第12話
アルバノとの戦闘の後、グロテスクな光景でグロッキーになった女性陣を連れて屋敷のエントランスに戻ると、アンリが鉄で出来た扉を指差した。
「リド様、エマ。あちらに地下室への入り口があります。その中に囚われている方々を解放していただけませんか?」
「なんでそんなこと知ってる?」
「この中に囚われている方がいらっしゃると、わたくしに教えてくれた子がいました。あっこの子です!」
どこから現れたのか、アンリの足元に黒い毛玉が絡みついていた。子猫だった。
「危険です、アンリ様!」
野良猫はどんな雑菌を持っているかわからない為、エマが慌ててその毛玉を抱き上げようとするが、その気迫にびっくりして子猫は「シャーー!」と威嚇していた。
思わず「う、うぐぬぅ……」と初めて聞くような呻き声を一つ。
「ち、違うんだ、猫さん。私は君を傷つけるつもりは……」
「フシャーッ!」
警戒する子猫の頭をアンリはよしよしと撫で、「この子は賢い子なので大丈夫ですよ」とエマに微笑んでる。
そんな主人を見て、エマは子猫を回収するのを諦めて気落ちしていた。
「まぁいいか、手間でもねぇし。さっさと行くぞ」
そうして、黒猫とリドを先頭にして、アンリとエマはその後に続いて地下室への階段を降りていく。
かなり長い階段のようで、全く先が見えない。
黒猫は慣れたように石で出来ている階段を軽い足取りで降りて行く。
「……リド様はお強かったのですね」
ランタンを持っているエマの後ろを追っていたアンリは、先頭を進むリドに声をかける。
リドは振り返ることなく返事を返した。
「温室育ちじゃねぇのは確かだ」
エマも、そしてこのアンリという女も、雰囲気から良家のご令嬢というのが分かる。
貧困育ちとして、無意識のうちに小さな皮肉を返していた。
「……ん? 待てリド、温室育ちとは私のことか?」
エルセレム帝国所属残念騎士(笑)のエマが反応した。鈍感ではないようだ。
「……」
「せめてなにか言え! バカモノ!」
「……フッ」
「笑うな!」
地下室へ向かう道には、ぽつりぽつりとランタンがあるが、ほとんど意味がない程に暗かった。
そのお陰で後ろの二人には気付かれてはいないが、リドの口元は楽しげに緩んでいた。
その顔は戦いのときのような残酷な笑みではなく、ただ友人と戯れている時のような優しい笑みだった。
リドは今まで同年代の人間と殺しあうことはあれど、楽しげな会話をしたことは少ない。
数年前までは家族のような子と一緒に行動していたのだが、既に死に別れている。
スラムの中で会話をするのはコビデくらいだった。
警戒せず会話が出来るということに対して懐かしさを感じると同時に、この空間が心地いいとも思い始めていた。
「……もういいっ! それよりリド、私に剣の正しい使い方を見せると言っていたが、どこかで剣術を嗜んでいたのか?」
「ん? あぁ、まあな」
リドは過去の苦い歴史に思いを馳せる。
敗北と砂と鉄の味しかしなかった頃の記憶がリドの脳内に蘇った。
「スラムの剣道道場だよ」
「そんなところがあるのか?」
「あるわけないだろ」
「ないのか!? 嘘をつくなバカモノ!」
ぷりぷりと怒るエマ。声がデカいのが少しだけウザいが、それでもからかい甲斐のあるやつだと思える。
階段が思いのほか長く、まだ部屋まで着かない様子だったのもあり、珍しくリドは真面目に答えてやろうと思った。
「昔、まだガキの頃に叩き込まれた」
「そうか。あの素早い足運びと目にも止まらぬ神速の剣は、かの英雄騎士ロベルト様クラスの人にしか教えられんだろう。なんというお名前の御仁だ?」
「……さぁな」
物心がついた時には側にいた男。
急に戦い方や生き方、人との関わり方を教えられた。
リドにとっては厳しくも優しい、父親のような男だった。
だが、その人もリドが戦えるようになってから急に姿を消した。
恐らく、あの男は最後にこう教えたかったのだろう。
『どれだけ近くにいる存在でも、決して心を許すな』と。
それ以来、その男の背中を思い出すのはやめた。
エマはリドの暗くなった声音を聞いて何かを察したのか、それ以上詮索しようとはしなかった。
こういうところを地味に気に入っていた。
「機会があったら、私に剣術の稽古を付けてくれないか?」
エマは話を変えるために敢えて明るい声でそんなことをリドに言い出す。
気を使い過ぎだと思いながらも、リドは目を優しげに緩めた。
「機会があったらな」
エマの「約束だぞ?」という声に身がかゆくなってくる。
そんな彼を救うようにアンリが声を上げた。
「ここです。この中が攫われてきた子達がいる部屋です。
いつのまにか目的の扉が階段下に見えていた。
先に辿り着いていた黒猫がニャーニャー言いながら扉を引っ掻いている。
