第61話 世界の色

わたしはクロネです。3さいです。


わたしのおうちはビンボーです。


「お腹空いてない? クロネ」

「ごめんなクロネ、迷惑かけるよ」


でもパパとママはやさしいから好き!


「クロネちゃん、あーそーぼ!」


おともだちもいるから好き! フロナちゃんっていうの!


おべんきょうをすると、パパとママはビンボーじゃなくなるんだって。

だからたくさんおべんきょうするの!


「すごいじゃないか! クロネちゃん!」

「この試験、士官学校の入門試験でしょう!? まだ3歳よ!?」

「天才だ! 神童だぞ!」


おべんきょうしてたら、むらのひとたちみんながほめてくれたの!


みんなのこともすき!


「……クロネ、君は実に良い」


きょうかいのしんぷさんもあたまたくさんナデナデしてくれて、うれしい!


からだのいろんなとこさわられるのは、ちょっとくすぐったいけど……。


「お父さん、お母さん、一つ相談なんですが……」


もっとおべんきょう、がんばらなきゃ!



「さぁクロネ、今日からここでお勉強をしようね」


神父さんが、きょうからせんせいになってくれるみたい!


「クロネ、先生の言うことをよく聞くんだよ」

「そうよ、クロネ。我儘言っちゃダメだからね」


うん、わかった! クロネ、いいこにするよ!


「そうです。ここの計算式はですね……」


神父さんはわかりやすくおしえてくれます。


「そうです! よく出来ましたね」


問題がとけたら、たくさんほめてくれます。


「さぁクロネちゃん、ご褒美の時間ですよ」


それで、ごほうびをくれます。


……だけどこのごほうびは、ちょっとだけくすぐったくて、はずかしいです。


「服を脱いで」


……はやくおわらないかな。


……。


私は7歳になりました。


「今日もよく出来ましたね、クロネ」


勉強は嫌いじゃないです。


でも最近は問題を解くのが、段々と嫌になってきました。


「さぁ、ご褒美をあげます」


問題を解き終われば、この時間が始まります。


「……あぁ、何度触っても、君の若い体は素晴らしいなぁ」


……私はただ、じっと耐えるだけ。


12歳です。


12歳になったら、私は村を出ようと思います。


それまでは、お父さんとお母さんの期待に応えるため……。


家にお金を入れてくれる神父様のご機嫌を取るために、ただ耐えます。


あと5年。5年我慢すれば、それでいいから……。


……。


気持ち悪い。


気持ち悪い、気持ち悪い。


『12歳になったら村を出るですって!? 何を言っているの!?』

『神父様に嫁ぎに行きなさい! あんなに素晴らしい方はいないぞ!』


私は、12歳になったらあの男の元に嫁に行かなきゃいけないと言われた。


あと、2年。待ち遠しかったはずのその年月が、地獄へのカウントダウンに思えてきた。


私は泣きながら両親に訴えかけた。


あの男は最低の男なのだと。7年間、私はあの男から受ける屈辱に耐えてきたのだと。あの男の顔を見るだけで私は鳥肌が立つほど、気味が悪くてたまらないのだと。


『……何を言ってるんだ』

『お世話になった神父様にどうしてそんな酷いことが言えるの!?』


……私は7年間、誰にも言わずじっと耐えた。


そのことが裏目に出た。


私の言うことは信じてもらえなかった。


いや、嫌。誰か、誰か……!


