第53話 灰色の世界

《おはようございます。同志様》


抑揚の少ない、幼い少女の声。


おはよ、ハルちゃん。


……思えばこの世界で、誰かに起こされるという経験は史上初かもしれない。


寝ている間でもツノは見られちゃダメだからね。必然的に眠りは浅くなるし、誰かが近づいてくれば自然と目が覚めた。


あぁ、でも思えば熟睡できた期間もあったな。


ノアたそと一緒に塔の中で暮らしていた時だ。


彼女は朝に弱いから、まず最初に私が起きてノアたその寝顔を堪能してからベッドを出る。

その後厨房に立ち、朝食を作る。あらかた作り終わるという頃になって、ノアたそは眠たそうな目を擦りながら起きてくるのだ。


そして寝ぼけたままふにゃふにゃの状態で抱きついてくる。


とてもかわいい。


これ全部妄想とかじゃなくて実際にあったことなんだからビックリだよね。


でもノアたそはもう忘れてるんだろうなと思うと同時に涙止まらんくらい悲しいよね。

向こうは多分子供の頃一緒に遊んだ友達、という程度の認識しかしてないと思われる。


対抗戦でたまたま彼女とカチ合っちゃった時に正体がバレかけたのはびっくりしたけど、あれも言わば彼女の優秀な記憶力が呼び起こしたただの偶然だろう。


仮に透明人間の中身が八百屋のおばさんでも“まさかあなたは行きつけの八百屋のおばさん……?”ってなってたに違いない。ちょっと面白いなそれ。


だけどそれは当然のことだ。


なにせ今の彼女は次期皇帝。対抗戦でも大活躍したって評判は学園中に広まっている。


子供の頃の記憶なんてとっくに色褪せて、忙しい今のことで頭の中はいっぱいなはずだ。


だけど私はそれでいい。彼女がこれから成長して、いつか自分の人生を振り返った時、“あぁ、こんな人もいたな”と思われるような記憶の隅っ子に存在していられればそれで充分。


……いや欲張りすぎか? よく考えれば私なんかが記憶の隅にいて自己主張してくるの普通にウザすぎるな。集合写真でみんなピースしてるのに一人だけ背もたれに寄りかかってる男子生徒みたいになりそうだ。


……なんで起き抜けにこんなことを考えてるのかと言えば。


『私の“恋人”になってくれない?』


「……うーん」


思い出される昨夜の記憶。


危うくクロネ嬢に特に大事でもない私の貞操を持ってかれそうになった後に、ぺたん座りの彼女に言われた一言。


これをただ単純に愛の告白だと受け取ることができるほど、私は楽観的じゃなかった。


いや、いやね? 勿論本心なら私はオッケーどころかむしろ土下座してこちらからお願いする立場だよ? 喜びのあまりヤッター!!って叫んで全裸で学園中走り回るくらい有頂天になるに違いない。


