タンタロス 上
「私の金を盗んでくれませんか」
トマス・ビリング氏の言葉にオレは一瞬言葉を失った。
ドレスデンといえばエルベ川沿いの歴史ある町だが、少し離れただけで宿のない村に着く。
通称ボヘミアの森と呼ばれるこの地域では、銀と錫がわずかに採れる。
そのわずかな鉱石を見込んで、何も持たずやってくる連中がいるらしい。
そんな荒くれどもと、修道院や村人とのもめごとを仲介したのが、このトマス・ビリング氏だ。
彼は鉱山には目もくれず宿や街道を作らせることに集中し、この村で唯一の富豪になったというわけだ。
「からかっているんですか?」
「本気です。こんなことを頼まれて戸惑う気持ちはわかりますが、どうか……理由は聞かずに持っていってくれませんか。」
「ははぁ、わかりましたよ。」
ビリング氏の哀れな懇願ぶりに逆に冷静になったオレは、顔に笑みを作った。
「あなたの財産はほとんどが借金なんだな。盗まれたら返済せずに済むというわけだ。あとでオレから半分でも回収できればいいって寸法ですね?」
「いえ、いえ!違います!あなたが持ち出した金を取り返す気もありません。」
「じゃあまさか贋金っていうんじゃないでしょうね。贋金は持ってるだけで死刑だ。」
「そんな大それたこと出来るわけないでしょう!財産の半分は鉱石や宝石ですし。」
少しの間沈黙が流れた。
「夜に私の部屋に来てもらえませんか。くれぐれも、ご内密に。」
オレも旅人のはしくれとして、多少の好奇心を持っている。
快諾してから自分の部屋に戻った。
--------------------------------------
部屋に戻ると赤いボサボサした髪の女が床に寝転がっていた。
「……なにしてるんだ、ジナ。」
「服と髪に土の匂いをつけてる。」
相変わらずおかしな女だ。
オレは気にせず、中に毛布が入っている木の箱に腰かけた。
「妻が泥だらけの床に寝そべってたとき、夫はなんて言うべきだろうな?」
「一緒に寝そべるんじゃない?でもそこまでは求めてないから安心して。」
オレはジナの夫役だ。
週に50ペーニヒを払うから夫婦のふりをしてくれと頼まれている。
オレが「本当に夫婦になろうと迫ったらどうする気だ?」と尋ねると、「相手を信用して取引をした結果損をしても、そうかと思うだけ」とジナは答えた。
その答えが気に入ったので無料でいいと言うと今度は、「あなたに好かれる努力をしたくないから払う」とのたまった。
ジナはおかしな女だ。
「でも今日はもっと変な奴と話したよ。」
「なにそれ?」
「オレにもわかんねぇ。夜に詳しく話すってよ。」
「ふぅん。」
少し顔を上げていたジナは、興味を失ったようにまたごろごろし始めた。
--------------------------------------
ビリング氏の部屋はごちゃごちゃして散らかっていた。
机にもものが乱雑に乗っていて、両側に置かれた椅子のところにだけ半円形のスペースがある。
最低限、ワインを置けるだけの場所があればいいと思っているのだろうか。
ビリング氏は足を引きずりながら台所へ行き、ワインを持って戻ってきた。
「痛風ですか。」
「ええ、お恥ずかしながら。自由に旅ができる健脚が羨ましいですよ。」
「家族も持てない生活ですがね。いえ、妻はおりますが……。」
ジナのことを思い出して慌てて付け加える。
ビリング氏はふと寂しそうな顔をしたが、ワインをコップに注いだ。
「ロベールさんもどうぞ。こんな村でも少しだけブドウが育つんです。」
「いやあ、これは美味しいですね。」
オレは適当に言った。
おそらくとんでもなく大きな商談を持ち掛けられるであろう状況で、ワインの味なんてわかりゃしなかった。
「なにからお話すればいいのか……。初めから話しましょうか。」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます