第3話-4 【始まりはいつも静けさと共に】
「見た目はね。でも普通とは違う、そこら辺にあるものとは色んな意味で次元が違う代物なんだ」
普通とは違うって言われても表紙に大きく綺麗な字で転記帳壱って書いてあって、右下に榎野継と書いてあるだけ。あれかな? 世界に一冊しか無いんだぜ的な?
「うん・・・・・・意味不明だけど良かったね」
「うん? ありがとう。まあとりあえず適当なページ開いてみてよ」
「はあ・・・・・・」
言われるがまま真ん中より少し前のページを開く。山で取れてそのままでも食べられる野草の見分け方。次のページを開くと章が変わって山で遭難した時の対処法あれこれ。思い切って後ろの方まで捲ると、人を食べる鏡の妖怪の話が絵付きで書いてあった。
「何これ? 随分使わなさそうな内容ばっかりだけど、山歩きが趣味だったっけ?」
「いや、特に俺の趣味じゃないよ。どちらかと言えばメモする方が趣味だった、が正しいかな」
「全然面白くなさそうな趣味じゃん、昔は根暗だったとか?」
「ぷっ」
三嶋さんが笑って父さんが睨みつけてるって事はやっぱりそうだったか。そりゃオカルトが好きで本が好きでインドアで気の強そうな女性に尻に敷かれてるてなったら、それはもう絶対根暗だったでしょ。注釈、個人的意見なので抗議は一切受け付けません。
「これ読んでお父さんがイケてない青春時代を送ってたってのは分かったけど・・・・・・ふっ。これがなんの証明になる訳? 格好つけて第三種は接触、とか実は痛い方の根暗だったの?」
「痛い方でも痛くない方でも根暗でもありません。ちょっと人付き合いが得意じゃなかっただけです。まあ、俺のことはさておき本はもう閉じていいぞ」
今の時間かなり無駄だったと思うんだけど。いや、こんな回りくどい宗教勧誘に付き合わされてるんだから、今朝から全部時間の無駄か。もしかしたらこの世の中にまともな人間はいないのかも。気に食わなかったら皆でいじめて、救いを求めて宗教にハマって、ろくに運転出来ない老人が事故を起こして、ちょっと挫折したら道行く人を刺し殺して。他人の幸せをぶち壊すのに皆一生懸命なんだろうなって思う。飛躍させすぎ? でも実際に五分もテレビを付けておけばそんなニュースばっかりだから、世の中そんなもんだよね。パンダの赤ちゃんが生まれました! みたいなゆるい感じでいいんだけど。
厨二っぽく世の中を憂いて、そんな世の中の一部である父さんのことも哀れんで、そっと本を閉じ・・・・・・れない。
「どうなってんのこれ全然動かないんだけど」
接着剤で張り付いているのかってくらいぴったり机と一体化している。
「マジックとかさーそういう悪ふざけ今はやめてくれる? タイミング最悪だし、大体子供じゃないんだから喜ぶわけないじゃん」
「あー・・・・・・いや、別に悪ふざけでもないし手品でもないしそもそも俺じゃない。もし何かしてるとしたらそいつだよ」
と言って父さんはそれを指差した。それ、とは目の前の本だ。
「久しぶりだな五具部」
「・・・・・・は? 舐めてんの?」
とうとう本に話し掛けるなんて奇行に走り始めたんですけど、気持ち悪っ。ゴクブってなに? 確か三嶋さんが会わせるって言ってたから人かと思ってたけど、いよいよ頭おかしくなってんだなこの人達。キマってんじゃん、もうドン引きとかのレベルじゃないねこれは。
「中々気丈な娘っ子に育ったもんじゃのう」
どこからかガサついて聞き取りにくい声が響いた。
うわーお、音声まであるとは用意周到ですことー。老人の声にノイズを混ぜて、更にキツめのエコーをかけたようなダブった声。確かに本から聞こえるようにも思うけど、初音ミクだったっけ、そういう音声を作るソフトもあるくらいだし今の科学をもってすれば余裕でしょう。知らないけど。関西人を真似するなら知らんけどって感じかな。
「ツッコミどころ満載でもう面倒臭いから一言で済ますけど、うん、私は巻き込まないでね」
「それはもう遅かろう」
答えたのは父さんではなく本だ。
「童、本来ならば初めて連れてきた時に対処しておくべきだったのだ」
「言われなくても理解してる。それでも少なくとも僕には出来なかったし、今の状態でも最善を尽くしたと思ってる」
「最善かどうか、それは火を見るよりも明らかじゃろう。こうしてこの地に戻ってきたのだから」
「朱璃の人生を考えるなら方法は他に無かった、それは五具部だって分かってるはずでしょ。折角久しぶりに会ったのに言い争いたくないんだよ僕は。そんな時間も余裕も」
「むっちゃ喋るじゃん」
しまった、空気に耐えきれなくて突っ込んじゃった。コントかよ。
「頑張って仕込んで貰った手前申し訳ないけど、まだ続けるなら私はどっかに行って適当にお茶でもするよ」
・・・・・・いやいやそのぽかんとした顔はこっちの方がしたいくらいなんですけど?