「誰か、助けて……っ」


……


…………。


12歳。


私の世界から、色が消えた。


「──」


隣で寝てるあの男は、油ぎった肌と肥満体型の醜い裸体を晒して。


私は呆然と、乱れたシーツを眺めていた。


昨晩の悪夢のような光景。それが悪夢でもなんでもないと、ただの現実なのだと。私は理解してしまった。


散乱するのは、血や人の体液だけじゃなく……もっと汚らわしくて悍ましいもの。


体中が痛くて、服で隠れるような目立たない場所に青あざや切り傷があった。


……ゆっくりと立ち上がり、私は誰にも見られないよう、教会の外で水を浴びる。


自分の体を見下ろした瞬間に、吐いた。


その吐瀉物にさえも、色はなかった。


……。


「あ……クロネちゃん、おはよう」


ぼーっとしながら外に出ると、フロナが気まずそうな顔をしていた。


「……? どうしたの?」


彼女は、村で持て囃されている私のことが羨ましいらしい。


……私は替れるならあなたになりたい、なんて。


本音を言ったら笑うかな。


……。


豚が人の形をしていて、信用も得ていて、その上で豚らしく醜い欲望を発散させている。


両親は多分、豚の本当の顔を知っていた。


だけどその顔を見ないフリして、“生贄”を差し出せば豊かになれた。


私のおかげで両親は幸せになれたらしい。


あぁ、でも。


もう。


「……疲れた」


……


…………。


その日、私は。


黒に出会った。



16歳。


私は村を出て、士官学校へと入学することにした。


両親も、豚も、事態を見過ごしていた村長も。


邪魔な人間は全員黙らせた。


何も深く考える必要なんてなかったんだ。


恩だとか、情だとか……今まで積み上げてきたものを見過ぎていて、私の動きは鈍っていた。


育ての親だろうが、恩師だろうが……利用できるものは全て利用して、私のために働かせよう。


従える人間の数が多ければ、それだけ私の存在は強く、大きくなっていく。そうすれば誰も私には逆らえなくなる。


誰にも従う必要はなくなる。


私は私のためだけに生きる。


「……」


都合のいい奴隷も一人連れてきた。


彼女は実はかなり能力が高い。だけど私はそばにいると萎縮して、生来の能力の高さを発揮しきれないらしい。


好都合だ。とことん利用してあげよう。


……昔は憎くて仕方がなかった、私の無駄に男を惹きつける体も、武器と思えばなんのことはない。


背を曲げて隠す必要はなく、むしろひけらかして支配すればいい。


……士官学校には“騎士”と“見習い”という階級制度がある。


支配するなら、すでに誰かに支配されてる人間の方がいい。それも、上からではなく横から。同じ目線に立っていると思わせれば、簡単に人間は心を開く。


私は、人の細やかな感情の機微を読み取ることに関しては……あの醜い豚のおかげで随分と上手くなってしまった。


だからあの日々にも……記憶から消したくて仕方がないあの汚らわしい時間にも、いくばくかの意味はあったのだと。


そう納得して、生きていかなくちゃいけない。


……相変わらず、世界は灰色だ。



士官学校に入学して暫く。


フロナが明るく笑うようになった。


……その原因は、一人の男子生徒。


どうしてこんなにも苛立たしいのか。


どうして……私は、彼女が幸せそうに笑うのが許せないんだろう。


フロナ、お前は私と同じだったはずだ。


周囲の目を気にして、自分を曲げてきた。そういう人生のはずだ。


なんで私より先に幸せそうに笑っている?


……許せない。


奪ってやる。


お前から、その憧れを奪ってやる。


その男は、特段秀でて高い能力を示しているわけじゃなかった。


……強いて言えばそこそこ美形なのと、奉仕活動を自分から進んでやる異常者であるといことくらいか。


下らない。人に尽くすなんて私はもうまっぴらだ。


顔はまぁ……好みな方だ。支配して、私に心酔させて、私の命令だけを聞く奴隷にしてあげよう。


男なんてみんな同じ。


あの豚ほど欲望を丸出しにしてはいなくても、自分のうちに眠る欲望に抗える男は存在しない。


少しつついてやれば簡単に本性が顔を出す。そこを捕まえて引きずり出し、醜い欲望を丸裸にしてあげよう。


恋人にしてほしいとせがめば、予想通り簡単に彼は私を自分の懐へと入れた。


夜になってから部屋を尋ねれば、その醜い欲望を覗かせた。


……ついでに、毎晩私の部屋に送られてくる鬱陶しい手紙も見なくて済む。


種は芽吹いた。


さぁ、その本性を……。


──。


あ、れ。


なんで、私。


違う、違う。こんなの知らない。


キスって、こんな……気持ちいいものじゃ……。


もっと、臭くて汚くて、吐き気がするようなもののはずじゃ……。


あ、あ、あ、あ。


だめ。


これ、刺激、強すぎて……っ!!


待っ──!?


……ふわり、と。


体が浮かび上がった。


「危ないから、離れないで」

「……ぇ?」


……世界が、眩しかった。


……彼って。


こんな色してたんだ。

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