第48話 身を焦がすような熱
“学術対抗戦”襲撃事件。
この事件は、学園にとって重い楔となって打ち込まれた。
“竜騎士”という身内が主犯格として疑いをかけられていること。先の学園襲撃事件を受け、万全の警備体制を敷いた上で二度目の襲撃を許したこと。
死者こそ出なかったものの、学生という身分にある生徒たちが直接被害に遭ったこと。竜騎士側の対応の問題、等々……。
数え始めればキリはなく、もはや学園の存続そのものが危ぶまれる事態となった。
学園指導部はこれらの後処理にあらゆる労力と時間を注ぐことになり、必然と本来行われるはずであった講義の全日程は当面白紙となった。
今は下手に学園内を歩かせることも危険……ということで、学生は危急の要件や特別な理由がない限り寮室での待機を命じられ、外出は固く禁じられることになった。
学園内警備には、もはや国軍相当の兵士が動員され平時であるというのに戦時下であるような緊張状態だ。
もし“次”、なにかあれば。
この場にいる誰もがその可能性を危惧、不安視して、眠れぬ夜を過ごしていた。
それは彼女、エレオノーアにしても同じだった。
ただし。
「はぁ……っ、はぁ……っ!!」
彼女が“あの日”から碌に眠れていないのは別のことが原因だった。
「……熱い」
すなわち、昼夜問わず体を蝕む膨大な“熱”。
そしてそれを発生させているとてつもなく巨大な“感情”。
「……読まないと」
……エレオノーアはこの所、手元に必ず“小説”を携帯するようにしていた。
ジャンルは問わない。冒険活劇、歴史、政治、純文学……。
物語に集中している間は、思考に隙間が出来なくなる。余計なことを考える機会を極端に減らせる。その間は、ほんの少しだけ熱も引く。読み終わって思考が混濁し始めたら床につけば、すんなりと眠ることができる。
……あぁ、でも恋愛小説はダメだ。あれは“悪化”する。一日中身体から熱が引かなくなってしまった。
特に最近のなんて描写がやけに生々しくて過激だから、変に描写が補完されてしまって……。
「あうっ!? ふぅ……!」
……ダメ。考えちゃダメだ。
そうしたら“歯止め”が効かなくなってしまう。そうなった時の私は、もう私じゃない。別のナニかだ。ケダモノのような何かだ。
……エレオノーアの体を正体不明の“熱”が襲うようになったのは、あの襲撃事件が起きた日の夜。
様々なことを終えて自室に戻り、掛け布団をかけた瞬間。
……その日から、特に夜になると熱は酷くなる。
翌日に医務室にも行ったのだが、風邪や病気の類ではないと言われた。
あんなことが起きた直後なので、精神的な面が原因かもしれない──ということで、絶対安静が言い渡された。
だが、この熱は安静にしているとむしろ強くなってしまう。思考に隙間が生じるとすぐに湧き出すのだ。安全のために生徒たちが外出を禁止されていることが、エレオノーアにとっては何よりも辛かった。
いっそ忙殺されていれば、“こんなこと”を考える暇もない。ある程度はいつもの私でいられるはずだ。だが時間を与えられるとどうしてもそれを考えずにいられない。
──“彼”のことを。
「うぅっ……!!」
……一体、何度夢に見ただろう。
“彼”が生きていて、目が覚めたらすぐ横で寝ていて、朝の挨拶を交わす。
私は実は朝に弱いから、いつも彼の声かけで意識が目覚める。だけど私は寝たふりをして彼を困らせる。すると彼はいじわるな顔になって、ベッドの中に潜り込んでくる。私は最初は嫌がるけど、すぐに彼の手で──。
「あああああぁぁぁっ!!」
バサっ、と布団を跳ね飛ばしながら私は飛び起きた。
鏡を見ずとも、自分の顔が茹だったように真っ赤になって、髪がぐしゃぐしゃに乱れているのがわかる。
知らず知らず口元から垂れていた涎を気にする暇もない。
「はぁ……はぁ……!」
……そんな夢を見ても、目が覚めればいつもそこにあるのは辛い現実で。