しかし、だ。


そんな普通に捕まる不審者と化すほど浮かれようには、私はクロネ嬢というキャラを信じきれていないというか、いやむしろ信じているからこそ疑わずにいられないというか。


まぁ、100%裏の狙いがあるはずだ。


だから私は聞いたんだよね。


『偽装恋愛ってこと?』って。


いや、告白してくれた相手に対してちょっと失礼すぎると思わなくもないが。


実際、『全然信用してくれないのね』とクロネ嬢も泣き真似してたしめちゃくちゃ様になってたけども。


『まぁ、そういうことね』


と、ケロッと開き直る彼女を見れば、私はこれでこそクロネ嬢だとスタンディングオベーションせずにはいられなかった。


『期間は学園の今の閉鎖状態が解かれるまで。夜になったらあなたの寮室に行くから、私を入れてくれればそれでいいわ』


そして聞けば、恋人になるというのは期間限定の話らしい。


それも人との接触が極端に少ない閉鎖状態の間だけ。彼女を部屋に入れればそれでいいらしい。


『あなたの部屋に向かっている所は誰にも見られないようにするし、夜以外は会わなくてもいいわ。ただ私を部屋に入れてくれれば、それでいいの』


私はその話を聞いていく内に、内心断ろうと思っていた自分の気持ちが揺らぐのを感じた。


正直、本当に恋人のように過ごすならどうしたって目立つ。


クロネ嬢は見習いクラスで知らない人はいないと言ってもいいレベルの、アイドルのような存在だった。


そんな彼女に恋人ができたとなれば、当然私にも注目は集まる。


注目が集まってしまえば私特有のガバが発生して正体判明。お縄にかけられて獄中生活コース。いや普通に殺処分か。


クロネ嬢と恋人プレイができるというクソデカメリットに対して、死というリスクはほんのょっとばかり大きい。


だからそういう話なら血涙を流しながらお断りするしかなかったのだが、実際のところは誰とも会う必要がないものだった。


言ってしまえば、夜になったらクロネ嬢を自室に匿う。ただそれだけ。


『どうかしら?』


私は、月明かりに照らされてキラキラと輝くクロネ嬢に上目遣いで覗き込まれながら、答えを出した。


「……わかった」


渋々……という雰囲気を出しながら、内心では裸踊り状態だ。母ちゃんもお赤飯を炊いて応援してくれてる。


“ちゃんと避妊はするんだよ”ってやかましいわ。


『ふふ。交渉成立、ね?』


クロネ嬢が蠱惑的な笑顔を浮かべて目を細めた。


その意味深な表情を見て、今更ながら“あれ、これもしかしてやったか?”と焦りを感じる前に。


『じゃあ、しばらくの間よろしくね? “ダーリン”』


と、唇に人差し指が当てられた。


……その呼び方、夫婦のやつじゃね?


で、現在に至る。


何が言いたいのかと言えば。


一日中クロネ嬢との夜の時間を想像して寝れなくなっていましたよ、と。


《ポジティブ。昨晩の同志様の思考は全て拝見しておりました》


やめて?


それ拷問だからね。一種の。


《ポジティブ。就寝時間の思考同期をオフにします》


うん、一生のお願い(n回目)だからもうオンにしないでね。


……まぁ、夜の時間ったって別にいかがわしいことをするわけじゃない。


クロネ嬢を部屋に招いて……そうだね、茶でもしばきながらお菓子でも食べて、ガールズトークしていればそれでいいわけだから。


……いや、でも今の私とガールズトークとかできるか? 逆の立場だったらそんな話気まずすぎて振れないんだけど。


というか、それ以前に密室で2人きりの状態とか私、絶対どもるんだけど。コミュ障全開で発揮しちゃうんだけど。全く喋らないか喋りすぎかのどっちかになる気しかしないんだけど。


というか、そもそもクロネ嬢にとっての私ってどういう存在だ? 話した機会はそんなに多くないし、私のことが本気で好きなわけじゃないだろう。


じゃあ友達……というほど気安くもないし。ただの知り合いというにはちょっと関係が特殊だ。


《……協力者》


え?


《アンサー。“協力者”が適切な表現と思われます》


……協力者。


そうか……協力者かぁ。確かにそう言われるとしっくりくるなぁ。


プライベートまで踏み込んだ気安い関係じゃなく、あくまで利益の関係。だけどお互いに利が一致しているから完全な他人ってわけでもない。


私はクロネ嬢を部屋に招いて鼻を伸ばせるし、クロネ嬢は私の部屋で匿ってもらうことができる。


確かに協力者だ。


なるほどね。それくらいの関係性で話とか振ればいいわけだ。それだったらまぁ……なんとかなる、か?


……うん、まぁこれ以上は考えても仕方ない。


夜まではまだ時間がある。私はそれまでにやるべきことをやっておこう。


……。


うわやっぱ集中できねぇ!!



「……」


朝、目が覚めると。


いつものように“灰色の世界”が広がっている。


ベッドから起きて、伸びをした。


「……あら」


自分の体を見下ろすと、いつものような簡素な寝巻きを着ていないことに気付く。


……どうやら着替えるのを忘れて寝てしまったらしい。


「……」


ベッドから降り、窓を開けて外を眺める。


相変わらず、そこには灰色の世界が広がっているだけだった。

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