口をふさぐが、もう遅い。本日二回目の失態だ。流石に見逃せない。

 

「陛下ってなんだ? お前の依頼主はどっかの国の王か?」

 

「忘れろッ!」

 

「いや、流石に無理だわー。忘れられねーわ」

 

 こいつ意外とドジなのか?

 

(あっさり自分から依頼主を漏らしやがった。つか、王様が何の用でオレなんかの家の場所を知りたがったんだ?)

 

 確かにリド・エディッサの名前はスラムの中で、ある意味有名な方だ。

 

 だが皇帝に喧嘩を売った覚えはない。そんな大仕事を成し遂げて生きているなら今頃コビデの雇い主たち(会ったことは無い)辺りから大金せしめて豪遊している。

 

「早く殺せ! これ以上情報を吐く前に私を殺してくれ! もうあの方に合わせる顔がないのだ!」


「オマエが勝手に吐いただけだろうが」

 

 頭を抱えながら土の上でゴロゴロする青髪の女。

 脳を揺らした覚えはないのだが。リドは思わずため息をついていた。

 

「……はぁ。興が削がれた、帰る」

 

 すべてを自分から話した間抜けを放置して家へ向かって歩く。これ以上付き合ってられん。

 

「なに? 貴様、私に情けをかける気か」

 

「そんなつもりはない」

 

「ではなぜとどめを刺さん」

 

 女は地面に伏したまま、リドを見上げる。

 その目は助かることを望んでいない決意を秘めた人間の目だ。

 

( 懐かしい顔だな……)

 

 その顔を作る女には覚えがあった。

 リドを第一に考え、リドに認められたいがために命を賭け。

 

 ……リドを守るためだと姿を消した女の顔。

 

 だからこれは同情などではない。

 

「……オマエが案外楽しい奴だから殺す気が失せたのかもな」

 

 実際リドはこういう真っ直ぐなやつは嫌いじゃなかった。

 スラムにはほとんどいないが、馬鹿が付くほど真面目なヤツは裏切らないものだ。


 そんな人間を、リドは5年前まで知っていた。


「……屈辱だ」

 

 だがこの女は馬鹿にされように感じて気にくわないようだ。

 全てを嬉しがるアイツとは違うのだろう。

 

「屈辱だろうがなんだろうが、自分が生きてることより大事なことはない。オレにリベンジするためにその命は残しておけ」

 

「リベンジだと? リベンジしようにも私は貴様の居場所すらわからない……」

 

 すっかり忘れていた。

 殺し合いの理由すら忘れるとは、久しぶりに魔法を見たことで気を張っていたのかもしれない。

 

「ここ」

 

 リドは背後に建つ赤いレンガの建物を親指で指差した。

 

「どういう意味だ?」

 

「ここがオレの家だ」

 

 青髪の女はリドの言葉を理解できないと言ったようにキョトンとしている。

 やがて恐る恐る指を伸ばして建物を指した。

 

「その、レンガのゴミ置場が、貴方の家なのか……?」

 

 失礼なやつだな。リドも常々そう思っているが、人に言われると腹が立つ。

 物心がついてから十数年間住んでいるため、愛着が少しは湧いているのだ。

 

「ゴミ置場じゃねぇ、確かに多少……かなり崩れ落ちてはいるが、立派な家だ」

 

 訂正。立派ではない。

 木造に変えられるものなら変えたいが、ここまで業者を呼ぶのは不可能だし、何より金がない。

 

「とにかく、ここがお前とお前の飼い主が探していたオレの家だ。この情報をどう使おうが好きにしろ。襲ってくるつもりなら受けて立つ」

 

 騎士の軍団がせめてこようがどうにかする。

 

(……どうせ、オレを殺せるのはオレだけだ)


 もし神というやつが居るのなら、リドはそいつに嫌われているだろう。

 

「……そうか、私はもう貴様……いや、貴方の家の前まで来ていたのだな」

 

 初めて青髪の女は噴き出したようにふっと笑う。

 柄にもなく一瞬見惚れるほどの笑顔だった。

 

「何の用かは知らんが、今日はもう出直せ。相当内臓にキテるだろ」

 

