第68話 因縁

私はレイヴリーが嫌いだ。


この世界で……“嫌い”と断言できる人なんてほとんど。というか誰もいなかった私だけど、レイヴリーだけはどうしても好きになれなかった。


それは皆に酷いことをしたからというのもあるだろうけど、なんだろう。もっと何か根の深い問題のような気もする。


そんな相手が今、満身創痍の状態で目の前にいた。


「……少しずつ、少しずつなんだよ」


レイヴリーは、何もない虚空を見つめながらうわごとのように繰り返した。


「少しずつ、ヤスリがけをするように肌を削られて……そのおかげかな。肌に触れる空気に敏感になったんだ」


どうやら、レイヴリーは目が見えていないらしい。


それが……いまさっき言っていた“尋問”によるものなのか。それとも単に、疲労や精神面の衰弱によるものかはわからない。


ただ一つ。


「おかげで……気配を感じ取ることには敏感になった。君はどうやら、いつもの尋問係の男じゃないらしいね」


レイヴリーは確かに私の存在を知覚しているらしかった。


「どうやってここに入ってきたかは聞かないでおくよ。特に興味ないしね。重要なのは、君が僕をどうしようとしているのかってことだ」


レイヴリーは私が一言も返さずにいても好き勝手に喋り始める。


前もこんな感じで、一方的に話をされてたっけ。


「見ての通り僕は動けない。足の腱が切られててね。立つこともままならないんだ。そうでなかったとしても、立ち上がる気力もないけど」


……レイヴリーは、先の事件の主犯格としての責任を問われて、その罪を裁かれていた。

そこでどういう判決が出たのか、正確には知らないけど……レイヴリーは結果として、この岩肌が剥き出しの独房の中に入れられたわけだ。


ここはどうやら天然の檻。


周囲は岩壁に包まれており、ベッドや飲み水の入ったバケツ、そして便所と思わし木組みの箱といったシンプルなインテリアのみが置かれている。


出入り口は……恐らく天井にある、人一人は通れそうな狭い穴。


鉄格子が嵌ったそこから漏れる微かな光だけが照明で、室内をほのかに照らしている。


なるほど。立ち上がることのできないレイヴリーじゃあの天井までは届かない。脱獄の可能性などは“0”だ。


「酷いでしょ? 仮にも竜騎士団の“副団長”にこの仕打ちだよ。この国は軍人を全然大切にしないからダメだね。きっとその内、痛い目を見る……あぁ、それは僕も含めてかな」


ケラケラと、力なく笑う。


「竜騎士として……それなりに頑張って、働いてきたつもりだよ。辛いこともたくさんあったけど、助けた人達から感謝されたりして、やってて良かったなぁって思えることも、同じくらいたくさんあった」


