第56話 有能すぎる
「……」
私は、沈んでいた水底から浮き上がるようにして目を覚ました。
目の前にあるのは、端正な寝顔だ。
私のことを何も疑うことなく受け入れて、寄りかからせてくれて、慰めの言葉をかけてくれた青年。
……どこにでもいる、欲望に染まり切った人間だ。
「んっ……」
立ち上がり、意識を集中させる。
《侵食率、9%》
……しっかりと種は植えつけた。あとは芽吹くのを待つだけだ。
「……」
私はベッドに寝転がる彼を、冷めた目で見下ろした。
「あなたみたいな見返りを要求しない男が、一番信用ならないの」
“何も期待してない”、“お礼なんていらない” 、“君を助けたかっただけ”。
そういう男に限って、押し付けた恩んkいつまでも執着して、まるで借金を取り立てるように纏わりついてくる。
この男も同じような人間だろう。よく知りもしないはずの私のことを部屋に上げ、こんなに近くまで接近を許したのがいい証拠。
だから私もそれを存分に利用するだけ。
……最初にいつものやり方で籠絡しようとした時に失敗したのは、少し驚いたけど。そのあと目を潤わせてそれらしいことを言えば簡単に落ちた。
「……そうだ、書き置き」
私は机からペンを一本取り出すと、適当な紙に適当な文面を書いた。
こんなものでも、本気にする男というのはいるのだから面白い。
その手紙とは名ばかりの紙切れを、散乱した服の中に乱雑にしまい込んで私は部屋を出た。
……相も変わらず灰色の世界。
つまらないこの世界には、つまらない色がよく似合っている。
「……」
さて。
次の部屋に行かないと。
◆
『はぁ……』
「……」
『はぁ〜あ……』
「……どうかなさいましたか?」
“聖竜教本部”。
執務室。
黒い革に黄金色のフレームという、やたら成金で邪悪なカラーリングの椅子に腰掛けて、白ローブ姿の私はため息を吐いていた。
側で書類を整理していたセテンハイムのおっさんが、心配そうな顔で私に質問をする。いや、心配そうにというのは嘘だな。
心底面倒臭いし関わりたくないが一応体裁上心配そうな表情を作って、いかにも何が起きたか聞いて欲しそうな私の希望に沿ってくれたという感じだ。
苦労かけます。
『私は、大切なものを失ってしまったかもしれなくてね……いや、それが悪いってわけじゃないんだが』
「大切なもの、ですか」
『うん』
私は憂鬱げに、三度めの溜息を吐いて天を仰いだ。
言うまでもなく、私の憂鬱の原因は昨晩のことである。
いわゆる、私が“卒業”したかもしれない問題について。
酔った勢いでつい……なんてのはドラマなんかじゃよくある展開だが、残念ながら私もクロネ嬢も酒なんて一口も飲んでいなかった。
これはハルちゃんにセルフ体調チェックしてもらった結果からも確定的。じゃあなにか、薬のようなものが盛られたのかと思えばそれもなし。
つまり、酒やら薬やらのせいには出来ない。
しかし、まだ確定的証拠は一つもないのだ。
私の首筋に内出血の跡が見られるわけでもないし、横に裸のクロネ嬢が寝てたわけでもないし、一皮剥けて晴れやかな気分で目覚めたような感覚もない。
起きてたら裸になってて、傍にラブレターが置かれてただけだ。
……大分アウト寄りだな?
だ、だけどまだ状況証拠! 状況証拠だから! 確定はしていない……はず!
……ちなみに、ハルちゃんにかかれば私の、いわゆる局部に付着してる体液の成分を解析することで直近で“そういうこと”が起こったのかどうかは判別できるらしい。
例え綺麗に後処理したとしても、それらの痕跡はしばらく残るんだそうだ。
……結果を聞くのが怖すぎてやってもらってないが。
いや、まぁ。別に本当の恋人がいるわけじゃないからそんなに焦る必要はないというか、もうやっちまえばいいじゃんという外野の意見もわからなくはない。
私も相手がクロネ嬢なら全然okというか、むしろ光栄なくらいだ。
ただ……何度も言うように、多分クロネ嬢には裏の意図がある。
仮に本当に私に体を許してたとしても……恐らく、いや、絶対に。それが本心から私のことを好きだからそうしたなんてことは。彼女に限ってはあり得ない。
これは謙遜なんかじゃない。私は彼女が思っている以上に彼女のことを理解してるつもりだ。
なにせ推しキャラの一人だし。
クロネという少女には……この世界の全てのものが灰色に見えている。それは私も含めて。
色がついていない。これはつまり世界の全てに興味がないということだ。
興味がないから、例え体を許しても何も感じないし、平気な顔で嘘をつくことができるし、殺すことだって出来る。
あんな風に密着して語り合った私たちだが、もし彼女に私の正体がバレようものなら、あの紅潮した顔のまま懐からナイフを取り出して、私の心臓に突き刺すだろうという確信がある。
平気でそういうことができる彼女だから、人を煽動するカリスマがある。
そういうキャラだから、どっかのオタクが脳を焼かれて一時期クロネ嬢の口調を真似て「今日も灰色の世界ね」とか言い出して黒歴史を作ったりしてしまう。
私の思い出したくもない過去が、彼女の二面性を証明している。
だから……私がクロネ嬢を受け入れても、彼女の方は私を拒むだろう。
私はまだ、あくまで傍観者の立場でしかないから。
……傍観者というには色々と干渉し過ぎだろという突っ込みは無しだ。全くその通りなので反論できないから。
ちなみにそれとは別問題として、男側になって恋愛することに抵抗はないのか──という懸念を持たれるかもしれないが、そこについては全く問題ないと言っておこう。
だって、私は“竜角散”を男主人公でプレイしてたからね。そして龍角散は同性キャラでも親密度を最高にすれば特別なエンディングが見れる。
これ以上は言わなくてもわかるな??
なんなら竜角散コミュニティの一部界隈では“性別逆転部”なるスレが存在しており、そこでは超イケメン完璧超人と化したエレオノーアに気が弱い王女となったロッド様が攻められるというどこまでも需要に則したFAが毎日のように投稿されてたりして──。
「大切なものとは、一体どのような?」
あ。
まだ話の途中だった。
『私が生まれてからずっと肌身離さず持っていた、大事なものだよ』
「そんなに重要なものを……」
まぁ、持っていたというより。
手放す機会がなかったという方が正しい言い方なんだけれども。
『それで、そっちの進捗はどうかな』
私はこれ以上深掘られると自滅する可能性が高いと踏んで早々に話題を逸らした。
セテンハイムには、例の地下監獄の件で調べ物をしてもらっていたのだ。
まぁ流石に警備も厳しいだろうから、有力な情報を仕入れるのは時間がかかるだろうが……。
「えぇ。“隠匿師”が収監されている牢の位置と、周辺の看守の行動経路、その素性、有効利用できそうな個人情報と家族構成。また、監視器の位置とその動力の──」
有能すぎる!!!
「また、かつて刑務官の任に就ていた者を一名拘束し、尋問中です。“牧師”の“竜ノ目”を使っているため、尋問中の記憶は残りません。騎士団内に潜り込んでいる同胞が休暇中と申告しているため、周囲の干渉も──」
有能すぎる!!!
『セテンハイム』
「? はい、なんでしょう?」
『君、竜騎士団に転職する気はない?』
「???」
今、悩みのタネになってる竜騎士団の腐敗云々の話も。
“元老院”のジジイどもをビンタして追い出した後に、この人をトップに据えれば解決するんじゃないかと。
私は本気でそんなことを考えたのだった。
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