第52話 私の……

「鍛えられてるのね」


クロネ嬢の細指が、私の腹部のあたりをさすさすと撫でている。


私の体は相当筋肉質だ。特に筋トレなどはしていないのだが、今まで結構動き回ってきたからかな。あるいは竜の肉体がそうであるというだけか。


湯浴みから出た後などは、バキバキの肉体の上に、客観的に見てかなりの美形の顔が乗っかってるのでビジュアルのインパクトがすごいことになってる。

中身が私というマイナスポイントがデカすぎて全然魅力的には感じないんだけどね。


逆にこの体でちょっと影ある系の湿度高め人格なんかが搭載されたらもう最強よ。私みたいなのは財布を逆さまにして貢ぎまくるに違いない。


いやホント、こいつ顔だけはいいな……というのをリアルで実感することになろうとは。


「素敵よ」


そんなわけで、見た目(だけ)はいい私の上に、見た目も中身も素晴らしいクロネ嬢が乗っかってるわけなんだけど。


なんですかそのスケスケの寝巻きは。


いや、これ寝巻きってよりほぼ下着なんですけど。スケスケの生地の上から黒いパンティー見えちゃってるし。

ぶっちゃけ“そういう”用途に使う服にしか見えない。


シャツの中に滑り込んだほっそりとした手は、そのまま脇、腰と移動していき……さらにその下に。


というところで、私はクロネ嬢の手首を掴んだ。


「……あら、積極的ね」


しかしクロネ嬢は慌てた様子もなく、にっこりと微笑んだ。


「私も盛り上がってきちゃう」


掴まれた手首はそのままに、クロネ嬢が私の体の上に倒れ込んできた。


クロネ嬢の足が私の足に絡みつき、がっちりと拘束される。


「さわって」


掴んだはずの手首がするりと抜けて、逆に私の手首が捕まった。


そのまま手のひらが、どんどん上の方へと上がっていき……。


「……」

「……」


私は手に力を込め、その体勢で静止した。


「……もう消灯時間は過ぎてるよ。クロネ」

「……この状態で最初に言うのがそれ? ムード台無し」


私は息を吐きながら言った。


息のかかるほどすぐ近くにクロネ嬢の顔がある。


……正直、今の私は結構危険な状態だ。


私は風の流れを読んで、人の気配を感じることができる。

狭い室内に風は流れていないけど、それでも人が1人いれば見逃さない程度には、私のセンスも鍛えられている。


なのに、押し倒されるその瞬間まで私は彼女に気づかなかった。


加えて、どういうわけか頭がフワフワとしている。意識にモヤがかかったような感覚で、強烈に眠い。


このままの状態で寝るのはまずい。


私の勘はそう告げている。


「……なにしに来たんです?」

「決まってるでしょう? あなたと寝るために来たの」


……本当に添い寝するだけなら、別にいいどころか大歓迎なんだけど。


明らかにそれだけじゃ済まさそうな危うさが、この状況にはある。


「私、隠し事してる男が好きなの。無害そうな顔して、その腹の中にどんな汚い欲望を溜め込んでるのか……」


……空いていたクロネ嬢の左手が。胸、腹、下腹……さらに下って。


「ぜぇんぶ、吐き出させたくなっちゃう」


包み込むように撫でる。


……。


頭がクラクラする。


とてつもなく眠い。


「……ふふ、いらっしゃい」


ま、まずい。


このまま寝たら死ぬ……。


《「……」》


……?


何か聞こえる?


とても、懐かしい声だ。


《「……!」》


……これは。


この、泣きたくなるほど懐かしいこの声は。



《「あんたいつまで寝てんだいッ!!」》



!!!