そしてレイヴリーは、ハァと溜息を吐いて天を仰いだ。


「まだ、夢が捨てられないんだ」


目が天井の光を捉える。


「……救わなきゃいけない人がいる」


まるでその光の向こうに“誰か”を見ているように。


「僕の命を……何度も救ってくれた人だ。同じだけの数、僕もあの人を救わなきゃいけない。あの人は今……すごく、危険な状態にある」


ガックリと項垂れた。


「なのに僕はこんな穴倉で……何やってんだか。あの人を助けようとして、その前段階でしくじったんだ。今すぐ外に出なきゃいけないのに、僕には立ち上がることもできない」


その声は一体、誰に向かって宛てられたものなのか。


「……惨めだよ」


そう言って、彼は笑う。


……天井から水滴が滴り落ちていた。


ポチャン、ポチャンという小さな音が静かな空間にこだまする。


……。


『そうでもないと思うよ』

「!」

『まぁ、正直あのやり方はどうなんだって思わなくもないけど』


……私はレイヴリーが嫌いだ。


それは変わらない。


だけど……まぁ、色々と事情はあったんでしょうということで。


『ここから出たい?』


多少は、温情をかけてやらんこともない。


「……ここは元々、君を閉じ込めるために作った檻なんだ。君が強すぎたから、使われなくなったけど」


そう言ってレイヴリーが私を見た。


その目は確かに私を捉えていた。


「それを見越して、“元老院”のジジイ共にここに落とされた」

『?』

「それで……どうやったかは知らないけど、君をここに送り込んだんだろうね」


……あぁ、なるほど。


私がレイヴリーを殺すように、仕向けたってわけね。


狡いことするなぁ。


だとすると、クレオは元老院に唆されて私をここに落としたのかな。


「……君はさ」


私が弱い頭を捻ってうんうんと悩んでいると、レイヴリーが物憂げに言った。


「この世界を憎んでいるかい?」


……。


なんか似たような質問をさっきもされたんだけど……。


『別に。私は誰も憎んでいないよ』

「……そうか」


そう答えると、レイヴリーが深く、深く項垂れた。


「……君が復讐鬼だったら、僕もいくらか、救われたんだけどね」

『そうだとしたらあなたを殺してるよ』

「なら救われてるよ」


レイヴリーは……僅かに焦点の定まらない目を私に向けて言った。


「……君に全部、任せるよ」



「囚人番号147。食事だ」

「……」

「トレイは取り出し口の近くに置いておけ」


地面に置かれた、黒パンと牛乳瓶が乗ったトレイ。


部屋の隅に備え付けられたベッドの上で膝を抱えて蹲る女性は、それを一瞥しても動かなかった。


「……なんで、私が」


彼女の名はソフィア。


聖竜教 “大師会”の一員である幹部。


だが今は、収監されたただの囚人だった。


「なんで私が!!!!!」


ボンッ、という音と共に、殴りつけたベッドが大きく揺れる。


『うわ、いきなり大きい声出さないでよ。ビックリするから』

「……?」


……ここは牢屋の中。


誰の声も聞こえないはずなのに、なぜか声がした。


「……あぁ、そっか。もう私、幻聴まで……」


どうやら自分は、過度のストレスから幻聴まで聞こえるようになったらしい。


そこまで思い至ったソフィアは、今までの自分の人生を振り返る。


有力貴族の嫡子として、全ての者を平伏させてきた薔薇色の学園生活。


庶民の分際で、騎士クラスに編入した生意気な女に相応しい待遇を与えてやったこと。


『ありがとう。私を気遣ってくれて』


なのに、あの女が私にかけたのはそんな言葉。


痩せ我慢だ。強がって、自分の心を守ろうとしているだけの弱者の心理だ。


『なんで自分で気づけないの? あなた、いい加減目障りなのよ。……あぁ、そうだ。いいことを考えたわ』


……そう、ここから全てが狂った。


あの女があんなことを言わなければ、決闘という名目であいつに勝負を挑んで、恥をかくこともなかった。


『見て、あのソフィア様の顔……』

『フフッ、いっつも偉そうにしてたのに。庶民に負けるなんて……』

『シッ、聞こえるわよ? 地獄耳だもの……ふふふ……』


そこからは転落の人生。皮膚は焼け爛れて、家から追い出されて……。


「なんで、私が……!」


私は悪くない。


悪いのは全部、私の価値に気付かない愚衆どもだ。


どうして誰も……。


「私を認めてくれないの……」

『ほっ』


不意に、床に影がさした。


『やぁ、初めまして。ソフィア』

「……」


顔を上げると、そこにいたのは。


「ひっ……」


悍ましいほどの“邪気”を放っていたローブの男。


目にしただけで、その存在が悪そのものだと理解できるほどの存在感。


悪魔。


昔、母に読み聞かせてもらった本の中に登場する架空の存在。


それが現実となって目の前に立っていた。


『会えてよかった。一つ提案があるんだけど』

「はっ、ぁ……!」


殺される。


ガクガクと膝が震え始め、意味もなく涙が溢れてくる。


『“ここ”、もう出れる?』

「……え?」


そんな私に。


男は指を床に向けて言った。

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