第65話 修羅場

「……あ、え、えっと、き、奇遇? ですね……こ、こんな所でお会いするなんて……あはは……」


フロナちゃんは、ベージュのキャミソールの上に白のカーディガン。そしてホットパンツといういつもとは違うラフな格好で、ぱたぱたと手のひらを振っていた。


顔はいつも通りを装おうとしているが、頬が引き攣っている。


「……なんでここに?」


私は静かにフロナちゃんに問いかける。


「聞いてたでしょ。生徒は寮室待機だって。見つかったら大変なことになっちゃうよ」

「……それは、ケイさんもですよね」


フロナちゃんは、ぎゅっと服の裾を握りしめて言った。


「……私、ずっと、ずっと……心配してたんですよ……? お部屋を尋ねても全然出てくれないし、姿も見れなかったし、声も聞けなかったし……ずっと……」


……フロナちゃんの目から、涙がこぼれ落ちる。


「一人で……ケイさんに会いたくても……我慢してたのに……」


キッ、とこちらに目を向けたフロナちゃんは。


「ケイさんは、その間……クロネを部屋に入れてたんですね」


そう言って、壊れたような笑顔を浮かべた。



「……」


夜空の下。


私はケイさんと二人きりで、向かい合っていた。


空では竜騎士と竜が戦っていて、とても幻想的な光景。


こんなに素敵なシチュエーションなのに、私は全く喜ぶ気にも、ときめく気にもなれない。


「……否定、しないんですか」


ケイさんは、私が向けた疑惑に対してただ押し黙っていた。


「……確信があるみたいだったからね。クロネが僕の部屋に入る所を見たって感じかな」


返ってきたケイさんの言葉に、私の口から「ひゅ」という音にならない声が漏れる。


……否定してほしかった。


クロネがケイさんの部屋に入って行った。それは事実だ。聞き耳を立てて、中で二人が何か話しているのも聞いていた。


だけど、それでもケイさんが否定してくれたら……二人の関係は不本意なものなんだって安心できた。


嘘をついてくれた方が、よっぽど……。


「……ケイさんは、クロネとどんな関係なんですか……?」

「知り合いだよ、ただの」

「……嘘ですよ」

「本当だよ」

「嘘ばっかりつかないで!!」


私は気づけば。


ケイさんに向かって泣き叫んでいた。


「どうせ……どうせクロネが近づいてきたんでしょう!? 知ってるんです! あの女はいつも、いつもいつもいつも……っ、私の欲しいものばっかり奪うんです!!」


止められない。感情が止まらない。


「横取りして! 嘲笑って! ……いつもそうやって、私の邪魔ばっかりして!! もうウンザリなんですよ!!」

「……フロナちゃん」

「いいですよね……っ。クロネは可愛いし? 甘えるのも上手だし? 頭もいいし? ……む、胸も大きいですし……。そりゃ、私より断然……クロネの方が……いいんでしょうけど……」


何言ってるんだろう、私。


「私の方が……先に好きになったのに……!」


あぁ、ダメだ。


感情がグチャグチャだ。


「……」


ケイさんはそんな私を、黙って見つめていた。


……急にハッとして、正気に戻る。


「ご、ごめんなさいっ。いきなりこんな言われても仕方ないですよね!? あ、あはは……何言ってんだ私……う、嘘! 嘘ですから! 気にしないでください! 全然……そんな……い、言い間違えただけですから!」


そう、そうだ。私はそんなことを言いにきたんじゃない。


「く、クロネは……ちょっと、かなり……相当、性格悪いところもありますけど……でも、お二人ならお似合いだと思いますし……うん、大丈夫ですっ。ケイさんの判断は間違って……」

