風鈴

音が聞こえた。

夏の夜の失われた風物詩。

軽やかなる音の音色。

気分が、よくなる。


ちりーん


たくさんの風鈴。

揺れて鳴いて。


ちりーん


富嶽は飛び起きた。

待っていた、のだ。

だから急いで玄関へ、つっかけに足を取られながら外へ飛び出した。


夏の夜の蒸し暑さときたらここ最近は辟易するもんがあった。

去年一昨年子供の頃、こんなに暑かっただろうかと、誰にともなく問うてしまう程、強い湿気を従えた熱帯夜がのさばってた。

なのにちりーん、と風鈴の音。

その音ひとつでやに涼し。

本当に涼しく感じるのだ。

生温い風で短冊揺れて外見鳴る。


ちりーん


ほらまた涼し。


富嶽は夏の夜、寝静まった住宅街、風鈴の音を辿って駆ける。

つっかけが脱げかける。

いや一回二回と脱げてたたらふんで転びかける。

落ち着けと、思っても、はやる気持ちが勝ってしまう。

また、つっかけ蹴飛ばしてしまう。

ああもうなんで逃げてくんだこの野郎。

富嶽は苛立ちながらつっかけを追い掛けて、ちりりーん。

風鈴の音に、はっとなった。


色鮮やかな短冊がひらひら揺れる。

海月のような形をした透明硝子、金魚や花火、朝顔咲いて美しい。

そうしてちりーんちりりーん、風鈴鳴るよ。


富嶽はつっかけをきちんと履き、


「くださいなっ」


風鈴がいっぱい釣られた天秤のような形の木枠を担いで歩いてる『風鈴屋さん』に声を掛けた。

富嶽に背中を向けていた『風鈴屋さん』がぐるうり振り返る。

だけど風鈴の音ちりりーん、りん。

優しく鳴いてああ涼し。


「あいよぉ」


『風鈴屋さん』が富嶽を見止めてにっこり笑った。

闇夜に浮く黒き髪、それより黑い神秘の瞳。

白地に朝顔が描かれた浴衣を着てる『風鈴屋さん』。

富嶽は寝間着姿である事に、寝癖ついてないかなと頭触れて恥じ入った。


「さぁ、好きなの選びなぁ」


『風鈴屋さん』が担いでいた木枠を地面に置いて、ゆらりゆらゆら手招く。

富嶽は後頭部に寝癖を見つけてしまったが、風鈴を選ぶ事が最優先だと風鈴の傍しゃがみ込んだ。


「これとかぁ…いいかもぉ」


涼し音色と彩の揺れに富嶽は迷ってしまつていた。

どれもいい。

この中のどれがいい?

迷う富嶽へ『風鈴屋さん』が一本勧めた。


それは黒。

真黒。

硝子なのかも分からない。

短冊も舌も外見も全部黒で何で出来てるの?

けれど黒。

目が、離せない、黒い風鈴。

富嶽は「あ」驚きの声と共にその風鈴に触れた。

なんとも言えぬ音がした。

他とは隔絶した涼しさが、その音色から感じられた。


「気に入ったぁ?」


「はいっこれにしますっ」


「んふぅ、じゃあどぉぞぉ」


と、『風鈴屋さん』が木枠から全部真黒の風鈴外して富嶽に渡す。

富嶽は、大事大事に真黒な、もはや何で出来ているのか分からぬ風鈴を両手で包み込んだ。


「あの、『風鈴屋さん』…」


「なんだぁい?」


『風鈴屋さん』再び木枠を担いでちりりんりん。

ふわっと、富嶽の好きな匂いがした。


「あの」


「んぅ?」


優しい笑みに富嶽はちょっと泣きそうになった。


「前、頂いた風鈴、割ってしまってごめんなさい」


仕舞おうと思ったんだ。

夏の間だけ飾って、来年もまた涼を運んで貰おうと思ったんだ。

なのに富嶽は誤って、落として割ってしまってわんわん泣いた。

冥と同じ黒を粉々にしてしまったのを、ずっと後悔していたんだ。


「…フガクぅ」


あれおかしいな風鈴の音消える。

それもその筈『風鈴屋さん』が居なくなってた。

その代りに冥が居た。

何時もよりゆるぅいシャツとズボン姿の、いや寝間着姿の冥が富嶽の腕に絡みつく。


「じゃ、きょーぉ、これからぁ…おわび…シテぇ」


それで赦してあげるぅと腕を抱かれた富嶽は、それはお詫びになるのだろうかと疑問に思ったが。

ぴたりと寄り添う冥に逆らえる訳もなく。

お詫び申し上げる夜を果て抜けた。


何時の間にかぶら下がった黒い風鈴、ちりんとああ涼し。

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