スラム出身の最強騎士

@shirakisyu

第一部 スラムの怪物

Chapter1 特区の悪童

第1話


 物心がついた時にはエルセレムという帝国の貧民街に居た。


 両親の顔をオレは知らない。


 唯一わかることといえば、此処では力が全てだということ。


 力の無いものは食料を手に入れられず、死んで行く。

 力があるものは他人から物を奪い、生きていける。


 信じられる人などこの世界には居ない。


 背中を見せれば殺される。


 酷く単純な世界。



 貧民街に生を受けたオレは、生き地獄と言って余りあるような環境で生きてきた。

 ガキの時分にでも殺されていればこんな汚い世界を見なくても済んだのだが、不運なことにも戦う才能だけはあった。

 生きる為に弱者から物を奪い、抵抗すれば容赦なく殺した。


 殺すことに抵抗なんてなかった。

 殺さなければ殺される。

 当たり前のことだ。



 空から美しい氷の結晶が降りてくる季節。

 街は一切の穢れがないように純白で、目を刺すほどに清廉で、灰色の空を見上げているだけで心が落ち着く。

 空気を吸い込むたびに胸の中が浄化される気持ちになる。

 フッと息を吐き出せば、普段は目に見えないはずの呼吸さえ、色がついてみえる。

 小粒から大粒に代わり、シンシンと静かに降り積もっていく雪。


 オレと同じ歳くらいの若者にとってこの王都は、寒い中でも活気があふれ、人と人が助け合い、皆が純粋な善意のみで共存している綺麗な世界に見えるのだろう。

 だが、残念なことにそんな綺麗な世界にも汚い部分は当然のようにある。


「まっ、まて! まってくれ! 何が目的だ!」


 ある貧民街の片隅に悲鳴にも似た叫び声が響く。

 大通りを少し逸れて入った先にある貧民街。その入り口付近で必死に荒い息を繰り返す男は石畳に尻もちをつき、こちらを見上げている。


 男の周囲には降り積もった雪の白さなど欠片もなく真っ赤な血だまりだけが広がっていた。

 今も雪が血液を吸い上げ、溶け合い、どんどんとその範囲を広げていく。


「……」


 男の質問には答えず、呼吸を荒くしているせいで咽せて咳をしている男に近寄り、顔を爪先で蹴り飛ばす。

 答えるつもりがないわけではないが、生憎と答えを持ち合わせていなかった。


 うめき声すら上げることは叶わず、蹴られた衝撃で首の骨を骨折。血痕のみを残して盛大に吹き飛んでいった。最後には後頭部から壁と激突して頭蓋骨を粉砕。

 もう二度と口から白い息を出す必要がなくなった。


「……これで最後か」


 臨戦態勢を解かずに周囲を見渡す。戦闘を行えるものは一人もいない。

 敵意を向けてくる視線がないことを確認して溜めていた息を吐き出した。


「リド、終わったか?」


 虐殺ともいえる惨劇を隠れて見物していたのだろう。二十代後半の遊び人といった風格の男が、暗闇から浮かび上がるようにして現れた。


 この男の愛称はコビデ。


 通貨の価値が著しく低いこの街でも、生きていく上でどうしても必要な日銭というものはある。それを依頼という形式を使い頼んできて、オレが達成することで賃金を払ってくれる。後ろ暗いクライアントとオレの仲介をしている男だ。


