ハイドアンドシーク

一話

 七月初めは月曜日、晴れて忌々しい梅雨が明け、もっと忌々しい夏が訪れていた日。窓側の方、左から二列目に椅子と机を陣取っている僕は暑苦しい自然の押し売りに早くも白旗を振って、それでもやまない追撃に心と体をすり減らす。エクアドルには常春の土地があるらしい、そう思うと生まれた場所の不公平を感じた。

 誰もいない教室には僕一人だけが残されていた。今の時間はまだ夕方の四時半にもなっていないのに、もう全員が部活や帰宅などを済ませてしまったのかと思うと薄気味悪い気分になる。あまりにも手際が良すぎるというか、洗練の度合いが過ぎるというか。教室に、クラスメイトに未練はないのか。少しは積もる話もないのかとかそういうことを、毎日毎日放課後数十分で伽藍堂になった教室を見ているとどうしても思わずにはいられなかった。

 それでも、それぞれには用事がきっとあるのだろう。そう考えると今、近くに友達がいるわけでもなければ教室に用事もなく、まして部活も入っていない人間がいまだにこの教室に留まっている自分がいるという事実よりはずっと簡単に理由付けをすることができた。

 なんだかおもしろくなくて椅子の左前足を机の脚に乗せると、体は左側に少し傾いた。


「本当に、なんなんだろうな」


 人生が、何がしたいのかもよくわからない。惰性で今もここにいる。なんでこんな場所にいるのかと口には出してみたものの、すでにほとんど答えは出ているのだ。これだけ外が暑ければ、外を歩くのは嫌に決まっている。簡単で、それでいて心からも納得できる答えだ。

 でも、そんな簡単な話なら別に考えなくたっていい。上を向いて、天井を止めているビスのうちの一つを注視した。

 今ここにいる理由に外が暑いことがあるのは間違いない。でも、この習慣は、もう半年ずっとずっとで。それに、「ほとんど答えが出ている」ことと同時に、言うなれば洗剤が謳い文句によく使うような本当は100と言いたいけれど引き気味に「99.9%」と表記するのとは違う、明確な「ほとんど」以外のほかの理由があるような感覚。それもまた、確固たる実感として胸の内に残っていたのだ。

 わからるのは、無いものねだりとほぼ同じだ。そうわかっていても、ここ半年くらい、ずっと一人になる度にこのことを考え込んでしまっている。


「まあ、わかるわけないか」


 昨日まで何も手掛かりもつかめなかったものは、得てして進展しないのが相場だ。ファイルの中から便箋を一枚取り出して、書いてあることをもう一度読むと、先週あたりに聞いた話を思い出す。


 ”ねえ、「告白ゲーム」やろうよ!”


 そして、嫌だ、ものすごく嫌だと思って。なんて地雷をつかまされてくれたんだと思った。それでも、呼び出された時間はもうすぐそこまで迫ってきていて。

 相手の方がそれの罪の重さを知っているかは知らなくても、倫理的には無碍にするわけにもいくまい。tiktakチックタックだったかこんな性格の最悪なゲームを流行らせたSNSも、周りがやっているだけですぐに罪悪感を麻痺させる皆も本当におぞましい。なんでよく知らない人たちの遊ぶための道具にならないといけないんだ、そんな釈然としない怒りを抱えながら空調の効いた教室を出る。考え出すと思ったよりも不快になってきて。坊主憎けりゃ袈裟までとは言うが、もはやよくも絵にかいたような「校舎裏」なんて場所に呼んでくれているなみたいなようなことすらも思えてきて。

 もはや外が暑いことも、名前も何も書いていないクラスメイトの前では些細なことになってきていた。



 校舎裏近くにたどり着いた時には、十分に怒りは膨らんでいる。もう一つ角を曲がれば校舎裏につく、というところまで来たところで、不意に「誰かを先に把握したいな」と思った。相手だけが自分を把握していて、自分は客人側であるはずなのに相手を知らないことが癪に思えたから。

 校舎の角から少しだけ顔を出し、誰がいるのかを覗き見る。そしてその先にいる人物を見て、思わず「え?」と声を出した。

 視界の先にいたのは、どうせと目星をつけていたクラスの一軍や二軍の女子ではなく。風紀委員でこそないものの生徒会役員であり、品行方正を一つのアイデンティティにしているはずの、同クラスの彩花さんだった。

