第7話 【回想 洗脳と崩壊】

 三津樹を短めにお風呂に入れた後、救急車は呼ばずに病院に連れて行った。救急車を呼ばなかったのは、三津樹の母親が現れるまでの時間を稼ぎたかったから。それと、道路を挟んで右側の建物に入っている胡散臭い健康センターに、三津樹の母親が最近足繁く通っているからだった。

 病院で見つけた時の状況と三津樹が言った事、それに身体の痣の事を医師に伝えて児童相談所の職員を呼んだ。その上で両親に連絡。

 初めは否定していたけれど、現状では三津樹を家に帰せないと伝えると泣き崩れた。事情を聞くと、三津樹が私を虐めていたグループの主犯だとママ友達に知れ渡り、今度は三津樹母がママ友からの虐めの対象になったそうで。集会の嘘の日程を教えられたり仕事を押し付けられたり、とにかく様々な事をネチネチやられて原因を作った三津樹に当たる様になった。父親はそんな二人を見て見ぬふりして、と言うかそもそも殆ど家には帰ってないんだとか。偶然か狙ってかは知らないけどそこにあの健康センターの職員が「あなたも娘も救われる」とか何とか言って引き込んだらしい。そこからより一層「躾」の度が酷くなり今の状態に至った、って話を私の父から聴いた。私は三津樹のいる病室に居させられたから仔細は不明。児童相談所も動いてくれるし、三津樹の父親との仲裁を図って貰えると聞いて私は安心した。子供らしく、安心した。


 そして問題はここから。


 父親の方とは教育費やらを出させる事を条件に離婚する事が決まり、母子家庭の家族が誕生した。しかしそれはより一層母親が健康センターへ盲信する事に繋がってしまった。この健康センターは元々どっかの山奥に存在する怪しい宗教一家の娘が、「絶対的な正しさを持つ神による裁定」だとかを看板に立ち上げた新興宗教の成れの果てだったらしく、行き過ぎた調度品や過激な思想のオンパレードだった。この三津樹への「躾」はあくまでもその神様が行う説教の一環であり、他人様に掛けた迷惑の度合いによっては腕を落とす事も辞さないふざけた場所なのだった。

 その日私達が三津樹を病院に連れていったのを信者の一人が見ていたらしく、その情報は瞬く間にセンター内に拡散。自分達がしてきた裁定が明るみに出れば叩かれる事は火を見るよりも明らかだったし、もしもセンターが取り潰しになればその神様から罰せられる。これは一大事と母親の元に幹部達が集結し、全面的なバックアップを得て、病院でも児童相談所でも泣き喚き散らす大芝居に打って出た。世間一般に権力を持った警察も介入してくれた事によって、すっかり騙されて安心しノコノコと帰ってきてしまったのだった。

 美津樹が退院して文字通り台風の前の静けさが訪れ、いや、美津樹が我が家に入り浸る様になった事を除けば、一ヶ月強の平穏な日々が続いた。

 一応、念の為、止むを得ず、仕方なく見舞いに行くと、千と千尋ばりの大粒の涙を流しながら謝られた。本当は許すつもりも金輪際関わるつもりもなかったけど、私はついつい美津樹の事を許してしまった。そのごめんなさいが私とは別の所に向けられているとも知らず。


 退院後、美津樹は元のグループに戻れずいないものとして扱われ、捨てられた子犬の面持ちで私の家に現れては帰るを繰り返していた。許してしまったとはいえ不服じゃない訳じゃない。それで三日は無視したけど結局私が根負け、家に引き入れてしまった。ここから数日は無言の対話が続き、ごめんなさいの嵐が更に数日。初めてまともな会話をしたのが、発端である生理の対処法だって言うから笑えない。相当ムカついたけど致し方なし、シートがどうとか説明してあげた。今更ながらに「こんなに大変だなんて知らなかった」とか抜かしやがったから更にムカついて、また無言の日々。それでも後ろでボロボロになった教科書を開いてただただ勉強してるから、買ってもらった小説や画集、漫画なんかを読んでもいいと言うと目を光らせて喜んでいた。

 速読家の美津樹が私の本棚を読破しようという七月下旬頃には、普通に普通の友達くらいの関係に落ち着いていた。家族関連の話はあまりしない空気があったので、基本的には読んだ本の感想か勉強の話ばかりだったけど、それでも笑って冗談を言い合える仲になっていた。ただ以前の意地っ張りで自分が話の中心でないと気が済まない性格は、あの雨の日にゴミと一緒に流してしまったらしく、私の前以外、つまり学校では最早影も形も無い空気としただそこにいるだけだった。美津樹の友達或いは取り巻き達は四人で一つの集合体と言わんばかりに、欠けた一ピースを既に埋めて新たなコミュニティを築いていた。美津樹はそれを一目見て悟ったらしい。元来そんなに強くなかった心は折れに折れ学校では地蔵、我が家では芸人の如く喋り倒し、日を追うごとに差は広がるばかり。本人はきっと気付いていないけれど、美津樹の中に人格のスイッチが出来始めているのを私も父も感じていた。

 そのスイッチが如実に現れ始めて直ぐの夏休み初日。美津樹が姿を消した。 


 夏休みが始まって純粋に来なくなった訳じゃなくて、忽然と消えた。離婚後すぐに移り住んだ家賃三万二千円のアパートにも学校にも近所の公園やスーパー、ありとあらゆる場所から三津樹の存在が消え失せていた。考えられる理由は様々ある。母親の実家に行くだとか旅行に行くだとか。でも違う。私の直感がそう言っていた。

