第三章、覚醒

「すっかり遅くなってしまったな…」


みさきの家から飛び出して一度自宅に帰宅した優弥。

諸連絡などを済ましている間に時間は進み、シエルをみさきに任せて2時間以上が過ぎていた。

身なりを軽く整えて、玄関から足を踏み出した。

すると


「雨…?」


天気予報を確認した時には降る予定がなかった雨が今、猛烈な勢いで降り注いでいる。

傘を取り出して懐中電灯を手に取り、みさきの家に向かおうと外へ一歩踏み出した時、優弥は違和感に気づいた。


「なんだこれ…。赤い雨…?」


傘から滴り、懐中電灯によって照らされた雫は錆色をしていた。

こんなことあり得ない。

優弥はなにかよからぬ事が起こる前兆だと悟った。


嫌な予感はするが、それでもみさきの家へと歩みを進める優弥。

しばらく歩くと、彼の懐中電灯は奇妙な物体を照らし出した。

それは布。

何かを包んだ布。

まるで人間一人分のサイズ。

いや…違う。

これは


「だ、大丈夫ですか!?」


ソレの正体に気づいた優弥は一目散に駆け出した。

紛れもない人間の男性。

それが不自然に道の真ん中で倒れ込んでいる。

優弥もその姿を知っている人物であり、幸い呼吸はあった。


「ゆ…優弥か…わからん。急に雨が降り出したと思ったら…全身から力が…」


「雨…?」


優弥は傘から手を出して、雨に触れてみる。

触った感触はある。

しかし、水のような滴る感覚はなく、直ぐに蒸発する。


「これは水じゃない…?なんだ…?」


優弥は立ち上がりあたりを見渡す。

雨が降っているというのに地面は濡れた痕跡がない。

そして優弥の目には彼以外に力尽きた人々が映った。


「一体何が起きているんだ…?」


……


「!!。その雫には触れてはいけません!」


同刻。

何か異変を感じ取ったシエルの要望を聞いて彼女を背負って外に連れて行く事に決めたみさき。

しかし、家から出る一歩手前でシエルがそう叫んだ。


「なに。雨じゃないの。ただの…?えっなにコレ、赤…」


目の前に降る雨をみて、静止するみさき。


「それからは瘴気を感じます。私はともかく人間が触れてはいけません。」


「しょ、瘴気…?…触れたらどうなるの?」


「人の肌に触れると、すぐさま生命力を奪って蒸発します。少しなら大丈夫かもしれませんが、大量に浴び続けた場合、命の保障はできません。」


「怖っ!!というかなんでそんなモノが降ってるのよー?!」


「わかり…ません。どうしましょう。この雨を止むのを待っていたら、今外にいる人達の命が沢山…。」


「…はあ…あーもう!原因はわかる?」


「なにかはわかりませんが、原因であろう存在の大体の場所はわかります。」


「行ってなんとかできる?」


「自信はありませんが、やってみます。」


みさきはシエルのその反応を聞いて、そっと彼女を玄関に座らせると、「仕方ないわね!!」と言って雨ガッパを羽織った。

そして、再びシエルを背負うと


「案内しなさい!!」


と言って走り出した。

顔や手に受けるその雨粒は、即座に蒸発し、みさきはこれがただの水ではないと即座に実感した。

シエルが支持するままに走るみさき。

彼女は町外れの林の中に導かれる。


体力にも自信があったはずなのに凄まじい疲労感が彼女を襲う。

想像以上に軽かったシエルを背負っていることを考慮しても、あまりにも異常だと彼女は思った。

草木をかき分け走り抜けるみさき。

すると目の前に人影が現れた。


「優弥。あんたここで何して…」


「みさき…それにシエル。お前達こそ何故…。」


人影の正体は優弥。

傘こそさしてはいるが顔色が悪く、表情からかなり無理をしている。

それだけ彼がこの雨の中で行動をしていたことが理解できる。


「あたしはシエルがここにこの雨の原因があるとかいうから連れてきたわけで…」


「原因…。やっぱりそうか。」


「確信はありませんが、この先に極めて強い瘴気を感じます。…私としてはあくまで『事象』のようなものであってほしいのですが。」


「どういうことだ?」


「瘴気というものは『私達の世界』に存在する神々の一柱が生み出した『人を滅ぼす力』なのです。それがこの地に、予兆もなく発生するなんて考えられなくて…もしかしたら…何者かが…」


