Chapter2 死闘
第14話
目を覚ますと今まで見たことがない綺麗な部屋に居た。
一瞬自分の正気を疑ったが、意識は今まで感じたことがないほどはっきりとしていた。
何で出来ているのかわからないほどフカフカのベッドの上で上体を起こしたリドは、周囲を観察した。
「どこだここ」
辺りを見渡すが広いわりに物が少ない。
高そうな真っ赤なカーペットにふわふわのベッド。
ソファ二つと長テーブルが部屋の真ん中に置かれている。その上には恐らくリドが食べても良さそうな食事が置かれていた。
他にはベッド脇に小型のランタンがあるが、他の生活用品は必要最低限という感じでほとんど何もなかった。
予想するに客室だろう。
「……とりあえず起きるか」
リドはベッドから地面に足をつけ、伸びをしながら身体に問題がないことを確認する。
まだ少しだけ指先が痺れるような感覚を感じた。
「エマ達のことは夢じゃないよな?」
今いる現在地のヒントを手に入れるため、カーテンに近づきながらリドは呟く。
「にしても、カーテンもでかいな」
ざっと見リドの3倍くらいの高さはある。
リド自身はけして大柄ではないが、特別小さくもない。筋肉質なことが服の上からでも多少は伝わるくらいの細身だ。
「いったいどこなんだここは?」
カーテンを引っ張って開くと、強烈な太陽の光が差し込んできて網膜を焼かれる。
思わず目を瞑ったリドは、目を慣らすようにして少しずつ目を開いていく。
「……」
そして絶句した。
高い。
高いなんてものじゃないくらい高い。
軽く5キロ以上は離れている街の正門に砦、壁まで見渡すことができる。
その向こうに続く山や、道、草原までギリギリ見える。双眼鏡でもあればくっきり見えるのだろうが、リドにとっては生まれて初めて見る外の青さだった。
「おいおい、こんな光景ところなんて……」
一つしかない。
リドがスラムに居たときにも目にすることが出来たバカでかい建造物。
威厳があって、綺麗で、絵本を拾って読んだときに皇帝、つまりは王様が住むところだと知った。
同時に自分には一生縁がないと思った場所。
皇城以外でこんな光景を見ることはできない。
窓を開いて下を見ると、恐らく城に仕える騎士であろう集団が演習場のような場所で訓練を行っていた。
軽く見て50人以上が同時に演習場を走り回っている。
風に乗って微かに香るのは古本と見張り台の油と料理の匂い。
日も浅い時間から、随分と城の中は活気があるように思える。
思わず窓から一歩後ずさったリドだが、次にコンコンと部屋の扉がノックされた音を感じて身を硬直させる。
「誰だ?」
圧倒されていたリドだが、そんな内心を押し殺して落ち着いた声音を作り、返事を返す。
「アリシアです、入ってもよろしいですか?」
リドは聞き覚えのある声を耳にして、「あぁ」と生返事をした。
ガチャ、という自分の家とは全く違う良い音が鳴り、部屋に入ってくるアリシア。
ふと現実逃避気味に「良い建物は扉を開く音からして違うのかー」と思ったリド。
アリシアはリドが窓から外を見ていたことを察して、
「驚かれましたか?」
と、微笑みながら問うた。
「……言いたいことは色々あるが、改めて答えろ、何が目的だ?」
だがリドはそんなアリシアに不信感を表し逆に問いかける。
昨夜、料理を食べ終え帰ろうとしたときに、エマに魔法を使われて気を失ったことを思い出したからだ。
死んだかと思ったが、久々の食事で体力が漲っていたのもあり、気を失うだけで済んでいる。