「……あぁ、そうだな。今にも昼食が飛び出しそうだ」


 青髪の女は剣で体を支えている。ゆっくりと体を起こしながら額には脂汗が浮かんでいる。

 

「大通りまで行けるか?」

 

「バカにするな、これでも私は騎士見習いだ。……まだ士官学生だが」

 

「仕官……? 学生……?」

 

「学校を知らんのか?」

 

 青髪の女はリドがポカン、としているのを見て呆れているようだった。

 スラムに学校があるのなら通っている。

 

 授業項目は【簡易爆弾の作り方】とか【一発で落とせる急所の攻め方】【拷問の心得】【女の攫い方】【正しい強姦のやり方】【綺麗に死体を消す方法】。

 

 そんなクソみたいな項目になるであろうことは容易に推測が付くけどな。

 

「こんなところに住んでるオレが知ってると思うか?」

 

「……そうだな」

 

「せいぜい他の連中に殺されないように気をつけて帰れ」

 

 青髪の女に背中を晒し、住処へ歩きながら手を振った。

 途中で思い出し、リドはポケットから包帯を取り出し、切り取る。その一部を女に投げ渡した。

 

「なんだ? これは」

 

「効かねぇ奴には効かねぇが、オレの縁者の証だ。昔オレが一緒に住んでいた奴にやっていた所有権を示す布なんだが、腕にでも巻いとけ。知ってるやつなら手を出してこないはずだ」

 

 リドが持っている包帯には自分の魔力を流し込んである。

 正確にはリドの魔力ではないが、古くからスラムに住んでいる奴なら、リドの布持ちに手を出す馬鹿は居ない。

 それは強者リドに対する宣戦布告になるからだ。

 

 スラムの中でも一番の危険スポットである特別警戒区画。

 踏み込んだが最後、命なしと言われる魔窟。

 この区画の顔役を騒音がウザいなどの理由で殺しまわり、今じゃリド以外にこの区画に住んでいる者はいない。

 そういう意味でスラム内でリドの悪名が轟いてしまっている。

 

「……貴様、意外に優しいのだな」

 

「は?」

 

 こいつはなにを言っている? 殴ったのは腹だったと思うが、こいつの脳は腹についているのか?

 

「そういえば、自己紹介がまだだったな。私の名はエマ。エマ・トリエテス。名誉ある騎士の家系トリエテスの人間だ」

 

「と、とり……えす?」

 

「トリエテスだ……言いにくいのならエマでいい」

 

 エマは少し拗ねたように目を逸らしながらそう言った。

 

 よくわからんが、女がファーストネーム呼びを許すのは親しくなった証拠だろう。

 

 脳に酸素が行き渡っていないため、こんなゴミ置き場に住むリドに惚れてしまったという線も捨てがたいが。拉致監禁中、犯罪者に優しくされたらコロリと惚れてしまうというのはよく聞く話だ。

 

「そうか。ならエマ、じゃあな」

 

「ああ、また」


 リドを隠れて監視してくる人間はもういない。

 今の騒ぎでスラムの連中がオレ達の戦闘を見ていたようだが、縁者の証をエマに渡したことで、藪蛇とばかりに気配も消えた。

 安心して家に入ることが出来る。今度こそ家に入ろう。

 

「ちょっと待ってくれ。貴様の名前を聞いていない」

 

 踵を返そうとしたところでエマに止められた。

 

「なんだよ。飼い主から名前を聞いてないのか?」

 

 名前を知らない相手を追ってくるとは、よほど主人を信用しているようだ。

 得はないが、言って困る名前ではないため答えておく。

 

「オレの名前はリド・エディッサだ」

 

「リド・エディッサか……《《エディッサ》》……?」

 

 何か引っかかることでもあるのか、女はリドの家名を口にして聞いて首を傾げている。

 

「なんだよ、人の名前にケチつけようってか? それともスラム育ちなのに家名があるのがおかしいか?」

 

「いや、そうではない。エディッサ……何処かで聞いたような気がするのだが……どこだったか……」

 

