結婚式
「ジナさん、ぼくは彼女を本当に愛しているんです。」
ジナは憐れみも、笑いもしなかった。
力のある呪い師という噂だったが、目の前にいる女性がそうだとはとても思えなかった。
ぼさぼさの赤毛は、まるでナイフで切ったようにバラバラだった。
しかも埃や葉が絡まって気だるげな雰囲気を漂わせている。
「アンナと話したことはありますか?」
「ある。わたしのことを哀れんで、世話をしてやるから家に来い、なんて言ってた。」
「ああ!間違いなく彼女です!アンナです!」
ぼくは懐かしさのあまり歓喜の声を上げてしまい、慌てて頭を下げた。
「彼女はいい人なんです。でも気分を害されたでしょうね。申し訳ありません。」
「あなたが謝ることじゃないし、殴っといたから大丈夫。」
ぼくは驚きのあまり目を見開いた。
ジナをしげしげと見つめたが、嘘を言ったそぶりは少しも見られなかった。
「そうですか。あなたもいい人なんですね。」
「むかついて殴ったらいい人だなんて、どうかしてるわよ」
ジナはすまして言うと、枯れ葉が絡まった髪の毛を面倒くさそうに撫でつけた。
あちこちに跳ねあがるぼさぼさの赤毛は、その程度では収まらなかった。
「それより相談ってなに?」
「そのことなんです。少し言いにくいのですが……ぼくを軽蔑しないでくれますか?」
「軽蔑するほどの思い入れがない。」
ジナが心底どうでもよさそうに素っ気なく言うので、ぼくも心を決めて口を開いた。
「アンナの結婚式に行って、思いをぶつけたいと思ってるんです」
ぼくはぶるっと身震いした。
ここ数日ずっとそれについて考えていたのに、これほど浅ましくおぞましい考えは初めて聞いたというように。
「どうしてそうしたいのか、ぼくにもわかりません。ぼくはアンナを恨んだりしてるわけじゃないんです。アンナはいい人だし。それに……そもそもぼくを振り向いてくれたことなんて一度もなかったんですから。」
「恋人になったこともないのに、式に乱入したいの?」
「ええもうその通りです。ぼくにとってアンナは神のような人で……、いえ、さすがに神だとは思っていません。あの人は神なんかじゃなかった。そりゃそうですよ。」
まくしたてたことに恥ずかしくなって、ぼくは口をつぐんだ。
しかしジナは今までで一番真剣な眼差しでぼくを見据えた。
ぼくはおずおずと話を続けた。
「だから……その、ぼくはアンナに会いたい。それもこそこそ会うんじゃなくて一番最悪の状況で、すべての人に非難されるようなときにこそ、話がしたいんです。」
「行けばいいと思うよ。」
ジナは考えることもなく口に出した。
「ありがとうございます……そうですよね。でもこんなことをしたら取り返しがつかないんじゃないかと思って、躊躇ってしまって。」
「行かないほうがマズイと思う。一生アンナを追いかけまわすかも。」
「ああ……。」
その言葉がなにか啓示のように聞こえた。
そうだ、ぼくはアンナに会って世界中に批難されない限り、一生あの人を追い続けるだろうと確信した。
ジナは黙って扉を見た。
ぼくは頭を下げて、昼食に食べようと思っていたパンとチーズと残り少なくなったワインをジナに渡して、扉を出た。
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アンナの結婚相手はグレイグという男で、この村では二番目に広い耕地を持っていた。
小作農も何人か持っていて、ぼくの隣の家の男もグレイグの屋敷で働いていた。
自分の耕地を持たないぼくとは全然違う。
結婚式は祭りのような雰囲気で、大勢の前で行われる。
この村の司祭は敬虔だったが人間らしい男だった。
つまり神よりも世間体を盾にしたほうが、よりご破談になりにくいという現象を十分に理解していた。
式場の手前の角に年老いた老夫婦が立っていた。
アンナの祖父母はぼくの気持ちを知っていたけれど、少しも咎められることもなく式に参列できた。
哀れな若者だ、残念だったがよくあることさ、まあ忘れて楽しむことだ……というような視線を感じながら、ぼくは角を曲がった。
アンナはそこにいた。
ほっそりとした体の上に、纏うように鮮やかな黄色のドレスがひらめいていた。
色とりどりの花で作られた花輪を首から下げて、恥ずかしそうに、しかし誇らしげに佇んでいた。
ぼくは少しも我慢ができず、いきなり叫んだ。
「アンナ!ああ、アンナ!なんて美しいんだろう!」
「あら、まあ。ヨハンじゃないの。」
アンナは美しい顔を少し壊して驚いた顔がしたが、すぐに面映ゆそうに微笑んだ。
「ありがとう、信者さん。式に来てくれて本当に嬉しいわ。」
「ああ、信者!そうですぼくは君の信者です!すまない、挨拶が遅れてしまいました。おめでとうございますグレイグさん!」
ぼくがなおも叫ぶと、人々は会話をやめてぼくとグレイグの顔を交互に見始めた。
犬っころのようなぼくにこんな勇気があったのかと、面白がっている男の顔も見えた。
「グレイグさん、あなたは幸運な方ですよ。いえ失礼、幸運というのは違いますね。アンナを見初めた方に失礼なことを言ってしまって……ぼくはまだワインを吞んでいないんですがね。」
「ありがとう。君は確かヨハンさんだったかな。さっき彼女がそう言ってたね。」
「ええ、ヨハンよ!私の信者だったの。彼はそう……とても素朴な人なのよ、グレイグ。大目に見てあげてくれるかしら?」
少しの優越感と焦燥を見せながらも、アンナは媚びるようにグレイグを見た。
ぼくは胸が張り裂けそうになった。
「大丈夫ですよグレイグさん!ぼくはね、何もあなたからアンナを取り上げに来たわけじゃないんです……そもそもそんなことは不可能ですからね。わかってます、ぼくは自分の畑も持ってやしませんし、あなたは誰にも好かれる紳士ですから!」
「そんなことは心配していないよ。ありがとうヨハンさん。」
「アンナは素晴らしい女性ですよ。こんな人は世界に二人といません。ぼくはそれを言いに来ただけなんです。グレイグさん、あなたはすでにわかってるだろうけど……でも何度言ってもいいでしょう?おめでたいことですから!」
「もちろんですよ、ヨハンさん。」
グレイグは人の好さそうな顔をぼくに向けた。
ぼくは嬉しくなって有頂天になった。
「ありがとうございます!あなたはとても優しい、神のような人ですね。あなたのことも好きになってしまいそうだ!でもですね、神じゃダメなんですよ。神はね……。」
ぼくはそばにあったコップを手に取り、ワインで唇を湿らせてから話し続けた。
「誰をも許してくれる神なんて、それももちろん必要ですけど、生きる希望にはなりゃしないんです!アンナは気まぐれでした。でも嘘つきじゃなかった。本当ですよ!一度だって嘘をつかなかった。そんなことが人が他にいますか?彼女は本当に心の綺麗な人です!」
「ヨハン。ちょっともう、困った人ね。」
アンナが少し困ったような顔でグレイグを見上げたが、ぼくは止まらなかった。
「アンナは言ってくれましたよ。ぼくを愛することはないだろうって。でもぼくは愛しているんです!ぼくが生きる希望はアンナです。ぼくはアンナを愛することで救われたんです!だから……だから式を台無しにしたかったわけじゃなくて……。」
誰もが静かに見守っていることに気付いて、ぼくは急にしどろもどろになり始めた。
「お礼を言いに来たんです。ありがとうアンナ、嘘をつかないでくれて。ありがとうグレイグさん、アンナを愛してくれて。あなたはぼくの同志です……。」
ぼくは頭を垂れて回れ右した。
自分のしていることが、今さら突然みじめったらしく思われたのだ。
早く帰ろう!やることはやったのだ!