今まで会話を静かに聞いていたアンリは扉の前に立ってから、意を決したように軽く息を吸い込んでゆっくりと地下牢の扉を開いた。
中は薄暗く、目が慣れてないと何も見えないくらいだが、人の気配を感じる。
扉が開いた瞬間に怯えたように息を呑む声が聞こえてきたが、入ってきた人間がアルバノではなかったからか、安心したように息を吐き出していた。
エマは暗い場所に慣れていないのか、まったく見えていない様子で「失礼します」と断りを入れて携帯用ランタンで辺りを照らした。
「……っ?」
部屋の中には5人の女が居た。
幼い少女からリドと同い年くらいの女まで、いずれもおびえた表情で突然の光に身を竦ませていた。
「もう大丈夫ですよ。この優しいお兄様が怖い人を倒してくれましたから」
そんな怯えた少女達にアンリは汚れている床に躊躇なく膝をついて優しく声をかけた。
そんなアンリの横をこれまた軽快に走り出した黒猫が駆けて行き、一人の少女の元に飛び込む。
「……く、くろまめ!? ほ、ほんとうに?」
猫を受け止めた一番幼いであろう少女がアンリに問う。
「貴女がユリアさんですね。この子が助けにきてくれました」
一度アンリに「なんで名前を知ってるの?」と驚いたような目を向けた後、今度は黒猫に視線を向ける少女。
猫の様子を見て納得したように息を吐き出した後、優しげな手つきで黒猫を撫でていた。
「もう、どうして帰ってきちゃったの? あなただけでも逃げてって言ったのに」
「にゃーにゃー」
「こんなに危険なことして……おこってるんだからね?」
「にゃー……」
言葉とは裏腹に、少女は嬉しそうな表情で、目元に涙を浮かべていた。
黒猫は必死に頬を擦り付けることで、少女に甘えている。
「……ふふっ、あなたのお名前はくろまめさんと言ったのですね。ご主人様と再会できて、よかったです」
「にゃーっ!」
アンリの方を見て、まるで「ありがとう!」と言っているような表情だった。
多分、この二人が離れることは二度とないのだろうと思えるほど、少女と黒猫の絆は固いように見えた。
仲良く抱き合っている二人を優しげに見届けていたアンリは、次にリドの腕を取って残りの少女達の元に連れ出す。
「この方が誘拐犯を助けてくれたので、もう安心ですよ」
「……」
リドは無表情で少女たちのほうを見ている。
身長こそ高い方ではないが、威圧感を与える顔を持つリドを見て、少女達は怯えたように抱き合っていた。
「……ふっ」
なんとなく空気を察したリドは、少女たちを安心させるために少し笑ってみる。
だがそこには先ほどエマと会話しているときに見せたような優しげな笑みはなく、どんな強者だろうと震え上がる悪魔のような笑みがランタンに照らされながら浮かんでいた。
軽くホラーだった。
「ひっ! 殺人鬼!?」
少女たちは近くのもの同士で更にキツく抱き合い、リドの顔に悲鳴を上げる。
「……ふっ」
リドは何がいけなかったんだろうと思いながら、もう一度笑みを浮かべてみるが、やはり怖がられる。
そんな様子を見ていたエマがため息を付き、頭を抑えながらリドの前に出た。
「おまえは少し笑顔の練習をしたほうが良いな……」
失礼な奴だな。
笑顔を作るようなフレンドリーな友人が今までいなかったし、接客業なんて出来るような環境ではなかったのだから、そんな簡単に笑顔が作れるわけがないだろ。
などと若干言い訳のようなことを考えるリド。
そんな様子を見て、エマは「笑顔に関しては私の得意分野だ。剣術を教えてもらう代わりに、私が教えてやる」とリドに囁いた。
「お嬢さん達、もう大丈夫だ。君たちを怯えさせるような怖い人はこのお兄さん以外にはいない。今から君たちは自由だ。安全な場所まで送るから、ご家族の待つお家へ帰ると良い」
エマはそう言って頼もしそうな笑みを浮かべる。
この人に付いて行けば何も心配はないと思わせる見事な表情だった。
「流石は将来有望な騎士様ですね」
アンリはエマの姿を見て微笑む。確かにそこには毅然とした凛々しくも慈悲深い騎士のような女がいた。
先ほどまで「バカモノ! バカモノ!」と連呼していた残念騎士(笑)には見えなかった。
なるほど、騎士ってのはそういう表情ができないとだめなのか。
リドは少しだけエマを見習うと同時に、なぜか負けた気がして悔しい気持ちになった。
騎士様(凛)@元残念騎士の姿を見て、固まっていた少女たちはお互いに顔を見合わせ、安心したように立ちあがる。
自らの足で歩き、アンリが持つランタンの光を追っていた。
「では、いきましょうか」
もう一度背後を振り返って優しく微笑んだアンリは、エマと並んで先頭を歩きながら階段を登っていく。
アヒルの子供のように後ろに引っ付いた子供達を見ながら、リドは後方に控えた。
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