二話

 ”繚二、見つけた! お前また変なとこ行って……探したんだからな? ほら、遊び行くぞ!”


 起は、目標というか。昔から人付き合いでもなんでも引っ込んでしまいがちな僕にとって、光のような存在だった。

 出産の時に母親同士が同じ病院だったらしい。昔聞いた話によると、子供は幼少期の頃に出会った人は無抵抗で受け入れるんだとか。臨界期という時期があって、その時期はありとあらゆるものを乳幼児は際限なく受け入れていくし、そこに拒絶も何もないと。きっとそれの延長線上にあることなのだと思う。その例に漏れることもなく、僕と起はかなり似た部分の一つもないような二人だったけど、割といつになっても関係が途切れることはなかった。趣味が合わなくなることがどれだけあっても、二人の間に会話が昔よりは展開されなくなっても、まさかお互いがそれで一緒にいるのに居心地が悪くなるなんて思ったこともなかったし、まさか相手側はそう思ってるかもなんてことも思わなかったんだ。

 ほとんどの人は名づけられた名前には正直名前負けしてしまうと思うんだけど、起は違った。起承転結の起、すべての始まりとすら見れるその名前を背負いきれるだけの大きな人になった。幼稚園の頃は年齢のわりに引っ込み思案だった僕を引っ張って外に出て行くような人だったし、小学校になってもその空気を張り詰めさせない天性の人当りの良さは消えなかったし。中学校は離れたけれど、それでも定期的に遊ぶ起の様子はいつも輝いて見えた。本当に、僕とはひどく違っていた。

 そんな起のことを思うと、忘れられない出来事がある。


 ”お前、自分の名前の由来聞いたことある?”


 去年の夏、セミが良く鳴いていた日。僕の家でスマホをいじっていた起が、思い出したかのように僕にそう聞いてきた日があった。

 僕はその時に「いいや」と返して、そうしたら起は「そっかあ」って言った。……多分、自分の名前が嫌いな僕を案じてのことだったんだろう。昔、「一人っ子なのになんで一じゃなくて二なんて名前に入れたんだ」って起に愚痴ったことが何回かあったから。

 これは起にも言ったことはないし、だから起が嫌いだなんてこともないけど。いつも起に守られてばかりで、まるでこの名前が僕にお似合いだと言われてるみたいで、自棄になったこともあった。繚二、つまり”二番”。そんな名前を付けられて、喜ぶ人がどこにいる?

 そうやって、適当にその話を濁して。……次の年の六月、今年突然起は死んだ。本当はどうかは知らないけど、死因不明とだけ聞いた。身内葬で葬式の類のことは行われたから、死に顔を見ることはできなかった。ただ、起のお母さんが、起の訃報とともに僕に渡してきた手紙。起が死ぬ前に欠いた僕への手紙があったんだ。……事前に手紙があったなんて、もう、そういうことだろう?


【悪いな繚二。突然のことでびっくりしてるだろうけど、まあそういうこともあるんだなとだけ思ってほしい。忘れろなんて言えないから、これだけやってほしいことがある。去年話した時は濁されちゃったんだけど、お前の母さんに聞いてみろよ、お前の名前の由来。それじゃあ、元気でな】


