第17話

 リドと正面から向かい合うロベルトは、腰に手を当てて身体を捻っていた。

 戦闘前のルーティーンなのだろう。

 

「武器を使うか、素手でいくか。選ばせてやる」

 

 ロベルトはどちらでもいけるぞと態度で表すように、その顔はニヤニヤと笑っていたが瞳孔は開いている。

 

「ロベールの得意なほうでいいぜ」

 

「……ふっ、なら剣だ」

 

 そう言ってロベルトは腰のホルスターから自身の剣を抜き、

 

「おい、だれか、リドに剣を貸してやってくれ」

 

 騎士が集まってる場所に声をかけた。

 謁見の間に集まる騎士達はリドに対して良い印象を抱いている人は少ない。


「どうする?」「ないだろ」「剣を貸すに値しない」などとヒソヒソ話を始めていた。


 だがそんな集団の中で、先輩騎士たちに気を使うようにおずおずと先頭に出てくる影が一つ。エマだった。

 

「で、では私の剣を」


 リドに近づいていき、自分の腰から抜いた剣を渡すエマ。

 

「君はクリードの娘のエマちゃんだな? 学園の入学以来だから、もう2年ぶりくらいかな? 大きくなったなぁ」


 一度謁見の間の横にいる男に視線を向けたロベルトは、その男が肩を竦めたのを見てニヤリと笑った。

 

「お、覚えていただけており、光栄です。ロベルト様」

 

 ロベルトはエマに笑いかける。

 エマはそんなロベルトにあわてて頭を下げた。

 

「君の父君のクリードとは学生時代からの付き合いだからね」

 

「――おい、おっさん。そんな話良いからさっさとやるぞ」

 

 ロベルトの話をリドは遮って、エマの剣を受け取る。

 軽く振るって感触を確かめていた。

 

「こ、こらリド! 英雄騎士様に向かってそんな口の利き方は無いだろう! それに私の許可無く剣を抜くのはやめろ!」

 

「声がでけぇんだよエマ。オマエらの話なんて興味もねぇ。後でしろよ」

 

「だからお前は言葉遣いに気を……っ」

 

 他の貴族や騎士もいる前でこれ以上粗暴な態度を見せるな、とエマはリドを叱責しようとしたが、その顔を見て思わず言葉を飲み込んだ。


 リドの殺気を感じるのは何度目だろうか。


 昨日、エマはその威圧感を正面から浴びて胃がひっくり返りそうなほど身が震えたが、今はあの時以上におぞましい圧を醸し出していた。

 

「……わかった。頑張るんだぞ」

 

 慄いた様子のエマはリド達から離れていく。

 リドの威圧感を肌で感じている貴族の中には、直接向けられていないにも関わらず、口元を抑えるモノまで出る始末だった。


 戦いの中に身を置き続けてきた者の気配は周囲に嫌悪感を与える。

 血が滾り、全身からおぞましい空気を振り撒いているリドは既に戦闘体制に入っている。


「ガキのくせに随分とおっかないもん出すなぁ。手合わせどころか完全に殺す気じゃないか。勝敗はどうつける?」

 

「殺す気って分かってんだったらそんなもん決まってんだろ? どっちかが斬られるか、動かなくなるまでだ」

 

 リドはロベルトに口元を歪め、嗤う。

 

「はっはっはっ! いいだろう」

 

 ロベルトはリドの威圧を受けながらも豪快に笑い飛ばす。腰のホルスターから抜いた剣を構えた。


 ロベルトの剣はリドがエマから借りた剣より遥かに太い。一撃で敵を斬り潰す剣だ。

 

 逆にエマの剣は軽く細いスピード重視。

 エマらしい、女が振るうにも扱いやすい剣。

 

 剣を構えたロベルトの顔からは感情が消え失せていた。

 

「…………」


 開戦の狼煙も無く、互いに剣を構えて間合いを測りあう。

 

「――フッ」

 

 最初に攻撃を仕掛けたのは珍しくもリドだった。

 足と刀身に意識を集中して気を纏わせる。

 そのまま地面を蹴り、ロベルトを両断しようと剣を薙ぐ。

 リドはロベルトを生かして返す気は無いように見える。

 

「ふんっ!」

 

