第4話-2 【腐った肉と骨の味】
「それは純粋に食べる必要が無かったってだけだよ。朱璃ちゃんもお腹いっぱいの時に無理して食べたりしないでしょ? 偶然生き残っちゃっただけ」
死んだのに生き残るって変な表現だけどね、と言って口角を上げる。すぐに表情を戻して更に続ける。
「シゲさんの店にあったのは幽霊や悪魔が宿っていた物ばかり。悪魔的な人も世界中にいるのも事実だけど、そういう殺人鬼みたいに生と死に執着があればある程霊になりやすい。良くも悪くも魂のサイズ、つまり振動が大きいから消えるまでに時間が掛かる。結果一番近くにあった器になり得る物に飛び込んで定着する。それは人形でもいいし絵画でもいいし、稀に人に入る事もある。でもそれだけじゃ悪意を振りまく呪いの品の完成にはならずに、これまた霧散しちゃう。ここで大事なのが条件付け」
「条件付け?」
「アナベル人形、バズビーズチェア、崇徳天皇の写本、北海道の花魁渕、大分の耶馬渓、樹海、アイルランドのチャールビル城、ロンドン塔。名前だけなら朱璃ちゃんも知ってるものもあるよね。他にもまだまだ有名な物や場所は数多くあるけど、彼らは偶然にもこの世に残り、明確な意志でこの世に残り続けようとした。そしてどんな手段で生きている人間を呪い殺すか決めた。この手段が条件付けのこと。これを決めない事には存在を維持できずに消滅するし、逆に決めさえすれば自分がどんな存在でどれくらいの力を持つかを定義づけられる」
ちょっと何言ってるか分かんなくて自分なりにまとめてみたけど、恐らく条件付けっていうのは英語で言うところの5W1Hの事だと思う。誰が、なぜ、何を、いつ、どこで、どのように。それを指定する事で力の強さと自分がどういう存在かが決まる。例えば、この神社に来た人全員を呪ってやるぞって指定したら訪れた人を漏れ無く呪えるけど、せいぜい箪笥の角で足の小指をぶつけさせるとか下痢にさせる程度の力しかない。逆に、深夜二時丁度に賽銭箱に触り、その後境内に侵入し反時計回りに一周して鳥居まで戻り振り返る、みたいにどんどん限定的にしていく事で即死級の呪いを振り撒ける一品に成る、みたいな。
が、言うは易し行うは難し。死んですぐに指向性を持たせるなんて土台無理な話で、海に絵の具を一滴垂らしてそれを溶けないように維持しなきゃいけないくらいの難易度だそう。まあ、それくらい難しくないと本当にそこら中幽霊だらけで、人がばったばったと死にまくる世界に早替りしちゃうよね。もしくはそれ以上に産まれるスピードが早いのか。
「なーんかなぁ・・・・・・無知の知ってこんな気分なのかなー」
「それ誰の言葉か知ってるのか?」
「ソクラテスでしょ、馬鹿にしないでよ・・・・・・」
遠い目で窓の外を見やると、青々と茂る葉の隙間からオレンジ色の光が薄っすらと射し込んでいる。パワーウィンドウのスイッチを押して窓を開けると、タイヤが小石を跳ねる音に紛れて、さわさわと風に揺られる木の葉の音が車内に充満する。誰が言ったか、木の葉のざわめきは風の話し声だって。自力では話せないから、葉を揺らし花を散らし香りを運んで、世界中の風と会話する。ただの詩的な表現だったはずが、今じゃ本当に囁いてる様にしか聞こえない。彼らは私を見てどう思っているのだろうか。美味しそう、新鮮、採れたて、活きがいい、たらふく食べられる。うん、どれも私にぴったりだ、嬉しくはないけど。
「美味しそうだよ」
ほらね、思った通り。病弱だから活きがいいは外れるかもしんないとして、新鮮で美味しいは間違いない。
「とってもぉ」
「ちょっとお父さん? 超能力使うのは勝手だけど、娘の頭の中覗くのは如何なものかと思うよ」
「えぇ? どうしたの急に。超能力ってスプーン曲げとか、サイコキネシスで物を動かしたりって事を言ってるの? 昨日今日と大変だったから混乱してるのはわかるけど、父さんも三嶋さんもその世界を認識してるだけで超能力に目覚めた訳じゃない。少し見方が変わっただけなんだよ」
「じゃあ誰が美味しそうって言ったの? お父さんみたいな声で・・・・・・ほらまた美味しそうって・・・・・・」
「とぉおってもぉおおおいしそう」
・・・・・・父さんじゃ、ない? 明らかにお父さんの声なんかじゃない・・・・・・何人もの男女が同時に話しているような、もしくは声変わり途中の男子の声のような、或いは〆られる山羊のような・・・・・・
カリ・・・・・・カリ・・・・・・
・・・・・外だ。車の外で音がする。「とっても」も「美味しそう」も二人には聞こえていないなら、固いもの同士を擦り合わせた時に鳴る、この高くて耳障りな音も聞こえていない。
ダメだ。行くな、見るな、動くな。思考とは裏腹に、まるで私の物じゃないみたいに体が勝手に動いて、顔を窓に近づけていく。
「何・・・・・・これ」
黒くくすんだ子供大の塊が、ドアに張り付いていた。木漏れ日が体表にぬらりと反射して、この塊が滑り気を帯びていることはすぐに分かった。それは毛の一本も無く、代わりに細長いくねくねする棒状の物がその表面を覆っている。無数の棒状の物が車体に当たる度に、カリカリと音が