 思わず目に見えて動揺した。彼女はそんなに、いや、全く”告白ゲーム”なんて趣味の悪いことをするようには思っていなかったから。

 少し出した顔を引っ込めて、とりあえず今見たものが本当にそうなことに違いないことを確認する。片目分だけもう一度出してみた先には、下を向いていてまだ僕には気づいていなさそうな、他の誰でもない彩花さんが立っている。どういう風の吹き回しかと、さっきまで「待たせるといけない」なんて思っていたのも忘れてその場に立ち尽くしてしまう。

 彼女は確かに最近だと、群を抜いて話す回数は多かった。あがるの一見の後辺りから、突然話しかけてくるようになったから。でも、本当に告白するつもりで呼ばれたのかと思うほども彼女を信用してもなかった。半年前ごろからだろうか、それくらいの時間が経っても、彼女はそれほど多くの表情を繚二には見せていなかったから。

 どっちだ、と思い悩んでしまう。確かに彩花に好かれていたのなら嬉しいことは嬉しいけれど、繚二は彩花をそういう視点で見たことはなかったし、何より本来なら問答無用で告白してきた女をその場で切り捨ててもしまえたはずの予定がそうもいかなくなって、既にもうかなり動揺していた。

 それでも、あまり長い時間人を待たせるわけにはいかない。動揺を隠しきれないまま、彩花の前に姿を見せる。


「あ」


 ずっとそわそわしながら少し下を向いて待っていた彩花が、足音を聞いて前を見る。日の差す方向に恵まれてなかったのだろう、彩花は日光を直接浴びて頬に少し汗を浮かべていた。


「えーっと、彩花?」

「うん? 繚二」


 突然疑問形を向けられ少し驚いたのだろう、彩花は繚二の声を聞いて口を噤む。でも、別に何も何かを聞きたかったわけではなく、ただ本当に彩花かどうかが信じられなかっただけで。そして、本当に彩花か、とわかりきっていたことを思った。

 何を返そうか。目の前のこの、異様な状況に。それを考え、最終的に考え抜いた結論。最終的に口からひねり出したものは、到底それだとは思えないもの。


?」


 そう不意に口に出した後に、急いで口を手で覆う。「やってしまった」と思って顔を上げた頃、彩花はもう不思議そうな表情を浮かべていた。


「え? ええ、……………………ああ、そういうこと。あー、やっぱり気になっちゃう、かあ」


 なんて返ってくるのかに意識を研ぎ澄まして待っていると、残念そうな声色でそう返ってくる。そうはなった口のある顔を直視すると、諦めに似た表情が作られていた。


「ああいや、そういうことが言いたかったんじゃないんだけど、ただ」


 どうにか否定しようと口を開くけど、その先に言葉はつむがれない。違う。そういうことを言いかねなかったからこそ、下手なことを言ってはいけないから口をつむごうとしていたのに。「困ったなあ」とでも言いたげな表情が胸に痛い。


「いや、わかるよ、何が言いたいのかは。”告白ゲーム”がちらついちゃうんでしょ? 仕方ないよ。別にそれで怒るほど私もわからずやじゃないし」

「え?」 


 彩花は僕が何かを言いたいかを汲んだ上で、とても丁寧にフォローを入れる。告白の場面って、呼んだ側と呼ばれた側のどっちの方が緊張するはずなんだろうか。それはよくわからないが、まるで彩花は今何も緊張してないみたいようだった。


「確かにそれは仕方ないというか、もうSNSが悪いしさあ。……最も、まだ私は何で君をここに呼んだかについては何も話してないはずなんだけどねえ? あの手紙だって、ただ呼びつけただけだよ」

「え。……あ」


 やけに落ち着いた口調で話し続ける彩花。その冷や水のような言葉を最後まで聞いて、僕は急に恥ずかしくなって顔が赤くなる。今まで考えたことが全部僕の勝手な妄想に過ぎないかもしれない、そう思わされただけで気がふれてしまいそうになったから。


「冗談冗談、嘘に決まってんじゃん。そんなに動揺しないで」


 赤面してしまった僕に、彩花は軽く小突くようにそう言い放つ。なんだ冗談か、安堵からそう軽く流してしまいそうになったところで、不意に彩花が言い放った後よりも、何ならこの場に僕が来てから一番畏まっているのに気がつく。

 ……あれ、今言われた「冗談」って、つまり?