私の至福は、存在しない夢の中にしかない。
だから現実では、彼への贖罪のためにあらゆる感情を排斥して、ただ己のやるべきことを突き詰めた。
……代わりに、本来の私や本当の願い、そして……欲望、は。全部夢の中に置いて、固く鍵をかけたのだ。
現実の中、夢の中、と区別することで私は私を維持できた。どんな試練が目の前にあっても乗り越えられた。なぜなら現実で何が起ころうと夢の中には幸せが全て詰まっているから。
……そのせいだろうか。
“夢の中でなら何をしてもいいわよね”と、いつの日かもう一人の自分が囁いて、私はその場で納得してしまった。
結果、夢の中は魔境と化した。
「……はぁ」
だけどそれも問題なかった。だって夢だから。夢の中で何をしようと問題ないから。もう会えない彼にとても人に言えないような欲望の全てをぶつけてしまうことへの抵抗感は勿論あったが、それ以上に快楽が強すぎて呆気なく屈した。我ながら意思が弱すぎる。
でも、それでも問題は……いや、多少問題はあったかもしれないが。
無かったのだ。それを人に言ったことはなかったのだから。
私は自制が出来ている。ちゃんと区別をしている。表と裏を使い分けられている。だから大丈夫……。
現実に“彼”が現れて全て崩壊した。
いや、わからない。まだあの男が“彼”であるという確証はどこにもないのだ。
……とは言ったが、正直、私が“彼”を間違えることは万に一つもあり得ない。彼以降もウン百人の美女を落とした男だの100年に一度の美男子だのと様々な男と会ってきたが、これっぽっちも私の心に響かなかった。
だけど、姿も見えなければ声も聞こえない彼に会った瞬間に、私の体はひとりでに動いてしまった。
少なくとも、彼本人でなくとも、それに近しい誰かではあるはずだ。
「……」
私は膝を抱えて蹲る。
「……あいたい」
会いたい。
彼が……“透明の男”が、“翡翠の竜”であっても。人類の敵であっても。
もし、あの日の塔で行われた実験の末……人間に対する復讐を望む悪魔と化してしまったのだとしても。
あるいはすでに記憶も自我もなく、単なる怪物のような存在になっていたとしても。
どうにかなってしまいそうなくらい、というより、すでにどうにかなってしまっているくらいには。
会いたいのだ。
だけど。
もし彼が……人類の敵ならどうする?
「……決まってる」
私も人類の敵になろう。
多分、その道は険しくて、悲しくて……色んな苦しみに晒されるものだろう。もしかしたら、お父様やお母様、マレットなども……私のために尽くしてくれた人を裏切るような道なのだろう。
人から見れば私と彼は、幼少期の間少しだけ交流があったという程度の関係かもしれない。そのわずかな時間のために人生を捧げるのは愚かだと言われるかもしれない。もしかしたら彼自身もそう思っているかもしれない。
それでも、私の独りよがりだとしても……このまま彼の敵対者として生きていくよりはずっとマシだ。
「……ふぅ」
乱れた髪も服もそのままに寝転がる。
まだ頭は熱されたように熱く、意識は混濁していて自分が何を考えてるのかもわからない。
だけど、ただ煩悩に支配されていただけの時と違って思考が整理されたことで少しだけ進むべき道が見えた気がする。
もう一度会うんだ。彼に。
色んなことを不安に思うのはその後でもいい。
それに、彼が翡翠の竜なら……人を助けるような行動を見せていた所から、まだ希望を見出すことも……。
「……」
翡翠の竜が、彼?
……瞬間的に脳裏によぎる、颯爽と現れて“紅玉の竜”の攻撃から自分を守ってみせた翡翠の竜の姿。
「うああああぁぁぁぁぁーーーっっ!!」
バタバタバタバタ!!
……その後、エレオノーアの自室から夜な夜なうめき声が聞こえるとにわかに噂が立つことになることは……。
まだ誰も知らない。
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