「フロナちゃん」


私は取り繕って、言い訳みたいな……実際言い訳でしかない言葉を並べて。


「ごめんね」

「……ぁ」


ケイさんに、抱きしめられていた。


「ごめん、気づいてあげられなくて」

「……」


背中まで回って、私を抱きしめる力強い腕。


……あ。これ。


もう、無理かも。


「……諦めようと思ってたんです」

「……うん」

「おめでとうございます、って言いに……来たんです……」


頭をケイさんに胸に埋めながら、私の心の中に閉じ込めた言葉が、溢れ出ていく。


「でも……私、ダメなのに。諦めきれなくて……!」

「さっきも言ったけど、私とクロネは何もないよ」

「……え?」


私はその言葉を聞いて、ケイさんを見上げた。


「ほ、本当……ですか?」

「うん」

「……あんな深夜に二人で部屋にいたら……その……せ、せ……! ……えっちなこと、とか」

「キスはしたね」

「してるじゃないですかああああ!!」


私はキレた。


「なんっ……! 何が“何もない”んですか!?」

「でも僕はクロネにハッキリ言ったよ。恋人にはなれない、って」

「え……そ、そうなんですか?」

「うん」

「……どうして?」


そう聞くと、ケイさんは少し困った顔をした。


「僕に、彼女を恋人にする権利がないからだよ」


そう言ったケイさんの顔はどこか寂しそうで。


「……」


私は。


「……んっ」

「ん……!?」


あれ。


なんで、私。


キス……?


「んむっ、ん、ちゅ、ん……」


……もう、どうでもいいや。


気持ちいいから。


「んっ、む……」

「んっ……ぷはっ」


……。


キスって、こんな味なんだ。


思ったよりも人の匂いがして、生々しくて、甘い感じはなくて、唇に変な感触が残ってる。


でも、気持ちいい。


「ケイさん」


私はケイさんの胸に顔を埋めながら、聞いた。


「“透明な男”って、ケイさんのことですよね」

「……」


どうでもいい質問だ。


あの時……あの透明人間と戦った時、最後に私が感じた“既視感”の正体。その答え合わせの意味しかない質問。


私にとってはケイさんがなんと答えようと関係のない質問。


だったはずなのに……。


「……そうだよ」


その答えを聞いた瞬間。


……私は、悪魔みたいな笑顔を浮かべずにいられなかった。


「それ……クロネは知ってますか?」

「知らないかな。多分」


……あぁ、私って、こんなに性格悪かったんだ。


「……じゃあ、言いふらされたら、困りますよね?」


そう言うと、ケイさんが僅かにたじろいだ。


心の奥から、グツグツと、溶岩のように湧き上がる黒い衝動。


いつもは抑えられているはずのその感情が……。


「だったら、わかりますよね……?」


独占欲が、抑えられない。


「私のこと、蔑ろにしちゃ、ダメですよ……?」


……なんて醜いんだろう。


ケイさんはきっと、私のことを傷付けることができない。そういう優しい人だって知ってるから。


例えその正体がとんでもないことに力を持った怪物だって、心は人間だって知ってるから。


「……わかった」


“支配できる”って思ってしまった。


私のものにできる、って。



……どうしよう。


ほんの数時間前まで、こんなことになるなんて考えもしなかった。


「……」

「……」


私の目の前に座るのは二人の女の子だ。


妖艶な雰囲気を纏った、黒い少女と。


妖精のようにかわいらしい、白い少女と。


縮こまって座る私。


「……いきなり出て行って、どんな顔をして戻ってくるのかと思ったら」


黒い少女が足を組み替え、首を傾げながら私の目を見つめている。


「もう別の女を連れ込むなんて……少し気が早すぎるんじゃない?」

「別の女、って……もうすでに本命がいるみたいな言い方ね、クロネ」


白い少女は、その語気を強めて鋭い視線を向けている。


「……フロナ、まさかあなたが私に、そんな目を向けるなんて思わなかったわ」


対する黒い少女は、いっそその表情に余裕の笑みすら浮かべている。


……ねぇ、ハルちゃん。


私……どっちと付き合うとか、一言も言ってない気がするんだけど……。


《……ポジティブ》


……本当に。


なんでこんなことになったんだ……。

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