か、母ちゃんッッッ


意識が一斉に覚醒した。


「……あら?」


脳裏に浮かんだ、フライパンとお玉を両手に持って顔を般若のように歪めたパーマの中年女性の姿。


それが私を救った。


私は今度こそ、クロネ嬢の両手首をしっかりと拘束。

そして、足を跳ね上げて体勢を入れ替える。


「えっ」


そうして、ついさっきまでとは真逆の体勢。

私がクロネ嬢に対してマウントポジションを取った。


「……」


クロネ嬢は、私を見上げながら目を白黒させていた。


「……初めてね」

「……なにが?」

「……私の好きにならなかった男」


クロネ嬢は何を考えているのか、目を細めて私の目を見つめていた。


「初めて」


……いつも何を考えているのかわからないような、誘うような笑みを浮かべているクロネ嬢。


だが今の彼女の顔は、まるで子供のように純粋だった。


……ありがとね、ハルちゃん。


“あれ”を見せてくれて。


《ポジティブ。同志様の意識を覚醒させるに当たり、同志様の記憶情報から最も効果的な映像音声を採用しました》


まさか、それがフライパンとお玉を持った母ちゃんだったとは……。


……いや、実際には私の母ちゃんはあんなパーマヘアじゃないんだが。


なんで実際の母親とは似ても似つかないのにあれが“母ちゃん”だって認識できるんだろうね。概念上の母に窮地を救われちゃったよ。


ありがとう、母ちゃん。たかし頑張るよ。


……それにしても、予想以上に疲労が溜まってたのかなぁ。まさかあんなにいきなり眠くなるとは。


《ネガティブ。同志様の身体に生じた異変は、生理的反応によるものではありません》


えっ、そうなの。


じゃあ何? 薬でも盛られたのかな??


《……アンノウン。情報が不足しています》


ハルちゃんでもわからないか。


まぁそれならしゃーない。


「……」


本人に直接聞こう。


「……クロネ、君は」

「あ、えっと……」

「……?」

「その、話の前に……」


クロネ嬢は、僅かに顔を背けて……私の目を見ないようにしながら、言った。


「この体勢だと……その……」

「……」

「……少し、照れるわ」


……。


カワイーーーーーッッ!!


《ネガティブ。個体名“クロネ”に羞恥による身体的反応が見受けられません。虚偽申告の可能性があります。引き続き警戒が必要です》


あっ、怒られちゃった……。


ごめんねチョロくて。


でもさ……たとえ嘘だとしてもさ……。


あえて騙されるのが、また楽しいンだワ……!


《……》


せめて突っ込んでくれると嬉しいかも。



「……」

「……」


解放されたクロネ嬢と私が、ベッドの上で向かい合って座っている。


なんか乱れたスケスケの服を直してるのが事後感を感じずにいられないが、残念ながら私たちの間には何も起きていない。


「……それで、なんの用かな」

「あなた、私との約束を破ったでしょ?」

「……」


……やっぱりそのことか。


対抗戦が始まる前にクロネ嬢から頼まれたこと。それは私が対抗戦に出場してほしいという内容だった。

そもそも私は断ったのだが、どっちにしてもそれどころじゃない状況になっちゃったからね。


忘れてたわけじゃないが、クロネ嬢の意にはそぐわない展開だっただろう。


自分の思い通りにならないと気が済まない彼女のことだ。多分このことを弱みに私に言うことを聞かせようと……。


「まぁ、それはいいの。終わったことだし」


いいんかーい。


……あれ? てっきり“私を裏切るなんていい度胸してるわね”とか言いながら鬼詰めされるとばかり思ってたんだけど。少なくとも私が知ってるクロネとはそういうキャラだ。


初手で私に対して色仕掛けをしかけてきたのはビックリはしたけど、意外じゃなかった。

何故なら彼女は利用できるものは何でも……それこそ自分の身体すら利用して、自分の望む展開を引き寄せる策謀化だからだ。


しかし今、私の目の前でベッドの端にちょこんと座りながら指先で綺麗な黒髪をくるくると弄んでいる彼女にはそういう陰謀めいた色が一切ない。


自然体というか、リラックスしてるというか。


……まぁ、単純に私が警戒にも値しない存在だと見抜かれただけかもね。


「でも用があるのは正解。あなたに手伝ってほしいことがあってね」


ほら来たぞ。


さぁどんな無理難題が……。


「私の“恋人”になってくれない?」


……。


ゑ?

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