「私の騎士になってください」
アリシアはあの時と全く同じ言葉をリドに言い放つ。
「断ったはずだが?」
リドにはエマのような忠誠心は何もない。
国のために尽くすなんていう行為も感情も今までの人生で馴染みがあるわけがなかったから当然だ。
「認めません」
だが、アリシアは一歩も引く気はない様子でリドと向かい合っていた。
「認めないって……ふざけんな。オレはオマエの所有物じゃねぇんだぞ?」
スラム育ちであるリドには人権も戸籍も何もないが、それでも自身の人権だけは人に譲らずに生きてきた。
あの地獄のような環境で、人権を守り抜いてきたことが最大の誇りなのだ。
「わたくしはどうしようもないほど貴方が欲しい。あの日、城を抜け出して怪我をしたわたくしに、この包帯を巻いて下さった」
恐らく入浴した時にでも外したのだろう。
アリシアはポケットから大切そうに包帯を取り出した。
この世で唯一のリドとの繋がりを示すソレを大事そうに手で包んでいた。
「一人の人間として、ただのアリシアとして、貴方は優しく接してくれた。わたくしは今まで出会ってきた者とは違うものを貴方に感じました」
アリシアは思い出すように目を瞑って続ける。
「世間を知らず、愚かにも捕らわれてしまったわたくしをリド様は救ってくださった。そして少女たちを救ったときに見せた微笑みに、わたくしは幼い頃に憧れた騎士の面影を見ました」
そして目を開き、リドの目を見つめる。
「騎士養成学園で主席であるエマに、勝つことは難しいと言わせるリド様の実力、感服の一言に尽きます」
アリシアは自身の思いを全て吐き出したのか、慈悲深い微笑みを浮かべながら、その手をリドに向けて差し出す。
「ですのでわたくしの専属騎士になって――」
「――断る」
アリシアが言い終わる前にリドは拒否した。
「……理由をお伺いしても?」
差し出していた手を所在なさげに下げてアリシアは、眉を寄せて悲しそうな顔を浮かべている。
「国と主人に仕える忠誠心なんて欠片もないし、今後芽生える可能性もない」
リドの顔に感情はない。偽りのないただの事実を口にする。
「私はリド様に忠誠心を求めてはおりません。ただ、私の側で一緒に居てくださるだけでいいのです」
「オレはオマエらのようにはなれない。なにより……」
リドは珍しく言いよどむ。
「なにより?」
「なにより、オレはスラムで育ってきた。騎士ってのは家系とか家柄が大事なんだろ?」
「……そうですね。全く関係ないかと言われたら嘘になります」
アリシアは顔を伏せる。
いくら平民だろうと騎士への門が開かれている。
だが才能や素質というのは家系が大きく影響するのは確かだ。
貴族は有利、平民下民は不利。
教養や力を求められる騎士という仕事は幼い頃からの積み重ねの先に辿り着けるものだ。
皇帝が騎士として叙任する際は、家柄が良ければ「あぁ、あそこの子ね!」と覚えもいい。
作るつもりではなくても、どうしても不平等というものは出来上がる。
長い帝国の歴史の中で出来上がった固定概念を覆すことは酷く難しいのだ。
「戸籍もないオレには、騎士になるなんて無理だ」
「……でしたら、わたくしの家の分家に養子として入りますか?
アリシアは何てことないようにそう言った。
「……は? 養子?」
リドは一瞬視界が揺らいだ。
この女はなにを言っているんだろう、と。
「今のわたくしに両親は居ません。ですが、わたくしはこの国で権威を持っているモノです。新しく戸籍を作るくらいの力はあります」
この国を統べる?