 ……僕は、未だにこの頼み事をこなせないままでいた。大好きだったはずの、唯一の親友との約束を。



   ***




「彩花、それは」

「それは、何? 下手な嘘つかないでね、何かがあるってことぐらい、一クラスメイトの私にだってわかる」


 あまりに唐突な追及に、僕はしり込みしてしまう。だって、起の存在も当然彩花は知らないし、僕自身はそんなに今年で変わったつもりもなかったんだ。

 仄かに怒りすらも募らせているかのような瞳に、いつもより気持ち火照った顔。声は結論を急いているかのように、細かくその域を震わせている。


「ねえ、彩花、何か焦ってる?」


 別に、この話は何も彩花に関係ないのに。温度差があるようにも見えるその返答をすると、彩花は絞り出すように言葉を吐いた。


「……だって、こうでもしないと繚二はどうにかやり過ごそうとするでしょ、この場もまた」

「え」


 そう僕に言う彩花の声は、大きな声ではないけど。声の震え方といい、息の吐き方といい、明らかに頑張って声量を抑えているだけで、激情がそこにあることは簡単に見えた。


「今年の六月さ、最初はただ素直に繚二のことが気になって近寄ったよ。でも、ある程度話してみたら繚二は。繚二は、私も私以外も、まるで全部に興味が向いてないみたいって気付いた。その上で好きになった時点で、私も私ではあるけどさ。ねえ、繚二の気は、一体どこに向いてるの? いつまでも、何かを考えてるんだろう欠片だけ見せられた状態で、何を考えてるのか、何を見てるのか隠されたままなんて、私嫌だよ」

「え、えーっと、そんなつもりは」


 そんなつもりは、なかったけど。そんな適当なことを言わせてもらえるほど、目の前の彩花の目は優しくなかったから。僕はまた、中途半端なところで言葉を詰まらせてしまう。

 それに、ただ彩花の気に負けてしまったというわけじゃない。なんというか、「言われちゃったか」みたいに思ってる節も、僕の中でほんの少しだけど確かにあったから。

 ここ数週間ずっと、「なんでいつまでたってももういない人のことを考え続けてるんだ」とは、僕もうっすら思っていた。死んだ人はもう帰ってこない、そんなことは知っていたけど。ただ、それを直視するのが痛かったんだ。依りどころにしていた人を失って、全部が空っぽになってしまうのが。


「いや。うーん、まあ……。死んだんだよ。幼稚園からの親友が」


 まさか、こんな形で言わされる、現実問題として目を背けることを許されずに直視させられることになろうとは。まだ少しまくし立てたときの名残で息の切れたままの彩花に、観念して起のことを白状する。


「……ああ、そういうことだったんだ。それで?」

「え?」

「え、いや。なんとなくだけど、まだそれだけじゃない気がして。そうでもない?」


 息の整ってきた彩花は、凄まじく鋭利な質問をしてくる。僕がこのことを誰かに言ったことなんてここ数週間ではもちろん誰にもなかったし、もちろんこれから誰かに言うつもりもまったくなかった。それだけ、起は僕にとっては大切だったし、僕以外の人にとっては大切でも何でもないと思っていたから。

 そんな、今の僕にとってすべてと言っても差し支えないだろうことを暴露した後になっても、彩花は変わらずに詰めてくる。はっきりいって、これは何を聞きたいのかよくわからない。体の奥で、焦りだけじゃない胸のざわめきが現れていた。


「ええ? ごめん、それは本当によくわからないや」


 一体彩花が何を言おうとしているのか。それが微妙に測れなくて、察しきれないままそう返すけど。的はずれなことを言われているのかと思っても、そう面と向かって言われると不思議と焦燥的になってしまう。


「そう? 言いにくいけども、例えば。思い残しとか、未練とかさ」

「思い残し」


 そう言われて、腰に手を当てて考えた。今日の今までの話とかを振り返ってみたりするけれど、それでも思いつくものとかはない。だんだん、やっぱり彩花の変な思い過ごしなんじゃないかと思えてくる。


「ないね。というか彩花、思うには遅い気もするけどだいぶ踏み込んだこと聞くね?言ったらなんだけど、だいぶプライベートなことなのに」


 少しずつ不思議になってきた気持ちで、僕は彩花にそう少し哂うように言った。小気味いいような言い方をしたけれど、今の僕はさぞ苦虫を噛み潰したような表情だったことだろう。だって、正直聞かれて気持ちいいものではないに決まっているんだから。すると、彩花は僕の目を、もはやその奥を見ているのかというぐらいにじっと見て言う。

 すると、彩花は少し伏し目がちに、大体僕の胸あたりを見ながら口を開いていった。


「それは。……ねえ、さっき公園でかくれんぼしてる子たちがいたのは覚えてる?」

「ああいたね、それがどうかした?」

「かくれんぼのさ、そもそもゲームとしておかしいところわかる? 繚二」

「……わかんないけど、隠れて、見つけるだけじゃないの?」

「それだよ。かくれんぼって、英語では”hide and seek”って言うんだけど。本当に上手に隠れて見つからなかったら面白くないんだ。隠れるゲームなのに、どこか見つけてもらうことを前提に動かなきゃいけないんだよ」

