第5話-2 【回想 美津樹】

 翌日、遅刻ギリギリで教室に入ると皆が私を見て固まった。二十四対の目が私を見つめているけど、表情はそれぞれだった。私は何事もなかったかの様に自分の席に座る。そのすぐ後先生が挨拶しながら入ってきて、出席を取り始めた。このクラスは全員で二十七人、休みは二人だった。

 その次の日もその次の日も二人は来なかった。土日を挟んで月曜日になっても登校して来ず、次に例の男子が登校したのは更に一週間後の火曜日だった。案の定目も合わせずに自分の席に座り私と同じく、何事もなかったかの様に振る舞った。他の男子達も最初はぎこちなかったけれど段々といつも通りの馬鹿をやり始め、前と変わらない空気がいつの間にか教室内に戻っていた。違いは私へのいじめの内容が無視に変わった事と、美津樹が居ないことだった。


 美津樹を見たのは更に半月が経過した六月下旬、大雨の日。私の家の前で傘も差さずにずぶ濡れになっていた。他人がどう思おうが構わないが、私はこの時「うわっ、超面倒臭い、時間ずらして帰ろう」そう思って来た道をUターンした。事情なんか知った事ではない、私には何の関係も無いし関わるつもりも無い。だからわざわざ二時間もずらして帰宅してやった。駅前の父が勤める書店に行き、ミュシャとかクリムトとかの画集を手に取って初めにから後書きまで読む、を繰り返す。父の仕事が終わるのを待って一緒に帰る事もあったから怪しまれる可能性も無い。それにこんな土砂降りの中ずっとあそこに突っ立てる馬鹿でもあるまい、と高を括って帰宅してみれば。

「嘘・・・・・・なんでまだいるの?」

 馬鹿につける薬は無いって諺があるけど、薬も雨も時間も馬鹿には効かないらしい。

「あの子は、クラスの子か? 傘も差してないみたいだけど」

「うん・・・・・・ちょっと行ってくる」

 殆ど意味を成さない傘を差して車外に出る。父が何か喋ったけどボンネットと傘を叩く雨音で全く聞こえない。耳に手を当てて聞こえないジェスチャーをすると、家の裏手の方へと繋がる小道を指差した。車を停めにいくって事か。頷くと車はゆっくり発進し、歩道付近に出来た大きな水たまりを撥ねて小道に入って行った。

 車が二台通り過ぎるのを待って、道を渡る。美津樹の格好はブルージーンズにグレーのパーカー。それらが水を吸って濃い色に変色し、体にべったり張り付いている。そりゃあこの雨で五分も外にいればそんな状態になるだろうし、現にまだ外に出て一分しか経っていない私の太ももから下も似たような感じになってる。今すぐにでもお風呂に直行したいけど、まずは美津樹をどうにかしないといけない。したくないけど父に見られた以上何かしなければ。迷惑にも程があるでしょ、人ん家の前に二時間も佇んで。

 美津樹に何て話しかけたらいい? 今まで何してたのとか? いやいや、私から話しかける必要なんてどこにもないでしょ。元を辿ればこいつがいじめの主犯で私がその対象だったわけで、あの時助けたなんて勘違いしないでほしい。もしそんな事考えてたらムカつく、この場であの男子みたく殴り倒してやる。

 だから、うん、やっぱりそうしない為にもいないものとしてこのまま通り過ぎてしまった方がいい。美津樹は殴られない、私は煩わされない。流石に家の中まで入れば諦めて帰ると思うし、それがベストな選択だ。

 俯いたままの美津樹を無視して門の取っ手に手をかける。鉄の門は雨に濡れてヌルヌルした表面に変化していて、どうにも嫌な気持ちになる。この感触から逃れるには早く取っ手を回すか、もしくは、

「うちの前で何してんの」

 声を掛けられると思っていなかったのか、ビクッと体を震わせて目を見開いた。驚く理由が良く分からないんだけど、人ん家の前に土砂降りの中立ち尽くしてたら、私でなくとも声掛けるでしょ。誰も通報とか補導とかしなかったって世の中どうなってるんだか。