「ちょっと、ねえ、それって」

「うん繚二。私、繚二が好き」




       ***




「”1,告白ゲームは原則1週間を一セットとする。期限より早く終えることは自由だが、引き延ばしはスコアが公平でなくなるため原則禁止。2,告白ゲームの採点は常に第三者によって行われ点数換算によって評価されるが、明確な評価基準を持たない。3,告白の相手にした人間のスペック、そして1週間の間に行った行動を記述し、それをもって得点の判断材料とする。4,一週間が経ったあと、その相手とは必ずゲームであった旨を伝え別れること。ゲームに用いたことについての謝罪を忘れてはいけない”だって……。ねえ繚二」

「うん?」

「本当に、なんて趣味悪いの? こんなの、ただ気の弱い相手を利用してシャーデンフロイデを得たいだけじゃない。ゲームとしての明確な得点基準を持たないって、まともなゲームとして成立してすらない。本当に、人のことを嗤いたい人しかやらないんだろうね。それで終わったあとの種明かしされた人には謝ったら事後処置も何もなく終わりって、全く酷い。ねえ、そう思わない?」

「うん、それは本当に。これが流行るのは世も末だなあと思ったよこの前」


 短針が五に指を指そうとしていた頃。僕と彩花、僕の彼女になった人は、二人並んで帰路についていた。

 さっきから彩花は心中穏やかでないらしく、スマホで何度も告白ゲームの詳細を見ては何度も文句を吐いている。僕も全く賛成できるところのないゲームだけど、彩花の怒り方のそれは、もはや不思議なほどだ。鬼気迫るという訳ではないけれど、なんでそれに執着しているんだろうと思わざるに入られないほどに、彩花の意識は一つに向いている。スマホを見つめる彩花の表情は、ムカデなどを見たときのそれに近かった。

 スマホの画面を見せるように右手を広げて、僕に向けてそれを見せようとする。でも、自分が少しかっとなっていることに気づいたからか、彩花はその手をすぐだらんと吊り下げた。


「だよねえ……。ねえ繚二」

「うん、どうしたの?」

「繚二は、私がゲームで告白したと思ってる?」

「……」


 大きなため息の一つ後、彩花が瞼を少し落として言った。空気を読んだ回答を求められたのなら百人中百人が同じ回答を出来るほどの、生気をどこかに今吸われてしまったかのような表情の起伏が目に痛い。

 僕だって、いつも僕に話しかけてきてくれたときと同じ彩花だったとしたら、そんなことをするはずがないことぐらいは思っている。だから、すぐに「そんなことないよ」と言えたら良かったのだろう。たとえ気休めだったとしても、僕自身の心の安寧の面でも。

 でも、「そして1週間の間に行った行動を記述し、それをもって得点の判断材料とする」のルールがちらついて、いつも脳裏に、頭の片隅にこびりついていて、僕に素直にそれを言わせまいとしてくるのだ。「どうせ」の文字が頭にいつまでもちらついて、身動きの取り方がよくわからなくなっていた。


「雄弁は銀、沈黙は金。……まあ、あれだけ告白の邪魔することに関して用意周到なルールしてたらそうなっちゃうよね。安心してよ。私が好きになった繚二は、ここで軽口を叩ける人じゃなかったからさ」


 歩みを止めない彩花の足は、いつもと変わらない軸のある足取り。でも、そう言った直後のいつもの安心感があるような顔、でもほんの少しの落胆が混じっているかのような表情が。告白の時にすっかりと問い詰めることもできず、かと言って今も彩花を疑い続けている僕の優柔不断故の罪悪感を加速させた。

 学校の最寄り駅までは、後10分くらいだろうか。こんな残念な空気感で離れることにはなりたくない反面、一人になって落ち着いてしまいたい気持ちがふつふつとそこに存在しているのを確かに難じて気味が悪い。道路に面した公園前を通り過ぎたとき、その中で遊ぶ小学生たちが目に入って。よくもまあこんなに狭い公園で器用に鬼ごっこをするなあ、なんて思った。


「……ごめんね、せっかく告白までしてもらったのに、こんななよなよしたというか、どっちつかずのままで」

「いいよ、いや別にいいわけじゃないけど、繚二が悪いわけじゃないじゃん。それに、このゲームのことだったら最悪でも来週になったら結果は分かるんだしさ。もちろん最悪の場合だけどね、こんなののせいで1週間も空白の期間にするなんて嫌だから」


 彩花はそこまで口に出して、「でも、どうしたら」と口を塞いでしまう。

 本当にどうしたらいいのか、僕は何ができるんだろうか。彩花のことを仮に信じたとして、万一裏切られたときに「そういうこともあるか」で済ませることはできるのだろうか?