 ガキンッと、巨大な質量がぶつかり合うような音が謁見の間に響いたかと思うと、天井のシャンデリアのガラスが共鳴して弾け飛んだ。

 一泊遅れて衝撃がリド達を中心に駆け抜けていく。

 リドが立っている石畳の床が、圧力に潰されるように陥没した。

 割れたシャンデリアのガラスが観衆たちの方へ落下していくが、両者はそれを意にも返さず鍔迫り合っていた。


 この場にはリドが勝つと予想しているものなど居ない。

 完全にアウェーな状況だった。

 だが、

 

「……リド」「リド様……」

 

 エマとアリシアだけは省く。

 この二人はリドの強さを目の当たりにして居る。

 ゆえに、ロベルトとも良い勝負ができると思っていた。勝つことも不可能ではないと。


「チッ!」

 

 リドは苛立ったように舌打ちを溢す。

 完全に仕留めたつもりの必殺の剣が止められたからだ。

 

 一度打ち合っただけでわかる。ロベルトは今まで戦ったスラムの剣士よりも強い。

 手加減こそされてはいないが、リドの剣速に追いついて来ている。


 今まで剣を握って一分以上リドの前に立っていた人間は少ない。


 一撃必殺。スラムの強者ですら容易に斬り捨てる電光石火の剣技。その速度にしっかり合わせて防がれた。


 擦れるような金属音を鳴らして剣を弾いた後、後方に飛ぶことで距離をとる。

 

「……ロベール、あんた、初見じゃねぇな?」

 

 リドはそう結論付けていた。

 ロベルトは確実にリドの剣筋を見たことがある、と。

 

 ロベルトはその質問に答えるかのようにリドに斬りかかる。

 最初こそロベルトはリドの力量を測るかのように受け身で剣を振るっていた。

 だが今はそんな余裕はないと語るように自分から攻撃を仕掛けて優位に立とうとする。

 エンジンのかかった二人の攻防は常人には知覚できない速度になっていく。

 

「アンタ……ロイと知り合いか?」

 

 ロベルトの剣を弾きながら、リドは話しかける。

 

「……私が一回しか勝てなかった男がロイだ」

 

「なるほど、そういうことか」

 

 つまりロベルトはリドに剣を教えたロイと何百回と渡って斬り合ってきたわけだ。

 リドの剣が見えていても不思議では無い。

 

「それで、オレを倒すことでロイへの復讐とするってか?」

 

 ロベルトの目は据わっている。

 ロベルトもリドを斬り殺すつもりだろう。

 

 両者が相手を斬ったら勝ちのこのルール。

 斬られたほうの命は恐らく無い。

 

 こんな状況なのにリドの精神は高揚していた。

 ロイ以外で初めて本気を出しても勝てないかもしれない人間に出会えたことに歓喜していたのだ。

 

「……復讐?」

 

 激しい攻防を繰り広げる中、ロベルトは何かが頭の中に引っかかったように、眉をかすかに動かした。

 

「なぜ俺がロイに復讐しなければならない?」

 

「なぜって、散々ロイに負けて悔しかったんじゃないのか?」

 

 リドはそんなロベルトへの攻撃をやめて距離を取り、剣を下ろした。

 

「悔しい、か。そうだな。悔しかったな……」

 

 ロベルトもリドの意思を理解して、剣をわずかに下げる。

 

「だがな……同時に楽しかったよ。今お前に感じているように、どちらかがわずかにでも力を緩めれば負ける。そんな力が拮抗した相手と戦えることが、学生時代の俺にとっては張り合いのあることだった」

 

「……聞きたいことがある。ロイは何でオレをスラムに捨てた?」

 

 リドは自分の父親がロイだと聞いてからずっと疑問に思っていたことをロベルト……父の友人に問うた。

 

「……それに関して俺から話せることはない。あの日、俺はロイを止められなかったのでな」

 

 ロベルトは少しだけ悔しそうに俯く。

 何を考えているかは分からないが、少しだけ物思いに浸るような表情だった。

 

「あの日?」

 

「……俺に勝てたら答えよう」

 

 思考を振り切ったような表情を浮かべたロベルトは、据わった目で剣を構える。


 どちらかが斬られることで決着がつく勝負。

 勝負の後という言葉の意味は、そういうことだ。


 墓場まで持っていくということだろう。

 

「そうか」

 