 その見開いた目のまま私の方を見た。見ていると思うけれど、どこか焦点が合っていない。虚ろではなく飛んじゃってる感じだった。あ、これはやばいなと思った瞬間、美津樹はその場に倒れ込んだ。

「ちょっと!!」

 間一髪、階段の角に頭をぶつける前に受け止めてやったけど、つい傘を手放したおかげで瞬く間に私も全身ずぶ濡れだ。

「アンタ馬鹿なの!? ずっとここにいた訳!?」

 全身が小刻みに震え顔は赤みが全く無く、唇は紫に近い。いくら六月とは言えど、何時間も雨に打たれていれば否が応でも体温は奪われていく。体が冷え切っているのが見ただけでも分かる。このままだと風邪を、いや、もう引いているに違いない。

「・・・・・・い」

「え!? 何!?」

「おね・・・・・・がい」

 お願い? この状況で何のお願い? 

「何!? 何言ってんの!?」

 ぶっ倒れてる時にまで、意味不明な事しなくていいから!

「朱璃!?」

 大量の荷物を持った父が、川の様な道路をバシャバシャとかき分け駆け寄ってくる

「お父さん! 早く救急車呼んで! たいっ、大変! だからっ!」

「どうしたんだ一体!?」

「この子二時間以上もここに立ってたの! 私が帰って来るまで!」

「なっ・・・・・・とにかく一旦家の中に入れるから、朱璃は玄関のドアを開けてくれ!」

 今度は滑りの一つも感じなかった。急いで鉄の門を開け、玄関まで走り抜ける。

 焦り過ぎてポケットから上手く取り出せず、出せたと思ったら落とすし、鍵穴に差し込めない。

「ああもう!」

 私は何をこんなに焦ってるんだ? 落ち着け。

 後ろから水を蹴る音が近づいて来る。鍵の上下を確認し丁寧に差し込んで、きちんと右に九十度ひねる。鍵が開いた音も聞かずに思いっきりドアノブを引っ張った、と同時に美津樹を抱えた父さんが駆け込んできた。入れ替わりでドアを開けたままにして、荷物を回収しに行く。買ったばかりの食材はビニール袋に溜まった雨水に浸かっていて、ハーゲンダッツの箱も既にふにゃふにゃだ。門を閉める時に、道の反対側から白い服の女の人が不思議そうにこちらを見ていたが、そんなの勿論無視だ。

 家に戻ると乱暴に靴が脱ぎ捨ててあり、脱衣所の方へと水たまりが続いていた。私も乱雑に靴を脱ぎ捨て、適当な所に買い物袋を放り投げる。放り投げる時に少し楽しんでしまったのは内緒にしておく。

脱衣所では父さんが美津樹のパーカーを脱がそうとしていた。少しびっくりしたけれど、お風呂にいれるのであれば当たり前か。先ずは冷えた体を温めなければ。

「私は何したらいい?」

「バスタオルを取って、ぬるめにシャワーを出して」

「うん、分かっ・・・・・・」

 美津樹が私の家の前に居た時点で声を掛けるべきだったか。そうだ、と言えるのは今があるからであって、その問い自体がナンセンスだ。あの時ああしておけばとかの後悔は、結果を知ったからこその物。後悔するだけ無意味とまでは言わないけれど、囚われる必要は無い。ただし悪人は除く。私に力さえあれば徹底的に、それこそ自分から死なせてくれと懇願するくらい、徹底的に後悔させる。本当なら美津樹にもやりかえしてやろうかと思っていた。だから無視した訳だし。でも、その気も失せた。これは・・・・・・駄目だ。

「お父さん・・・・・・これ」

「ああ・・・・・・」


 脱がしたパーカーの下、他人から見える所以外は全て痣という痣で埋め尽くされていた。

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