「それが何」


 何が言いたいのかわからないと抗議の眼差しを送る僕に、彩花は続けてその先を言う。


「同じだよ。私は繚二は何か隠し事をしてると思ったし、隠し事をしているってことは誰かにそれを気付いてほしいってことだと思ってる。本当に誰にも見つけてほしくないものなら、隠すことにためらいなんてないから誰にも気づかれないように隠せるはず。そうじゃない?」


 そこまで言ったところで、言いたいことは全部言い終わったのだろうか。彩花はすっと向きを変えて、そのまま駅の方へ進みだしてしまった。


「まあでも、繚二の事情にずけずけ入り込んでる自覚はあるよ。悪いね、ちょっとだけだけど」


 僕の方から顔を背けて彩花が言う。その顔と言うか立ち振る舞いは、今日のいつどの瞬間の雰囲気とも似ていない。僕を詰めていた時の気迫はどこへやら、とたんに気が弱そうな彩花になっていた。


「いやまあ、いいけど。というかなんか、さっきまでと雰囲気違う」

「あ、そう? いや……繚二に隠し事吐かせようとしてるから言うんだけど。私さ、今日告白したじゃん。それで謝らないといけないことがあって」

「え?」

「あ、待って待って、ゲームじゃないからそれだけは誤解しないで」

「一瞬本当に心臓止まるかと思った、よかった」


 本当に心臓に悪い、危うく何をしてしまうかわからなくなるところだった。


「でも、当たらずとも遠からずっていうか。私、繚二に告白するのが怖くてさ。告白ゲームのうわさを聞いた時、ちょっとだけ”使える”って思っちゃったんだ。普段なら面と向かって告白なんてできないけど、今だったら「本当に好きだから言ってるかがわからない」から、告白するときの気分的な負担が減ると思って、とにかく告白だけ済ませてしまえばあとはどうにでもなると思ったんだ。……ごめんね、結局こんなに繚二を悩ませることになるなんて、告白した後になるまでは自分のことばっかで一回も考えてなかった」


 僕の方を一切見ないまま彩花がそう言って、言った後もなお僕の一歩前を歩き続ける。試しに横に並ぼうとしてみると、さらにその一歩前に出られてしまった。

 なるほど、だからあんなにゲームのルールのページ開いて文句言ってたのか。それのことが良くないとわかっていて、それでいて自分もそれに頼ったから。僕は一人で合点がいって、少しだけ気分が解れた気がした。

 ……はっきり言って、もう彩花のことを疑ってなんかいないし、それなら。


「うん、わかった。ねえ、彩花」

「何?」

「明日も一緒に帰らない? ちょっと、今日家でやらないといけないことがあるんだ」

「え、いいの?」

「そりゃいいよ」


 ……もう、僕も起にしがみついてばかりじゃいられない。彩花のことを信じないといけない。



   ***



「ねえ、母さん」


 その日の晩。僕は電車に乗って家に帰った後、夕飯の焼き魚を食べて。それで今、いつもならすぐ部屋に戻っていたけれど、今日は流し台で洗い物をする母さんの方を見ていた。


「あら繚二、まだそこにいた? どうしたの」

「うん。あのさ、僕の名前の由来ってあるの?」


 テーブルの上の麦茶をコップに注ぎながら言う。すると、母さんは「えぇ?」と少し間の抜けた声を上げた。


「あるに決まってるじゃない。自分の子供の名前を考えなしに付けるわけないでしょ」

「そっかあ、ちなみに何?」

「ああ……、そうね、そういえば起くんには昔聞かれて言ったけど、繚二には言ったことなかったかしら。”生きてたら取り返しのつかないことは数えきれないほどあるけど、二度目が許されることもやっぱり山ほどあって、そっちだけでもちゃんとできたらきっと人生が豊かになるから、挫けずに頑張ってほしい”だよ、繚二の名前の由来」

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