 リドも剣を構える。

 それを承知した上で死闘にケリをつけるために。

 

「草の根分けてでもあの馬鹿親父を見つけ出せばいいわけだ――」


 必殺の剣を叩き込む準備をしたリドは、異様なほど低く身を落とす。ロベルトも答えるように剣を握り直した。


 次の瞬間、存在すらかき消すほどの速度でリドはその場から突貫を測った。

 ロベルトの胸に向けて、細剣の特性を最大限に活かした突きを繰り出す。


「チッ!」


 だがロベルトは読んでいたというようにその剣を弾き飛ばした。上空に飛ばされたエマの剣がシャンデリアの鎖と衝突する。

 金属同士がぶつかる甲高い音を鳴らしながら、ロベルトの背中側に落ちた。


 まさに絶体絶命の状況だった。


 思わずエマが「リド!」と張り詰めたような声で叫ぶ。

 

 リドの武器を飛ばしたことで、大きなチャンスを得たロベルト。

 歴戦の騎士としてその隙を見逃すことはなく、リドの首を斬り捨てようと剣を横凪に振るった。

 

 だが、ロベルトの剣をバク転をするようにしてギリギリで躱したリドは、その場で逆立ちするようにして腕だけで身を支えていた。


 鍛え抜かれた体幹をフル活用して、踊るように足蹴りを放つと、ロベルトの剣の柄を爪先で捉えて上空に吹き飛ばした。


 そのまま腕だけで上空に飛んだリドはロベルトの剣を掴んで上から斬りかかろうとする。


 一気に優位逆転。

 剣を持たないロベルトを肩口から斬り捨てようと決めた瞬間、エマの泣き叫ぶ様な声がリドの耳に入った。


「アンリ様! 避けて!」


 一瞬、ロベルトが何かをしようとしたのかと思ったが、地面に立っているロベルトにそんな余裕はなさそうだった。


 未だにリドを見つめているロベルトを見て、自分たちが原因ではないだろうと思ったが、こちらを見るロベルトの視線に違和感を感じる。


 視線の先はリドではなく、リドの右側の方を見ていた。


(上かっ!?)


 弾かれた様に上に視線を向けたリドは、崩壊しながら地面へ向けて落下していくシャンデリアが目に入った。

 落下予測地点はアリシアの真上だった。

 

 先ほどロベルトに飛ばされたエマの剣が、アリシアの上部にあるシャンデリアの鎖を破壊していたのだ。


 鎖を壊されたシャンデリアは、その重量を支えきれず地面に落下していく。


 人の2倍はありそうな巨大な質量と衝突すれば、アリシアは怪我だけで済まないだろう。


「え……?」

 

 目前に迫る死に、アリシアは呆然とした様子で上を見ていた。

 動くことすらできない様子で、ただシャンデリアが落ちてくるのを見つめている。


「チッ!」


 空中で身を翻させたリドは、床に背中を向けながらシャンデリアへ向けて剣を投擲する。


 空気を切り裂きながら、ものすごい勢いで飛んで行った剣は、シャンデリアに衝突する。

 なんとかシャンデリアの落下地点をズラす事に成功する。

 

 間一髪でアリシアを救う事には成功したが、そのまま地面に背中から落ちていくリド。

 下にいるロベルトが受け止めてくれるだろう。


 次の瞬間には、そんな甘い期待をした自分を恥じた。


「――ハァ!」


 ロベルトは容赦なくリドの背中に掌底を打ち込んでリドを吹き飛ばした。


「ゴハッ!?」


 背中から胃を突き抜けていく強い衝撃は、リドに胃液を吐き出させることを強制させた。


 今までの人生で何度も骨折を繰り返してきたリドは、今の一撃であばらの骨が何本か逝った感覚を感じて、錐揉きりもみしながら宙に舞う。


 地面に落ちて三回程バウンドしてから停止したリドは、なんとか気合いだけで起き上がった。

 折れたアバラ骨が肺を傷つけたのか、口から血を吐きながらも、ロベルトを睨む。


「テメェ、このヤロウ……やりやがったな」


 立っているだけでもやっとのリドは、アバラを抑えながらロベルトを向き合っている。


 だが暖簾に腕押しとばかりに、無表情なロベルト。


 シャンデリアに衝突して弾かれるように戻ってきた剣はロベルトの前に突き刺さった。

 その剣を抜いて構えたロベルトは、動けないリドへ急接近して剣を薙いだ。

 

