第55話 情熱的な夜
「……」
ペラ、ペラ……と本を捲る音が静かに室内で反響する。
クロネ嬢が膝の上に本を開いて、読んでいるのだ。
私は勉強机に向かってお勉強中である。
忘れてはいけないのだが、私は学生の身だ。そりゃ日本に比べれば、試験の内容も易しめというか……かなり基礎的な所だけなので楽っちゃ楽なのだが。
紙を捲る音が二つ。私たちの間に会話はない。
……。
どうすりゃいいんだこの状況……!!
いや、わかるよ? 私とクロネ嬢ってそんな仲良くお話しするような関係じゃないしね? クラスメイト以上の関係性ではないから、例え深夜に部屋で二人きりだからって何かが起こるわけでもないんだけどね?
だけど、この状況は……! あまりにも、気まずい……ッ!!
やばい動悸激しくなってきた。
《ポジティブ。脳内映像を送りますか?》
いや、まだ母ちゃんの力は借りなくていいかな……。
「ねぇ、ケイ」
うぉわはゔぉば!??
「なに?」
「ここ、どういう意味かしら」
クロネ嬢が開いた本のページをこちらに向けて、私を見つめていた。
右のページにはこの世界の文字、左には挿絵が載っている。
……あれは、この世界じゃポピュラーな騎士道物語だな。日本における桃太郎とか浦島太郎とか、それくらい有名な本。
だけどそういう有名な童話の元ネタは、実は結構大人向けというか、ディープな内容が多かったりする。桃太郎の真実とか知りたくなかったからね、私。
クロネ嬢が持っていた本もそれと似たようなもので、ポピュラーだが若干マニアックな戦記モノでもあって、内容が少々難しい。
特にこの辺の、騎士に気に入られた村娘への周囲の村民の嫌がらせ描写とかいるか……? 子供になんちゅうもん読ませてんだ。
「ここは……まぁ、簡単に言えば騎士と仲がいい村娘に、他の娘たちが嫉妬してるって場面かな」
「へぇ……どういう風に嫉妬してるのかしら?」
「どういう風にって……」
……説明が難しい。
「騎士と結婚できれば、将来は安泰だろう? だから妬んでるんじゃないか」
「でも、ここの……“そんな汚い場所から生まれてくる子供が不憫でならない”って、どう汚いのかしら?」
「……」
……私は天を仰ぎそうになった。
“赤ちゃんってどこからくるの?”と質問された親のような気分だ。
「……この村娘は、元々他の男と婚約してたんだよ。だけど騎士のことも愛してしまった。それで、汚いって言われてるのかな」
「それがどう汚いの? 汚い場所から生まれてくるって、どういうこと?」
「……心が汚いとか、そういう意味じゃないか」
「心から子供は生まれてこないわよ?」
「……」
もうわざとやってんだろ!!!
「……ふふっ」
「……なにがおかしいんだ」
「だって、すごく面白い顔するじゃない。そんなに言いづらいことなの?」
「……わかってただろ、君も」
「えぇ。当たり前でしょ?」
ぐっ……! この女……。
……こういう風に翻弄されて楽しい自分がいるよ。
《……》
あっ、やめてハルちゃん。無言の軽蔑。
「ねぇ、あなたはどう思う?」
クロネ嬢はパタンと本を畳んで、立ち上がった。
「……どう思うって?」
「たくさんの男と愛し合った村娘は、汚いのかしら?」
ギシ、ギシ……と床板を踏みながら少しずつ近づいてきたクロネ嬢が、椅子に座っている私の前に立つ。
こちらを見下ろす彼女の目は、まるで底なし沼を覗いているかのようだ。
「そんな女から生まれてくる子供は、不幸なのかしら?」
ギシ……と音が鳴って。
「ねぇ、どう思う?」
クロネ嬢の声が、耳元で聞こえた。
「……別に。思わないよ」
私の目の前には丁度、クロネ嬢の豊かさの象徴が揺れ下がっていた。
「……どうして?」
「本人たちが幸せなら、それでいいと思う。あと……」
「……」
私は僅かに目を逸らして言った。
「どんな親でも、子供に罪はないだろう」
「……」
……顔の前にすごい存在のものがあるせいで前を向けないんだが。
「……ふふっ、やっぱり私、あなたのこと好きよ」
私の内心の抗議が通じたのか、クロネ嬢が離れていく。
そして、ベッドの端に腰掛けると……。
ポンポン、と自分の太ももを叩いた。
「来て?」
……。
マジ?