「待ってくれたまえ、ヨハンさん」
ぼくを呼び止めたのはグレイグだった。
彼は呼び止めるどころか、檀上から降りてぼくのところへやって来た。
「君はどうしてこんなことをしたんだ?バカにされるとは思わなかったのか?」
「別に……バカにされてもいいんです!だってアンナを愛してるんですから。他の人なんて、どうでもいい……でも。」
そう言いながらも、ぼくはもじもじして下を見た。
「話してて気づいたんですが、ぼく、あなたに軽蔑されたくなかったんです。だから帰ります!すみません!」
「私に?どうして私は他の人と違うんだ?」
好奇の目に晒されながら、グレイグはぼくを目で捉えていた。
逃げ出そうものなら捕まえるぞ、という迫力を漂わせながら。
この人は何が言いたいのだろうと思いながら、なんとか言葉を繋ぐ。
「だってあなたはぼくですから。あなたのような紳士に対して失礼なことを言ってすみません。でもアンナについては、ぼくらは同じじゃないですか。だから……その……あなたも愛しますよ!ありがとう!」
「……。」
グレイグは考え込んでいるようだった。
ぼくは誰も見ずに地面を見ていたので、今まで何も言わずだんまりを決め込んでいたアンナが急に口を開いたときは、びっくりして顔を上げた。
「よかったわねグレイグ!こんな風に言ってもらえて、私たちとても幸せよ。そうでしょう!」
「アンナ。」
「どうしたの?こちらにおいでなさいなグレイグ!それとも私が下りましょうか?そのほうが早いわね。」
アンナも檀上から降りてきた。
ぼくとグレイグの周りにできた人だかりが、さっとアンナを通すために避けた。
「まさか三人で主役になろうだなんて言うつもりじゃないわよね?ありがとう、ヨハン。ごちそうを食べて行ってちょうだいね。さあグレイグ!私たちの結婚式なんだから行きましょう。」
「それなんだがね。アンナ、私は急に胸を打たれてしまって。」
「なんですって?」
グレイグの言葉にぼくもアンナも驚いた顔をした。
「どうなんだろうね、私たちは彼ほど正直に生きているだろうか。さっき彼が言った言葉があったろう、君は嘘をつかなかったって。」
「それがどうしたっていうの!ヨハンは私の信者なんだもの、なんだって言うわ!信者の言葉なんて!」
「君は今も嘘をついていないのかい?」
グレイグはアンナをじっと見つめた。
アンナの顔色が手に持った花よりも白くなった。
「もちろんよ!あなたを愛してるわ!グレイグ、あなたは違うって言うの?」
「わからない……。わからなくなってしまった。私は君を愛しようと決めただけで、愛していないのかもしれない。」
「それでもいいじゃないの!同じことよ!そうでしょう皆さん!」
アンナは半ば狂乱しながらあたりを見回した。
「愛しようと決めることが愛することじゃないの!何の違いもありゃしないわ!」
「そうだろうか?人は自分を欺くことがある。決意なんて、今ここにある感情に比べたらちっぽけなものだ。」
怒り狂ったアンナと落ち着き払ったグレイグを見比べて、ぼくは恐怖で足が震えた。
「あ……あの、ぼくが悪かったです。ぼくは式を台無しにしようとは思ってなかったんです。そりゃあ最初はぼくがアンナの隣に立てたら、と思ったこともありましたけど。」
「君は悪くないよ。」
「そんなことないです……だって、これじゃ式は台無しじゃないですか!」
「台無しになんてなってないわ!!」
鬼気迫るアンナの悲鳴を聴いて、ぼくは目を塞いで逃げてしまいたかった。
「正直であることだけがいいとは思わないわ!こうなりたいって願うのはそんなにいけないことかしら!?」
「だが願望には欺瞞がある。」
「欺瞞?欺瞞だなんて、グレイグ!あなたは何様のつもりなの?」
「私はヨハンさんに比べたらゴミみたいなものだ。君はヨハンくんに言ったじゃないか。私の信者、と。だが私は君の信者じゃないし、君も私の信者じゃない。」
「そんなの当たり前のことでしょう!?信者同士の結婚なんて、薄気味悪いわ!」
「だが私は誰かの信者になりたいと思ってしまった。」
グレイグはなぜか朗らかな顔をして宣言した。
「皆さん、結婚は取りやめですよ!誓いを立てる前でよかったですな。なあに食事は片付けやしませんから、いくらでも召し上がってください!」
「グレイグ!」
「どうか私たちを責めないでください!私たちはどちらも未熟だった。申し訳ないと思っていますよ。お騒がせしました!」
必要以上に陽気にふるまうグレイグの声が遠くで聞こえる。
ぼくはもう震えも汗も止まらなくて、アンナの前でじっと頭を下げた。
首を垂れて、仕方ないわねえ、という声をかけられるのをひたすら待った。
だが声はついぞかからなかった。
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