第6話 【解】
立派な外観通り屋敷の中もしっかりした造りになっていて、入ってすぐは式台のある六畳くらいの三和土で出来た玄関土間だった。左右に一台ずつ靴入れらしき棚があり、左の方が若干大きくて豪華。式台の先には五畳くらいの広さの短い廊下があり、そのすぐ左手は睡蓮があしらわれた昔ながらの磨りガラス戸で、奥には開いた襖が見え、更に奥へと続いているのが分かる。右手も部屋があるらしいが、こちらは襖が完全に閉められている為、奥は見えない。
初めて来たのにどこか懐かしく、それでいて高級な旅館のような雰囲気がある。
「朱璃ちゃんいらっしゃい。あ、靴は右の棚にお願い。電気通ってなくて暗いから、足元に気をつけてね。あと表から見た通り広いだけじゃなくて、部屋の数も多いから迷わないようちゃんと付いてくるように。継君が言ってたように、ここには数え切れないくらい忌世穢物が蒐集されてて、間違ってその部屋に入らないって意味でもあるから」
「分かりました」
そもそも世間一般でいう普通の親戚の家でも、そんな不躾にうろちょろしない。ましてや魑魅魍魎がいるとこなんて。
通されたのは左側の方で、見渡す限りの部屋、部屋、部屋。広さが畳一枚分違うか、畳か板張りか。違いと言えばその程度の座敷ばかりで、全く物が置かれていないのも相まって家の中で迷うのも無理はなさそうだ。
早々に道を覚えるのを諦めて金魚の糞の如く三嶋さんの後に付いていくと、囲炉裏が据えられた部屋に着いた。パチパチと薪の燃える音と甘い香りが漂い、ノスタルジック感増し増しの空間だった。付喪神が優雅にお茶を啜っていなければ、の話だが。ご丁寧にお茶請けまで用意しているのが妙に腹が立つ。大体本の癖に水分取るって、中身どうなってるんだよお前は。
「なんじゃ、いるのか」
欲しくて見てたんじゃないっつーの。
「いらないし別に」
「朱璃、そう邪険にしないでやってよ。妖怪の世界も色々あるんだから」
「別にそういうのじゃないから。早く次の事教えてよ、美津樹に電話したいんだけど」
「それはいいけど、こんな山奥だから電波繋がるか分かんないぞ」
「え、何、電波届かないとかそんな場所日本にあるの」
「その程度の事も知らんとは、遅れておるのう」
「あんたは黙ってて。じゃあ私はこれから死ぬかもしれないっていうのに、電話の一つも出来ないの?」
「うーん・・・・・・もしかしたら繋がる所もあるかもしれないけど」
「なんでそういう事はもっと早く言ってくれないの?」
「ごめんな」
「いや、ごめんなとかじゃなくて・・・・・・ああもういいよ、ちょっと探して来る」
「探すってどこを」
「その辺! 駄目だったらすぐ戻ってくる!」
「いやでも」
「継君」
「・・・・・・あ、ああ。分かった、迷うから遠くには行くんじゃないぞ」
部屋を出てすぐの廊下をとりあえず突き当たりまで進む。
・・・・・・・・・・・・何あれ。意味わかんない。普通言うじゃん大事な事なんだからさあ。しかも私と言い争うんじゃなくて、三嶋さんに諌められるってありえない。
苛立ってずんずん進んでいる内に、縁側に辿り着いた。私の予想が正しければ門から見て右側の庭に出たと思う。背の高い松の木とその下に池の左端が見えるからそう判断したんだけど、ほとりに小さな家があって驚いた。呑気に雀が囀っている。これだけの屋敷だから松くらいあってもおかしくはないのか。まあいいや、とりあえず美津樹に電話を掛ける方が先決だ。
「なんだ、ちゃんと繋がんじゃん」
きちんと発信音が鳴っている。何が遅れておるのうだよ、科学はここまで来てんだって。
流石に出られないかと切ろうとした八コール目で、通話に変わった。
「お、やっと出た」
「やっと出たじゃないよ! 朱璃のせいで散々な目にあったんだから!」
プリプリ怒る美津樹の顔が見ずとも浮かぶ。
「ハハッ、ウケる」
「全然ウケないから。ほんとむかつくわー。で、ちゃんと説明しなよ。どういう流れでチケット貰ったの?」
「チケット?」
「年パス! ディズニーランドの!」
「ああー、そういえばそうだったね。忘れてた」
色々ありすぎて忘れてた。本当に、色々と。
「いやいやいやいや、フツー忘れないでしょそんなヤバい物。いらないなら私に頂戴よ」
「いやね、これには涙無しじゃ語れない深い訳があるのよ」
「反省文と朝掃除を言い渡された私にはそれを聞く権利があると思いますが? そこの所いかがですか」
「・・・・・・」
「もしもーし、聞こえてんのー?」
「あのさあ、真面目な話」
「どうしたの急に」
「私今日死ぬかもしんなくてさ、先にお別れ言っておこうかと思って」
「・・・・・・朱璃。私も冗談は好きだけどそういうのは嫌いだって知ってるよね」
「冗談なんかじゃないから言ってるの。もし私が死んだらチケットは美津樹にあげる」
「ちゃんと説明して。じゃないとチケットなんか貰えないし貰わない、いらない」
どう説明すれば理解してくれるだろうか。忌世穢物は私だって分かっていないし、説明した所で信じてもらえる訳が無い。
「私体が弱いじゃん? お父さんが言うにはその原因を取り除けるかもしれないんだって。成功の確率は半分かもっと悪いかもしんないし、最悪死ぬかもしれないらしいんだけど、そんなこんなで今島根。チケットはまぁお守りみたいなもんかな」
うん、間違ってない。仔細を省いただけで、本筋はズレてない。お守りとは思っていなかったけど、まぁそういう意味とも取れるからいいか。
「昨日倒れたのもあってすぐにでも手術しようかーみたいな、そういう流れになってさ。急だったし私も混乱してたからちゃんと言えなかったっていうか。ごめんね」
「・・・・・・ちょっと待ってて」
そう言うと返事も聞かずに保留にされた。縁側に腰掛けて美津樹の返答を待つ。
怒ったかな、それとも心配してくれたかな。どちらでもいいけど電話出来て良かった。無音の状態が続いているからちょっと不安だけど、あのラインが最後は嫌だしね。もし死んじゃうんなら喧嘩別れは後味が悪い。一応幽霊になる理屈には当てはまりそうだから、そうなったら化けて出て会いに行ってやろう。
「ああそっか・・・・・・もしかしたらあのサイコ集団のオテヌキ様ってのも、本当にいるのかもしれないってことかぁ。それは悪い事し・・・・・・てはないか全面的にあいつらが悪いわ」
「来ちゃ駄目って言ったのに」
「誰っ!?」
後ろからふいに声を掛けられ振り向くと、襖と襖の隙間に女の子が立っていた。私より歳下で、ホームレスでも着ないようなボロ切れを着ている。多分、いや、確実にこの世の者ではない事だけは分かる。ただ、人形達や蛞蝓と違って恐怖は感じず、むしろ穏やかでどこか懐かしい・・・・・・この声聞き覚えがある。一体どこで・・・・・・。
「もしかして・・・・・・夢の?」
そうだ、夢で話しかけて来た声と一緒だ。
「どうして来ちゃったの? もう逃げられない」
「何どういうこと?」
「あなたは騙されてるの」
騙されてる? 私が? 誰が私を騙してるって?
「今日あなたは一度でも助けられた? あの部屋で人形や壁の硝子細工を触らないようにって、車の窓を開けないようにって、どうして注意の一つもしてくれなかったの?」
「それは予測出来なかったからって」
「全てここに連れて来るための出鱈目。ただ・・・・・・何も知らず、何も選べずにこの世に産まれて来ただけなのに、私達は異物としてしか扱われてこなかった。私は始まりにすぎなかったけれど、結局あなたも私達になってしまう」
「私達になる・・・・・・? 始まり・・・・・・?」
「時間が無いから二つ大事な事を伝えるね。これからあなたに襲い来る出来事はあなたに起きた事じゃない。だから、怒りも絶望もする必要なんかない。あなたはあなたの人生を全うしてさえくれれば、それで全て終わる。二つ目は・・・・・・」
「・・・・・・ちょっと待って! 今なんて!? ねえ!」
襖の奥へ姿を消すあの子を追いかける。
これまでの被害を考えればその表現にはならないと思う。嫌気がさして? ううん、以前の私ならまだしも今の私がそうする訳がない。確かに頭を過ぎったことは数しれないけれど、でも、私は自ら死を選ぶなんてこと、絶対にしない。
それでも助言するには何かの理由があるって事で、それはとても重要なはずだ。聴かない訳にはいかない。
「伝えたいならちゃんと最初から最後まで伝えなよ!」
まだ隣の部屋にいた彼女の肩に手を掛け、乱暴に振り向かせる。思ったより力が強かったのか、あるいは衣服として機能を果たしていない服のせいか、そのボロ切れの様な服がずり落ちてしまった。
「・・・・・・うっそ」
全身に紫陽花が咲いていた。花弁は緩やかに回転し、皮膚の表面を這う根はゆっくりと彼女を切り刻んでいる。幾つかの腐った花弁は、切れた皮膚から滴り落ちる血を吸って成長しては萎み、また血を吸って成長する。その隙間から肌が見えたことで、彼女がこのボロ切れ以外一糸まとわぬ姿であると分かった。
右手を彼女に向けて差し出す。彼女は一瞬躊躇ったけれど、じわりと目に涙を浮かべて、その小さく痩せ細った両手を私の手に重ねる。
すると一際綺麗な紫陽花が右手に移動し、私に根を張った。
彼女はボロ切れを拾い上げてその身に纏うと、襖の奥へと消えていった。
「朱璃!!」
「えっ?」
右手の携帯から美津樹が私を呼ぶ声が聞こえる。頭を上げると庭ではまだ雀が囀り、私は縁側に座っていた。
「ちょっと聞こえてる!?」
「あ、うん。大丈夫聞こえてるけど・・・・・・私・・・・・・夢?」
「はあ? 手術しなきゃいけないのは頭の方なんじゃないの? まあいいや私のトーク見て」
「え? なんで?」
「いいから」
言われるがまま美津樹とのトーク画面に変えると、一枚の写真が送られていた。パソコンの画面の様だけれど、ネガっぽくなっていて読みづらい。
「これ何? 良く読めないんだけど」
「あーはいはい、じゃあこれでいいですか」
耳元でシャッター音が鳴り、すぐにもっとパソコンに近付いた写真が送られてきた。
「これで読めるでしょ」
「・・・・・・これって」
ディズニーリゾート二パーク年間パスポート、それの購入完了画面だった。
「ちょっと、何してるの? そんなお金、ていうかなんで」
「遠征の為に取っといたやつ使った。私も行くからディズニーランド」
「いやでもだってあんなに楽しみにしてたじゃん。何年もお年玉もお小遣いも貯めたんじゃないの?」
「そう。だから朱璃も行くんだよ、絶対に」
「・・・・・・でも」
「でもじゃないでしょ。行くの、分かった?」
「・・・・・・ありがとう」
「朱璃?」
「あ、ごめん。分かった、うん、行くよ」
「それを聞きたかった。私にはこれくらいしか出来ないけど、待ってるからね」
「うん。元気出た。頑張るわ」
「うん。それじゃあまたね」
「また」
電話が切れると自然と頬が緩んだ。思っていた以上に、美津樹に支えられていたことを知った。小学校以来私が支えて引っ張ってきたつもりだったけど、逆に支えられていたんだ。
なんだか、物凄く安心して、物凄く勇気づけられた。
安心して今度はトイレに行きたくなった。よくよく考えれば、今日一日トイレに行ってなかった事を思い出した。一度尿意に襲われれば決して逃げられない。
あれ? 似たような話を誰かにされたような・・・・・・? いやそんなことより今はトイレに行かなきゃ。万全の状態で父さん達の話を聞かねばならないのだから。
下ろした右手の甲にある若草と紫の混じった痣も、携帯の画面に圏外と表示されている事も、気に留めている余裕は無かった。
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