「今は恋人でしょう? 契約、守ってくれないの?」
……。
私は、ゆっくりと立ち上がった。
ギシ、ギシ……。
ゆっくりと、クロネ嬢に歩み寄っていく。
「ほら」
ベッドの前に立つと、見上げるクロネ嬢に催促され……。
ギシッ
私は彼女の隣に座った。
「……もう、強情なんだから」
……クロネ嬢はせっかく開けた太ももが寂しいことになっているのに不満げだ。ジトっとした目で睨みつけてくる。
可愛すぎて変質者スマイルを抑えるのに私は必死だ。
だがこれ以上の接近は私の脳が爆発してしまうので出来ないのだ。期待に応えられず申し訳ないが、これ私の……。
ぽふっ。
「でも確かに、こっちの方があなたの顔が見れてもいいかも」
クロネ嬢が私にしなだれかかってきた。
……。
そのまま、クロネ嬢の指が私に指の間に入り込む。
恋人繋ぎ。
ゆっくりと彼女の顔を覗き見ると、とろんとした目が私を見上げていた。
「ねぇ、もう一つ聞いてもいい?」
……耳のすぐそばで聞こえる囁く声。
「普通、こんな風に押しかけられたら……怒ると思ってたの。断られるとも思ってたわ」
……そうですね。まさか私もこんなことになるとは思ってなかったですから。
「でもあなたは私を受け入れてくれた。理由も聞かずに、私の近くにいてくれる」
私を見つめる目が、僅かに不安げに揺れた。
「……どうして?」
……まぁ、当然の疑問だ。
それは勿論、クロネ嬢だから……彼女がクロネだからだ。
だけどそれを言っても、彼女は納得しなさそうだ。
私にとってはそれで充分な理由でも、彼女にとっての私は、何故か無警戒に自分を部屋に招くような馬鹿な男にでも見えてるだろうから。
だから彼女が言って欲しいだろう言葉を言おう。
「君が寂しそうだったから」
「……私が?」
「あぁ」
クロネ嬢の目が見開かれ……そして、口に手を当てて笑う。
「ふふっ。えぇ……そうかも」
彼女が私の腕を握る力が、少し強くなる。
「でも、今はもう寂しくないわ」
こてん、と肩に頭を預けた。
◆
「……ん」
ふと、甘い香りがして目が覚める。
気づけば私は、ベッドに寝転がっていた。
……あれ。寝てた? 私。
《ポジティブ。同志様は2時間12分31秒ほど、睡眠状態でした》
うおっ、マジ??
私は体を起こし、辺りの様子を確認しようと……。
……。
裸なんだけど。
《ポジティブ》
いや“ポジティブ”じゃなく。
えっ、はっ、え??
……ハルちゃん。私が寝てた間に何があったかわかる?
《……ネガティブ。申し訳ありません。同志様が睡眠中は、私も活動を停止しています》
マジ……?
《アンサー。同志様が意識を失ったのは、個体名“クロネ”との蜜月の最中のことでした》
蜜月って言い方やめて!?
ちょ、ちょっと待て。マジでその後の記憶がない。
クロネ嬢が私の腕を抱き寄せて、私はそれを引き剥がすこともこっちから抱き寄せることもできず固まってるだけって陰の者ムーブかまして……。
「……」
これ、もしかして私。
……やったか?
額から冷や汗が垂れてくる。
と、とりあえず今からクロネ嬢の部屋行って何が起きたか聞かないと……!
私は立ち上がり……ベッドの上に散乱していた服を見て、なんとも言えない表情をしてから、それを着た。
「……うん?」
すると、その服の中からハラリと一枚の紙切れが落ちてきた。
……手紙?
「……」
嫌な予感がしながらそれを拾い……細く、綺麗な字体で書かれた文章を見る。
『情熱的な夜をありがとう。また明日よろしくね? ダーリン』
私は膝から崩れ落ちた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます