第60話 “種”

「……」

「……どうしたの? 早くこっちに来て?」


クロネ嬢が、私のベッドの上で足を組み替えた。


「また、この前みたいに私の知らないことを教えて?」


彼女は蠱惑的に微笑んで、ベッドの隣をぽんぽんと叩いた。


全ての服を脱ぎ去って、ダイバーさながらの動きで飛び込むのもそれはそれで、クロネ嬢がどんな反応をするのかは楽しみなのだが。


「……クロネ、僕を騙していたね」


今日はちょっとだけ、私は真剣な雰囲気なのだ。


「騙してた……?」


小首を傾げる、という選ばれた美少女だけに許された仕草を完璧に遂行するクロネ嬢。


同じことを例えば前世の私がやっても、すでに出来上がった宴会の席でくらいしか評価を得られないだろう。いや、泥酔状態でもダダ滑りする可能性が高い。


「どういう意味かしら」

「君がなんで夜になると部屋にやってくるのか、ずっと考えていたんだよ」

「あなたと寝たいからよ?」


ふふん、私が本当に生まれた時から男だったら、クロネ嬢の色香に惑わされていたに違いない。


しかし! 残念ながら私は女だ。思春期の男子ほど女子という存在に夢を見ちゃいない。


「いや、君は僕を利用するために部屋に入り浸っていたんだ」


お見通しなのだよ、全て……な。


「……私のあなたへの好意を疑うっていうの?」


クロネ嬢がジトっと目を細めて私を睨む。


……。


あれ、ちょっと待って本当に私のこと好きなのかな。


てっきり彼女の性格上、打算込みで私に取り入ってきたとしか考えてなかったけど普通に私のこと恋愛的に好きって可能性はある気がしてきた。だって昨日あんなイチャイチャしたんだよ? あれで好きじゃないってのは流石に嘘でしょ。クロネ嬢の目もなんかすごいうるうるしてたしそもそもこんな可愛い子が嘘なんか吐くわけないわよく考えたら。なにが打算だふざけるなよ私はもう絶対に彼女を疑ったりしないからな覚悟しとけ。


私はクロネ嬢を抱きしめようと、一歩前に出た。


「……」


その瞬間、ギシリと体が動かなくなった。


……え? なんだこれ。


「あら、もう咲いたのね」


クロネ嬢が動かなくなった私を見て立ち上がった。


「もう少しかかるかと思っていたけど……思った以上にあなた、私に惚れ込んでいたみたいね」


……どういうことだ。


という疑問の言葉すら口から出ることはなく消えていく。


「“種”はあなたの首筋の後ろ……そこに植えつけたの。成長の糧は私への愛情。いいえ、“下心”って言った方がいいかしら?」


クロネ嬢が私の首に腕を絡めながら、うなじを指先でなぞる。


……種? いや、待て。確かその能力は……。


「便利でしょう? こうやって……耳元で囁くだけで、体の自由を奪うことができるの」


言いながら、私の左耳に熱い吐息がかかる。


「あぁ、さっきの質問に答えましょうか? えぇ、そうよ。あなたを騙していたの。最初からこうやって、あなたの自由を奪うことが目的だった」


クロネ嬢がくすくすと笑い、「これで満足?」と冷たい目で見つめてくる。


……彼女への愛、好感度が高いほどに威力を発揮する罠というわけか。やられたな。

そんなものを仕込まれたら、私が引っかからないわけがない。なにせ最初から好感度がマックスなんだから。


今もこうしてクロネ嬢に騙されて、弄ばれたというのに。


むしろ私の彼女への好感度は青天井で上がっていくばかり。


クロネ嬢に罠に嵌められて、嘲笑われるって? どんなご褒美だよそれは。金払っても体験する価値があるぞ。というか金払わせてほしい。金払いたいから一旦体を自由にしてほしい。