 七月二十四日土曜日朝十時五十四分。私は健康センターのドアを叩いていた。ここにいるだろうという根拠のない自信だけで、無謀にも一人で確認しに行く暴挙に出てしまったのである。どれ程危ないカルト集団なのかを私はまだ知らず、父に一言相談すべきだったと後悔するも遅く。イカれる教団との長い闘いが静かに始まった。

 肩透かしを食らう程すんなり通されたそのセンター内部には、古めかしい如何にもな掛け軸が二反、これみよがしに飾ってあった。ヨガスタジオみたいな広い部屋の、玄関から見て奥側に設置されたステージの両サイドに垂らされている掛け軸には、熊くらいの大きさの白い犬が描かれていた。更にその掛け軸とステージに向かって数人が座禅を組み、何やらブツブツと唱えている。

 その敬虔な狂信者達の中に三津樹の姿があった。衝撃と忌避感と憐れみと納得が仲良く手を繋いでやって来て、私を思い思いに殴り倒した気持ちだった。近くまで寄っても私なんかまるで空気で、開ききった瞳孔でステージ中央を凝視していた。ドン引きしたのを周りに感ずかれないよう我慢したつもりだけど、多分出来ていなかったと思う。辛うじて出かかった言葉達を反芻して飲み込んで、三津樹の肩に手を置こうとした。

「あ! 朱璃!」

 首もげるんじゃないかってスピードでこっちを振り向いた三津樹。瞳孔ガン開きの顔が一瞬でいつもの快活で可愛らしい顔に早変わりした。

 ここでもスイッチが……父から解離性同一性障害の話を聞かされていたけど、正直この日までフィクションだろくらいにしか考えていなかった。複数の人格が一人の人間の中に存在するなんて。皮は三津樹なのに中身が全く違う。更に顔付きも違うのも見間違えじゃなかった。

 無理矢理連れて帰る事ももしかしたら出来たかもしれなかったけど、目立つ行動は避けなければならなかったし、本当に三津樹が居なくなってしまう可能性も無くはなかった。だから私は可能な限り三津樹の傍にいて見張ろうと思った。それはこのふざけたセンターに入り浸り地道に情報を集めて、内部から瓦解させるという正しくミッションインポッシブルな企みだった。私はそうそうに入信を決め、毎週日曜日にあるという集会も含めて、父に黙ったまま通った。私が三津樹に倣って敬虔な信者を演じ他の信者からの信用を得、更にひょんなことから宗主の妹と仲良くなった事も重なり計画はとんとんと進んだ。一ヶ月も経たずに父にバレてしまったけれど、その頃には既に超暴力的な説法や宗主への桁外れの献金、それの元となる詐欺同然のネズミ講などなどの証拠を掴んでいた。

まぁ順調に思えたのもここまでで、八月半ばに山奥で執り行われた集会で私の行動が矢面に立たされた。水面に落とされた餌にパクパクと食い付いてしまった訳だ。クローズドサークルに狂った教団というアガサ・クリスティばりに使い古された設定の中、宗主の妹と三津樹、それにどっかから湧いて出た記者を合わせた四人での逃避行が始まったのだった。


 結論としては、夏休みが終わる前に宗主が死に妹は扇動の容疑で逮捕された。その他の大多数は捕まるか蜘蛛の子を散らす様に逃げたらしい。住所氏名年齢電話番号、諸々の情報はこっちの手にあるから時間は掛からないはず。父の方にはセンターに残っていた信者達の魔の手が伸びていて、家は全焼、全治三ヶ月の重症を負ってしまった。その報いなのか、センター内で嬉々として見物していた信者達は、突然センターが倒壊して下敷きになり皮肉にも「裁定」されたのだった。

 その後私は宗主の妹に二度面会した。正直私は妹の肩を持ちたかったし父にも相談して取り持って貰おうとしたけれど、二度目の面会の後、獄中で死亡しているのが発見された。自責の念か死への恐怖か、加えて不可解なのはカピカピの木乃伊になっていた事。死後数年が経過した訳でもないし、そもそもどうやって死んだのかも全て不明だった。


 そんなこんなで事件は幕を閉じた。


 三津樹には私が知る限りで四人の人格が存在していた。学校と家とセンターと私。その内、一連の事件後に家とセンターが消失した。超内気で、でも琴線に一度触れると大人でも止められないほど凶暴な三津樹。それと、普通に快活で何処にでもいそうな女の子の三津樹。この二つが残った。多分だけど前者は私を英雄視し過ぎた結果出来上がって、後者は理想とする自分、と言うか意地悪ではない普通の自分なんだろうと思う。

 いずれは全部統合してくれればと願う所だけど、そう上手くいく物でもないし、むしろ分裂する可能性だってある。勿論どっちに転ぼうが転ぶまいが私はずっと友達でいるつもりだし、危機が訪れれば助けるつもり。虐められていた過去はあれど、それはそれと割り切れるのはある意味事件のお陰かもしれない。吊り橋効果偉大。まぁ戒めの様にちょくちょく引き合いに出しちゃうのは、意地悪でもあるし忘れるなって意味もあるからご愛嬌。


 以上、回想終わり。

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