 折れた肋の上から、ロベルトの剣の腹が打ち付けられる。

 その剣の重さと痛みで、リドは思わずうめき声を上げて後方へ吹っ飛んだ。

 

 何度も背中を地面にぶつけながら吹っ飛び、騎士席――エマが控えている前で停止する。


 地に這いつくばるリドを見て、信じられない光景を見たかの様に見下ろしていたエマは、血を吐いて咳込むリドを見て、我に返っようにその場にしゃがみ込んだ。

 

「生きているか!?」と心底心配している様子でリドの肩を抱く。

 

 そんなエマに返事をせず、リドは狂気を伴った目をロベルトに向けた。


「……ごほっ、おいおい。不意打ちとは随分……卑怯じゃねぇか?」

 

「命を賭した戦いの中で、一瞬でも相手から意識を逸らしてしまった方が悪い。それに殺し合いに綺麗も汚いもないさ。それについてはリド、お前の方がよく知っているだろ」

 

 ……その通りだった。これは死闘だ。

 ロベルトが剣の腹で打たなかったらリドは今頃内臓を撒き散らして絶命している。

 そのことはスラム育ちのリドのほうがよく知っていた。


 純粋な手合わせならいざ知らず、殺し合いに綺麗も汚いもない。

 命を奪い合う戦いは、どんな理由があっても穢れた悪でしかない。

 何を犠牲にしても勝てば官軍というのが殺し合いなのだ。


 もしも立場が逆であれば、リドもロベルトと全く同じことをしたという確信に満ちた予想も出来る。

 

 リドの完全な敗北だった。


 咄嗟にアリシアの命を優先し、ロベルトとの戦いを一度でも意識の外に置いてしまったリドの負けだった。

 

 常に込み上げてくる血の混じった胃液を吐き続けるリド。

 気合いだけで何とか立ち上がろうとするが、膝が笑っていて立てなかった。

 

 そんな様子を見たアリシアは我に返って、ロベルトを手で示す。


「こ、この勝負は、ロベルト・ストレイフの勝ちとします」

 

 アリシアは声を張り、勝者の名前を口にした。

 

「……ちっ」

 

 胸を抑えたままのリドは、力を抜いてエマの腕に背を預けた。

 もう片方の腕で目元を覆い、歯をギリッと鳴らす。

 

「リド、約束通りお前には側近騎士になってもらう」

 

 ロベルトは拗ねているリドにそう告げる。

 

「…………あ――」

 

 リドは敗者だ。


 幼い頃から奪い合いの世界に身を置いてきた者として、敗者は勝者に従うのがせめてもの礼儀だ。


 それを破ることはプライドが許さない。

 勝者であるロベルトの言葉に「ああ」と了承を伝えようとするが。

 

「が、今回は俺が不意打ちで勝ったのも事実だしな。ここは妥協案で行こう」

 

 と、ロベルトは剣を鞘に収めながら言った。

 

「……あぁん?」

 

 せっかく従う意志を固めたにも関わらず、予想外なことを抜かしたロベルトに、リドはチンピラの恫喝のような声を出す。

 

「そう憤るな。立っているのもやっとだろう? あとで部屋に行く。諸々打ち合わせるぞ」


 そしてロベルトは膝を折り、沈んだ様子のアンリに頭を下げた。


「アンリ様、神聖な謁見の間での私闘や失礼な態度。その大事なお命を危険にさせるなど、様々な無礼をお許しください」

 

「……元はといえばリド様に何も説明していなかったわたくしの不徳が招いたことです。今この場に居る騎士、官僚の皆さん。この件は他言無用としてください」

 

 アリシアは凛とした雰囲気でそう言った。

 ロベルトとリドの戦いで、皇帝陛下の命が危機に晒されたなど、下手をすれば国家反逆罪で処罰を喰らっても仕方のない事案だからだ。


 口止めをしなければ、二人に危険が及んでもおかしくはない。

 

「「「はっ!」」」

 

 その場に居たリドを省いた全ての人間が一様に膝を折る。

 それを見たアリシアは、

 

「今回の謁見はこれにて終了とします!」

 

 そう声高らかに謁見終了の声を上げた。

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