「ああ、いいこと思いついた」


 しばらく考え込んだのち、彩花は閃いたかのように言う。だけど、閃いた声のトーンとは裏腹に、彩花の伏し目がちだった目は浮かばない。


「ん、何?」

「ねえ、もう彼女だからこれ聞いてもいいよね、繚二」

「え、何。いいけど」

「性格悪いなって自分でも思うんだけど……」

「いいよ」

「じゃあ。……ねえ、繚二は私のこと好き?」


 いったい何の覚悟なんだろうか、僕に質問を投げた彩花は、まだ不安げな表情なのにまっすぐこっちを見つめてくる。思わず息をキュイと詰まらせて、僕は彩花の方に向き直った、いや、向き直させられた。公園の中から、鬼が誰かを見つけたのだろう。「みっけ」と言ってるのが聞こえた。


「それはー」


 ズルだろ。一呼吸おいてから出てきた声がそこまで出かかったところで、僕は慌てて口を塞いだ。急いで口を塞いだから、上唇と下唇で声を覆うような感じになる。きっと何も知らない人が見たら、変な挙動に見えたことだろう。


「それは、何? 知ってるよ、多分繚二、話はぐらかすの嫌いでしょ」

「……理不尽だねえ、そこまで知ってて聞くって」


 思わず軽く悪態をついたら、彩花はこの帰り道では一番の笑顔を見せて「そうだね」と言った。当然だけど、ここでは沈黙は金にはなってくれないらしい。


「でも、これにyesもnoも返せないような人の方がよっぽど人間出来てないとは思わない? 繚二。私が不安なことも汲んでよ、ね」


 やけに肝の座ったというか、歯に衣着せぬ物言いをする彩花。それだけ彩花は今、何かが気持ち悪いと思っているということなのだろう。きっと、地に不純物が混じりこんでいるかのように。もちろん、それの原因が僕なことだけは言うまでもないのだけど。

 ……そっか、今はとりあえず、目の前の人間に向き合った方がいいかな。



「そうだね、それはそうだ。僕も彩花のことが好きだよ」

「本当に?」

「僕がわざわざ嘘をつく理由を原稿用紙3枚で」

「嘘嘘嘘。すぐそうやって茶化そうとするんだから。……まあでも、良かったよ。少なくとも、私のこと好きなのは確かみたいで」

「そうだね。……全く、本当酷いことを言わせるなあ。僕だって不安なものは不安なんだから」


 なんだか息が詰まる心地が全然消えないなと思った。僕はどうして、こんなに何も言えてないんだろうか?


「……ねえ、繚二」

「ん?」

「わかったよ、わかった。じゃあ私は、今すぐそこの電柱で繚二に壁ドンをしてキスしたらいいってこと?」


 少し目を離していた隙に俯きになっていた彩花が、立ち止まったかと思うとすぐ、少し前にある電柱を指さして言う。その言葉の強引さに少し面食らって、僕は口を開け放しにしてしまう。だって、ここは開けた道。しかも、この道は人通りも決して悪くはない道だから。


「いや待って、どうしてそんな」

「……からでしょ」

「え?」


 聞き返そうとして、彩花の顔を見つめなおした。違う、ちょっと見ただけだと不機嫌なようにも見えるけど……それだけじゃないのか、泣いてる?


「言葉でどうにもならないんだったら、体を使って示すしかないでしょ?」

「あ」


 そこまで聞いて、一つだけわかったことがあった。今僕は、かなり取り返しのつかないことをしかけている気がする。


「ごめんね、彩花」


 そう一言だけ言って、どうしたものかと彩花の頭を撫でてみる。ここまで彩花がやって結局「体で示す」になってるあたり、なんだかつまらないというか、なんでここで好きって補強するように言えないのか、自分の口が嫌になった。


「いいよ、私も少し言い過ぎた。……でも、一つだけ教えて」


 泣いていた跡を少し残した目で、彩花は前の方を見たまま言う。少し遠くの方に、最寄り駅が見え始めていた。少しだけ身構えて、僕は彩花のその後発する言葉を待つ。でも、その後に来た言葉はどれだけ身構えていても足りないものだった。


「今年の五、六月になにがあったの? 繚二のことはそれまでよく意識したことはなかったけど、それでも明らかにその時期で雰囲気が変わったよね」


 今年の五、六月。その時期は、あがるが突然死を迎えた時期だったから。

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