第5話 花
「世話をかけるわね」
「いいのよ、新しいのが出来るまでの辛抱なんだから。それに、最前線で戦うフィーネが丸腰なんて危ないでしょう?」
前回の転生者の送り返しで短剣を折ってしまった私は一時的にバリエラの短剣を借り受けることになった。
確かにバリエラの言う通り、攻撃的な転生者が召喚された時に丸腰では自分の身も守れない。
「それと、これを送らせて」
そう言うとバリエラは私に握らせた短剣の切先で自分の指に小さく傷を付け血を滴らせる。
「そ、そこまでしてもらわなくても」
「いいのよ、送らせて」
予想外に大きな贈り物に動揺し声を荒げた私を静止してバリエラは儀式を続ける。
「どうか、これ以上フィーネが傷付くのなら、私が身代わりになりますように」
そう祈りながらバリエラは血の付いた指で短剣の腹をなぞり鍔にくっきりと指の跡を残した。
「そんな、私なんかのために……」
「そんなに卑屈にならないの。フィーネ、貴女にばかり苦しい出来事が起こり過ぎなのよ。だから幸せになれるまでのお守りに、ね?」
バリエラの底無しの優しさに溺れてしまいそうだ。
私は度重なる苦しみを吐露するようにバリエラの腕の中で声を上げて泣いた。
私の大切な平穏を打ち砕くのはいつも転生者召喚の予兆の報せだ。
「うぅ……」
宝具の薄ぼんやりとした青い光の中でしゃがみ込んでいる転生者の姿はあまりにも小柄だ。というよりも子供か?
であれば、抵抗される間もなく
「っ!」
すると突然、転生者は声にならない悲鳴をあげて部屋の奥へと転がるように逃げていった。
勘付かれたか?物音を立てないように細心の注意を払っていたつもりだが、気配を悟られたのだろうか。
「いらっしゃいませ、転生者様」
観念して姿を現すも転生者は怯えたまま部屋の隅から動かない。
「私はフィーネ、この神殿の巫女です」
どうにか少しでも警戒を解かせようと目線を低くしたり、笑いかけてみたりしてみるが、まるで効果が無いようだった。
「どうぞこちらへ。明るい場所までご案内致します」
暗闇に怯えているのだと考えた私が笑顔で手を差し伸べるとおずおずと手を取りゆっくりと立ち上がってくれた。
手間をかけさせてくれる。子供では酩酊したまま命を落とすかもしれないが関係無い。さっさと送り返してしまおう。
「明るい場所に出ましたよ、もう怖くーー」
言葉を言い終わらぬうちに転生者は足をブンと振り上げて履いていた靴を石段の下へ蹴り飛ばしてしまった。
「あら、お履物が。取ってきますので少しお待ちください」
何をしてるんだと内心文句を垂れながらも石段を降りていき、中盤に差し掛かった辺りで、
頭上で砂を蹴る音がしたかと思うと転生者が神殿の陰に消えるところだった。
(油断した!所詮は子供だと甘く見ていた!)
「バリエラ!バリエラはどこ!?」
「どうしたの!?」
伝令係として近くに控えているはずのバリエラを呼び付けるとバリエラは下方の茂みから飛び出てきた。
「転生者が逃げ出した!すぐに船を抑えて!それから姿は子供!捜索に人手を寄越して!」
「わかったわ!」
バリエラは集落の方へ駆け出し、反対に私は石段を駆け上がって行く。
神殿の裏手に回ると斜面を滑り降りた跡が見つかった。とはいえ、この高さだ。無傷とはいかないだろう。
しかし、回り道をする時間がもったいない。私は転生者の後を追い斜面を滑り降りる。
なるべく斜めに緩やかに、勢いがつき過ぎる前に木へ飛び移り枝葉を利用して勢いを抑えて着地する。
無事に斜面を降りることができた。これですぐに追い付けるはずだ。
背の低い木の枝が折れている。やはり子供。痕跡を消す知恵はまだ無いらしい。
森を抜けて砂浜に出ると右足を引きずった足跡がくっきりと残っている。それは波打ち際に沿って続いている。であればすぐに島だと気付き負傷と絶望で、
「うっ、うぅ……」
立ち止まるはずだ。
相手は純粋な子供なのだから対応を変えなければ。
「大丈夫ですか?」
目線を低くにこやかに。敵意を感じさせないように心の底からの慈愛を。
「お、お姉さん……」
「大丈夫。お姉さんはあなたの味方ですよ」
しゃがみ込んで両手を広げてあちらから心を開いてくれるのを待つ。焦ったり苛立ったりすればすぐに気付かれてしまう。
「うぅ……ぐすっ……」
見知らぬ土地で不安で堪らなかったのだろう。転生者はあたしの腕の中で泣き出してしまった。
しばらくそうしていると森の方から他の追跡者が姿を現した。
「どういう、こと、なの?」
「バリエラ……」
転生者を追っていると浜辺でしゃがみ込み転生者を抱きしめているバリエラの姿があった。
それだけならまだよかった。転生者を抱きしめるバリエラの表情はまさしく母親のそれだった。
「フィーネ、静かに。今眠ったところなの」
「だったら今すぐにでも」
腰の短剣に手をかけた私に対してバリエラは手をかざして首を振り止めるように促す。
一体何が、この転生者の何がバリエラをこんなふうに狂わせてしまったのか。
「駄目よバリエラ、転生者は送り返さないと」
「でもこの子まだ子供よ?可哀想じゃない」
この期に及んでバリエラの口から紡がれるのは世迷言だけだった。
沸々と煮えたぎる怒りを悲しみで押し留めながら堪えていると転生者が目を覚ました。
目覚めた転生者が私を見る目はどこか憐れみを感じた。
その目で確信した。この転生者は私の“感情を観ている”と。
だからこそ初対面の殺意に怯え、怒りと悲しみの葛藤を憐れんでいるのだ。
「バリエラ、その転生者は私たちの“感情を観ている”。ならどうして貴女に懐いているの?」
「それはね、あたしがみんなを愛しているから」
私に怯える転生者がバリエラに抱きついている。その反応が全てを物語っていた。
この場に決着をつけるために短剣を抜く。
「お願い、動かないで!そいつだけを!貴女の悩みだけを仕留めるから!」
私の必死の願いも虚しくバリエラは転生者を自分の体の後ろに庇う。
もう同胞を失いたくない。バリエラを傷付けたくない。
違うーー
私はもう傷付きたくない!
