第2話


 エルセルム帝国、東側にあるシス門前の大通り、通称商店通りに来ていた。

 

 ここは旧市街地と呼ばれる、リドの住んでいるスラム地区から一番近い市場なため、報酬が手に入った時はいつもこの通りで食材を購入している。

 

 ブタを焼いたものから、アクセサリーの露天商まで様々なものが売っている。

 だが、今の所持金は報酬の15銅貨と元々持っていた所持金を合わせても雀の涙程度だ。

 

 ブタ肉の値段は30銅貨か3銀貨なため、とてもではないが買うことができない。

 肉の焼ける匂いに腹を鳴らしたリドは、いつも利用する商人の元へと足を向けた。

 

 スラムの中では比較的汚れの少ない服を着ている方が、やはり通りを行きかう人間と比べればみすぼらしいのは否定できない。

 

 街を行く人々とすれ違うたびに目を向けられ、ヒソヒソと何かを囁かれる。

 

 だがそんな視線を気にしていてもしょうがない。

 生まれの違いを気にしたところですぐに何かが変わるわけはない。一般的な世間を知らないリドには現状打開の方法が思い付くわけもないからだ。

 ただ、人に目を向けられるのは苦手だった。スラムの中でも特に人の悪意に敏感なリドだ。

 

 先に視線を向けた方が戦闘の主導権を握るのがスラムという場所だ。街中だとはいえ、好奇の視線、嫌悪の視線というものですら居心地が悪い。

 

「……さっさと終わらせて帰ろう」

 

 スラムは犯罪者の温床。特に殺人と性病の巣窟というイメージが強いため、嫌悪の目を向けられるのは慣れている。

 生まれてからずっと見ず知らずの人間には同じ視線を向けられ続けてきた。

 だから気にしても仕方がないのだ。そう自分に言い聞かせて街を歩く。


もう少しでパン屋に着く、というところだった。

 

「きゃっ!!」「――っ!?」

 

 体に軽い衝撃を覚えて咄嗟に身を引く。何かにぶつかってしまったようだ。

 つい周りの視線や屋台から漂ってくる食べ物の匂いに意識を取られていて前を見てなかった。

 目の前でしりもちを付いている人に目を向ける。どうやらぶつかった相手も厚手のコートのフードを被っており、前など見えていなかったようだ。

 

「おい、ちゃんと周りを見て歩けよ。危ないだろ」

 

 よそ見をしていたリドが人に言えることではないが、真っ先に被害者のふりをすればなんとかなるのが外の世界だと、昔コビデが言っていたため強気に出る。

 注意したフードの人物は慌てて立ち上がり、頭を下げる。

 

「も、申し訳ございません。このようなところを歩くのは初めてで、人々の活気に目を奪われておりました。お怪我はございませんか?」

 

 今まで聞いたことのないような言葉使いで謝罪をされる。

 声質からして若い女だ。

 

「……あぁ、オレは無事だ。オマエこそ随分な勢いで倒れたが、怪我はないか?」

 

 悪意を向けられることはあれど、このように本気で謝られたことなど今までの人生で皆無だ。

 少しむず痒くなり、リドは態度を和らげる。少なくとも敵ではないだろう。

 

「え、えぇ。ご心配ありがとうございます。私はなんとも……っ!」

 

 少女の口元が若干引きつる。怪我をしたのだろう。

 右足を地面につけないように浮かしながら微かに震えている為、恐らくは足首だ。

 

「……いやだったら言え」

 

 リドはその場に膝を落とす。少女はスカートを履いていた。少ししゃがむだけで足首がよく見える。

 

「あっ……」

 

 フード越しでも、女の顔が赤くなるのがわかる。

 

「ったく、腫れてるじゃねぇか」

 

 軽く見てわかるほどに、彼女の足首は赤く腫れ、軽く擦り傷もついていた。恐らくは軽度の捻挫だろう。

 

 街の地面はすべて石を並べて舗装されてある。

 

 削ってあるとはいえ、石の繋ぎ目ではつま先をひっかけることもある。

 何より少女の靴は全くと言っていいほど底が減っていない。

 履きなれてない靴で人と勢いよくぶつかれば体勢を崩し転倒するのも無理はないだろう。

 

 少女は患部を見られるのが嫌なのか慌てて足を引こうとする。

 

「この程度、私は平気です。なので、その、あまり見ないでいただけると……」


「平気なわけがないだろう」

 

 患部と思しき場所を軽く突いてみる。

 すると少女は痛みに耐えるように小さくうめいた。

 

「やっぱり痛いんじゃねぇか……」

 

 リドのせいでもある。責任感など全くないが、ここで見捨てて立ち去るのも外聞が悪い。

 二日もすれば忘れるだろうが、思い出して舌打ちするのも厄介だ。

 診察を終えたリドはかがんだ状態で少女に背中をむける。

 

「乗れ」

 

「え? 乗る? ですか?」

 

「いいからさっさと乗れ」

 

「は、はい。申し訳ありません」

 

 委縮していたが、少し脅すように言えばおずおずと体重を預けてきた。

 

「お父様以外の人に抱き着いたのは初めてです……」

 

 後ろから何かを呟く声が聞こえたが、無視して少女を路地にある階段まで運んだ。


 少女を階段に座らせて、自分の持ち物を確認する。包帯は自分が怪我した時用に持ってるからそれを使えばいい。だが薬までは持ってない。

 ……流石にこのまま放置するわけにもいかないか。

 

「ここで待ってろ」

 

「どちらへ行かれるのですか?」

 

「……すぐ戻る」

 

 いちいち説明するのも手間だ。キョトンと首を傾げる彼女を置いてリドは薬屋に向かった。


 普段薬屋に用のない為、正確な場所がわからないリドは周囲を見渡す。

 

 大きな怪我や風邪などでも、昔から一日でも寝れば治る。そんな体質なのもあって薬をどんな人間が売っているのかわからないのだ。

 

 とりあえず近くに居たクチバシのような仮面をかぶっている間抜けに声をかける。

 

「おい、鳥仮面。腫れ、痛み、痣に効く薬はどこで買えばいい?」

 

「いらっしゃいませ! えぇ! その三つに効くものであれば塗り薬がありますぞっ!」

 

 どうやらこの間抜けが医者だったようだ。大丈夫だろうか。

 こんなアホみたいな仮面を被る奴が作る薬など当てにはできないが、今は時間が惜しい。

 

「ならそれを一つくれ」

 

「かしこまりました! では、塗り薬一つで、銀貨二枚になりますぞっ!」

 

「銀貨……?」

 

 まずいな、手持ちは銅貨15枚しかない。

 

 外の世界での通貨は10銅貨で1銀貨。

 100銀貨で1金貨。

 1000金貨で白金貨1枚となる。

 

 白金貨一枚で王城と同規模の豪邸買えると昔コビデから聞いたことがある。

 

 リドには縁遠い話だった。

 

「なぁ、その薬少しまけてくれないか?」

 

「なんです? 所持金が足りないのですか? 今時子供でも銀貨3枚程度は持ってる時代ですぞ?」

 

「うるせぇな、ないものはない。急いでんだ。いいからまけてくれ」

 

「うーむ……まあいいでしょう。いくらなら出せます?」

 

 クチバシ越しにため息をつかれる。少しイラっとした。

 

「……今の手持ちは銅貨15枚だ」

 

「銅貨を15枚!? すくなっ! そこら辺の家無き者たちでも、もう少し持っていますぞ」

 

「うるせぇな。持ってないものは持ってない。さっさと銅貨を受け取って譲れ」

 

「その程度のはした金で我が研究成果を譲るのはちょっと……というよりかなり厳しいですなぁ〜」

 

 煽ってくるようにクチバシでリドの頬を突いてくる。

 どれだけ言われてもないものはない。

 

「おい、急いでるって言ってるだろ、さっさと寄こせ」

 

「ですが、さすがに……」

 

「そのアホみたいなクチバシごと顔面を粉砕されたくなきゃさっさと物を寄こせ。何ならオマエが自分の作った薬の有用性を全身で感じたいか?」

 

 少しドスを効かせた声で薬屋を威圧する。

 手に持っていた銅貨を一枚弾いてそのクチバシの先端を弾き飛ばす。

 

「ひっひぃっ! わ、わかりました! その額で結構ですぞっ!!」

 

「わかればいい」

 

 震えた手を差し出す薬屋に銅貨を渡して塗り薬を受け取った。

 緑色をしていて、ビンの栓越しでも鼻を刺す刺激臭がする。

 

「ま、またのご来店……を……」

 

 薬屋は言葉が涙声になっていたが、そんなことはもはやどうでもいい。

 

 しかし恩があるのは確かだ。

 

「その間抜け丸出しの仮面はやめた方がいい」

 

「こっ、これは由緒正しき仮面なのですぞ……ッ!?」

 

 クチバシ無き仮面医者は何かを叫んでいるが、無視して駆け足で階段へと戻った。

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