第4話
リドと別れたアリシアは不思議な感情を感じていた。
(リド・エディッサ様……)
私に初めて純粋な好意を与えてくれたお方……また会ってお話をしたい。
恋に浮かれた少女のように名前を何度もつぶやくが、ふと何かが頭をよぎる。
「リド・エディッサ様……エディッサ? どこかで聞いたような……」
古い記憶を思い出すように思考を巡らせるが、背後から騎士鎧の軋む音がして、ここまでかと肩を落とした。
「アンリ様!!」
アリシアの後ろの方から荒げた息を吐き出しながら大きな声が聞こえてきた。
振り向くと、青髪の見目麗しい女性が立っていた。
肩で呼吸してはいるが、乱れた感じのない凜とした女性だ。
どこかの学園の制服を着ており、スタイルを隠さない程度の軽い鎧を纏っている。
一見普通の学生のように見えるが、大きな違いは腰に剣を提げているところだろう。
まだ成長途中である若さを宿しながらも、その整った顔立ちは今でも十分に魅力的だと贔屓目なしに思う。
「あら、エマ。どうしたのですか?」
「あら。ではありません! アンリ様ッ! お一人でどこかへ行かないでくださいッ! もし貴女様のお身体に何かあってはエルサレム帝国が滅びますッ!!」
いかにも怒髪天!と言うように、涙目になって怒り心頭だった。本当に心から心配していたのがヒシヒシと伝わってくる。
「それは少し大袈裟すぎるわ。私なんてただのお飾りよ。貴女のお父様さえいらっしゃれば国は続きます」
「大袈裟ではありませんッ! この国の御旗である皇帝、偉大なる皇族の血を引くアンリ・シャパーニ様に何かがあってからでは遅いのですッ! ですから今後はこのようなことは慎んでいただきたいッ!」
もう怒ったよー!と言うように背後で結えたポニーテールは今にも私を攻撃しそうに前後に揺れていた。ただかわいい尻尾だった。
「エマ、声が大きすぎますよ、誰が耳を立てているかわからないでしょう」
「し、失礼しました」
アリシアとエマは旧知の仲だ。それこそ物心つく前から姉妹同然に育っている。
根が素直で、アリシアを慕っているのはわかるが、時折心配が行き過ぎ爆発する。
愛情が大きすぎ、その大きな愛がアリシアのみに注がれているため、エマと一生を添い遂げることなる人は大変だと心配……いや、その日が楽しみでしょうがない。
「それよりエマ、後ろ姿からお優しいことがわかる高貴な殿方は見えますか? 心に秘めた真っ赤な情熱の炎が頭髪にさえ宿っているあのお方です」
まだ別れてすぐ、振り返ったときに手を振ってから帰宅途中のリドをアリシアは手で指す。
「高貴? 冬なのに薄着の貧しそうな、薄汚れた赤髪の男なら見えますが」
汚いものを見たように嫌そうな顔を浮かべるエマ。
綺麗な世界だけで生きてきた貴族の令嬢である少女には、見窄らしい格好をしている人間は不衛生な存在として映る。なぜ風呂に入らないのか、なぜ洗濯をしないのかと。
「そう、その方。エマ、お願いがあるのだけれどいいかしら?」
「はい?」
「あの人の後をつけて家の場所を調べてもらえますか?」
サラっと笑顔でとんでもないことを言いだす現皇帝。エマの頬がピクッと釣る。
「みすぼらしい男を尾行……? アンリ様……もしかしてあの薄汚い男に何かされたのですか!?」
薄汚いとは失礼だろうと思うが、否定のしようがないアリシアは眉をひそませるにとどめる。
「その逆よ、これを見て」
言いながらアリシアは見やすいようにスカートを少し上に引っ張る。
その様子を見たエマは結婚前の淑女が肌を!と必死に止めようとするが、足の包帯を見て顔色を変える。
「これは包帯!? ……はぅ」
頭に手を当て、顔色が髪の毛の色と同じ顔に染まり崩れ落ちるエマ。
慌ててアリシアが抱き留める。
「エマ!? 違うの! いえ、怪我を負ったのは事実だけれど、本当に違うの、彼が手当てをしてくれたのよ」
「手当? あのゴミのような男がですかッ!?」
リドの呼び方がだんだん酷くなっていく。
流石にこれ以上恩人を侮辱されるのは我慢ならないと、頬を膨らませるアリシア。ただ可愛いだけだった。
「あのお方はリド様っていうの。とにかく彼の家を特定して貰えます? 改めてお礼をしたいので」
「ハッ! かしこまりました! ですが私はアンリ様を城まで送らないといけませんので。正規の護衛騎士の方々は今も街中を走り回っておりますし……」
「家に帰るくらい私一人で大丈夫よ。私だってもう立派に大人です。二年前に成人を迎えましたし。大人なのです」
むふんっ、と可愛らしく伸びをして胸を張るアリシア。
この国では14歳で教会に住民票を発行され成人となる。今の年齢はアリシア、エマ共に16歳だ。
「ダメです! お怪我をなされているのですからっ!」
必死に訴えてくるエマの話をつーん。と無視すると彼女は再度涙目になった。
「無視モードはやめてくださいアンリ様!!」
「もうひとりで戻れますっ! わたくしたちはもう学生なのですよ? 立派に大人です!」
「お怪我のこともありますので、せめて騎士が到着するまで……」
エマがどうしようか迷っている間に、リドは曲がり角へと消えていく。
旧市街地に通じるルートの一つだ。
アリシアが少し取り乱す。
「ほら! 早く! 彼を見失ってしまうわ!」
「えっ!? あ、アンリ様! あの男の家を特定したらすぐ戻るので、必ずここで待っていて貰えますか!?」
エマは暖かそうなマフラーをアリシアの首に巻いて飛び出していく。
「えぇ、もちろんです。行ってらっしゃい」
嘘だ。物凄い笑顔と共に嘘をつくアリシア。
一人で出来るもん状態の見栄っ張りになったアリシアは言うことを聞かない。王という立場だからこそ、決定権を持つ女は非常に強情だ。
エマもそれを理解しているが、王より任された任務の遂行を優先する。
まだ明るいのもあったため、危険はないだろうと予想する。
街中には憲兵も常に大勢回っており、騎士たちもアリシアの逃亡で走り回っている。
まだ学生のエマには一人歩きの危険がそこまでわかっていなかった。
「行ってまいります! すぐに戻りますので必ず、必ずここで待っていてください!」
必ず、という言葉を何度も強調して、エマはリド様を追って走り去っていく。
リドに続いてエマが街角に消えるのを見送った時、唐突に強い風が吹き、アンリの被っていたフードが外れる。
空から舞い降りる雪のように白い肌。目立ちすぎず、けれど眩しいほどの美しい金色の髪。一度目の隅に入ろうものなら視線を一手に引き付ける美貌が露わになった。
だが、本人は周囲の視線を一身に集めていることに気が付かず、リドとエマが去っていった場所を見つめる。
「リド・エディッサ様……」
名前を呟き、胸の前で手を組む。
ずっと待っていたのだ。リドのような人物が現れること。我ながらちょろいなとは思う。だが一度目を覚ました熱は簡単には消えない。
「……ようやく、ようやく見つけました。ただただ愛おしい、私だけの騎士様……」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます