西岡満

「んー……」

 西岡は、秀美に言われた言葉を頭で反芻しながら、心臓をドキドキとさせていた。

「僕に本当にそんなことが言えるのか?」

 西岡は、その考えの否定と肯定を繰り返していた。

 秀美に言われた言葉が胸に刺さり、やってやるぞと意気込んだのはいいものの、家に近づくたびに足取りが重くなるのを、精神的にも肉体的にも感じていた。

 この短い坂を上り切れば、水色の屋根が見える。

 その玄関を開けたら言われるであろう言葉が、西岡には分っていた。


――おかえり、今日は早かったのね――


 いつもより公園から戻る時間が早かったため、そんな皮肉めいた言葉を投げかけられると予想できるのであった。

「ふー……」

 青い屋根が見えなくなって、我が家の前にたどり着いたことに気がついた。


ガチャ


 玄関から中に入り、居間へと進む。

 リビングで女性がTVを見ている。

「た、ただいま」

 女性が振り向く。

「あ、おかえり、今日は早かったのね」

 頭の中で思っていた台詞そのままを投げかけられた西岡は、ごくりと息を飲む。

「あのさ!」

 意を決したように口を開く。自分では声のボリュームがいまいちわからない。妻が驚いた表情であるのに気が付いて、五月蠅かったかなと西岡は思った。

「僕に、できること何かあるかな?」

「え?」

 驚いた表情そのままに眉がピクリと反応する。

「できること?」

 西岡は脳内でまた台詞を予知した。


――あるわけないでしょそんなの!黙ってじっとしてて!何ならまた、散歩でもしてきたら!?――


 想像しただけだが、西岡は心臓が鼓動を早めるのを感じた。

 もし、そう言われたら、開き直る。そのまま散歩に出かけてしばらく帰らない!

 西岡はそんな風に覚悟を決めて、妻の顔を伺い見た。

「え、あ……じゃあ、ここの電球変えてほしいんだけどできる?」

「え?」

「電球」

「うん」

「はい」

 西岡は妻から電球を渡されて、取り換え場所まで案内された。

 椅子の上に上ると、妻が椅子を支えているのに気が付く。

「あ、ありがと」

「当たり前でしょ!落ちたらどうすんのよ」

 強い口調ではあるが何も嫌な気分はしなかった。

「その高さは私じゃ届かないから、ミツルじゃないとできないの」

 ミツルは電球を渡しながら、返ってくるその言葉に何とも言えない感情を抱いていた。歯がゆいような、こそばゆいような。

「ミユ……」

 少し恥じらうような表情。

「き、気まぐれだったら許さないから!」

「は、はい」

 ミツルは急に大きな声を出され、驚いて甲高い返事をしてしまった。


――手伝えることじゃなくて、僕にできること――


「か……」

「え?」

 ミツルは首を振り、またあの魔法の言葉をつぶやいた。


「ほかに、何かできることあるかな?」


 ミユは、不思議な気持ちで夫の顔を眺めた。



――何かあったの?家のことはお手伝い程度にしか考えてなかったんじゃ……――

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