8 一緒に帰りましょ

 根沢さんが自転車でこちらにやってくる。

 

 想定していなかった声掛けに驚く僕の下へ、彼女は笑顔で向かってきた。 


 根沢さんは自転車を降り僕の横に並ぶ。


「僕、何か忘れ物でもしてたかな」

「いやいや、用があって声かけた訳じゃないんだけどね。歩いてるのが見えたからさ」

「そうなんだ」

「お家、こっちの方角なんだ」

「そうだね」

「私も同じだから、一緒に行こうよ」 


 女性に一緒に帰ろうだなんて言われた事は、生まれてこの方無い。

 何とも言えない気持ちになっていると、根沢さんは前に進み出した。

 僕の足が自然と彼女の歩みに引っ張られる。


「歩いてきたの?」

「そんなに離れてないからね。それに今日は特に用事もなくて時間があったしね」

「そっか、この辺に住んでるんだぁ。私はね、もう少し先に行った川沿いに家借りてるんだ」

「へえ」 


 こんなあからさまに興味無さそうな返事をしてしまったら……


「なんだよ~、もう少し関心ありげな返事してくれてもいいじゃん」 


 と、そうなるよな。


「ごめん、興味無い訳じゃなくて、へぇ、以外の返事がパッと出てこなかっただけなんだ」 


 我ながら情けない返答だ。


「人はそれを、興味がない、と捉えるんだよ」

「すいません、以後注意いたします……」

「よろしい!」 


 本当に興味がなくて自然と出た返事だなどとは、僕には言えなかった。 

 

 しばらく歩いていたが、赤信号に当たり、立ち止まる。


 昼とは打って変わり、セミの鳴き声はあまり聞こえない。変わりに蛙の鳴き声がチラホラと耳に入ってきた。


「今日、初めの席隣だったよね」 


 蛙の鳴き声に耳を傾けていると、不意に根沢さんが話しかけてきた。


「そうだね。でも、途中で別の席に移ってたよね」

「団長がね。個人的にちょっとだけ、苦手なんだ」

「ああ、そうなんだ」

「なんて言うのかな。上手く言葉にできないんだけどさ……握られてる、みたいな。話してるとそんな感覚になるんだよね」

「握られてる?身体を掴まれてるってこと?」

「うん、まあそんな感じかなぁ」 


 「どんな感覚だよ」とツッコミを入れたものの、先程の団長とのやり取りで、僕も同様の感覚を味わっていた。

 

 団長は自分の考えている方向に物事を持っていけるように、僕達に仕向けているように思う。

 ボードゲームの駒になったような感覚に、僕の場合は陥っていた。


「でも多分、同じ気持ちになっている人は結構いると思うな」

「そうなのかな」


 団長が駒を握り、僕達は握られてるのだ。そして恐らく、団長は「握られている」という感覚をあえて僕達に感じさせるような言動を発信している、とも思う。


 信号が青に変わり、再び歩き出す。


「とまあ、そんな団長が君と肩組んで話し始めたから、少し距離を置こうと思って席を変えた訳なのね」

「でも、その後結局、声かけられてたよね」

「見えた?」

「向かいの席だったからね。少し気まずそうだったね」

「助けてくれても良かったじゃん」

「僕も握られたくはないんだよ」

「冷たいな〜」 


 その直前に僕も握られていたんだ、とは言わなかった。

 

 そんな事を思っていると、少し声色を変えた根沢さんが再び話し始めた。


「本当はね、もう少し君と話がしたかったんだよ」


 思いもよらぬ言葉に、少し動揺する。


「そう。君ってさ、部室にしか顔出さないじゃん?」 


 ストレートに言われて、若干恥ずかしい。僕の顔が強張ったのを認識したのか、彼女のフォローが入る。


「いや、考えは人それぞれだし、そもそもうちのサークルは縛りも特に無いし、問題はないんだけどね。そんな中で、活動は参加しないけど、部室はキレイに掃除している君に対して、ちょっと好奇心が湧いたんだよ」

「ああ……」 


 僕のせめてもの気遣いが、かえって悪目立ちに繋がっていた、と気づいた瞬間だ。


 これからは部室掃除はしないでおこうか……。


「部室で顔合わせても、すぐに何か始めたり、勉強してたりするから、中々声かけれなかったんだよね。この機会に色々聞いてみたかったんだ」

「そう」

「だったのに、団長が話かけてきちゃったからさ。結局、飲み会中は話ができなかったんだよね」

「だから、わざわざ今話をかけにきたって事?」 


 と言った所で、彼女は少し笑いながら返してきた。


「違うよー。帰り道が同じ方向だったのはたまたま。明日は朝早いから、二次会は行かなかっただけ。自意識過剰か〜?」


 変な事を言ってしまった、と体温が少し上がるのを感じた。

 

 そんなやり取りをしていると、家に向かう曲がり道に差し掛かった。


「僕はこっちに行くんだ」

「そっか。じゃあここで解散だね」

「そうだね、じゃあまた」


 歩きはじめようとした所で、根沢さんからから呼び止められた。


「あのさ」


 僕は踵を返す。


「どうしたの?」

「帰り道が同じなのはたまたまなんだけどさ、君と色々話がしてみたかったって言うのは本当なんだ。で、まだ話したい事とかあるかもしれないしさ、良かったら連絡先、交換しない?」 


 今日イチで体温があがった瞬間かもしれない。

 たかが連絡先の交換に何を緊張することがあるのだ、と思われるかもしれない。

 しかし、こうわざわざ切り出されると、何か「普通とは違うもの」を感じてしまうのだ……勝手に。

 ただ、これによって1年間守ってきた僕の立ち位置が変わってしまうのではないか、とも思っており、しばらく固まってしまっていた。

 そんな事を僕が考えていると知ってか知らずか、固まっている僕を見て根沢さんが続けた。


「嫌なら大丈夫だよ。君、サークルメンバーの誰にも連絡先教えてないでしょ?」

「よく知ってるね……」

「まあ、踏み込まれたくない事もあるとは思うし。でも、私から他の人に君の連絡先を教えるって事はしないから、それは伝えておくよ」

「それなら、まあ、いいよ」 


 断る言葉もハッキリした理由も無い僕は、ポケットからスマホを取り出した。


 彼女が一瞬、ホッとした表情を浮かべていたような気がした。


 お互いの連絡先を交換し、再びスマホをポケットにしまう。


「ありがとう」 


 彼女からお礼を言われ「うん」とだけ返事をする。


「じゃあ、またね」

「うん、また」


 一言挨拶を交わし、解散した。


 数分ほど歩き家の前に着く。

 立ち止まった瞬間、全身が汗に塗れていることに気がついた。

 この汗はきっと、こんな暑い日に沢山歩いたから出た汗なのだ、と自分に言い聞かせた。


 誰が聞くわけでも無い言い訳を頭に思い浮かべながら、僕は家に入った。

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