 スラム育ちに家名があるのは珍しいことではある。名前のないものも多いくらいだ。

 平民に家名がないように、貴族でもない限り家名持ちは少ない。

 リド自身は家名を人から押し付けられて名乗っているから然程ありがたみはない。

 

 もし【エディッサ】という家名が外の世界の記録に残っているなら、軽犯罪者として文献にでも載っているのだろう。外に出たことがないリドには調べようがない。

 

 リドに名と家名を与えた男は、決して素晴らしい人間には思えないからだ。

 

「気のせいだろ、そんな大層な名前じゃねぇよ」

 

「……そうか、確かに気のせいかもしれん」

 

 エマは一時的に思考を放棄したようだ。

 内臓ダメージもあり、深く思考を落とし込めないのだろう。

 

「もう帰るから、オマエもさっさと帰れ。いつまでも家の前に居られると迷惑だ」

 

「ああ、引き止めて悪かった。また会おうリド」

 

 その言葉を聞き、リドはやっと家に入った。

 玄関口の前で止まり、戦いの熱に浮かされた野郎連中にエマが襲われないかを再度確認した後、中へと進む。

 リビングにある寝具代わりであるボロボロのソファーに背を預け、ふと今日の出来事を反芻はんすんしていた。

 

「アリシアにエマ、か」

 

 今日は色々な出会いがあった。

 代り映えのしないスラムの人生の中で、人と長く話したのは久しぶりだからか、少しだけ胸が浮つく。

 もう会うことはないだろうが、それでも記憶というものは残る。

 

 血なまぐさい戦いの空気ではなく、感じたことのない優しい時間だった。

 

 頭に霞がかかっていき、次第にリドは意識をスリープ状態に切り替える。周囲の警戒は怠らないが、意識を極限まで薄くする。

 

 夜は気を張ってなかなか眠ることが出来ない体質だが、なぜか今日に限って意識を落とすのに時間はかからなかった。


 〇 ● 〇


 リドが家に入るのを見送ったエマは、アンリに報告するため大通りに向かった。

 正直立っているのもやっとの状態ではあったが、あそこにいては他のスラムの人間に襲われるだけだとわかっていたため、気力を振り絞り、剣を杖の代わりにして歩く。

 

「本当にこの包帯には効果があったのだな」

 

 スラムからの帰り道、一度も人の姿を見ることはなかった。

 一歩歩く毎にこちらには見えないのに全身を舐められるような視線を感じた。

 だが、次の瞬間には舌打ちをして人の目が消える。

 包帯を見て諦めたのだと理解するのは容易だった。


 何事もなく大通りに出ることができた。これから酒盛りを始める冒険者パーティーや巡回騎士の姿。先に宴会を初めていた酒場から活気ある声が聞こえてきて安心する。

 だがそんな自分に少しだけ悔しさを感じた。

 

「情けない……」

 

 剣の腕には自信があった。

 家が代々皇帝に使える騎士の――それも少々特別な――家系だった為、物心がつく頃には剣術の訓練をしていた。

 

 ……いや、していたと言った方が正しいかもしれない。

 

 女であるという理由だけで、本来望んでも戦いの指導は受けられない。

エマの家は親が特殊ということもあり、いい師範をつけてもらっていたのだ。

学園でも剣術の腕であればエマに敵うものなど居なかった。

 王国騎士の方々にも負けてない自信があった。


(私には剣しかない……なのに……)


 あの男、リド・エディッサに完膚なきまでに負けた。

 剣に半生を注いできたエマには分かる。流れるような無駄のない足運び、重心移動の仕方。数度見ただけで彼が剣も達者であろうことは分かった。

 エマは剣を使い、リドは素手であったのに。

 戦闘開始時から練り続けていた魔力を使い、渾身の魔法を放ったにもかかわらず、一撃も与えること叶わず負けた。

 悔しい、情けない。己の鍛錬不足を恥じる思いだ。

 だが、自分より強者がいるということに少し安堵していることにも気がつく。

 

「あの男の力。まさかとは思うが、かの英雄騎士ロベルト様と互角に闘える力があるかも知れん」

 

 口に出して思わず苦笑いを浮かべる。

 