「あっ」
これ・・・・・・・・・・・・指だ。
十や二十では収まらない数の手が何層にも折り重なり、一つの生き物として蠢いていた。腐って変色した肉と固まった血で覆われ、乾燥しきっていない泥がこびり付いている。音を立てているのはひび割れた爪が車体に擦れているせいで、その割れた爪の間から滲み出る黒ずんだ血が車体に幾つも線を引いていた。
五具部を見た時の衝撃とも人形が見せた幻の恐怖とも違う、全身に鳥肌が立ち思わず目を背けたくなるような生理的嫌悪感。
私はこの時激しく後悔した。馬鹿がやる怖いもの見たさでは無かったし、見なくて良いなら見ない方が良いに決まってる。ニーチェの言葉を借りるなら「深淵を覗く時、深淵もまたこちらを覗いている」訳で、私は声を無視してウィンドウを閉めるべきだった。そうしてさえいればこの醜悪な物体が一瞬動きを止め、私を「見て」、襲い来る事も無かったかもしれない。
カリ、カリ、カリ・・・・・・カリカリカリカリカリカリカリカリカリカリカリカリカリ
無数に生えた指が我先にと私に向かって押し寄せて来る。それは石を持ち上げて現れる無数の蛞蝓のようでも、堤防を越えて押し寄せる波のようでもあった。
スイッチを押すよりも先にぬるりと侵入して来たそれは、幾層にも重なる指を引き伸ばし、私の頭に掴みかかった。
「~~~~~~っ!」
あまりの速さに対処なんてしようもなく、何度も、何度も、何度も、ドアに体を打ち付けられ、その度に呻き声が漏れる。
「朱璃!? くそっ! 鳴海ちゃんあれ! あれ出して早く!!」
「あれじゃ分かんないでしょ!? どれ!?」
大人達が慌てふためいている間にも、どんどん力と重みが増していく。打ち付けられる度に肺からは確実に空気が抜けていき、苦悶の声さえも出てこない。シートベルトをしていなければ二、三回引っ張られた時点で、私は外に引きずり出されていたかもしれない。シートベルトを外せる程の知能があるのかどうかは別として、一先ずちゃんと交通法規を守っていた自分に感謝した。
と同時に、痛みと痛みの狭間で強い怒りが湧き上がっていた。
どうして私なの? 私がいつ悪い事した? ただ普通に生きてただけじゃん。どうしてこんな目に合わなきゃいけない訳? もっと他に殺したい奴なんて腐る程いるじゃん! こっちは電池パックじゃないっつーの!!
引っ張られる寸前、一瞬止まる隙を狙って渾身のアッパーカットを食らわせてやった。それがどうやらこいつの軟らかい部分に直撃したようで、掴む力が凡そ何人か分弱まり動きも止まった。渇望していた空気を細胞の隅々に行き渡らせられるよう、これでもかと肺に詰め込む。
久しぶりの酸素の供給で全身に微かな痺れと熱を感じられたが、汚泥と血と腐った肉が発する悪臭に、生き返った心地はしなかった。
もう一度アッパーをお見舞いしてやろうと、右手に力を込める。今の私は怒りで震えに震えてる。さぞかし「とっても美味しそう」に映ってるんだろうけど、怒りの拳で良ければ何度でも食らわせてやる。
「つっ!」
そう思って腕を抜こうとすると右手首に鋭い痛みが走った。手首の骨と骨の間に何か薄くて硬い物が食い込んでいる。更に反射的に抜こうとしてしまったがために、余計に深く刺さってしまった。しかも断続的にグリグリと抉るような動きも付け加えられ、私の皮膚はその執拗な攻撃に耐えられず切れてしまった。
塩でも十字架でもいいから、早くこいつを剥がしてくれないと私の方が怒りでどうにかなりそうだ。手首だらけの未知の化け物に自分の手首を掴まれ血が出ているこの状況を、よく考えればかなり危険なのだと気付けるはず。しかし、頭に血が上っている事と痛みやその他外部からの干渉で、今の私が正常な判断を下すのは難しい。
そう、だから・・・・・・こいつらが手だけの集合体だと決めつけて疑わなかった。
「あった!」
三嶋さんが何かを発見した声が聞こえた。
声を合図に、大小様々な指が器用に私の頭の上から後退し、眼前にその醜悪な姿を現した。表面だけを見れば蛞蝓で余りに不出来で不揃いなのに、造りを見れば団子虫にも似て規則性を持ち合わせていた。もし悪魔がこれを作ったのだとしたら、狙いは成功したと胸を張っていい。これまでに数え切れない程の老若男女を震え上がらせ、手首を噛み千切ってきたのだから・・・・・・私今何て? 引き千切るならまだしも「噛み」千切るなんて理屈としておかしい。昔から知っている以外に・・・・・・
「おほぉっへも、おひ、おひひほうぅぅ」
また肉への賛美を繰り返すと同時に、私の手首にあの痛みが走る。ああ、そうだ・・・・・・やっぱりこいつのこと・・・・・・
ニタリ
私を見て笑った気がした。
次の瞬間、化け物は私の口を目掛けて体を伸ばした。
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