第63話 絶対に逃さない

『生徒の皆さんは、安全が確認されるまで寮室にて待機を──』


「クロネ、しばらく部屋で大人しくしていて」


私はクロネを優しく引き剥がすと、立ち上がりドアへと向かった。


「待ちなさい」


しかし、左手首をクロネに掴まれグイっと引き寄せられる。


……ちなみにクロネはまだ下着姿なので、こういう風に引き寄せられると……いや、何も言うまい。


「どこに行くつもり?」

「……トイレかな」

「へぇ……」


自分でもどうかと思う苦しい言い訳をすると、クロネは予想通り私の目を射抜いて笑った。


「じゃあ私も連れて行って?」


にっこりと笑うクロネを見て、私は天を仰ぎそうになってしまった。


「……それは、難しい」

「どうして?」

「どうしてもだ」


クロネの目つきが、どんどん厳しくなっていく。


「安全が確認されるまで待機。そう言ってたわよ? それでも今行くの?」

「……」


……まぁ、私が行く必要なんてないのかもしれないけどね。


万が一ということもある。今は間違ってもこの学園に大きな被害を出すわけにはいかない。


私なら誰にも見られず竜を撃退できる。


……しかし、どうクロネを説得すればいいのだろうか。


「どれくらいの規模で襲ってきてるのか見に行くだけだよ。すぐ戻るから」

「見てどうするの? あなたに何ができるの? 竜騎士ですらない、あなたに」


……まぁ、クロネからすればそういう意見も当然だね。


今の私は、客観的に見れば力もないのに戦場にしゃしゃり出て、結果竜騎士に保護されるお荷物になりに行くようなものだ。


それを黙って見送る道理はない。


「それに……今、私はとっても不安なのよ?」


掴まれた手首がさらに引き寄せられ、私とクロネの顔が近くなる。


「恋人なら、近くにいて抱きしめていて欲しいわ」


ぎゅ、っと……指が指の間に絡まる。


いつかのような恋人繋ぎ。


私は……。


「ごめん。君の恋人にはなれない」

「……」


正面から、クロネにそう言った。


……クロネは何も言わず、無表情でこちらを見つめていた。


「……酷いわね。あなたからキスしたのよ?」

「あれは、体を動かすための苦肉の策だった。キスは、君から集中力を奪って自由を取り戻すため。でも君を傷つける行動だったのは事実だ。それは謝るよ、ごめん」

「どうして謝る必要があるの? あなたは何も悪くないのよ? 私のことを愛してくれていたなら……他に何もいらないわ。謝罪も、贖罪も、いらない。そうでしょう?」

「……」

「……それとも」


クロネは、一瞬だけ顔を俯け……。


「本当は、私のことを……愛していないのかしら」


再び上げたその目は。


暗く澱んで、まるで私をその目線だけで殺さんとするほどの迫力に満ちていた。


あぁ、懐かしいな──そう、原作に近いクロネの雰囲気。病んだクロネも、やっぱりめちゃくちゃ可愛いな。こんなにたくさんのクロネを見せてもらえて良いんだろうか。


思わず顔が引き攣りそうになる。


「ねぇ、答えて? 思えば私、あなたの口から聞いたこと無かったわ。当たり前すぎて聞く必要ないと思ってたの。だってそうでしょう?」


クロネの私の手首を掴む力が強くなっていく。


「私はこんなに……あなたと言葉を交わすだけで、目を見るだけで、それ以外の何も考えられなくなるくらい、あなたに夢中なのに。あなたがそうじゃないなんて、許せないじゃない」


目の中に宿る闇がどんどんと、その深さを増していく。


「好きよ。私、あなたのことが好き。私の世界の色を取り戻してくれたことも、私のために泣いてくれたことも、私を肯定してくれたことも……あなたのしてくれた全部が、私にとってかけがえのないことなの」