「……いや、いくら強いとはいえ、流石にロベルト様とあの男……リドが相手になるわけもないか」

 

 妄想が過ぎると己の考えを捨てるように鼻で笑う。

 引きずるようにして道を進んでいると、アンリと別れた路地についた。

 しかし、アンリの姿は見えない。

 

「……アンリ様?」

 

 周りをいくら見渡してみてもやはりいない。

 この時間だと店に関心を持つ人々が多く、視線を集めることは難しいが、街ゆく人の姿はある為、この場で犯罪に巻き込まれた可能性は限りなく低い。

 起きたとしたら多少ざわついているはずだが、その様子もない。

 

「……はぁ」

 

 一人で城へと戻られたのか。と結論づける。

 アンリという少女は従者の心労を考えられない奔放さを持ち合わせている。

 いや、人々に優しすぎる王女様は、何も言わずに行動を起こすことで従者に余計な負担をかけないようにしているのだろう。

 行動のすべてに好奇心と慈愛を含むアリシアには不思議と憎めない人柄がある。

 

「仕方のないお方だ。私も城へ戻るか」


 一度息を吐き出して気持ちを整えると、城へと足を向ける。

 広大な土地を誇る帝国の中で、どこからでも見ることのできる国の象徴。

 エルセレム帝国、純白の居城。

 皇帝が住まう帝城へ。

 

 痛む腹を抑えながら城門に到着するエマだが、何やら城の中が騒がしい。

 完全武装の近衛騎士達が馬に乗って隊列を成し夜の王都へ駆け出していく。

 門番の兵舎の側には恐らく休日だったのだろう兵達も集結して怒声と号令を飛ばしていた。

 

「なにか、あったのだろうか?」

 

 騒がしい横を抜けていき、若い門番に挨拶をして何かあったのか?と聞いても気まずそうにして「わかりません」と答えられる。

 そのまま城の中に入っていき、エマ用に用意されている客室の方へ向かっていくと、アンリ専属のメイドが涙を浮かべて走り回っているのを見つけた。

 

「カーラ。そんな顔をしてどうした?」

 

 エマと同い年の16才ではあるが、小柄な緑髪の女の子。

 綺麗な顔立ちをしているが大人顔負けの仕事を行う出来る女。

 その歳でアンリの専属メイド兼、副メイド長を担当しているスーパーレディだ。

 

「え、エマ様! 大変なのです!」

 

「カーマがそんなに焦っているのは珍しいな。もしやアンリ様が殿方を連れて帰ってきたのか?」

 

 もしそんなことがあればカーマが焦るより先に男の首を飛ばしにかかるが。

 小粋なジョークを披露したエマだが、次の言葉で顔色が真っ青になる。

 

「殿方をお連れでも帰ってくるならまだマシです。アンリ様がまだお戻りにならないのです!」

 

 エマは本日何度目かの全身の血の気が失せるのを感じた。

 勝手に一人で帰っている決めつけた自分を殴りつけたい気分となる。

 

「まだ近衛騎士の方々と門番の上層部の方々しか知りませんが、今王都中に捜索隊を飛ばしたので、見つかるとは思うのですが……」

 

 言いながらそうあって欲しいと信じるように両手を組み祈るカーマ。

 

 アンリの失踪は側役であるカーマの責でもある。今回の失態で処罰を受けるだろうが、そんなことは関係なく、大切な幼馴染であり、良き友人であり、親愛なる主人でもある人物の安全を純粋に祈ってるようだ。

 

「……まさか……いや、そんなことは……」

 

「エマ様?」

 

 カーマが心配そうにエマをみるが、すぐに背中を向けて駆け出す。

 考えられることは一つ。

 エマは再び城を飛び出し、もう暗くなった街中を走る。

 

 目指す場所は一つ。リド・エディッサの元だ。


 一番可能性が高いのが、リドの元に向かっていったという線。

 

 最短距離でエマは再びスラムに乗り込んだ。

 

「アンリ様……っ!」

 

 最悪の状況を頭に浮かべつつ、エマは今日一番の走りでスラムの特別警戒区域へとひた走った。

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