「いやいや、ここで食事したら向かう所があるから朱璃には居て貰わないと。終わったら好きな所に連れて行くから、それまではちょっとだけ我慢してくれるかな。それはそうと五具部」
「んん? ああ」
父さんの具体的な内容のない呼び掛けに何かを察したのか、独りでに本がガタガタと震え出した。最初は地震でも起きたのかと思ってしまったけど、壁に飾られている人形も机も全く揺れていない。父さんの手は机の上、三嶋さんとの間は人一人分開いているから触れないし触ってない。糸が伸びてる様子も無い。
「えっえっ」
呆気にとられて動けずにいると、今度は震える勢いそのままに物凄い速さでページが捲られていき、やはり独りでに表紙まで閉じられ一瞬の静寂の後
ぐるんっ
表紙のど真ん中に人間の二倍はありそうな巨大な眼が出現した。
しかし、それだけでは終わらなかった。
紙を手で丸めた時と同じ乾いた音を立てて瞬きをした後、本の背に当たる部分が急激に膨れ上がり始めた。
「うわっ、わわわっ」
私は椅子を倒して床に転げ落ち、尻餅をついた状態でそいつから距離を取った。下がった拍子に落とした人形が頭に当たっても気付かないくらい、揺らめきながら生えてくる異様な光景に目を奪われていた。
瞬く間にテーブルからはみ出すサイズになり、体を支えるように左右に伸びる枝のような何かがテーブルに根を下ろすと、先の方が分かれ四本指の手に変貌した。次いで下にも伸びていた少し太めの枝が足の様相を見せ始める頃には、私の背丈を優に越す程の大きさにまで成長し、梁にぶつかる寸前でくの字に折れ曲がった。
「うむぅ・・・・・・ふぅうぅぅぅ・・・・・・」
吐息を吐きながら膨張していくそれが、どうやら人の形になろうとしていると気付いた時にはもう八割方出来上がっていた。
本来必要な部分の顔の代わりに古びた分厚い本が備え付けてあり、真ん中に私を見つめる目が付いている。深い皺が刻まれた目尻、猫の眼に似た縦に細い瞳孔。褪せた水色の着物に深緑の帯を締め、粋な遊び人みたく着崩しているのがなんとも様になっているその和の出で立ちは、どこか懐かしさとその時代の匂いを思い起こさせた。そして袖や裾から見えている栗色の手足は異様に細長く、水気の全く無い乾燥した肌。まるでミイラが和服を着て動いているみたいだった。
「何時ぞやか確かに離すのも一つの手ではあろうと言ったが、然し同時にはっきりと申したはず。それは張りぼての延命処置に過ぎぬと。よもや何の策も講じておらんとは、お主らは一体これまで何を呆けておったのだ」
いつの間にかこの化け物に口らしきものが付いていた。背の真ん中から表紙部分の右下まで切られたみたいにぱっくりと割れて、その切れ目が声に合わせて動いている。口の中ももぞもぞと動いていてそれもまた気持ち悪い。ちゃんと見てないし見たくもないけど、多分色味的に考えて表紙が唇で分厚い中身が歯とか舌の代わりなんじゃないかと思う。
「既に試した事を知った上で言ってるんだから相変わらず性格が悪いよ、五具部は。説教なら後でいくらでも聞くから、今はただ力を貸して欲しい。具体的な案は鳴海が考えたものがあるから、思うことがあったら遠慮なく言ってくれ」
「いつの世になってもお前達人間の浅ましさは変わらんの。なあ、童。お主が変わったのは図体だけか? まあいい、今はその具体的な案とやらでも拝聴賜るとしよう」
「うん、それこそ上手くいけばって話なんだけど」
ど・・・・・・どうなってんのこれ。誰がどう見ても明らかに化け物だよ? 何で普通に会話してんの?
「考えた方法は二つ。家の防御をガッチガチに固めて諦めさせるか、もしくは相討ち覚悟で討って出るか。奴が朱璃ちゃんしか狙わないのであれば前者を取った方がいいと思う。運が良ければ楔を打ち込めるかもしれないから、私はこっちをAプランにしたい。Bプランについてはあまりお勧めはしたくない。と言うよりも、こっちは案自体に欠陥があり過ぎて最早案とすら呼べない様な代物だから、あって無いと同じかな」
「では先ずそのえーぷらんとやらから聴いていこうか。苛撫吏が動き出すまで後四刻半。お前達にとっては長い一日かもしれぬが、この年月を考えれば奴にとっては瞬きをするよりも短かろうな」
いや・・・・・・短かろうな、じゃなくてお前は一体何なんだ、誰でもいいから説明して。この後の事とか今話されても全く頭に入って来てないし、床に座ったままの私を放置してないでせめて立たせるとか自己紹介させるとか色々あるでしょうが。違う違う、何で人の側にいる付喪神と仲良くしなきゃいけないのかって話で・・・・・・ん? 何で私こいつが付喪神って思ったんだ……?
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