「そんなところに私を連れてきたの!?」


「申し訳ありません。この通り私は動けない故…。何かあっても私がお二人を必ず守りますから!危なくなったら逃げてください。」


二人の反応をみて、優弥は腕を広げた。


「みさき。シエルは俺が引き受けるよ。だから君は帰るんだ。付き合う必要はない。」


「はあ?フラフラなくせに偉そうに!ここまで来たなら最後までやるわよ!」


そう言ってシエルを背負い直して歩き出すみさき、優弥は彼女の背を追って重い足を動かした。



「なんだあれ…」


シエルが指示する場所に辿り着いた優弥達の視界には黒い霧のようなものでできた柱が空に向かって伸びている光景だった。


「間違いありません。これがこの雨の原因です!」


「じゃあ早くなんとかして!もう吐きそうなの。」


「そうしたいのは…山々ですが。」


シエルがすっと指差した方向には人影。

その影はこちらに気づいているようでゆっくりと三人に向かって歩いてきている。

優弥は二人を守るように一歩前に出て、その影を睨んだ。


「ほう…。ここまで辿り着いた者がいるとは、マナも持たない哀れな存在ばかりと聞いていましたが、例外もいるようですね。」


鮮明になったその影はすこし痩せ型の男性。

現代社会のものとは思えない、教科書などでみる中世の貴族のような正装をしていた。


「この雨を降らせているのはお前か。今直ぐ止めろ」


「…何故」


「なぜ??この雨で苦しんでいる人がいるのに。知らないでやってんの!?何が目的よ!」


「目的?至って簡単なこと。自分達の活動拠点に害虫がいればまずは、駆除する事から始めるだろう?最もこの『洗浄』がもっと広い範囲で扱えたならこの世を物にするには楽だったのだろうがね」


「私達が害虫ってこと!?なんなのこいつ!」


「この感じ。彼は…私達の世界から来た人間です。目的は…わかりませんが。友好的とは思えません」


「…だろうな。」


「ほぉ、これは、よくみたら我々アルメリアの人間。…いや、貴様。人魚か。ふははは、面白い。まさかこの地で伝説上の種族を拝めるとはな。」


シエルを見て笑う男。

彼が発したアルメリアと言うのは異世界の名称なのだろう。


「丁度いい、手土産に人魚を持ち帰ってしまおう。無限のマナを生成する器官。本当の話であれば失ってしまうには惜しい。」


男は、腰に下げた剣を引き抜くとじりじりと歩み寄る。


「だが、まずは、邪魔な奴を駆除しなければな。」


男のその言葉を聞いた優弥は、傘を持つ手を逆にして身構えた。


(だが、どうする?俺だけが犠牲になれば二人は助かるか…?)


優弥にはどう考えても目の前の相手を退ける光景が見えない。

すると彼の背後から「優弥さん!伏せてください!」とシエルの声が聞こえた。

咄嗟のことで反応に間があいたが、優弥はその身を伏せてすぐさま顔を上げた。

するとその直後、勢いのある水の柱が男の身体を貫いた。

背後では、みさきの背の上で息を荒くして手を突き出す構えをしているシエル。


「シエル…お前…」


「水属性魔法、ブルーランス。私だって戦えます。」


シエルの放った水の槍で貫かれた男は、フラフラと後退る。

みるからに致命傷。

彼はもう助からないだろう…。

そう、その場にいた誰もが思った。


「ふ、ふふふ。いいぞ。いい魔力だ。防御魔法を貫通してくるほどの熟練した魔法。やはり殺してしまうには惜しい…!」


「生きてるのか!?」


「あの傷で!?人間じゃないわよ」


「そうだ、俺は人間じゃない。それを超えた存在…。醜い姿になってしまうが仕方ない…。本当の姿を見せよう!」


男がそう言った時、破れた服の間から見えた腹部の結晶が禍々しい光を放った。


「あれは…!?」


ソレを見た優弥は自分のポケットを弄る。

出てきたのはひし形の宝石。

その宝石は青白く輝いていた。

まるで、あの結晶に反応するかのように。

そして光に包まれた男が姿を変えた。

筋肉質な大男。

オーガと言うに相応しい姿に。


「これは無理です。私では手に負えません。

二人とも逃げ__。」


シエルがそう言い終わる前に、優弥とみさきはその地に倒れた。


「なんだ…。体が…っ?」


「意識が遠くなる…」


(二人の時間切れ…?いや、これは…あの人の瘴気が膨れ上がったせい…?)