「……」

「これから一緒に過ごして、幸せな時間が作れると思っていたの。今まで辛かった分も取り戻せるくらい、濃密な時間を……たくさん愛し合って、溺れるくらい沢山の愛に満ちた……そういう時間が、過ごせると、思っていたのに」


……グイッ。と私の腕が思い切り引っ張られた。


「ケイ。あなた私に一度でも“好き”って言った?」


……ドス黒い、まるで殺害予告のような。


悪意に満ちた声が響いた。



「答えなさい。私が好きなの? それとも全部嘘だったの?」


《コーション。同志様、個体名“クロネ”より強い敵意が向けられています。危険です》


あぁ、ハルちゃん、久しぶり。


しばらく空気を読んでてくれたみたいだけど、確かにこれはちょっとまずい状況だ。


……嘘でも吐こうものなら、即座に窒息死させられかねないな。これは。


へっ、最高のスリルだぜ……。


「……好きだよ」

「へぇ」


クロネの目を見て、私は断言した。だけど彼女の機嫌は良くなるどころか、悪くなるばかり。


「じゃあどれくらい好きなの? 私はあなたのためなら、人だって殺せてしまうくらいには愛してるけど」

「君のためなら世界を敵に回してもいいと思ってる」

「……」


……あ。


ちょっと力が緩んだ。


正解だったらしい。


「……嘘じゃない?」

「嘘じゃないよ」


クロネが私の目を、じぃっと見つめている。


これは本音だから、疑ったってボロは出ませんよ。クロネ様。


「……もう。私だってあなたのためなら、それくらい出来るわ」


こてん、とクロネが私の胸に頭を預けてきた。


頬を膨らませて拗ねているその様子からは、さっきまでのような今にも爆発しそうな危うさは感じられない。


「……じゃあ、どうして恋人にはなれないの?」


いじいじとクロネが指先で私の手をつつきながら、上目遣いで聞いてくる。


ここまできてようやく、この話題に帰って来た。


「……そうだね」


……それは本音を言えば。


私は誰とも、友人以上の親密な仲になる気はないからだった。


私はクロネのことが好きだ。友達として……も勿論好きだけど、恋愛的にというか、異性として見てというか、同性として見てというか。


ともかく私はあらゆる意味でクロネのことは好きだ。


だけど、それと恋人になるかという話は別。


私は……。


「君を幸せにする資格が、僕にはないんだ」


そう。


クロネを……誰かしら幸せにする資格が、私にはない。


私はみんなを騙してる。


騙して、利用して……時には傷つけることもあるだろう。


今はまだ、なんとか踏みとどまってはいるけど。


私はどこまで行ってもこの世界の“敵”。エネミーだ。


そのうち人をたくさん殺すこともあるかもしれない。


だから私には“大切な誰か”は作れない。


これはそういう話だった。


「……あなたに、私を幸せにする資格がない?」

「うん」

「ふふっ、面白い冗談ね」

「冗談じゃないよ」


クロネは笑いながら私を見上げた。


「私はたった今言ったはずよ。あなたのためなら、世界を敵に回してもいいって」

「……そうだね」

「それでも、足りないの?」


それは確かに聞いた。


……正直に言って、クロネがそこまで私のことを想ってくれているのは、言葉にできないくらい嬉しい。

そしてきっと、クロネは本当に……私がどれだけ辛い境遇にいても、そばに居続けてくれるのだろうと私は思う。


クロネは強い人だ。一度決めたことは最後までやりきる強い決意を持った人だ。


だけど私は、そんなクロネと比べて弱い。


クロネをそんな状況に追いやることを、他でもない私自身が耐えられないんだ。


だから……。


「ごめんね」


私は素早くクロネを振り解いて、部屋を出た。


扉を開け、部屋を出る一瞬……ドア越しに見たクロネの目は。


“絶対、逃さないから”。


ぐちゃぐちゃに澱んで、僅かに涙が滲んでいた。


……


………。


ガチャ、バタン。


……。


「……なんで」


「なんでケイさんの部屋に……クロネが……」

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