「あなたはこれから、私の奴隷として働くの。一生ね」


しかし、彼女はやはり私を自由にする気はないらしく。


私はこれから、クロネ嬢という女王に仕える幸福な奴隷としてその人生に幕を下すのだろう。なんて素晴らしい最期だ。


私としては本当に……このまま彼女の下僕となって生きていくことになんの抵抗もないのだが。


「……?」


まだクロネ嬢には聞きたいことがあるのだ。


口ぐらいは自由にさせてもらおう。


「あなた、何を……」


種。彼女はそう言った。


その能力は彼女が言った通り、ユニットの親密度によってかかる“魅了”の状態異常だ。仲間を攻撃したり、敵に回復魔法を使ったりするやつね。


そう言った魅了はダメージを受けたり、あるいは一定時間が経過することで解けるんだけど、この種の場合は永続だ。しかも解くことができない。


……だがこの魅了。ゲーム上での処理と、この世界での処理では異なる仕様があって。


「……えっ」


“魅了された相手に敵対的な行動でなければ体を動かすことはできる”のだ。


「……んんっ!?」


こんな風に。


「んんっ、んぶっ……! んむううぅぅぅう!!?」


私はクロネに抱きつき、唇を塞いだ。


彼女を傷つけるほど強い力で締め付けるわけじゃない。だけど、僅かな身じろぎも許さないほどの強い力で押さえ込む。

彼女は私を押し除けようと腕を掴んで引き離そうとしてくるが、私の力の方が強い。じたばたと暴れるクロネ嬢には悪いが、このまま続けさせてもらおう。


「ん、ん、みゅ……っ、んむぅ……っ!」


強く唇を押し付け、舌が彼女の口内を蹂躙すると、クロネは涙目でふるふると震え出す。


魅了されているのだ。息もできないくらいに長いキスをすることが、加害行為なはずもない。


「んんっ、んちゅ、んむ……っ、……んっ……んはぁっ!」


そのままの状態で何分間か経って。


クロネの膝がガクガクと震え、体からくたりと力が抜けたところで私は唇を離した。


クロネの腰が抜け、座り込む彼女の腰を支え……。


「……ッ!? んああぁっ!?」


彼女の首筋に“噛みついた”。


『……私の能力を貸す?』

『うん、しばらくの間』

『んなことできんのかよ?』


思い起こされる、カズミちゃんとの会話。


まさかこんなに早く活用の機会が来るとは。


“竜ノ血”は他者の血を取り込んで、自分自身を活性化させる能力。


だが血を取り込んだその時、効果は自分だけじゃなく血を取り込んだ“他者”にも現れる。


「なんっ、これ……!? 痛っ……んくうぅうっ!!」


一時的な弱体化。竜脈の流れの停止。即ち能力の無効化。


魅了効果の停止。


……血を取り込むだけなら別に噛みつく必要もないけど、あまり大きな傷を付けずに血を経口摂取する方法があまり思いつかなかった。許して欲しい。


「あっ……あぁ……!」


クロネが唇の端から涎を垂らしながら、焦点の合っていない目を空に向け、ガクガクと痙攣していた。


……ちょっとやりすぎたかな。


私はクロネの痙攣と、身体中からの発汗が収まるまでそのまま彼女を支え続けた。なんか触った場所がビクビクと反応しているから、感覚が過敏になっているのかもしれない。あまり下手な触り方はしないようにしよう。


魅了は一度解ければ、そう何度もかかるものじゃない。また動きの自由を奪われるようなことはないはずだ。


「……はぁ……はぁ……」


そうして徐々に……たっぷり数十分かけて、彼女は意識を取り戻していった。


まだ息切れしているし、腕に伝わる心臓の鼓動も早鐘を打ったままだが……目はしっかりと正気を取り戻しているし、痙攣も治っていた。


「……ごめんなさい、もう平気よ」


クロネは私の顔を見ることなく、そう言って足に力を込めて立ち上がった。


「……あっ!?」


しかしまだ回復し切ってはいなかったらしい。


ガクンと膝が折れ、地面に倒れる……。


「──」


前に、私が抱きかかえる。


もう立つことは出来なさそうだ。私は腰と足に腕を回し、クロネを担ぎ上げた。


いわゆるお姫様抱っこ。


──その瞬間。


「……ぇ?」


クロネの顔が、耳まで真っ赤に染め上がった。

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