すんでのところで臆した私が急所を外そうするも、バリエラは私の手を掴み短剣を自分の腹部へと導いた。
短剣が肉を切り裂くこの感触。それと同時に心を引き裂かれるこの感覚。
腹部は急所だ。もう、助からない。しかし、その苦しみは長く楽には死ねない。それなのになぜ?
「早く!早く逃げて!」
バリエラの最期の指示に転生者は走り出す。
私はすぐさま追いかけようとするがーー短剣が抜けない。
バリエラは今まで見せたことのない程の力で私の腕ごと短剣を掴み抑えていた。
これが、こんなものがバリエラの決死の策。その痛みはどれほどか。そうまでしてあの転生者を生き長らえさせたいのか。
「バリエラ……もうやめて……」
しかしもはや聞く耳を持たず、バリエラが力む程に私とバリエラの手は血に包まれていく。お互いの境界がわからなくなる程に。
いつも私を励ましてくれた。いつも私を勇気付けてくれた。頻繁に同じ食卓を囲み、時に喧嘩して、それでも最後には笑い合っていた。
そんな姉のように慕っていた親友の大きな背が萎れていく。
私を包み癒してくれた優麗な姿がくすんでいく。
一刻も早く元凶を取り除かなければ私の大切な親友の姿が変わり果ててしまう。
私は意を決して短剣を持つ手を捻り傷口を広げる。その激痛にバリエラの力が緩んだ隙に、短剣を手放し返り血で手を滑らせて拘束から抜け出した。
駆け出そうとした時、後ろ髪を引かれ振り返る。
まるで背の丸まった老婆のように短剣を握ったまま
所詮は負傷した子供の足。すぐに追い付いた。
『まだ子供よ?可哀想じゃない』
先程のバリエラの言葉が脳裏を過ぎる。
だが奴は子供ではない。
「逃げるなあああ!!!」
後頭部を殴り砂浜に叩き伏せる。たった一撃で頭の骨を砕き、致命に至らせたと確信した。
それでも湧き出る怒りに任せて私は何度も何度も顔面を拳で殴打する。
「どうして!どうしてお前は何もかもを奪うんだ!」
痛いだろう。苦しいだろう。それもこれもすべてお前が悪い。
「ツィオネを殺した!ディフィーザを殺した!プリツィアを殺した!バリエラのことも!」
こいつさえいなければみんな死なずに済んだ。
「ぜんぶおまえのせいだ!」
叫び続けて喉は枯れ、砂浜が血に染まり、拳に滴る血が誰のものかわからなくなった頃、転生者の送り返しの完遂を確認し次第バリエラの元へ自然と足が向いた。
全身から血を滴らせながらバリエラの元に戻るとバリエラはまだ息があるようだった。
バリエラがこちらに目を向けるでもなく膝をポンと叩くと私はいつものようにバリエラの膝枕に頭を預ける。
血に塗れた膝枕は寝心地が悪く、血に満たされた鼻腔にはもうバリエラの優しい香りも届かない。
それでも、バリエラの膝枕は私に最高の安らぎを与えてくれる。
体が溶けるような疲労感と眠気に瞼を閉じると頭上から細々とした声が聞こえてくる。
「フィーネを苦しませてごめんなさい……あたしが苦しみを全部持っていくから……どうか、フィーネだけは幸せに……」
血か、涙か、どちらかわからない何かが私の瞼に落ちて私のそれと混ざり頬を伝い落ちていった。
「ツィオネ」
その純真無垢な心に相応しい白く可憐な花を。
「ディフィーザ」
その大きな優しさに相応しい白く雄大な花を。
「プリツィア」
その笑顔に相応しい黄色く溌剌とした花を。
「バリエラ」
その全てを包む愛に相応しい赤く優麗な花を。
「フィーネ」
その立ち向かう強さに相応しい赤く壮烈な花を。
転生者を出迎える島 マグ @magulan
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