第4話-4 【腐った肉と骨の味】

 「・・・・・・でっか」


 蛞蝓からの追走を振り切り黒い森を抜けると、真っ白な塀に囲まれたこれまた立派な屋敷が姿を現した。相変わらず真っ白な塀が左右に二十メートル程続き、西側は崖の手前で、東側は更に深みを増す森の手前で折れ曲がり、車内からではどれだけ続いているか分からない。正面からパッと見ただけでもその豊かさが伝わってくる。こんな山奥でさえなければ重要文化財とかユネスコ指定遺産に登録されていてもおかしくない、素人目に見ても分かるくらい立派な建物だ。きっと中に入ればもっと凄いだろう。鯉が放ってある池や離れがあって、四季折々の草花が何とか様式に倣って咲き乱れているに違いない。

 車を降り、小学生みたいな薄い感想を述べ、崖の方へと歩いていく。

「朱璃ちゃん気を付けてね、そっち側は柵も何も無いし落ちたら下まで転げ落ちちゃうから」

「大丈夫ですよ、ちょっと景色見たいだけなんで」

 森の中にいる時はどれぐらいの所まで来てるのか全く見当も付かなかったけど、こうして切り開かれた場所から見ると相当奥地までやって来た事がよく分かる。見渡す限り一面の緑が広がり、尾根を一つ越えているので街の一端すら見えない。透き通った空の青と遠く見える入道雲の白、眼下に広がる木々の緑には何者も立ち入らせんとする神々しさすらある。もっとも、あの黒い蛞蝓さえ居なければ、素直にこの雄大な景色を享受出来たんだろうとは思う。

「あれ、階段がある・・・・・・」

 家の西側、続く塀の丁度真ん中あたりに小さい柵がL字に立っていて、その手前側に石で出来た階段が続いていた。身を乗り出して覗き込むと、ゴツゴツとした岩と岩の間を縫う形で急勾配の崖をギザギザに切り開いていた。その先に何があるのかは、広大な森が覆い隠していてここからじゃ分からない。街の方向では無いし、畑がありそうな雰囲気も無い。勿論確認しに行くつもりは全く無い。

 で、続く塀のと言ったけど、たまたまこれだけ開いた土地があったのか切り開いたのか、山肌にぶつかるまで百メートル近くあった。敷地の広さよりも四反分の平地をこの山奥、しかも岩だらけの場所に作った事実に驚いていた。

 父さんが言うには百五十年も前の建物らしいし、その時代にこんな屋敷を建てれるなんて豪農でも中々いなんじゃないだろうか? 我が家の目の前にあった健康センターが取り壊されて、どこにでもありそうな二階建てが建てられた時も、年の初めから夏の終わりくらいまで掛かってた。普通に現代で考えても一年以上の時間が必要だろうし、建築費用だって百年前の物価ならもっと嵩む。人手も五人や十人では足りるはずがない。それにそんな国宝級の代物を山奥に作らなきゃいけない理由が、猪とか熊だったり、あとは野盗への対策なら頷ける。でも相手は物理的な防御策が効くのか怪しい、高次元の存在な訳で。


 苛撫吏・・・・・・榎野家が代々闘い続けて来た相手。山に棲む化け物、私の命を狙う呪い。人形や蛞蝓達だけでも十分物理法則云々を無視したぶっ飛んだ奴らだったのに、それ以上の存在をこの塀一つでどう対処するのか・・・・・・

私はどう構えたらいいんだろう・・・・・・今度はこの屋敷でわざわざ化け物を迎え討つっていう、話だし・・・・・・それもよく詳しく聞かされてないけど・・・・・・小さい頃から狙われてた理由も曖昧だし、今日一日理不尽な暴力を受け続けるばっかりで・・・・・・

「大丈夫だよ」

 父さんがいつの間にか隣に立っていた。やっと口を開く気になった様だ。

「ここには五具部の様に僕達人間に利する奴だけじゃなく、器を持ち明確な意思と悪意を振り撒く奴らも数多く蒐集してある。ここは多分、世界の中でも屈指の保管庫。いや、刑務所と言い換えてもいいかもしれない。ストーカーにテロリスト、強姦魔、大量殺人鬼。そんな奴らがもし好き勝手に外に出れるとしたら、どうなる? そんな世界恐ろしくて堪らないよ・・・・・・でも、一世紀半そんな事態になってない。朱璃、見てごらん」

