第15話

 

 血生臭いから謁見の前に風呂に入れとエマに言われ、脱衣所へときたリドは服を脱ぎ捨てて浴室へ向かった。

 湯船のあまりのでかさに今日何度目だ? という衝撃を受けている。

 

 広すぎて遠近感が狂う。

 

 湯船の端には何かの獣の銅像が置かれており、口から水が飛び出していた。

 

 プールならアルバノの屋敷で見たが、風呂という物自体を今まで見たことはない。

 本の知識だけで水浴び場、身体を清潔にする所、というくらいは知っているだけだった。

 

 身体の衛生問題なんて雨水に濡らした布で身体の血を落とすくらいしかしたことが無かった。

 雨の日に広場のような場所に出来る水溜まりなどが水浴びにオススメだ。

 

 そもそも水に浸かるなんて勿体ない。

 身体の汚れを落としたら、水が汚れて飲めなくなる。

 

 そんなスラム的な考えを吹っ飛ばすほど、皇城の風呂には大量の水が張られていた。

 水から湧き出ている視界を覆いつくすような白いモヤの正体すらリドには分からず、霧のようなものだろうと無理やり納得する。

 ゆっくりと湯船に近づき、大量に張られている水に足をつけた。

 

「――あっつ!!」

 

 もちろん張られているのは冷たい水ではなく、お湯だった。

 完全に水だと思っていたリドは予想外の熱にびっくりして足を滑らせる。

 そのまま今まで浸かったこともないお湯の中に背中から落ちた。

 

「ぐあああああ! 熱い熱い熱い!!」

 

 リドは人生初のお湯を使った風呂の中で、猫のようにもがく。

 ジャブジャブと音を立てながらただのお湯に悲鳴を上げるリド。

 

 スラムでのリドを知っているコビデが見たら顎が外れるくらい驚くのではないだろうか。

 そして次の瞬間には腹が壊れるほど爆笑するだろう。

 

「熱い、熱すぎる! 風呂ってのはこんな苦行だったのか!?」

 

 リドが叫びながら暴れていると、反対側から声が聞こえてきた。

 

「……まったく、最近の若造は風呂くらい静かに入れんのか?」

 

 その男の声は中年より初老寄りだが、かなり張りのある声だった。

 

「……だれだ?」

 

 風呂の熱さも忘れて棒立ちになり気配を探るリドだが、男の気配は無い。

 スラムではどんな人間の気配も察知できたリドが気配を掴みきれない。

 

「ほう、中々良い反応をするな。だがまだ青い」

 

 そう言って湯気を割って目の前に人が出てくる。

 顔は40代を超えていそうだが、歳を感じさせないくらいの良い男という風格で白髪。

 

 身体の古傷は多いが衰えた様子も無く、現役バリバリと言った筋肉をしている。

 

「あんた、何者だよ。オレが気配掴みきれねぇなんて相当やるだろ」

 

 リドは目をぎらつかせ、長らく会うことのできなかった強者の気配に高揚する。

 

「落ち着け小僧。浴室で男に目をぎらつかせるやつなんて同性愛者か、天狗になったガキくらいだぞ」

 

 そう言いながらリドの横に腰を下ろすおっさん。

 頭に折り畳んだタオルを乗せてリラックスしていた。

 その様子を見て警戒を解いたリドもゆっくりと湯船に浸かった。

 初めての風呂は全身が溶けていくような感覚で非常に気持ちがいいと思えた。

 

「前にも似たような経験があるみたいな言い方だな」

 

「ある。もう20年以上前になるか、学生の頃の話だが、寮の風呂に入っていたら同じ新入生の男がズカズカと入ってきてな。そいつは俺を見るなり『拳闘で戦わないか?』と言ってきた」

 

「はぁーん、どっちが勝ったんだ?」

 

 風呂の暖かさで眠たくなってきたリドは、非常に間延びした声を返しながらも話に耳を傾けていた。

 

「その時は俺が負けた。いや、それ以来なにかと縁があり、いろんな場所で会って勝負をしたが、俺があいつに勝てたことは結局一度しかなかったな」

 

 中年の男は昔を懐かしむように天井を見ながら笑っていた。

 

「一回は勝てたのか。どんな勝負でだ?」

 

 リドは風呂の気持ちよさに顔を緩めながら手でお湯を掬い顔にかけていた。

 

「……口喧嘩だ」

 

「しょぼいな」

 

 ジト目を返すリドに、中年のおっさんは「はっはっは!」と快活に笑った。

 

「ていうかおっさん騎士か?」

 

「そうだ。一応まだ現役でやっている」

 

 おっさんは筋肉をムキッとさせた。

 古傷の多い体ではあるが、衰えを一切感じさせない強者だと感じた。


 

「騎士ってのは随分身体を酷使するんだな。オレの知ってる騎士は頭もそうだが、腕も未熟だった」

 

 リドは一瞬エマを思い出したが、すぐに振り払っておっさんの傷を見る。

 

「ああ、これか? これはさっき話した戦友と一緒の戦場で負った傷でな。ちょうど小僧のような……」

 

 おっさんは言いながらリドの顔をまじまじと見つめ出した。

 何かが頭をよぎったかのように、軽く目を開いて固まっている。

 

「気持ち悪いぞ。ジロジロ見るな。貞操の危機を感じるんだが」

 

「おい、小僧。お前さん名をなんと言う?」


「リドだ」

 

 隠す必要もないため、素直に答えるリド。

 

「……リド……家名はエディッサ、か?」

 

 おっさんはなぜかリドの家名を知っていた。

 話した覚えはないにも関わらずだ。

 

「なんで知ってんだ?」

 

「……そうか、お前がロイの……」

 

 中年はぶつぶつと呟いた後。

 

「俺の名前はロベルト・ストレイフ。気軽にロベールおじさんと呼ぶといい」

 

「ロベルト? どっかで聞いたな。まあいい、オレはよく親しい友人から化け物と呼ばれる」

 

「そうか、クソガキ。よろしくな」

 

 ロベールは敢えてあだ名以外で呼ぶ。

 

「……よく分かってるじゃねぇか。化け物って呼んだらぶっ飛ばしてやろうと思ってたのに」

 

 会って数分の親しい友人でもないのに、親しくしてきたならぶん殴ってやろうと考えていたリドだが、華麗に回避されて拍子抜けする。

 

「昔同じことを言った奴にボコボコにされたんだ。二度同じ過ちはしない」

 

「似たような奴も居るもんだ。リドでいいぜ。今日のところはもう喧嘩売ろうとは思わねぇよ」

 

 リドはロベールという人間を気に入ったので名前呼びを許すことにした。

 しばらく二人で湯に浸かりながらのんびりする。

 慣れれば風呂は気持ちがいいと感じた。

 

「ではリド。俺はもう上がる。また後でな」

 

 体が真っ赤になっているロベールは立ち上がて脱衣所の方へ向かって歩いていく。


「あぁ……ん?」

 

「のぼせないように気をつけろよ」

 

 リドに捨て台詞を吐いてロベールは浴室から出て行った。

 

「……後って何だ?」

 

 残されたリドはそんな疑問を抱えたが、言われたとおりのぼせないうちに上がった。

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