この城といい、エマが言っていた皇帝といい。
もしかして。
「アリシア、オマエって偉い人なのか?」
「大したことはありませんが、皇帝をしております」
……
…………
………………
リドは口を開けて固まった。
珍しく硬直した。恐らく人生で1番間抜けな顔を晒していた。
「……コウテイ? コウテイってあのグラウンドとかがあるコウテイ?」
「コウテイペンギンの方のコウテイです」
……マジカ。
「……皇帝ってもっと歳いってるもんじゃねぇの?」
リドは絵本で見た知識を頼りにアリシアに言う。
「そうですね。先代の皇帝である父が若くして崩御し、母が代理で女帝となって統べていましたが、2年ほど前に母も崩御されました。その後すぐに世襲制により第一皇女であったわたくしが即位しましたので、他の国で見ても珍しいと思います」
「……そうか」
リドは学が無いなりに理解した。
アリシアという少女はオレと同じくらいの歳にもかかわらず、苦労しているということを。
だからこそ、初対面の頃にあれだけ話をしてしまったのだろう。
ただの少女に自分の話を受け止めてほしいと思えた包容力の正体がわかった気がした。
「改めて、私の騎士になっていただけますか?」
アリシアは本題に戻すとばかりにそう言ってくる。
「それとこれとは別だ。アリシアが苦労してるのはなんとなく分かった。養子になれば騎士になれるのも分かった。だが、オレは人を守るなんて向いていない」
だが、リドは頑なに断る。
「どうしてそこまで?」
アリシアはリドが騎士という地位以外に何かを嫌がってるように感じて首を傾ける。
アリシアの動作を見たリドは窓から離れてベッドに座り込むと、自分の腕を見ながら話す。
「オレは誰かを守るなんて柄じゃない。人を殺すことしかできない。実際にオマエもオレがアルバノを殺すところを見たはずだ。
「……そうです」
「そんな世界で生きていく自信なんかオレにはねぇよ」
……リドは言葉を溢すように言った。
スラムに巣食う者達にとって恐ろしいモノは何か。
正解は外だ。
外で犯罪を犯して、逃げるようにスラムに入ってきた人間はともかくとして、スラムに生まれ、スラムで生まれ育った子供達の大半は外を恐れている。
何故なら、強者である屈強な大人達が逃げてくるような場所だからだ。
必然的にスラムよりも外の方が恐ろしいと感じてしまう。
リドもそれは同じだった。
自分に剣を教えた男。世界で一番強いと思っている男ですら、外から逃げ出してスラムにいたのだ。
怖いと思っても無理ない話だろう。
初めて見る怯えた様子のリドを見たアリシアは、悲しそうな顔を浮かべながら、震える手に触れようとする。
が、ドアが盛大に開く音でアリシアは動きを止めた。
リドとアリシアの視線がドアのほうに向く。
そこには、
「アンリ様! リドの家名の正体が特定できました!」
エマが居た。
「……あら、エマお疲れ様。特定って、本当に?」
「はい。初めて聞いた時から聞き覚えがあると思ってはいましたが、20年前の世界大戦時、他の英雄騎士の方々と共に戦場を駆け抜けたロイ・エディッサ様の血縁であるとの確認が先ほど取れました」
……なに?
ロイ、だと?
「おいエマ、それは本当のことか?」
「あぁ、リド起きていたのか。昨日は手荒に拘束してすまなかったな。今の情報はエルセレム帝国の英雄騎士、ロベルト・ストレイフ様とクリード・トリエテス参謀が仰っていたから、本当のことだ」
「ロイは今、何処にいる」
リドはベッドから立ち上がりエマに近寄っていく。
「……ロイ・エディッサ様は、2年前、先代の女王陛下が亡くなってから行方不明だ」
エマは残念そうに言う。
「……そうか」
リドはロイを知っていた。
子供の頃に戦い方と人としての生き方を教えてくれて男だ。
リドという名前とエディッサという家名を授けてくれたのがロイという男だった。
自分は捨てられた子供だと思っていた為、ロイが血縁だったということはかなり衝撃だった。
しかも親戚とかではなく、実の父親だったという事実にもショックを感じていた。
なぜ父だと名乗らなかったのか、ロイが何を考えていたのかが全くわからない。
「本題ですが、謁見の間でロベルト様が、アンリ様とリドに面会させて頂きたいと仰っております」
エマの言葉にアンリと顔を見合わせたリド。
厄介な匂いしかしないが、出口もわからないこの場では従うしかなかった。
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