 指差した先にあるのは、屋敷を取り囲む不自然に真っ白な塀だ。汚れが全く無く、まるで造られたばかりかの様に白い。

「幅四十八メートル、奥行き九十六メートル、高さは約二メートル七十センチの塀がこの家の周りをぐるっと一周囲んでる。熊や猪は勿論、人間でも侵入するのは難しい。控え柱と言って、内側から塀を支える太い柱が等間隔に並んでいるから、そう易々と壊される事もない。物理的に攻撃を仕掛ける事の出来る奴も、この世界には一定数存在してるからね。そして週に一度は全周くまなく拭き掃除をして、半年に一度は壁を塗り替えてる。忌世穢物は白や金みたいに眩い色が嫌いだから、色を揃えるのも対抗手段の一つになるわけ。あの蛞蝓達が体を擦り付けて黒く染めようとして、その度に経費が大分嵩むのが少し心が痛い所かな」

「痛い所かなって・・・・・・え? 心? なんで?」

「ああごめん気にしないで、余計だった。問題は外壁はあくまでも外壁で、本来ならその場しのぎにしかならないって事。この壁の本質は、その内側に隠されてこそ効力を発揮出来るからね。まあ勿体ぶる事でもないからサクッと答えるけど、祓詞、真言、聖書の言葉を書いた半紙や洋紙を、塀の丁度中心に万遍なく貼り付けてあるんだ。効果は車の中で見たとおりそこそこの威力があって、且つ、屋敷をまるっと囲む力を持つ優れ物。これのおかげでかれこれ一世紀半以上、人からも守られ続けてきたって寸法だね」

 言われたことをなんと無く想像してみる。変な位置で折れ曲がりさえしなければ、きっと長方形の形をしているはず。形を保ったまま線を上下に伸ばして面を作る。地面は当たり前として、上空をどれだけ注視しても結界らしきものは見当たらないので、適当な高さで止めて頂点同士を結ぶ。これで屋敷をすっぽり覆う箱の完成だ。

「その・・・・・・なんだっけ、聖書とかの言葉を書いた紙って苛撫吏にもちゃんと効くの?」

「効くよ」

「あ・・・・・・うん」

 なんでちょっとドヤってんの。もしかして結界作ったのお父さん? いやでも百年も生きてないしな、そういや今年でいくつだっけ、三十・・・・・・二、三・・・・・・ダメだ自信ないわ。

「ちょっとー、お二人さん?」

 門の手前で三嶋さんが腰に手を当てて、呆れ顔で立っている。

「景色楽しんでる所恐縮ですけどー、開けたから早く入っちゃって。何度も言うけど本当に時間無いんだよ」

「えっ、もうそんなに経ちましたっけ」 

「山に夜なんて一瞬でやって来るよ。さ、暗くなる前に遠慮せず入って」

 携帯の画面を確認すると五時四十二分の文字が。どうにも時間の計算が合わない様な? 島根に着いたのが十二時だとして、そこからおもちゃ屋敷まで移動するのに、途中の停車を含めても一時間掛からないくらい。で、割とすぐ気絶してここに向かって二時間運ばれてたって話だったのに・・・・・・残りの二時間とちょっとどこ行った。これも怪異の仕業って事? 時間を食べる妖怪とか流石に考え過ぎ・・・・・・?

「なんかはぐらかされてる気がするんですけど・・・・・・入ればいいんですよね入れば」

 これから私の身に何が起きるのか皆目検討も付かないけど、ここまで来たら後は郷に入っては郷に従え、長い物には巻かれろの精神で待つだけだ。異様な二人の事を頭の片隅に留めながら、気合い入れの意味も込めて大きく息を吐いた。


 閂が付いた重そうな戸の前に立つと、中からほんのり甘い花の香りを乗せた風が私の体を優しく押し戻した。

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