「あぁ、確認してくれ」


 今居る小さな空き地には二十人を超える人間が倒れている。

 まだ息がある者はいるようだが、この寒さだ。

 肉体の生存機能を失うのも時間の問題だろう。


「相変わらずいい腕だなリド。この人数で攻撃を受けることもなく一人で倒しちまうなんてさ」


 コビデはオレの服装の乱れのなさを見てそんな感想を口にした。

 この程度のゴロツキ相手に苦労するようならオレはとっくの昔に死んでいる。

 昔知り合いが言っていた。


『武力を持たない人間が何人集まろうと、強者の前には屍を晒す以外に道はない』


 その通りだとは思うし、否定できるような敗北をオレは今まで経験していない。


「死ぬとわかっていたら引き受けてない。それより、オマエが持ち込んだ情報では相手の数は五人程度だったはずだ」


「え? いやぁ……あれ、そうだったっけ? おかしいなぁ」


 コビデはトボけるように明後日の方向を見ながら口笛を吹いている。

 目を泳がせている時点で確信犯だ。本気で隠そうともしていない。


 この男が嘘を得意としていることはずいぶん前から分かっているし、全力で隠そうと思えば言葉だけでなく姿すら消すだろう。


 この男もまたこのスラムで詭弁のみで生き残ってきた人間。


 事実、この街では逆に悪目立ちのするシワひとつない高そうな服を着ている。

 十分に化物の部類だ。


「オレは五人程度だと聞いてた。楽な仕事だと確信していたんだが、その細い目を開いてしっかり数えてみろ」


「あくまで五人程・度・だよ。明確に五人とは言ってないだろう? それに、優劣の度合いだけで言うなら、リドにとって五人も二十人も変わらないんじゃないかい?」


「煙に巻こうとするな。この場に死体を一つ増やしても問題ないのはオマエならわかるよな?」


「そう怖い顔をするなよ。俺はお前だけは敵に回す気はないさ。依頼人に話つけとくし、今回の報酬に5枚上乗せするからさ?」


「チッ……ならいい」


 根負けしたようにコビデは懐から銅貨15枚を渡してくる。最初から袋に15枚入っている時点で最初からこの依頼の報酬として、銅貨15枚が用意されていたのだろう。

 やはり信用できない男だ。

 銅貨15枚では、パンを2つ買ったらほとんど無くなるが、此処では十分に贅沢だ。


「こいつら外から来た人間だろ? 足運び、視線の誘導。修羅場を超えてきた人間の動きじゃなかった」


「おいおい、お前さんからしたら大抵の奴らの動きは隙だらけに見えるんじゃないかい?」


「そうでもない。スラムで生きている奴らは動きに迷いがない。他人を殺すのに一切の躊躇いがないからな。それに比べるとこいつらは明らかに平和ボケしていた」


 命までは取られないだろう。と淡い期待をしているのを感じた。一人目の頭が吹き飛ぶ前までは。

 熟練者同士での戦いの大半は後手が優勢だ。敵の動きを見極められるし、先制攻撃を交わしたカウンターの一撃で勝敗が決まることもある。それも含めてオレは初手を譲る。

しかし今回の戦いでは敢えて、目を凝らしていれば分かる隙を見せていたにも関わらず、ゴロツキたちはその時に攻撃をしてはこなかった。


 殺し合い慣れをしていない証拠だ。


 オレの指摘にコビデは大袈裟に肩を竦める。


「やれやれ、お前さんにとって敵の正体なんて関係あるのかい?」


「……言ってみただけだ。次も仕事があったら教えてくれ」

 オレは貰った銅貨をポケットに突っ込んで路地裏を後にしようとする。


 目指すのは大通りの市場だ。そこならパンが安く買える。

「リド、少し待ってくれ」


「依頼は終わったのに、まだ何か用か?」


 不快感を顔に出そうとするが、コビデは珍しくいつものニヤけた面を浮かべていない。

 無視することも出来たが、少し違和感を覚えて立ち止まった。


「いや、今日はもう無いんだが。近々デカい仕事が入るかもしれない。そのことを伝えたくてな」


「でかい仕事?」


 今までそんな前振りをされたことがないため、オレは首をかしげる


「あぁ、まだ依頼人に受けるとは言ってないが、相当な額が手に入るだろう。その時はやってくれるか?」


 相当な額……? 銀貨1枚とか? いやまさか銀貨3枚とか貰えたりするのか?


 憶測でしかないが、今までで一番稼げるのは間違いないだろう。それなら多少危険でもやる価値はあるな。


「納得のいく値なら引き受ける。決まったら教えてくれ」


「リドならそう言うと思ってたよ。次も生きて会おう」


 コビデはスラム特有の別れの言葉を口にして、上機嫌な様子で路地裏から去っていった。

 路地の角に消えていく際、今夜は冷えるから気をつけろよな、と口にしていた。


「……余計なお世話だ」


 日はまだ高いが、暮れる前に食材を買わなければいけない。


 オレは一度、もうすでに息の無くなった男に視線を飛ばしてから、大通りに向かって歩き出した。

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