シエルは考えた。

せめて自分だけでも犠牲になり、二人を救えないかと。

仮に自分が捕まったとしてもこの雨がやまない限り二人は危険なままである。

何かできないか、考えた時、目の前にある宝石に気づいた。

それは優弥が持っていたもので、今なお青白く輝いている。


「魔石…」


シエルはソレが何かを知っていた。

異世界で存在する魔物達がその身に宿す結晶。

そして目の前の男の力の源。


「ほう、魔石がこんなところにもあるとは驚きだなァ?」


「…」


「だが人魚。チャンスだぞ。それを喰らえばお前も強くなる。今よりも遥かに」


シエルは、その魔石を手に取る。


「おっと!だが忘れるなよォ?ソレを喰らい身に宿し、拒絶反応が起きればお前は人魚で居られなくなる。つまりは魔物…。いや魔物以下の理性のない化け物になる。さあ選べ、待ってやる。」


まるで遊んでいるとばかりに、目の前の異形と化した男は笑う。


「や、やめろ…!シエル。そんな話に…乗るな!」


優弥が薄れる意識の中、シエルに呼びかける。

まだ側にある助かるかもしれない、『好きな人』の声。

それを耳にしたシエルの息が荒くなる。

感じた事のない緊張感で胸が締めつけられる。

ここで躊躇えば、優弥とみさきの命だけでなく、自分の命の保証もない。

ならば、もしも誰かの為にこの身を捧げて、誰かを守れるのなら、全てを失ってしまうよりはいいかもしれない。

たとえ、異形の化け物となったとしても…。


パキッ


シエルがその宝石を口にし、歯で挟み込んだ瞬間。

それはあっけなく砕けた。

しかし破片はすぐさま消滅し、代わりにシエルは

身体の内側に何かを貫かれた感覚を感じた。


「か…はっ…」


その時シエルは自分の中にも魔石があり、それを何かに蝕まれる光景を脳裏に感じた。

変わっていく。

変えられていく。

身も心も全て。

目の前の男が笑う光景も見える。

薄れていく視界、少しずつ、意識が塗り替わる。

殺意と憎悪。


「あ…あ…ぁ、あ"あ"あ"!!!」


コロス


『…ル』


ハカイスル


『…エル!』


ケシサ__。


『シエル!!』


その呼びかけを聴き、シエルの黒く塗りつぶされた視界が少しだけ晴れる。

優弥が彼女の両肩を掴み叫び続けている。

もう、立ち上がる余力なんて無いはずなのに。


「前を見ろ、自分を感じろ!俺を感じろ!」


「ユ…ヤ…」


「まだ、会って一日だ。まだお前の望みすら叶ってない。なのに俺たちの為にお前がお前じゃなくなってどうする!?」


「爺さんが言ってた。その石は願いを叶える石『エンジェリッククリスタル』だと。お前の願いはなんだ。」


「ワタシハ…」


優弥が指差したシエルの胸元にはひし形の水晶が浮き出ている。

シエルはその彼の手を取り、水晶に触れさせた。


無機物のはずなのに、優弥は水晶からトクントクンと鼓動を感じた。

そして…


「ワタシ…は…私は!人間になりたい!なって、貴方の隣を歩きたい!!」



シエルがそう叫んだ時、水晶から眩い光が放たれた。光は瞬く間に彼女を包み込んだが、その優しく、暖かな光に彼女は恐れる事なく身を委ねた。



そして光は拡散し、純白の衣装を身に纏った少女が『両足』を地につけた。


「なんだ!?なぜだ!?なぜ人の姿をしている!?」


「わかりません。わかりませんが、今の私には貴方を倒せるほどの力があります。」


「なんだと…」


「おとなしく雨を止めて、苦しめられた人に謝りなさい!」


「ふざけるなーっ!」


怒りに身を任せた巨体がシエルに迫る。

しかし、彼女は一歩も足を動かすことなく、指先から作り出した光剣で男を真っ二つに引き裂いた。


「な、何故だ…この俺が…。一瞬で…??シグナスさ…ま…」


二つに割れた巨体は灰となって、どこかへ消えていった。

それと同時に、雨を降らせていた黒い柱も消滅し、戦いの終わりを告げた。

シエルが振り返ると、みさきが駆けつけて彼女の手を取った。


「シエルなの?」


「はい。私です。」


「バカ!!あんたら二人揃って無茶するバカなんだから!!もう!本当に…。よかった。」


「みさきちゃん…ごめんなさい。」


「シエル、お前。人間になったのか…?」


「どうでしょう?でも、私今二人と同じ場所に立ってます!…あ、でも…」


「「??」」


「お、お二人はどうやって歩いてるんですか…?」


「あ、歩けないの?」


「両足に力を入れてなんとか立ってますが、う、動かすと倒れてしまいそうで…あっ」


シエルがそう言い終わる前に突然彼女の身体が輝き、その後輝きの中から優弥達の知っている人魚の彼女が現れた。


「え…あわわ…!?なんでですか!?せっかく!せっかく人間になれたのにー!?」


そう言いながらわたわたとリアクションをするシエル。

優弥はそんな彼女を抱き抱えると、


「とりあえず帰ろうか。一緒に。」


「はい。今日はつかれましたね。」


彼らは登り始めた朝日を背に歩き出した。

この日は三人にとって、この先待ち受けているであろう困難すらどうでも良くなるくらい、壮絶な一夜となった。

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